退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1027: 式

2018-05-29 09:20:55 | アメリカ便り
昨日の続きになりますが。
私は本当は結婚式なんてやりたくなかったんです。
紙を市役所に持っていって“はい、終わり”とやりたかったのに。
とにかくすべてにめんどくさいのがいやなのです。
気持ちというか精神的に物事をめんどくさく考える人も苦手です(これが一番いやですね、主人がこれなんです)。

結婚式ですが、“しなくてもいい”と主人も言ったのに、“義母が小さくてもいいからやってくれ”と。
めんどくさい性格一家なのです、私の主人の家は。
義父は気が合うのですが。

それで、しょうがないから結婚式の1週間ぐらい前になって、神父さんを探したり、場所を決めたり。
教会なんていったためしがないから、主人のボスの知り合いのメナナイ教(アーミッシュ的)の神父という非常にマイナーな変わった宗教人に頼み、場所は公園、パーティーは友達のアパートのタウンハウス。
“17年セミ”が異常発生していた年でした。
結婚式前夜に“結婚するしない”の話し合い、“一応しておこう”ということになり、結婚式当日は、花嫁の私がスーパーで、サンドイッチ用のハムやら、チーズやら、野菜やら買いました。
“結婚式をあげてくれ”といった本人は何も手伝わず。
友達とレジの列に並びながら、“なんで私がこんなことをしなけりゃいけないんだ”と頭にきていたのを覚えています。

でもセミの集中攻撃を受けながら、無事盛大に楽しく終わりました。

別に結婚式を挙げたから結婚生活が長続きしたのだとは思っていませんが。

私はアメリカに来て41年。
だから、友達、親戚の結婚式、葬式にもほとんど出たことがありません。

父親の死後、通夜には間に合わず、告別式にお棺にドライアイスと一緒に入って冷たくなった父親に再会しました。
母親は最後の1ヶ月を一緒にすごすことができました。
母親の葬式は、一応葬儀屋を頼んでいろいろやっていただきましたが、“めんどくさいから家でやる”。
だから、通夜も告別式も我が家。
でも入りきれないほどの人が集まってくれました。
その後は、初七日にお墓にお骨を入れてお坊さんを頼んで終わり。
父親も母親も、きっと“何回忌”なんてことはしないでしょう。
そんなめんどくさいことをしなくても私は毎日、両親のことを思い出しているし。
日本に帰ったときは仏壇に手を合わせたり、お墓に行っているし。

式というのは、“自分たちのため”というより、親戚や家族のためという考えが多いと思います。
“自分たち”はやりたかったらやればいいし、やりたくなかったらやらなきゃいい”のです。
昨今の若者も私のような考えを持った人たちが増えてきているそうですが、回りがうるさいのでしょうね。

本人がよければいいじゃない。
帝国ホテルで結婚したって1ヶ月もたたずに離婚するカップルもいる。

盛大に葬儀をやったって、死んだら同じ。
無縁仏も国民栄誉賞受賞者もみんな仏になるだけ。
大事なのは亡くなった人のことを思い出すという、生きている人の優しさです。

式で好きなのは卒業式。
音楽がいいのです。
“pomp and circumstance"です。
これを聞くために2回卒業式にでました。

PS.以前にも何回か同じようなことを書きました。
  別に私がぼけてしまったから、また同じことを書いたわけではないです。
  新しい読者のために書きました。

ハブグレジュンタのマミー