イランのイラクにあるアメリカ軍基地爆破の後、トランプが声明を出してアメリカ側からの復讐劇の終わりを告げました。
イラン側はどう思っているんでしょうかね。
イラン国内でも今の体制に不満を持っているものが先日デモをやり、1000人以上のデモ参加者が殺された(ソレイマニ軍団によって)と言われています。
と言うことで、ソレイマ二が殺されて喜んでいるイラン人も表さないだけでたくさんいると思います。
イランと言えば思い出します。
1977年5月に私はイリノイ州の片田舎にある大学の英語学校に通い始めました。
片田舎の大学でも一応は州立大学と言うことで、大学自体は26000人もの生徒が通っていました。
そこの英語学校には中近東(主にイラン)とマレーシアの生徒が目立って多かったのを覚えています。
日本人も少数ながらいましたが、‟へー、こんな田舎にくるもの好きな日本人もいるのか”。
このイラン人がひどかった。
まるで‟幼稚園児”とクラスを共にしている感じでした。
濃いひげとポリエスターのシャツとズボン。
図体ばかりでかくて、おまけに臭い。
授業中でも私語お構いなし。
ギャーギャー、まんずうるさいの一言。
こっちとらオイルマネーで来ている金持ちの中近東人と違うんだい!!、一旗揚げようと思ってきた貧しい私費の留学生だい!!、なんてね。
当時1ドルが290円だったので本当に大変でしたよ。
おまけに、‟俺たちの国では泥棒したら手をちょん切るんだぞ、とか石うちの刑もあるんだぞ、とか石器時代でもあったような罰則を得意げに話す。
一般社会から見れば恥部となるであろう司法環境を持った自国を誇らしげに話すイラン人の知能程度を疑ったものだった。
そしてこんな野蛮人たちと一緒に机を並べなければいけない私がひどくみじめに感じたものだった。
やっぱり、もっといいところを選べばよかったかな~、なんて思ったりして。
でも本当にお金がなくて安く、お金を使わなくてもよさそうなところを選んだらこんなところしかなかったんです。
ま~、英語も話せなかったし。
とにかく、テレビで見ていてもわかるようにイラン人は知能程度が疑われる人種である、もちろん良い人もいるに違いないが。
でも1990年代好景気の日本はこんなイラン人を大量に受け入れていたんですよね。
あの時代は何だったの?!
とにかく私が感じるイラン人、一言でいえば、”図体ばかりでかいガキ”。
とこんなことを書いてヘイトと言われないか心配ですが、これらはすべて事実で、私が43年前に経験したことであります、決してヘイトではありません。
昨日はよい天気。鳥たちもたくさん来ました。
ロビンとカージナルス
ロビンとシーダーワックスウイングとフェンチ
ロビンが落としていった木の実の種うん子を食べるリス
ハブグレジュンタのマミー