おはようございます。
火曜日は息子と二人で往復10時間かけてシカゴへ日帰りで行ってきました。
どうして??、息子の日本パスポートを取りに行くため日本領事館へ行ってきたのです。
先日は娘の日本パスポートを受け取るためデトロイトの日本領事館へ行ってきました。
実は娘も息子も今まで30年以上日本のパスポートをとったことがなかったんです。
日本国籍は出産の時に日本に申請をして私の戸籍に入れてもらい修得したのですが、それ以外何もしていなかったんです。
本当は21才になった時に日本かアメリカのどちらかの国籍を選択しなければいけなかったんですが、それをしないまま10年たちました。
待ったのが幸いしたんでしょうね、今は私たちの子供のようなケースは2重国籍が認められるそうです。
ラッキーですよ。
皆さんご存知でしょうか?、日本のパスポートは世界で一番強いんですよ。
日本のパスポートでほぼどこの国にもビザなしで入国できるんです。
ということで、今回無事息子と娘に日本のパスポートを習得しました。
息子は娘(私の初孫)に日本の国籍を取りたいそうで、ついでに婚姻届け、出産届も申告してきましたが、パスポートは無事終わりましたが、山のような申請申込書、そして、アメリカ生活45年の私にとって、❝ちょっと何言ってるかわからない❞的日本語で書かれた申請書は記入に一苦労。
領事館で一応無事書き込んだ申請書を提出したら、出産届けも息子の婚姻届けも見事に却下。
その場で訂正した申請書は訂正のし過ぎでだんだん黒くなってきて、領事館の人が❝フォームをあげますから家でもう一度書き直してください❞と。
お言葉に甘えてそうさせて頂き、昨日朝書き直して再度郵送しました。
パスポートは領事館へ行ってもらってこなくてはいけなかったんですが、出産届と婚姻届けは郵送で良かったので。
ということで、私と日本語の戦いはこの後しばらくはないでしょう。
あ!!、待てよ娘の婚姻届けもやらなくてはいけないのだ。
これは日本から帰ってきてからやります。
出産届は生後3か月以内に提出しなければいけないのですが、婚姻届けは申請遅れの理由を書けばいいので焦らなくても良いのです。
しかしながら、コンピューターのおかげで日本語を書くことが無くなった悪影響を体験しました。
え!、私の日本語の能力低下はコンピューターの前から始まっていたって!!、とは多分私の友達が言うことと思います。
先週の日曜日は父の日で息子のところで食事することになっていたんです。
勿論私が全部持っていくのですが。
チョコレートケーキを作り、ケーキ用の皿をとろうとした時、はじが少し欠けたグラスの皿に手首がぶつかり、ものの見事に切ってしまいました。
血は出てくるしケーキは作らなければいけないし。
ぎゅっと手首を圧迫していると血の出方は鈍くなってきたのですが、主人に言って救急診療所へつれていってもらいました。
それほど混んではいませんでしたが、ノータリンでデブの体中から❝いろいろの面で鈍い❞と言う香りが漂っているアシスタントが、さも面白くなさそうに私の相手をしてくれました。
そのあと来た看護師はてきぱきとした優しいおばちゃんでした。
医者が来て3針縫って、血は止まったようなので帰りましたが、そのあと夕食に支度をしてみんなと食事をしていると包帯が赤く染まっているのに気づきました。
食事をそそくさと終えて家に帰り包帯をとると、血がちょろちょろと出ていました。
ついに9時ごろ病院の救急へ行ってそこで、ザイロケインとか言う鎮痛剤を傷口に注射。
鎮痛剤が血管収縮作用があるそうで、こういう時によく使われるそうです。
その後は出血なし。
というように毎日何かかにか起きています。
日曜日は娘が友達の結婚式に10時間運転して出席した後、5時間運転して我が家にやってきます。
家に着くまでが心配です。
そして29日二人で日本へ行く予定。
72時間前PCRの予定を組まなくては。
日本へ帰る時はこれがネックなんですよ。
アメリカへ帰って来る時はもう検査がなくなったので楽ですが。
娘、正真正銘の日本人として日本のパスポートを使っての初めての帰国です。
まだまだ親として忙しい日々が続いております。
ハブグレジュンタのマミー