茅ケ崎に住む57歳の妹が、2日間の仕事休みを利用し震災ボランティアで北海道にやってきた。
仕事を終え、新千歳空港20時半着。
申し込んだ団体は札幌のため、そのまま札幌のホテル泊まり。
翌日、派遣されたのは、鵡川町畜産農家の倒壊した家屋の片づけ。
ここで感じたご夫婦の温度差。
ご主人は “みんな捨てていいから。”
奥様は “ちょっと待って。”
ゴミのような片づけ物でも、そこには何十年の生活史がある。
奥様と少しづつ話をしながら、ゆっくりゆっくり片づけをしていったそうだ。
男性ボランテアの中で唯一の女性だった妹に奥様はほっとした様子。
次から次と運び出すのはたやすいが、被災された方の心に寄り添いながらの作業。
“おね~ちゃん、正直、それでどっと疲れたみたい。”
“でも、私はこの一日だけ。被災された方はまだ続くんだものね。”
西日本のボランテアに行こうと思っていた矢先の北海道地震で、思わぬ妹とのおしゃべり。
夕方19時、鵡川から戻り、疲れ切った表情の妹と中島公園キリンビール園でお疲れ様乾杯。
妹も私同様、初めてこのキリンビール園を訪れた時の感動で、北海道に来ると必ずここで、おなか一杯のジンギスカンとビールを賞味。
とうとう閉館になってしまった。
近い将来更地になり、いつ日か忘れ去られてしまうのだろう。
新しい建物が立ち、その歴史が始まる。
時間は掛かるが、
亡くしたものは戻らない。
今ある時間を、今ある自分を、
大事に大切にして前に進もう。
それにしても、一日ボランテアをして翌日は仕事。
膠原病で病院がお友達の妹。
外国にもどこにでも行って楽しんでいる。
元気だわ~・・・・・
震災ボランティアのために、わざわざ首都圏から
いらしたのですね。
小生らは、震災の直接の被害はありませんでした
が、ブラックアウトにはまいりました。
ただ、これを教訓に非常時対策を少しづつ進めて
います。
私もこの震災で学ぶことが沢山ありました。
同じく非常時対策を進めています。
当たり前の生活を当たり前の顔をして過ごしていると、
見なくてはいけないものが見えなくなって自分がいます。
見える目を持たないと。
と反省しながら、ついつい忘れる私です。