毎日来る患者さんを見てつくづく思う。
人生は混沌としている。
社会はストレスで一杯だ。
パワハラリストラで苦しむ人。
失業と経済破綻の恐怖。
離婚と訴訟。
暴力と憎しみ。
ガンの再発を知りうなだれる人。
うつ病が治らず苦しむ人。
ガンの夫と認知症の妻との老々介護
親の介護と自分の仕事と子供や夫の世話で自分が無い人
死の恐怖でパニック発作を繰り返す人。
そんな中でも人は生きて行かなければならない。
一般の人が言うマインドフルネスって余裕のある人の言葉。
社会から逃げてストレスから逃げれば平和かもしれない。
でも現代人はそうは行かない。
マインドフルネス、静的意識集中それもまあまあ悪くは無い。
しかし動的意識集中というのもある。
それは太極拳や山登りや、動きながらの意識集中の事だ。
マインドフルネス、動的意識集中それはまあまあ良い。
インドアの意識集中も良いし、アウトドアの意識集中も良い。
しかし一番良いのは現実的意識集中だ。
それは現実社会の中で行う意識集中のことだ。
患者だけでなく働く多くの人の不安恐怖の99%は実現しない。
みんなバーチャル(仮想現実)な悩みで苦しんでいる。
あきらかにマインドの喪失状態だ。
これをマインドレスネスという。
自分が無くなっている。
心療内科ではそれが病気に絡めば失感情症とか失体感症という。
自分を取り戻すためにはあらゆるストレスから逃れるか対抗するしかない。
現実で自分を正気にたもって生きるのはまるで綱渡りのタイトロープの上を歩くようなものだ。
だからこの厳しい現実を生きて行くためには厳しい意識集中が必要だ。
これを現実的的意識集中といったが、これこそが今現代人が生きる真のマインドフルネスの道だ。
どういうことかというとストレスの多い中でこそ、今を生きる事に集中する訓練をするという事だ。
いろんな悩みがあるけれどもそれに囚われず今の瞬間を直実に生きるという事だ。
ガンで死ぬかもしれない、失業するかもしれない、受験に失敗するかもしれないの不安の中で、今を生きるという事だ。
歩くときは歩き、トイレするときはトイレに、食べるときは食べる事に、全ていましていることに集中する事だ。
生まれてまだ一週間のヤギの子、もう親から離れて自然の光の中で生を謳歌している。時に瞑想状態?時には回転しながら飛び跳ね「生きているだけで幸せ」とう感じが伝わってい来る。
現実的意識集中は忙しい日常生活の中でマインドフルネスになる方法だが、簡単には説明できない。
まずは自律訓練療法や呼吸法(腹式呼吸)から入ると効率が良いかも知れない。
しかし一番言いたい事は「厳しく困難な事態でもマインドフルネスに誰もが特別な訓練無く成れる」ということだ。
その最後の決め手は「生きている事に感謝」が出来るか出来ないかにかかっている。
日々感謝の心になれれば本当はマインドフルネスになるのは実に簡単な事なのだ。
マインドレスネス、あらゆる不幸はその無明に起因する。
今この瞬間を生きることが大切だ。