原発でもトンネルでも飛行機でもビルでも人生でも科学論文でも
壊れないように、間違えないように作ろうとするのが
そもそも間違いの大元ではないのか
まっ先に壊れる部分を意図的に作っておいて、そこに対策を施しておけば
炉内圧力が上がった時、勝手に壊れるのはまずそこなので
電気や空気圧で必死に弁を開ける必要もなく
後から破壊された箇所を探す必要も無い
人生でも壊れる部分が見えていればあきらめがつくので
老人になってから焦る必要も無い
STAP細胞も、論文を書いた側は
「おまいらのために研究してやったのに、改ざんや偽造ぐらいで
ガタガタ言うな、初めは喜んだくせに」と言うべきである
そもそも、そんな夢のような細胞に期待するほうが間違っているし
科学も空想の一部である
佐村河内さんも次回は
盲目で全ろう、手足の動かないロック歌手として再デビューしてほしい
そして、再度「現代のヘレンケラー」という
ドキュメンタリー番組を作り視聴者を再度感動させる
芸術も妄想の一部である
しかし人間的スケールとかインパクトが小っちゃかったので
名前以外はすぐ忘れられそうな人である
飛行機でも壊れた時は一番近い陸地に墜落するようにしておけば
わざわざしんどい捜索をする必要も無い
何も聞こえないラジオは
壊れかけではなくて、もうすでに壊れてしまったラジオではないのか
壊れかけの人生を目前にした八田次郎の春の激白
壊れないように、間違えないように作ろうとするのが
そもそも間違いの大元ではないのか
まっ先に壊れる部分を意図的に作っておいて、そこに対策を施しておけば
炉内圧力が上がった時、勝手に壊れるのはまずそこなので
電気や空気圧で必死に弁を開ける必要もなく
後から破壊された箇所を探す必要も無い
人生でも壊れる部分が見えていればあきらめがつくので
老人になってから焦る必要も無い
STAP細胞も、論文を書いた側は
「おまいらのために研究してやったのに、改ざんや偽造ぐらいで
ガタガタ言うな、初めは喜んだくせに」と言うべきである
そもそも、そんな夢のような細胞に期待するほうが間違っているし
科学も空想の一部である
佐村河内さんも次回は
盲目で全ろう、手足の動かないロック歌手として再デビューしてほしい
そして、再度「現代のヘレンケラー」という
ドキュメンタリー番組を作り視聴者を再度感動させる
芸術も妄想の一部である
しかし人間的スケールとかインパクトが小っちゃかったので
名前以外はすぐ忘れられそうな人である
飛行機でも壊れた時は一番近い陸地に墜落するようにしておけば
わざわざしんどい捜索をする必要も無い
何も聞こえないラジオは
壊れかけではなくて、もうすでに壊れてしまったラジオではないのか
壊れかけの人生を目前にした八田次郎の春の激白
・・・もう4月になりましたが八田先生の新学期の抱負などはいかかがですか
やはり、解脱や涅槃、悟り、心の安らぎを目指されるのでしょうか
「いや、コテコテの脂っこいステーキ食うて、ギャンブルして、コカコーラ飲んで
浴びるほど酒飲んで、きれいなねーちゃんとウハウハしたい。高級外車も乗りたいし、
それにはもう少しボロ儲けせんとあかん」
八田次郎の新学期メッセージ
やはり、解脱や涅槃、悟り、心の安らぎを目指されるのでしょうか
「いや、コテコテの脂っこいステーキ食うて、ギャンブルして、コカコーラ飲んで
浴びるほど酒飲んで、きれいなねーちゃんとウハウハしたい。高級外車も乗りたいし、
それにはもう少しボロ儲けせんとあかん」
八田次郎の新学期メッセージ
俺の生まれた家の前には
「虎印踊り教室」というダンススタジオがあった
虎のマークはT-REXのアルバムジャケットからのコピーらしい
まだ3歳だった俺は主にヒップホップ系を中心に
時々マイケルジャクソンの踊りも練習していた
時々はデビッドボウイの物真似もしていた
夏場は盆踊りの練習と
精霊流しの提灯作りに忙しかった
稲佐山からの夜の夜景は美しく山の公園で
同級生の福山雅治とよく語り明かしたものだ
カステラの裏の紙をはがすのは難しく
ザラメ砂糖を一日ががりで舌で舐め取るのが
毎日の日課だった
グラバー公園での風景画のスケッチでは
道行くオランダ人からよくほめられた
そんな子供の頃の所作が
今の自分を形作っているのだと思う
1925年春の長崎にて 八田次郎回顧録
「虎印踊り教室」というダンススタジオがあった
虎のマークはT-REXのアルバムジャケットからのコピーらしい
まだ3歳だった俺は主にヒップホップ系を中心に
時々マイケルジャクソンの踊りも練習していた
時々はデビッドボウイの物真似もしていた
夏場は盆踊りの練習と
精霊流しの提灯作りに忙しかった
稲佐山からの夜の夜景は美しく山の公園で
同級生の福山雅治とよく語り明かしたものだ
カステラの裏の紙をはがすのは難しく
ザラメ砂糖を一日ががりで舌で舐め取るのが
毎日の日課だった
グラバー公園での風景画のスケッチでは
道行くオランダ人からよくほめられた
そんな子供の頃の所作が
今の自分を形作っているのだと思う
1925年春の長崎にて 八田次郎回顧録