KOMA大明神

相模湾の釣り

2代目 フィアット500

2024-03-29 08:25:27 | Weblog
1957~1975年まで製造された2代目フィアット500。エンジンはリアにあるタイプ。
「ルパン3世の愛車」として有名なのだが、これは劇場版「カリオストロの城」に描かれたのと同じ、キャンバストップでクリームイエローのボディー、これを意識してレストアしたのだろう。
綺麗にしてあるし、大事に乗っている感じする、ただ2代目に乗る勇気は、私にはない。

これから、愛車フィアット500の修理、ラジエターが故障、交換してから一年半、次はパワーウィンドーでは言われていたのだが、先日突然「ガガガァー」と音がして助手席側の窓が途中で止まり動かなくなった、走行している間に徐々に下がっていきフルオープンになってしまった。晴れてる日なので良かったが、前日は大雨、その時でなくて良かった。
欧州車にとって日本の気候環境は過酷なのだという、BMWなどは日本でテスト走行しているみたいだが、ディーラーがフィアット本社の日本担当者に、ワイパーのゴムがすぐダメになるとクレームを入れたら、「イタリアは雨が降らないから」という返答があったという。こういうラテン系のジョークは嫌いではない。
新車登録から15年、先日走行距離が10万キロを超えた、これからも大事に乗っていきたい。

坂口丸 鬼カサゴ釣り

2024-03-23 10:02:58 | Weblog
先月、友達が2キロの鬼カサゴを釣ったというので、もう一人の釣り友と3人で予約して行ってみた。4時半に行ったのに左のトモとミヨシは席が取られていた、鬼カサゴは人気がある最終的に7人になった、右のトモ、真ん中、ミヨシを取り、艫で席を取った。
今回は、3本仕掛けを使ってみた、先端の針にはタチウオでやったチモトは縫い刺し、針先はチョンがけでやってみた。二投目中型の鬼が真ん中の針に掛かった、餌は家から持って行ったカツオの腹身、25センチの長さがありヒラヒラ動くので喰ってきたようだ。鬼カサゴは、餌が少し長めの餌が良いようだ。
次に来たのは一回り大きいサイズ、これも真ん中。鬼は5匹釣ったが、25センチ以下は放流する自分流のルールがあり、一匹放流。良型のカンコも釣れたが、10時以降潮が止まり、喰い渋る。
仕掛けを2本針に変えたり、寄り戻しをプラスチックに変えたり、タナを上にしたりしたのだが、外道ばかり、ウツボまで釣れてしまう、潮が動かないと魚も口を使わない。
釣り友たちも鬼が釣れたので、満足な一日だった。



庄三郎丸 アマダイ釣り

2024-03-10 20:08:45 | Weblog
天候が悪く出船できないのではと思ったのだが出してくれた。
結局、中乗りさんと友達も中乗りなので、料金を払っているのは私だけ。
写真を撮るから頑張ってと専務に言われてしまった。
出たら、海霧、海水温が高く気温が低いと海面から湯気のように霧が湧き海面近くが靄る。どこを走っているのかさえ分からず、着いたら大磯ロングビーチ沖、与宗丸と同じポイント、二投目に船中は初のアマダイ、小さい30センチない。数が釣れれば大きいのもと思ってやってみたが、それなりに釣れるのだが小さい。
船長が言うには、釣りつくして大きいのがいなくなった、釣り枯れ状態にあるのでは言っていた、彼は30センチの鯛を釣っていたので、良かったね言ったら本命はアマダイだからと、確かに。そんな感じでぽつぽつ釣れるのだが、潮が動かないのでポイントを移動しただけで、良型を狙える深場はより潮が流れず一流し、釣れない。
最近はやってなかったが、シャクって巻くシャクって巻くアクティブな誘いをやってみたが反応しない、大きいのは静かな誘いや落とし込み、棚取りで来る、棚取りを早めにしたのだが小さい。釣れない時はこんなもんです。

3.11から13年
ワンタッチテント、ソフト敷物、焚火焚き、古いやかん、電池で着火する灯油ストーブなどいろいろ準備している、どこに置こうか悩んだが、能登半島地震の被害を見て、二階の物入にすべてを置こうと思っている。
東南海から関東での地震が起こる確率が20%という記者がテレビに出演していた、東国原氏はこんなこと言ってもらうと困ると言っていた。ただ東北大震災、能登半島地震も確率は1~2%と予想されていたのだが起こってしまった。80%で予測し準備したら20%で起こった時の対応は、それなりの良いものになるのでないだろうか。
備蓄品と緊急持ち出し品は違うのだという、これを考えながら準備していこうと思っている。



白梅

2024-03-02 13:14:55 | Weblog
見た目はもっと黄色なのだが、写真にすると白い。
黄梅はあまりないようだから、これは白梅なのだろう。

「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
平安末期から鎌倉時代前期の歌人、西行法師の和歌。西行は天皇御所を護衛する北面の武士だったのだが、若くして出家した。貴族政治から武家政権に移行する動乱の時期、北面の武士の同僚には平清盛がいたと言われている。源頼朝に鎌倉御所に招かれ談和し、帰りに金で作った猫の置物を貰ったのだが、道で遊んでいる子供に与えたという逸話もある。
西行法師は、この和歌のとおり2月16日に亡くなっている。旧暦だろうから今の新暦にすれば3月下旬から4月上旬ぐらいだろう。桜の花のもと満月の光を浴びながら旅立った西行法師は、本望だったのではないかと思う。道を究めた人というのは、自分の生死さえ操ることができるのだろうか。

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」
どどいつの小唄、梅が咲き気温が少しづつ上がっていき桜が咲く、今年もそろそろ春が来る。