浄土宗と浄土真宗
浄土宗と浄土真宗の念仏の違いについて、「南無阿弥陀仏を称えて極楽浄土へ往生するのが浄土宗」、浄土宗の念仏は、極楽浄土へ生まれるための手段(行)です。そして、「阿弥陀様の人々を、極楽浄土へ往生させる願いを信じるのが浄土真宗」、浄土真宗は阿弥陀様への感謝の念仏。浄土宗は、「どうか、浄土へお救いください」、浄土真宗は、「阿弥陀様、お救い下さいましてありがとうございます」となります。ここで大きな違いは、浄土宗では、浄土へ生まれたいと願うのは、私たちです。しかし、浄土真宗では、浄土へ生まれさせたいと阿弥陀様が、先に願っていてくださっているのです。
先手の救い
阿弥陀様は、私が、お願いしたわけでもないのに、阿弥陀様の方から、先に、「どうか、浄土へ生まれると信じてほしい、私に任せてほしいと願われております。」なぜなら、私には、浄土へうまれたいという気持ちは起こらないからです。私は、浄土がどんなに素晴らしい世界であると聞かされても、たとえ、苦しみ多き、娑婆の世界であっても、いつまでも、生きていたいし、愛する人と離れたくないのです。しかし、その願いは、空しく、誰も、願いどおりに人生はいきません、永遠に生きることは出来ないのです。その私も、明日どうなるのか分からないのです。私の本当の姿を、既に、よくよく、存知て下さって、「どうか、安心なさい」とはたらいてくださる如来様がいてくださるからこそ、安心して生きていけます。浄土へ生まれたいという願いを持たなくてもよい、悪人であってもよい、そのままで、救うから、どうか、私に任せて下さいとはたらいてくださいます、仏様を阿弥陀様と申します。その救いを、私たちに教えて下さった方が、親鸞聖人さまなのです。浄土真宗では、阿弥陀様の先手の救いにお任せすることが救いです。それには、まずは、阿弥陀様の教えを聴聞する場に座らせて頂くことが大事であります。私の思う、本当の幸せとは、安心して、我が命をお任せ出来る、仏様との出会いだと思います。