本来ならば、引き続いて2008年の旅を書く予定だったが、急に成田の麻賀多神社に行く事になった。
先月の事、ノワタリさんの前に聖徳太子が数日間現れて消えなかったと言う。始めは子供の姿で現れ、後昔の紙幣のお姿で出られたと言う。なぜ?とノワタリさんは不思議がっていたが、月末に岡本天明さんが神主の格好で紙垂を目の前で振られる姿が消えないと言われた。三重の方は奥様が亡くなられているので、麻賀多神社へ行かねばならないのだろうという事だった。
今回は遠くないので当日の4日の朝一便で羽田で九州から出てきた妹やノワタリさんと今回運転をしてもらうウチダさんと合流した。
久しぶりだったのでの中は賑やかだった。
大杉の御神木
麻賀多神社に着くと、が沢山停まっていた。ウチダさんが「珍しいな此処にこんなに居るなんて」と言い、たぶんパワースポット巡りの若い人達だろうと思っていたら、鳥居から10人余りのリュックを背負った人たちが出てきた。地元の史跡めぐりでもしているのだろうか中年ばかりだった。それでも境内に人は多かった。
拝殿にご挨拶した後。天之日津久神社でウチダさんは岩笛を吹き、ノワタリさんはお清めされ、祈っていると「時代が変る。」というメッセージを受け取られた。どのような時代が来るのか分からない。日月神事に出てくるような時代かもしれないが、落ち着くまでは神事と同じ様に大変な事が待つ受けているような気がする。
ウチダさんによるとこの天之日津久神社のお社は昔放火に遭い、それで石になったそうである。
その後、境内の他のお社にご挨拶をした。印旛国造神社と馬来田郎女神社と言う珍しい神社が気になった。国造や郎女などと学校時代に歴史の時間で耳にして以来だ。当然、この神社を創建されたので祀ってあるのだろう。それと聖徳太子が出られた謎が解けた。推古天皇の時代に造られたと記してあった。境内にも大杉の御神木があったが、この辺一体に杉林が多かった。
その足でこの神社を作られた国造の古墳の所に奥宮があると言うのでそこへ行こうとしたが、「いつも迷いながら行くので順路がはっきりしないし、住宅街でこれといった目印が無い。」とウチダさんがやはり迷われた。辺りはウチダさんの言われる通り、古墳が多く道路もアップダウンが多かった。
「舟形で800番台の番地で幼稚園があったんだけどな」と言われ、幼稚園を目印に走ったが、たどり着けない。偶然在った電話ボックスの電話帳で調べるとくすのき幼稚園でその番地にナビをあわせ やっとたどり着いたが、そう遠くはなかった。
其処はとても良いエネルギーだとノワタリさんが言われていた。
ここも杉林に囲まれ、とても静かだった。ここで私達はお清めをし、お参りした。ここでもウチダさんは岩笛を吹き、ノワタリさんは歌われた後、ウチダさん「岩笛、喜ばれたわよ。」と声を掛けられた。穏やかで良いエネルギーの所だった。
その後遅い昼食を取り、何処へ行くか決めた。ノワタリさんは平将門さんの祀られている茨城の国王神社へ行きたそうだったが、時間が無く今回は香取神宮へ行くことにした。
しかし、何処へ行くにも山を越えなければならない四国と違い、ずっと山などは見えず土地勘も無いのでどの方向へ向かっているかも分らないが、関東平野の広さと交通の便利さを感じた。
桜門
要石
行く道筋、香取神宮のお社は黒い色に金のラインが入ってとてもモダンで綺麗だとウチダさんが行っていた。それと伊勢神宮以外で正式に神宮と名乗れたのは此処とあと鹿島神宮だと教えられた。
私と妹は今回初めてである。香取市内へ入ると、ブルーのシートをかぶせてある屋根が目に付きだした。古く立派な商家なども気の毒に痛んでいた。ここから海岸へ向かうと、被害の大きかった旭市だとウチダさんは説明してくれたが、人事では無い。今ならば、あちこちからの救援はあっても、東海地震をはじめ3つ起きてしまうともう救援の手など当にできない。
神社の周辺もブルーシートの屋根が目に付く、門前の店屋のおばさんたちが呼び声を掛けてくるが、ウチダさんに言わせると「あまり元気がないな~。以前はもっと元気があって粘ってたけど。」と言うが、結構客引きは賑やかだった。しかし、午後3時も過ぎると、参拝者はそう多くない。
神社の参道の緑は優しく綺麗な色だったが、石灯籠があちこちで倒れて壊れていたて3月11日の大地震の強さを感じた。
言葉通り、朱塗りの門に黒に金色のラインでどっしりとして立派だった。藤原氏の財力か?藤原氏はこの神社と鹿島神宮が本元で春日大社は分社でこちらの出だと言う。
先程の成田周辺には古墳も多いと聞いたが、その昔ここは近畿と違った文化圏内で栄えたのだろう。
面白い事にノワタリさんは「金が掛かっている。」と言う言葉を頂き、苦笑いをした。その後、地震の元の大なまずを押さえていると言う要石の方へ行った。要石の前のお稲荷さんのお社の足元の狛犬は犬でなくお狐さんの姿で珍らしい格好をしていた。
鳥居の外へ出ると店屋のおばさんたちの姿はもう無かった。羽田まで送ってもらうともうすでに午後5時を過ぎていた。其処からバスで横浜へ出た。
唐突ですが、この神社にお参りしたきっかけは、日月神事を知ったからです。私は東京葛飾に住んでいるのですが、母方の本家がこの麻賀多神社の隣町酒々井にあり、3歳ころまで住んでおり、その後、父の転勤で岡山県に移り、実家は児島郡(今は岡山市)になります。岡本天明さんは玉野だったそうで、ということを知り、ややこじつけですが、ご縁があるのでは、あったらいいな、が本当のところです。でも酒々井の親戚に聞いても誰も麻賀多神社を知ら無かったですよ。酒々井にも小さいけど麻賀多神社があるのに。ちなみにご朱印集めのお初は平成18年5月の伊勢神宮です。さすがに能力の無い私も内宮では体感しました。これが神社参りの始まりです。いきなりで、ながながとすいません。私の周りに同類の人がいないもので、お参りの仕方もわからず、ただお参りしているだけと感じていたので、コメントさせて頂きました。このプログを見つけ楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。