社労士(社会保険労務士)さんのひとり言

社会保険労務士ブログは早く卒業して、グルメブログにしたいものです。

年金事務所の窓口でなっていない奴がいます。

2015年07月27日 16時05分34秒 | Weblog
私は滅多の怒ることはないんですけど…。さすがに目に余って注意しましたよ…。

年金事務所の窓口でなっていない奴がいます。

つーか、待たせておいて謝りもしないとか。(待たせた件については怒っていない。)

人を指さすとかとんでもない。(私は、人を指さす人間を信用しない。)

その上で、人を馬鹿にするような喋りをするのだからどうにもならないですわな。

珍しく、苦言を呈す意見書を書きました。


H社⇒被扶養者異動届提出。

今日、書類と母子手帳のコピーを入手してサッサと提出。

子供さんだから体調を崩したら大変なので保険証を急がないとね。

しかし…。子供さんの名前って難しくなりましたね。

今日は、「男の子だな。」と分かりましたが…。読み方が違っていました。

社長も「(私の読み方と)同じ読み方だと思っていた。」そうですよ。

(この書類の提出時にドッカン。)


K社⇒住所変更届提出。

ドッカンした人に提出してやれ…と思ったら、他の私の提出書類をコピーした前科を持つバカ社労士が、そいつに当たったので、他の窓口に提出になりました。

嫌味を言ってやるつもりだったんですけどね~。


その他。

M社の郵便料金清算書類作成・郵送。

M社の離職票を人事Gへ郵送。

夕食前の仕事はこれぐらい。(私事で母を眼科へ送るという作業があったので、ちょっと少な目かな。)

死ぬ覚悟があった方がいいのか、分からずに死ぬのがいいのか。どちらが宜しいか??

2015年07月27日 12時26分30秒 | Weblog
死ぬ覚悟があった方がいいのか、分からずに死ぬのがいいのか。

どっちが宜しいんでしょうね??

死ぬ覚悟があると、何かを残そうとして頑張れますけど…。

どこかで力尽きてしまうと念を残しそうな気もします。

分からずに死ぬのは、気楽かもしれませんが、何も残せないような…。


2007年、私が入院していた時…。

死ぬのって怖いというよりも、仕方がないね…という感じでした。

むしろ、残してきたものをどう整理して貰うか…。

そちらの方が気掛かりでした。


私としては、いつ死んでも悔いがない…が理想なんでしょうけど…。

まあ、それは難しいでしょう。

問題は解決した後から、また発生するように出来ていますんで。


そういった意味から…。

もう、どうでもいいような問題はうっちゃってしまった方が得策なのかも知れませんね。

で、どうしても片づけなくてはならないものだけは片づけちゃう。

やるべきもの以外のものは思い切ってやらない…という選択肢も持とう…と。

で、最期の時に悔いが残ることを減らしておくつもりです。

死ぬ覚悟があった方がいいのか、分からずに死ぬのがいいのか。その他の人々。

2015年07月27日 11時40分06秒 | Weblog
私は親友というべき人をもう1人失くしていますが…。

K君は交通事故だったので、自分が死ぬという感覚は無かっただろう…と思います。

青信号で横断歩道を渡ろうとしたら撥ねられ…。1回は立ち上がったそうですが…。

その後、気分が悪くなったとかで手術。その途中で亡くなったとか。

死因は内臓破裂だったそうですよ。

確か18か19歳の若さでした。


社会保険労務士として送ったのは、K先生とSさん。

どちらも、ガンでした。

双方に共通しているのは死を意識していたことですが…。

どちらも、早過ぎた…ということだと思います。

K先生は、私が前日にお会いしましたが…。「早過ぎた。」と言われていました。

少なくとも、あと数か月は生きて、事後の整理をしたかったのだと理解しています。


Sさんの病状は知らされていませんでしたが…。

後から聞いたところによると、あと数日で株式会社が立ち上がっていたそうですよ。

彼も、息子さんへの継承をキッチリするまでは死ねない…と思っていたんでしょうね。

死ぬ覚悟があった方がいいのか、分からずに死ぬのがいいのか。Hさんはどうだったのか?

2015年07月27日 08時40分34秒 | Weblog
結局、日曜日でしたので…。

会社はテープでしか反応はなく…。

各地に電話してもご両親の携帯を知っている人は皆無でした。

結局、私ではなく別ルートからご両親には報せが行ったようです。


その後、Hさんは肝性昏睡に入り…。

ほぼ絶望という話でしたが…。

8月に入り奇跡的に目覚められ、医師からは「生命は助かりそうです。」と言われたとか。


しかし、肝臓だけでなく腎臓が不全状態になり…。

容体は急変します。

嚥下や歩行のリハビリまで始めていた…と聞きましたが…。

8月31日、急に逝去されることになるのです。


思うに…。

Hさんは少なくとも7月27日の段階では「自分が死ぬ。」という感覚は無かった…と思います。

昏睡から覚めた後は、リハビリを始め、元の生活に戻ることが出来るかどうかは別として「生きることが出来る。」ことは確実視されていたでしょう。

そこから再度の昏睡までに、「自分んが死ぬかも。」という感覚はあったのでしょうか??

(以下、続く。)

死ぬ覚悟があった方がいいのか、分からずに死ぬのがいいのか。Hさんの場合。

2015年07月27日 08時31分56秒 | Weblog
集中治療室って家族しか入れないんですよね。普通の病院では。

K先生のときは、「親戚です。」とウソをつきました。

大学病院では…。最初は「家族しかダメ。」と言われましたが…。

「医師からの呼び出し。」ということで特例として入ることを許されたんです。

最初、Hさんにお会いした時はギョッとしました。

ただHさんがベッドに寝ているだけ。ドアみたいなものは皆無。

それと、Hさんが明るい。集中治療室に居ながら明るいのには違和感がありました。


Hさんと話をしていたら主治医がやってきて「何とか、親と連絡が取りたい。」と言われました。

医師の説明では肝臓が危険な状態とのこと。

「このまま行くと劇症肝炎に移行する。」

Hさんのご両親は海外旅行中。だから連絡が取れない。

その上で、Hさんが「父親の携帯電話番号を知らない。」と言い張られるそうで…。

私が携帯電話を預かろうとしても拒否。

まあ、無理も出来ませんで、あきらめましたが…。


しかし…。

話をしているうちに話の脈絡が失われ始めます。

それが肝性脳症の症状でもあったのでしょう。


(以下、続く。)

死ぬ覚悟があった方がいいのか、分からずに死ぬのがいいのか。

2015年07月27日 08時21分11秒 | Weblog
昨日、「Hさんの件は、もうこのブログでは書かない。」と書いておきながら…。

今日、朝ウォーキング中、いろいろと考えることがあったので…。

もう数回、Hさんのことを含めた話題を投稿します。

まあ、私が勝手にやっているブログなんで、読みたくない話題なら飛ばしていただければ…。


去年の27日。つまり今日。日曜日だったんですけどね。

朝一にHさんからメールが来て「直ちに入院しました。」とのこと。

メールを「(市民病院の)何号室ですよ?」と返したら直電話が来て…。

「大学病院に居ます。」

おいおい…。

それでも頼まれた電気カミソリと歯ブラシ・歯磨き粉を買って、大学病院行のバスに乗ろうとしたら、見たことのない電話番号の電話がかかり…。

それが主治医。

「親と連絡が取りたい。何とかならないか?」

丁度、大学病院へ行くつもりだったので、大学病院でお会いすることにしたのが事の発端でした。


大学病院に行ったら案内に行き、病室を探して貰う。

案内曰く…。

「集中治療室じゃあないですか!!」

私の方も「え??」と思う。

だって、集中治療室って生命に危険のある患者が入る病室だから。

(以下、続く。)