芭蕉はなぜ陸奥を目指したのかその8
山の手にある芭蕉の歌碑の意味するところ
港区のハイノード桟橋が河口域となる古川をさかのぼり芭蕉のゆかりのある地を訪ね歩いた。芭蕉が過ごした江戸の町の面影を追いかけて山の手際をさかのぼってきた。港区の麻布十番の氷川神社,天現寺,渋谷区の金王丸神社,宮益坂神社である。古川沿いをたどるとそこでは,川という自然環境を意識することで,江戸時代の古い町並みを感じさせ,懐かしさがこみ上げる。有用価値の観点からでは理解できない本来の人間と自然との関わり姿を感じることができる。芭蕉が俳句を読むことは,そして芭蕉の俳句の碑を建立することは,一旦有用価値の存在を傍らに置き,自然と人,人と人とがつながることの価値を改めて感じさせる事ができる人間の知恵なのだ。人間と自然の間にはどのような関わりがあり,そしてその中で人間はどのような心象を抱くのであろうか。その普遍性はいつまでも駆らぬことなく,有用価値が溢れ出る山手エリアに,安らぎを与えてくれる。
表参道で感じる風
宮益坂を通り過ぎ,渋谷川と名前を変えた古川を更に遡ると,そこには美しい欅並木が広がる。またしても有用価値でごった返す場所,表参道の交差点に到着する。高級そうなお店が立ち並び,セレブが闊歩するような有用価値があふれる表参道を歩くと、高級ブティックとは縁遠い私さえも,一瞬歩みを緩めたくなる瞬間がある。 ビッグメゾンが並ぶ欅並木に、小道に点在する住宅、自然を感じる風光明媚な空間。有用価値だけではない,関係価値を感じる場所である。表参道は,1919(大正8)年に明治神宮の参道として産声をあげた,1000年以上の歴史を誇る黒森神社の参道とは比較にならぬほど新しい参道だ。 一説によれば、周辺の地は徳川家の御庭番として活躍した服部家にゆかりの地で「隠田」と呼ばれていたという。 ここから現在の地名「穏田」に変化したという。 そのせいか表参道の両側には細道が現在も存在している。
一方で、欅並木に突き刺さるように蛇行する道がある。これが 旧渋谷川を暗渠にした遊歩道、通称キャットストリートだ。 渋谷川(旧穏田川)は、1964(昭和39)年の東京五輪の際に暗渠化されたという。 表参道とキャットストリートが交差する位置には、現在でも橋の名が記された石碑が残っている。
この地が明治神宮の参道として築かれた当初は人もまばらで,現在のような発展を遂げたのは、東京五輪以降のことのようだ。選手村として使用されたエリアの一部を代々木公園とし、界隈の幹線道路も整備された。その頃から、独立系のデザイナー達が、当時家賃の低かったこの街に店を構えたそうだ。そして70年代に入ると流行に敏感な若者が表参道にあつまりロカビリーダンスを踊りはじめ,規制された後,代々木公園に移動し「竹の子族」に発展したという。
一般的な街は、商業活動とそれにともなう人の流れに翻弄され、合理的にならざるを得ないが,この表参道に広がる開放感には、それに当てはまらない何かがある。それが関係価値なのだ。
明治神宮
表参道の坂道を原宿駅側にさかのぼれば,東京都内有数の規模を誇り、関東を代表する神社として知られる「明治神宮」が現れる。長年国民に愛されており、明治神宮の初詣参拝客数は、例年全国の神社の中でもトップだ。結婚式場や披露宴会場としても馴染みが深い。
また,この場所も,有用価値がひしめく新宿と渋谷の中間に位置するが,都心にいることを忘れてしまうほど豊かな自然が広がる。静けさと緑に包まれた空間はまさに「都会のオアシス」。また、初夏に見られる菖蒲の花も見処だ。
明治45年、明治天皇が崩御された。日本全国から愛された明治天皇の死は、列島を悲しみの渦に巻き込んだ。思えば明治生まれの祖父がいつも神前に向かって祈る姿が目に浮かぶ。教育勅語を体得し,家族の安寧を常に考えていたすばらしい祖父であった。私もそのような祖父になれるのか,そうなりたいと願う。その後、明治天皇を偲ぶ神社の創建を望む声が、国民から挙がった。その声は政府にまで届き、明治天皇を祀る神社の創建計画が始動した。
文部省の現代語訳の教育勅語
文部省訳
(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章)
朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
明治23年10月30日
明治天皇自署、御璽捺印
(wikipedia)
教育勅語には賛否両論があるが,私の祖父の慈愛を思う時,教育勅語は決して悪いものではない。人格の形成の上で大切な関係性,有能感,自律性を明確に示している。問題は,教育勅語が時の政権に都合の良いように利用されたためであろう。大切なことは,国民のことを思い行動する勇気を持ったリーダーが,国民のためにどれだけ貢献できているかであろう。そこで忘れてはいけないのは,自然と人,人と人にある関係の価値だ。関係価値よりも有用価値が上回った時,一時的には満足できるかもしれないが,長くは続かない。関係価値は常に優位にあるか,少なくとも同等でなくてはならないと思うのである。
明治神宮の森に訪れると,早池峰山の麓で生まれ育った,今はなき明治生まれの優しい祖父の姿を思い出す。
IPCCの報告書が発表され,このまま気温上昇が続けば,100年に1度の異常気象が1年に1度発生する。海面も数メートル上昇する。こうした世界的な危機的状況を踏まえて,2021年,全世界で,オーシャンディケード(国連持続可能な開発のための海洋科学の10年)がスタートした。大きな課題の1つがオーシャンリテラシーの普及である。IOCーユネスコが中心となって,オーシャンディケード達成のために,各国でオーシャンリテラシー教育を実施すると2017年に発表。ついに本年6月24日,日本,韓国はじめ世界の15カ国の政府機関がオーシャンリテラシーを推進すると国際会議の場で表明した。今でさえSDGsは知られているが,私がユネスコの会議で聞いたのが2017年。その頃,日本では誰にも知られておらず,否定的な見解も見られた。では,オーシャンリテラシーはどうか。オーシャンリテラシーも同様である。今,日本では誰にも知られておらず,何だそれは,と思う人々が多いだろうが,数年後には誰でも知っているのが当然となる日も近いであろう。学校教育でも導入されることを願いたい。
宇霊羅山は岩泉町の人々にとってシンボル的な存在である。宇霊羅山直下には岩泉龍泉洞からの清冽な湧き水が静川となって湧き出し,湧き出した水は中心街を流れ小本川に注ぐ。宇霊羅通り商店街は静川から引いた水を用水路として日常生活に活用するだけでなく,銘酒「八重桜」の大切な命の水になる。旧岩泉駅から見る宇霊羅山と町並みは絶景である。