孔子廟と孔林の渦巻きの謎を追う かりんとうはなぜ「渦巻き」か? その5
中国が海洋教育に力を注ぐ理由
11月20日〜23日にかけて,中国海洋大学の馬勇教授,超宗金准教授,孙絶霞准教授の3名を森川海国際体験交流会のコース(閉伊川源流〜浄土ヶ浜)を案内し【写真①】,日本で初めて中国の海洋教育事情についての講演会を開催した【写真②】。講演会には地元鍬ヶ崎出身の方々や遠く気仙沼から,また宮古市日中友好協会会長にもお越しいただいた。ご参加の皆様に,この場をお借りして御礼申し上げる。
中国では,海洋強国の3大目標「海洋環境保全」,「海洋経済」,「海洋権益」のうち,海洋環境保全を最も重視しており,そのためには海洋教育が一番大事であるという。その最先端を担っているのが,青島にある中国海洋大学だ。中国海洋大学は,国家の方針に従って,中国全土に海洋教育拠点を100箇所設ける使命を委ねられており,2020年に北京に設置して100箇所目を達成するという。とにかく,国家と大学が海洋教育を先導し推進する体制がある。日本では優れた海洋教育人材やプログラムが存在するものの,全体としての勢いに欠ける感がある。神奈川の西海岸など一部の沿岸部は活気あるが,人材流出が止まらない沿岸部も多い。人口流出を食い止め,地方沿岸部の価値意識を高めるためにも,社会的共通資本として国と地方全体が一体となった地域振興を図る日本版シーグラントカレッジプログラムの設置が求められる【写真③】。
孔子廟の渦巻きと縄文人との関係その1 漆器
さて,先月号には,縄文時代の土器や土偶に描かれる渦巻き模様が孔子廟と孔林に数多く描かれていることを記した。渦巻門の意味はなにか?また,縄文人と孔子を結ぶものものは何か?縄文人と孔子の祖先である殷(いん)王朝と密接な関係があるためではないか。という仮説にたどり着いた。ちなみに殷王朝とは,今から3600年前〜3000年前に山東省のお隣の湖南省にあった中国最古の古代国家である。漢字が発明されたのもこの時代。初代の王は天乙という。孔子は天乙の子孫とされている。
まず,縄文人と殷との共通性として,漆器の存在が挙げられる。殷の時代に作られたとされる漆器が殷の遺跡から見つかっているのだ。陶磁器のことを英語でチャイナといい,漆器のことをジャパンということからもわかるように,日本が世界で最も古く9000年前に遡り,北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から漆工が見つかっている。【写真④】一方,中国の漆器は7000年前までしか遡ることが出来ない。面積率が70%森の国である日本のほうが,漆木が豊富で当然漆器も多いはずだ。では,殷時代に発見された漆器は,日本から持ち込んだものか,それとも中国で作られたものか。もし,日本から持ち込まれたとすれば,どのようにして漆器やその技術を持ち込んだのであろうか。
その2 優秀な船乗りが存在していた?
島根県,福井県,そして千葉県など全国各地から縄文時代の丸木舟が200艇ほど見つかっている。【写真⑤】このことからも船を巧みに操る優れた航海術を持った縄文人がいた可能性がある。宗像(むなかた)という地名にもあるように体に入れ墨をした人々が九州に住み,優れた航海術を持っていたようだ。中国浙江省出身の東京海洋大学の教授によると日本人のことを今でも紋身(もんしん)と呼ぶ習慣があるという。紋身とは体に入れ墨をしている人々のことで,古くから中国と日本を行き来していた優秀な船乗りだ。
これらのことから,航海術を持った縄文人が住んでおり,その人々によって,漆器や漆器の技術が伝播した可能性が高い。
その3 縄文人の特徴
縄文人は,世界的に見て大変珍しい特別なDNAを持っているという。今の日本人もそのDNAを持ち続けているようだ。そのDNAをD1bという。この遺伝子は,4万年以上前にアフリカから日本にたどり着いた人類が,氷河期終了とともに漁労採集による定住生活によって繁栄し,独自に進化したものだ。農耕による定住で文明が栄えたと義務教育の教科書では学習するが,実は日本人は狩猟(漁労)採集によって定住し繁栄した世界的にも珍しい民族なのである。特に,森を守ることによって川や海を守るという思想は,日本特有である。またその遺伝子や思想を今の日本人が受け継いでいるというのは特筆に値する。そう考えると宮古地方は森川海のつながりが保たれ食料が豊かで美味であり縄文人が何千年定住していた意味がよく理解できる。海の生活に特化した縄文人は,殷は同盟関係を結び,海上交易を盛んに行ったのではないだろうか。
その4 タカラガイはどこから来たか?
他に,殷の時代の遺跡から数多くのタカラガイが発掘されている。【写真⑥】大量のタカラガイはどこから持ち込まれたのだろうか。タカラガイは南方系の貝類であるが,沖縄が有力ではないかという。実際に沖縄の伊礼原遺跡にはイモガイやタカラガイの集積が見つかっている。運び役として航海術を持った縄文人が一翼を担っていた可能性が高い。
その5 タカラガイが通貨である理由?
タカラガイは世界最古の通貨であり,殷の時代に漢字が誕生する。財宝や貯蓄といった貝中心の漢字が出来たのは,この時代に始まる。買う,販売,貯金,貢ぐ,財宝,質屋,資源,貯蓄,賄賂,賛,貴,賞,貧,貨,といった宝物に関連する漢字は,すべて貝の字が含まれている。
ではなぜ,タカラガイが通貨のような役割をしたのか?それは,タカラガイが貴重なものとして紹介されたからではないか。貝殻の加工品はお洒落に体を飾るだけでなく,魔除けの意味があるようだ。沖縄県や,山口県では貝殻を魔除けとして玄関に飾る風習が残っている。つまり,海から遠く離れた殷王朝に,魔除けあるいは永遠の命の象徴として貝殻を持ちこんだ可能性がある。日本人は魚食中心であり,その当時から長命であった。不良長寿の薬を求めて日本へ向かった徐福伝説にもつながっていく。
内陸にはない,貴重なものであるから物々交換の対象となり,やがて通貨として使われるようになったのではないか。同時に,タカラガイは巻き貝の一種であり,渦巻き構造を持っている。永遠の命を象徴する渦巻きの意味も伝わったのではないか。
孔子廟,孔林の渦巻き門と縄文の渦巻きの接点は,縄文人が持ち込んだ永遠の命を象徴する巻き貝のタカラガイだ。それが,時代を経て伝承され,孔子廟や孔林の渦巻門につながった。それは,魔除けとしての意味を持ち,永遠の命を表す。
孔子廟や孔林に多数ある渦巻き門。それらは魔除けと永遠の命の象徴である。渦巻きかりんとうには,魔除けと永遠の命を象徴する縄文人の思想が込められているのだ。【写真⑦】