Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

2020.1 孔子廟と孔林の渦巻きの謎を追う かりんとうはなぜ「渦巻き」か? その5

2022-11-15 | 森川海に生きる人びと

孔子廟と孔林の渦巻きの謎を追う  かりんとうはなぜ「渦巻き」か? その5 

中国が海洋教育に力を注ぐ理由

11月20日〜23日にかけて,中国海洋大学の馬勇教授,超宗金准教授,孙絶霞准教授の3名を森川海国際体験交流会のコース(閉伊川源流〜浄土ヶ浜)を案内し【写真①】,日本で初めて中国の海洋教育事情についての講演会を開催した【写真②】。講演会には地元鍬ヶ崎出身の方々や遠く気仙沼から,また宮古市日中友好協会会長にもお越しいただいた。ご参加の皆様に,この場をお借りして御礼申し上げる。

中国では,海洋強国の3大目標「海洋環境保全」,「海洋経済」,「海洋権益」のうち,海洋環境保全を最も重視しており,そのためには海洋教育が一番大事であるという。その最先端を担っているのが,青島にある中国海洋大学だ。中国海洋大学は,国家の方針に従って,中国全土に海洋教育拠点を100箇所設ける使命を委ねられており,2020年に北京に設置して100箇所目を達成するという。とにかく,国家と大学が海洋教育を先導し推進する体制がある。日本では優れた海洋教育人材やプログラムが存在するものの,全体としての勢いに欠ける感がある。神奈川の西海岸など一部の沿岸部は活気あるが,人材流出が止まらない沿岸部も多い。人口流出を食い止め,地方沿岸部の価値意識を高めるためにも,社会的共通資本として国と地方全体が一体となった地域振興を図る日本版シーグラントカレッジプログラムの設置が求められる【写真③】。

孔子廟の渦巻きと縄文人との関係その1 漆器

さて,先月号には,縄文時代の土器や土偶に描かれる渦巻き模様が孔子廟と孔林に数多く描かれていることを記した。渦巻門の意味はなにか?また,縄文人と孔子を結ぶものものは何か?縄文人と孔子の祖先である殷(いん)王朝と密接な関係があるためではないか。という仮説にたどり着いた。ちなみに殷王朝とは,今から3600年前〜3000年前に山東省のお隣の湖南省にあった中国最古の古代国家である。漢字が発明されたのもこの時代。初代の王は天乙という。孔子は天乙の子孫とされている。

まず,縄文人と殷との共通性として,漆器の存在が挙げられる。殷の時代に作られたとされる漆器が殷の遺跡から見つかっているのだ。陶磁器のことを英語でチャイナといい,漆器のことをジャパンということからもわかるように,日本が世界で最も古く9000年前に遡り,北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から漆工が見つかっている。【写真④】一方,中国の漆器は7000年前までしか遡ることが出来ない。面積率が70%森の国である日本のほうが,漆木が豊富で当然漆器も多いはずだ。では,殷時代に発見された漆器は,日本から持ち込んだものか,それとも中国で作られたものか。もし,日本から持ち込まれたとすれば,どのようにして漆器やその技術を持ち込んだのであろうか。

その2 優秀な船乗りが存在していた?

島根県,福井県,そして千葉県など全国各地から縄文時代の丸木舟が200艇ほど見つかっている。【写真⑤】このことからも船を巧みに操る優れた航海術を持った縄文人がいた可能性がある。宗像(むなかた)という地名にもあるように体に入れ墨をした人々が九州に住み,優れた航海術を持っていたようだ。中国浙江省出身の東京海洋大学の教授によると日本人のことを今でも紋身(もんしん)と呼ぶ習慣があるという。紋身とは体に入れ墨をしている人々のことで,古くから中国と日本を行き来していた優秀な船乗りだ。

これらのことから,航海術を持った縄文人が住んでおり,その人々によって,漆器や漆器の技術が伝播した可能性が高い。

その3 縄文人の特徴

 縄文人は,世界的に見て大変珍しい特別なDNAを持っているという。今の日本人もそのDNAを持ち続けているようだ。そのDNAをD1bという。この遺伝子は,4万年以上前にアフリカから日本にたどり着いた人類が,氷河期終了とともに漁労採集による定住生活によって繁栄し,独自に進化したものだ。農耕による定住で文明が栄えたと義務教育の教科書では学習するが,実は日本人は狩猟(漁労)採集によって定住し繁栄した世界的にも珍しい民族なのである。特に,森を守ることによって川や海を守るという思想は,日本特有である。またその遺伝子や思想を今の日本人が受け継いでいるというのは特筆に値する。そう考えると宮古地方は森川海のつながりが保たれ食料が豊かで美味であり縄文人が何千年定住していた意味がよく理解できる。海の生活に特化した縄文人は,殷は同盟関係を結び,海上交易を盛んに行ったのではないだろうか。

 

その4 タカラガイはどこから来たか?

他に,殷の時代の遺跡から数多くのタカラガイが発掘されている。【写真⑥】大量のタカラガイはどこから持ち込まれたのだろうか。タカラガイは南方系の貝類であるが,沖縄が有力ではないかという。実際に沖縄の伊礼原遺跡にはイモガイやタカラガイの集積が見つかっている。運び役として航海術を持った縄文人が一翼を担っていた可能性が高い。

その5 タカラガイが通貨である理由?

タカラガイは世界最古の通貨であり,殷の時代に漢字が誕生する。財宝や貯蓄といった貝中心の漢字が出来たのは,この時代に始まる。買う,販売,貯金,貢ぐ,財宝,質屋,資源,貯蓄,賄賂,賛,貴,賞,貧,貨,といった宝物に関連する漢字は,すべて貝の字が含まれている。

ではなぜ,タカラガイが通貨のような役割をしたのか?それは,タカラガイが貴重なものとして紹介されたからではないか。貝殻の加工品はお洒落に体を飾るだけでなく,魔除けの意味があるようだ。沖縄県や,山口県では貝殻を魔除けとして玄関に飾る風習が残っている。つまり,海から遠く離れた殷王朝に,魔除けあるいは永遠の命の象徴として貝殻を持ちこんだ可能性がある。日本人は魚食中心であり,その当時から長命であった。不良長寿の薬を求めて日本へ向かった徐福伝説にもつながっていく。

内陸にはない,貴重なものであるから物々交換の対象となり,やがて通貨として使われるようになったのではないか。同時に,タカラガイは巻き貝の一種であり,渦巻き構造を持っている。永遠の命を象徴する渦巻きの意味も伝わったのではないか。

孔子廟,孔林の渦巻き門と縄文の渦巻きの接点は,縄文人が持ち込んだ永遠の命を象徴する巻き貝のタカラガイだ。それが,時代を経て伝承され,孔子廟や孔林の渦巻門につながった。それは,魔除けとしての意味を持ち,永遠の命を表す。

孔子廟や孔林に多数ある渦巻き門。それらは魔除けと永遠の命の象徴である。渦巻きかりんとうには,魔除けと永遠の命を象徴する縄文人の思想が込められているのだ。【写真⑦】

 


来年度よりユネスコ海洋リテラシー教育がスタート!

2020-07-14 | 森川海に生きる人びと

キャンパスは野生生物の観察場所

このコロナ禍で,世界が様変わりしている。入校禁止から3か月近く経った大学の様子もすっかり変わり果てた。美しい新緑は変わりない。早朝,定期的に手入れをしていただいている庭師の方に挨拶をしながら,空を見上げると大学の看板にカラスが小さい3羽とまっていた。学生が不在をよそに,6月17日にカラスの子供が巣立った。まだ,うまく飛べないぎこちない様子である。誰一人いないグランドには幼いカラスが飛ぶ練習をしている。追いかければ捕まえられそうな幼さがかわいい。それを親鳥はじっと私を観ている【写真①】。

一方,盛岡市上田にある自宅近くの大学構内にはニホンカモシカが現れた。大槌町の家内の実家の庭に15年前ニホンジカの子供が迷い込んだ話を家内として直後だったので驚いた。こちらも大学生は入校禁止の措置が取られている。あまり見慣れない人間に囲まれ「あー,まずにことになったなあー」という焦った顔立ちが印象的だ【写真②】。

ユネスコ海洋リテラシーサミット開催!!

さて,2020年6月8日,世界の歴史始まって以来の記念すべき出来事があった。それはユネスコ海洋リテラシーサミットが開催されたことだ。その時の感動の様子を私の日記から探ってみる。【写真③】。

「今日はユネスコ海洋リテラシーサミットだった。コロナ禍によってバーチャルサミットとなったが,これは世界の海洋教育の歴史に残る記念すべきサミットである。アメリカ合衆国から始まった17年間の海洋リテラシーの歴史の中でこのサミットをきっかけに全世界と地域の活動がつながる第一歩となった。これは画期的なことだ。まず一つは,私が2006年から取り組んできた海洋リテラシーの重要性が証明されたこと。二つ目は,この海洋リテラシーによって,様々な地域や国々の文化や歴史を海洋リテラシーとつなげることができること【写真④】。

そして,三つめは様々な事象をつなげるだけではなく,全世界の人たちがつながるプラットフォームがユネスコを通して全世界に提供されたということ。これらの三つは非常に重要なことを意味している。この 海洋リテラシーの構築は,インターネットを駆使して構築されたと2006年に聞いていたが,今回もインターネットの普及によってなしえた快挙である。そして2020年,オンラインによってさらにその価値が深まった。またこの奇しくもコロナウイルスという人間にとっての強敵がもたらしたもの。コロナ禍は,わたしたち人間に何かを教えてくれているような気がしてならない。それは多くの人達が,インターネットを介した海洋リテラシーによって世界中がつながったということは,海洋リテラシーの誕生には,何らかの深い意味が,自然からの何か伝言としてつたえられているのではないか,そう思うのである。」

 

宮古の漁業者の取り組みがユネスコで紹介される

また,世界中の海洋教育実践家1000名以上が集まったサミットでは,日本の活動の紹介として,宮古湾のカキ養殖に営む漁業者の自然循環型漁業が紹介された。紹介したのは,IPMEN 2020の大会実行委員長を務めるシルビア・スポルディングさん。彼女はハワイ太平洋漁業委員会のコーディネーターを務める。日系二世だ。大変優秀でアメリカ海洋教育学会からも一目を置かれている。彼女とは,2006年にIPMENがスタートして以来の旧知の仲である。第1回目のIPMENがハワイで開催された際の実行委員長でもあった。太平洋諸国の伝統的生態的知識の重要性について共通認識を持っており,私の提案を詳しく知りたいとのことで,「森川海のつながりを大事にしている漁業者が日本にいる」と発表原稿に盛り込んでくれたのだ。【写真⑤】

地球規模の危機を乗り越えるための教育政策の必要性

今や,10億人の動物性たんぱく源を支える水産物,水産業に従事する7億人の経済活動が,近年の気候変動,海洋汚染,乱獲等によって脅かされている。このような状況を解決するためには,世界中の人々が海洋と人類との関わり合いの理解を深め,共に行動することが求められる。2017年,国連はSDGs達成に向け「国連海洋科学の10年」を2021年にスタートさせ海洋リテラシー教育を全世界で行うことを決めた。【写真⑥】いよいよ,来年から海洋リテラシー教育が国連主導で行われるのだ。それだけ海洋の問題は深刻な状況である。代替え措置をすれば済むような問題ではない。海洋は一つしかないのだ。世界の人々が一丸となって取り組まないととんでもないことが起きる。これは2006年からずっと訴え続けていることであるが,ピンとこない人々が多い。それもそのはず。海洋教育の公共政策が,十分ではないからだ。

「政策」とは「問題解決のための基本方針と,その方針に沿って採用される解決手段の体系」。公共政策とは,「社会の公的な問題に関して策定され,社会に対して広く適用される政策で,不特定多数ないしは多くの人々(組織・集団)が直接,間接の影響を受けるような政策,政府(国と地方自治体の双方を含む)が策定し実施する「政府政策」がその代表例だ(真山 1999)。

 

 

東アジアの国々の教育政策

中国では,次の3つの課題を掲げ海洋強国を目指している。1つは,海洋権益の確保である。2つ目は,海洋産業の維持発展のための人材育成である。3つ目は,海洋環境問題の改善である。経済発展に伴い,沿岸域では富栄養化の問題が多発し水質悪化が著しく,海洋環境の改善は急務である。こうした中で,青島市では中国海洋大学が中心となり市内の全小学校,中学校,高等学校で海洋教育が行われ,また中国100箇所に海洋教育センターが設置されるなど海洋教育に力を注いでいる(馬 2019)。今後も,中国における海洋教育は重要性を高めていくものと考えられる(全人大 2020)。【写真⑦】

次に,韓国。2017年4月に国家レベルの体系的な海洋教育を実施するため,5カ年計画の海洋教育ロードマップを発表し,「未来資源の宝庫であり,次世代の食料である海洋に対する教育は先進海洋強国へ跳躍するための必須要件である」という考えから,体系的な海洋教育を実施するための法整備をはじめ,国家海洋教育センターなどの専門機関の設立に力を注いでおり,国家プロジェクトとしての海洋教育が全国で行われている。韓国シーグラントは,全国に韓国シーグラント大学ネットワークを有し,自治体と連携を図りながら海洋研究,アウトリーチ,教育活動に力を注いでいる(田中 2020)。【写真⑧】

最後に台湾。2008年に小中学校海洋教育課程綱要が発効され,教育カリキュラムに海洋教育が導入され,すべての小中学生は海洋教育を実施することとなった。さらに,20の行政区に海洋資源教育センターを設置し,全小中高生の海洋教育の推進を後押しするとともに,台湾海洋大学と台湾海洋科技博物館が主宰し,全国の海洋教育の教師トレーニングを実施するなど統括した教育管理体制を整えている(韓・佐々木 2011,田中 2020)。近年の国際調査で高校生の海洋リテラシー調査で上位に位置している。【写真⑨】

では,最後に日本。日本での海洋教育の公共政策としては,次の通り,平成10年小学校学習指導要領における「海」の記載はゼロ。平成20年で1か所。平成29年で3か所に増えた。海洋基本法第28条には国民の海洋理解促進が謳われているものの,十分といえるのだろうか。一つ言えることは,東アジアにおいて,海洋教育の公共政策において,後塵を拝しているという事実だ。

しかし,東アジア3ヶ国はどちらかというと外発的な取り組みに近いのに対し,日本の場合きめ細かい海洋教育が全国各地で自発的に行われていること。その活動内容は世界屈指と言っても言い過ぎでは無い。

だが,自発的な取り組みだけでおさまって良いのだろうか。南アフリカのTWO OCEANS 水族館の教育部長であるラッセル・スティーブンス氏とサミット後今後の協力について話し合ったが,南アフリカでは海洋リテラシー教育はおろか,一般教育におけるリテラシーもままならない状態という。おそらく,海洋リテラシー教育どころでない国々が世界中あちこちにあるのだろう。世界が危機的な状況にある中で,海洋国である日本政府として,国際的なネットワークの下で海洋リテラシー教育を先導していく重要な役割が求められているのではないか。その意味で,ユネスコ海洋リテラシー教育の先行事例として紹介され,国際交流の拠点ともなっている「閉伊川サクラマスMANABIプロジェクト」の動向は,今後のユネスコ海洋リテラシー教育の方向性を占う重要な羅針盤となるだろう。【写真⑩】


2019.9 かりんとうはなぜ「渦巻き」か? その2

2020-04-29 | 森川海に生きる人びと

地球の半分を駆け巡る1ヶ月

 7月〜8月はフィールド学習と国内外での講演会が連続した。7月15日は海の日イベントとして恒例の「里海キャンパスで浄化実験を観察しよう。」と題した親子カニ釣り調査。【写真①】

7月18日〜20日は,福井県小浜市の若狭高等学校,京都大学環境学堂で開催された「国際マイクロプラスチック青年会議」に主催者として参加。台湾とアメリカの高校生の研究発表のアドバイザーを担った。【写真②】

台湾とアメリカの高校生と3日間過ごした後,20日アメリカ海洋教育学会に参加発表のため東海岸のニューハンプシャー大学へ。【写真③】

25日から30日まで西海岸に移動しカリフォルニア大学バークレー校へ。「国際海洋リテラシー調査委員会」の打ち合わせを行い,31日日本に到着。【写真④】

その直後中国の研究者との打ち合わせ。2日は森川海に住まう人々と題したオープンキャンパスでの講師を終えた直後,仙台へ。日本台湾森川海体験交流会の主催者として台湾の親子を迎え,3日から7日まで区界高原を皮切りに4泊5日のサーモンランド宮古での体験交流会。【写真⑤】

8,9日は大学院入試。

10日〜12日まで新潟県糸魚川市能生町にて大学2年生28名を対象とした水産調査。【写真⑥】

能生町は,意外にも森川海を生かしたユネスコジオパークだった【写真⑦】

17日までお墓参りとお盆を過ごし,19日〜25日までアジア海洋教育学会会長として中国青島市にある中国海洋大学を訪問。会長挨拶,招待講演,一般講演を終えた後,28日〜30日まで韓国浦項市にてシーグラントウィークに参加し招待講演。と目まぐるしく場所が変わったが,すべてが森川海MANABIプロジェクトの一環である。また,先々で気になるのが,渦巻きの意味だ。そして,不思議なことに,数々の渦巻きと数多くの出会いがあったのだった。

 

関東と関西で出会った渦巻かりんとう

 小浜に旅立つ前日に,西麻布かりんとう専門店「麻布かりんと」を訪問。渦巻きかりんとうを入手。こちらのパッケージはさすがに洗練されていた。【写真⑧】

700円以上するが見た目が随分とおしゃれだ。ここの渦巻きかりんとうは100種類のうちの1種類。店員さんに由来を尋ねたが,わからないという。ただ,お客さんの中には懐かしいねーと言いながら購入するお客さんもあり人気があるという。関東出身の卒業生に聞いてみると,お祭りのときに神田のおばあちゃんの家に行くとかならず渦巻かりんとうがあったというから,関東でも昔から食べられていたようだ。

福井県での国際会議の後,関西空港に直行。そこでも出会いがあった。ラウンジで休憩していると,バリバリお菓子を食べる音がした。もしかしたらと思い,テーブルを見るとそこには常盤堂製菓のかりんとうがあるではないか。もちろんこちらも,北海道浜塚製菓と同様数種類のかりんとうのうちの1種類としてパッケージされている【写真⑨】。

パッケージには昔の駄菓子屋のイメージが描かれている。イメージから考えると,渦巻きかりんとうは駄菓子の一つとして古くから全国各地で作られて食べられていた,それが近代化とともに西洋菓子が登場し,駄菓子の需要が減り姿を消していった。生産性や合理性を重んじられ,手間ひまがかかる手作り製法は排除されたのだろう。

しかし,県北沿岸部では,縄文時代から続くおめでたい意味の込められた渦巻きかりんとうが,地元のニーズに応えながら途絶えることがなく作られ続けてきた。小規模な経営だからこそ,伝統の味と文化を伝える役割を担うことができたのであろう。希望郷いわて文化大使として,岩手文化遺産に推挙したい。

 

カリフォルニア大学バークレー校での渦巻きとの出会い

 バークレー校は,サンフランシスコ市の対岸に位置する学園都市バークレー市にある。【写真⑩】

また,バークレー市の隣にはオークランドアスレチックスのホームグランド,オークランド市がある。バークレー校は,10校あるカリフォルニア大学の本部である。略してCAL,唯一バークレー校のみCALと名乗ることができる。ロサンゼルス校はUCLAであり,デービス校はUC Davis,サンタクルーズ校はUCSCである。また,バークレー校は,オッペンハイマーなどの有名な研究者が在籍し原子力開発で発展した大学。200人いるノーベル賞受賞者の一人であるローレンスの寄付によって建てられたのがローレンス科学館という科学教育の模範的施設がある。(この施設については,拙著「水圏環境教育の理論と実践」を参照)

 さて,そのローレンス科学館(LHS: Lawrence Hall of Science)にて,国際海洋リテラシー委員として招聘され会議に出席した後,副館長のグレッグストラング氏の自宅でパーティに招かれた。その時の出来事である。

 

中国にもあった渦巻きかりんとう

 まず,私の日本からの手土産として,岩手産渦巻きかりんとうをテーブルに並べた。【写真⑪】

LHSに訪問研究員として台湾海洋大学から派遣されたRay Yen教授は,台湾のかりんとうを持ってきた。麻花(マーファー)という棒状であるがねじれが入ったかりんとうだった。【写真⑫】

早速食べ比べをしてみる。日本のかりんとうより硬いが,味はほぼ同じである。味は日本のほうが洗練されている。そして,中国大陸にも渦巻きかりんとうがあるという。その場にはなかったが,中国ではごく普通に食べられているものだという。螺仔餅(ローザイピン:ネジ餅)あるいは猫耳という。【写真⑬】

また,中国の留学生に渦巻きの意味するところを聞いてみると生と死が繰り返されるという意味が込められているようだ。中国でも,渦巻きには大事な意味があったのだ。「淵は畏敬の対象でもあり,恵みをもたらす場所」「生命(いのち)に関わる重要な意味」と先月号で考察したが,この考察を裏付ける知見が得られた。中国では,どのような製造販売の形態をとっているのだろうか。小規模に経営する駄菓子屋さんや手作り料理として残っているのだろうか。興味がつきない。(つづく)


かりんとうはなぜ「渦巻き」か? 渦巻きのシンボルが意味するものとは?

2020-04-15 | 森川海に生きる人びと

渦巻きかりんとうの希少性

小さい頃から親しんだ,地元のかりんとうは棒状ではない。板状である。しかも渦巻き模様がついている。【写真①】今まで,あまり疑問を持ったことがなかった。だが,東京のコンビニやスーパーでよく見かけるかりんとうは棒状をしたものが大半を占める。ネット検索でしてみると,岩手以外には,東京麻布(岩手にゆかりある)の麻布かりんと,北海道の浜塚製菓,それと関西姫路の常磐堂製菓のかりんとうである。一番多く出てくるのは,岩手県それも沿岸部と県北だ。一戸,軽米,浄法寺,普代,岩泉,宮古,山田,釜石,一関,八幡平市と圧倒的に多い。【写真②】人口の比率からいっても沿岸のソールフードと言ってもいいだろう。東北地方でも岩手の存在が輝いている。もちろん,九州,四国は検索にヒットしない。なぜ,渦巻きかりんとうは岩手県しかも県北沿岸部に集中しているのだろうか。

 

なぜ渦巻きなのか?

私が,渦巻きに興味を持つようになったのは,縄文土器に興味を再び持つようになったからだ。小学校1,2年生の頃かと思うが,山口川側で縄文遺跡が見つかったと聞き,急いで駆けつけたことがある。6年生の先輩が自宅の山で大きな縄文土器を発掘しており,自分でも見つけたいと憧れを抱いていた。結局,調査が始まり,立入できなかったが,あの時のワクワク感は,今でも忘れることができない。また,山口小学校にも展示されていて,畏敬の念を抱いていた。

 あれから40年以上過ぎ,持続可能な社会のあり方を考えるようになると森川海のつながりを巧みに利用していたであろう縄文人に再び強く思いを寄せるようになった。縄文時代は,世界的にも注目されているが,数千年にわたって定住生活ができたのは,森川海のつながりの中で,食料の確保ができたからだろう。縄文土器が多数発掘される宮古には,文化的で平穏な暮らしがあったと予想できる。その縄文人が作った土器や土偶には,必ずと言っていいほど渦巻き模様が描かれている。おそらく豊かな生活を送る上で,何らかの大事な意味を込めていたのだろう。【写真③】

水面に湧き出る渦巻きから想像する

 縄文土器や土偶の渦巻きには,どのような意味が込められているのだろうか。5月の連休中,小国小学校にできた里の駅周辺から小国川に降りた。緑で覆われた川岸に沿って,川下から上流へと向かい釣り竿を振った。釣りのポイントと言えば,淵である。淵で竿を振ると,魚がかかった。イワナであった。淵には様々な物質が集まり,それを求めて魚が集まる。魚が集まる淵の水面を見ると,なんと,そこには数多くの渦巻き模様が浮き出ているではないか。【写真④】渦が出現する場所は,物質や生命が集積する場所だ。渦は淵がある場所や高低差が激しい場所,川と川がぶつかり合う場所にできる。自然エネルギーが集積し,物質を撹拌し生命を生み出す場所だ。遠野物語に出てくる閉伊川の淵には,様々な伝説が言い伝えられてきた。淵は畏敬の対象でもあり,恵みをもたらす場所でもある。そして,淵がある場所には神社が祀られている。【写真⑤】土器や土偶の渦巻きには,生命(いのち)に関わる重要な意味が込められていたのではないだろうか,と実感したのである。

子供の手形に描かれた渦巻き

6月に東京国立博物館の縄文展を担当された方の講演会を聞く機会があった。縄文土器や土偶についてスライドで丁寧に教えていただいた。そのスライドの中で,子供の手形が目に止まった。【写真⑥】生まれたばかりの赤ん坊の手形を土器にして,肌身離さず大事にしていたのだろうか。その手形の中には,なんと渦巻きの模様が描かれているではないか。「大事な子供の手形になぜ渦を描くのか」と理由を伺ったが,まだよくわかっていないとのことであった。明確なのは,地域性があり東北,北海道に多いとのことだった。子供の両親はどのような思いを込めて生まれたばかりの可愛い赤子の手形にうずまきを書いたのであろうか。健やかに育ってほしいという強い思いを願ったのか。あるいは,子供の死亡率が高かった時代,天国で達者で暮らして欲しい,と祈りを込めていたのか。いずれ,手形の渦巻きには我が子を思う親の強い願いが込められている。

 

田中菓子舗さんを尋ねて

 田中菓子舗さんに直接お会いし,渦巻きの謎をお伺いした。創業者であるお祖父様が,明治時代に宮古の駄菓子屋(玉泉堂)で製法を学んだと言う。その後,地元に戻り大正12年から始めたそうだ。その当時は田老町に3件の駄菓子屋があり,渦巻きかりんとうを製造・販売していたという。ご主人によると「渦巻きには縁起が良い意味が込められている」と伝えられてきたという。事実,金太郎飴で一番人気はやはり渦巻きだったという。【写真⑦】また,北海道浜塚製菓の池田社長さんによると,内地から伝わり風車のように先を見通す縁起物とだとして伝わったという。渦巻きかりんとうの渦巻きには,縁起を担ぐ意味があるようだ。

長野では家庭料理として

 全国的に見ても岩手の県北沿岸部が多いと書いたが,調べると長野県にもあった。長野県の一部地方の千曲市,長野市,上田市周辺では家庭料理として食べる習慣があるようだ。しかも,お盆には欠かせない食べ物だったという。お盆は,仏教が入る以前から続く祖先を迎える日本独自の風俗である。田老出身のO.H先生から,亡きお尊父様の香典返しとして頂いたのが,渦巻きかりんとうだったことを思い出した。O.H先生は,おそらく渦巻きの意味をおわかりだったのではなかろうか。渦巻きかりんとうは,古くから祭事に欠かせないものとして,またお茶請けや子供のお菓子として地元の人々に欠かせないものになったのだろう。

 

渦巻きかりんとうは,縄文時代がルーツ!?

長野県も縄文遺跡が多い。渦巻きの描かれた火焔式土器も千曲川流域だ。落葉広葉樹林帯であり,岩手との共通点も多い。千曲川沿いにも渦巻きのできる場所が多数あり,サケ・マス,ウナギなどの魚が海から多数遡上し,食料には事欠かない豊かな場所だったのだろう。渦巻きを大切なシンボルとしていたのは想像に難くない。そして,岩手と長野でソールフードとして食べられ続けている渦巻きかりんとうは,縄文以来の価値観と関係があるのではないか。興味が尽きない。

 


2019.11自然の恵みと災害(NCP)に向き合って生きていくために

2020-04-01 | 森川海に生きる人びと

世界最大級の風水害と事前準備

 この度の台風被害は,全国に巨大な爪痕を残した。被害に会われた方々にお見舞い申し上げる。私自身も,隅田川河口域の0m地帯に住んでおり,身の危険を感じ,車を高台へと移動した。東京23区東側の0m地帯には300万人が住んでいる。今回は,幸い被害はなかったが,いつ風水害にあってもおかしくない状況だ。東京23区東側が被災すれば,世界最大級の風水害となるだろう。安心するのではなく,予兆として準備してする必要がある。万が一に備え,どれだけ“事前準備”ができるかが最大の課題だが,十分とは言えない。【写真①】

IPCC特別報告書公表記念シンポジウム

 10月15日,虎ノ門で開催された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)海洋・雪氷圏特別報告書(SROCC)公表記念シンポジウムに出席した【写真②】。

IPPC第二作業部会共同議長のハンズ・オットー・ポートナー教授(ウェゲナー研究所)は,現在,世界中の極域や氷河が溶け出し,地球環境に大きな影響を与えているという。サンマが取れなくなっているのも関係があるようだ【写真③】。

さらに,注目すべきデータとして3点が挙げられた。

(1)20世紀では15cm海面が上昇したが,2100年にはこのままで行けば1.1m上昇,2300年には3〜4m上昇する。

(2)気温の上昇を2度に押さえれば,海水温は2−4倍だが,それ以上だと5−7倍の水温になる。

(3)今まで100年に一度だった大型台風は,1年に一度に発生する可能性が極めて高い。現在68億人が沿岸部に住み,6500万人が小さい島に住んでおり,世界中の大半の人々の生活に大きな影響を与えるだろう。

 地球環境の変化は,従来常識を遥かに超える。今までの考え方では,十分な対策を立てることができない。一度被害にあった場所は,再び被害に会うことを覚悟しないといけないだろう。実際に,我々が住む場所の大半は,かつて波の作用によって砂が運ばれたり,浸食作用によって削られたりした場所である。

 

国際シーグラントウィーク in 韓国

 8月27-31日,国際シーグラントウィークが韓国の浦項(ポハン)市のポハン工科大学にて開催された【写真④】。アメリカと韓国のシーグラントに所属する研究者の交流会だ。日本にも声がかかるが,日本にはそのような政府機関がない。シーグラントシステムの設置を提唱していることを知り,お声をかけていただいた。私の研究発表は,「アジア海洋教育学会のこれまでとこれから」と題して閉伊川での取り組みを中心に発表した。

 韓国シーグラントの元代表,韓国の国立済州大学の教授B.G.LEE(リー)氏によると,「気候変動は確実に起こっている。アメリカは,すでに膨大なデータを蓄積し被害予想を立てている。韓国と日本で,海面上昇についてのワークショップを開催しよう。」と声をかけられた【写真⑤】。私は,イエスと答えた。だが,日本にはシーグラントの組織がなく,市民始発型のボトムアップ式の組織がない。内発的な取り組みをサポートできる仕組みが十分とは言えない。

 これからは,市民一人一人が気候変動の意識を高め,内発的に行動するように社会システム環境を整える必要がある。被害が起きてからでは遅い。行政の仕組みも変えていく必要がある。国が決めてから動く仕組みではなく,市民が自治体を動かし国を動かすことで,強靭な国家体制となる。そのためにはどうするか。これが,シーグラントの役割だ。アメリカのシーグラントは,NOAA(アメリカ海洋大気庁)に本部があり,全米各地の33州の州立・私立大学に支部を置き,さらに自治体に地方拠点を持っている。フロリダ州には1自治体に一人のエージェントが配置され,市民の内発性を支援する重要な役割を担っている。

 実は,閉伊川の取り組みも港区での取り組みも,ともに日本にシーグラントシステムを導入するための研究活動の一環だ。研究者としてまず大事なことは,ネーチャー,サイエンス等世界的に著名な雑誌に研究を掲載する。そのための内発性を高めるための教育活動を行っている。両者とも地味な作業である。少なくとも後5年で駒を進めたい。

 

初めての中国海洋大学訪問

 8月20日〜8月25日まで,第3回アジア海洋教育学会研究発表会が山東省青島市で中国海洋大学国際協力交流センター所長 宋文紅教授,海洋教育センター所長馬勇教授【写真⑥】がホストとして盛大に開催された【写真⑦】。ヨーロッパ,アフリカ,アメリカからの7名の招へい研究者,中国国内の約300名の大学関係者,NGO,約50名の台湾他アジア各国の教育研究者が招かれ莫大な費用をかけて運営していただいた。海洋教育に,国家が積極的に資金を投じるパワーがみなぎる。世界の安寧をアジアから発信する「アジア海洋教育学会」の代表としてこの場をお借りし心から感謝申し上げる。会議,発表会はホテルの会場で行われ市内の見学はできなかったが,海洋教育を導入する小学校,中学校,高等学校を訪問し,海洋教育に莫大な予算が投じ進められていることを理解できた【写真⑧】。このような規模の海洋教育国際会議が,日本でも取り組めるよう地道な努力を続けたい。

国際森川海体験交流会 in 閉伊川

 今回の中国訪問の際にも,閉伊川での取り組みの紹介をさせていただいた。毎年行われている国際森川海体験交流会での台湾親子の様子,昨年のインドネシア大学生の様子を紹介した。この活動を紹介すると国籍は全く関係なく,笑みがこぼれ,心が和んでいる様子が発表者からもよく見える。心が和むのも当然だ。閉伊川流域の水,動植物,人々の優しさ等自然と人間の状態はユネスコが目指すSDGsの目標をほぼ網羅しているからだ。生態系サービスに変わり,NCP(自然の人間への寄与:恵みや災害も含めて)という自然の価値を示す新しい考えが提唱されているが,まさに閉伊川流域はNCPを理解する世界屈指の場所と言っても過言ではない。【写真⑨】

山東省と日本との関わり

 中国は,日本の25倍の陸地面積だ。広大すぎて,全容を把握するのが大変である。中国海洋大学のある青島市は山東省にあり【写真⑩】,日本と密接に関わりがある地域だ。秦の始皇帝時代,長寿の薬を求めて徐福が2000人の若者を連れて蓬莱(=日本:富士山のことを蓬莱山という)に渡ったとする伝説が存在する。この伝説は中国,特に山東省に伝えられている伝説であるが,実は日本でも各地に徐福が来たとする場所が各地にある。だが,漢字が導入された以降を歴史としている日本の歴史には登場しない。残念なことである。また,山東省は孔子の生まれた曲阜(キューフン)市がある。実は,曲阜市を訪問し,孔子廟(お墓)を訪問した。なんと渦巻き模様を多数発見した。徐福が日本に来たとする伝説があるとすれば,日本から山東省に渡ったとする伝説もあってもよい。さて,孔子廟と渦巻と日本との関係はどうなっているのだろうか(続く)。

 

 


2020.2 世界のIWATEを閉伊川から

2020-03-30 | 森川海に生きる人びと

 

連載7年目「森川海に住まう人々」

 2014年の国際環太平洋海洋教育者会議をきっかけにスタートした本連載は,今年で7年目を迎えることとなった。【写真①】関係者の皆様,そして読者の皆様に心から感謝申し上げる。森川海とつながって生きている人々に生活に焦点をあて,震災後の宮古の復興の可能性と森川海と人とのつながりの意味を探ってきたが,その思いは今なお広がりを見せている。なぜ,「森川海〜」なのか?契機となった3つの出来事を紹介する。

契機となった3つの出来事

 1つは,2011年夏ボストンのノースウエスタン大学での米国海洋教育学会である。当時は,2011.3.11の大震災直後であり,東京と岩手県沿岸部を週一で往復していた。沿岸部をまわり,危難所で食事提供等の手伝いをしていた。東京からピエロとともに,小学校を慰問したりもした。【写真②】

  アメリカの 友人たちが心配して毎日のように温かい励ましのメッセージを送ってくれていた。海外でも日本の津波のニュースが流れている中,海洋教育者として気が気でなかったのだろう。日本の津波の状況についての発表にも大勢の海洋教育者が聞きに来てくれた。彼らは,「海洋教育者は何をすべきなのか,どのような貢献が可能なのか」と真剣に考えていた。その議論は,世界中の海洋教育者の連携と情報共有であり,「国際環太平洋海洋教育者ネットワーク(IPMEN)会議の宮古開催」につながっていった。【写真③】

 2つ目は,津波で家内の実家が焼失後,帰省先が沿岸部から内陸部となり,内陸部の人々と話し合う機会が増えたこと。内陸部の人々からすると,三陸の海は,内陸からはかなり離れた遠い存在である事が理解できた。沿岸部のことは,別世界の出来事。なぜなら内陸部と沿岸部の間には,壮大な北上山地がそびえ立つ。同時に,それまで沿岸に住んでいた時に実感できなかった存在の意味を考えるようになった。北上山地は単なる巨大な壁ではない。意味を持って存在しているのだ,と。【写真④】

 3つ目は,地球研の共同研究員となり,文化人類学,環境社会学,土壌学,農学等の研究者と閉伊川流域に足を運び,区界,松倉,平津戸,川内,箱石,小国,蟇目,茂市,仮屋,和井内,蟇目,高浜,赤前,樫内,田老,山口など地元の方々から数多くの伝統的な知識を教えていただいたこと。そのことで,専門の海洋,河川,魚だけでなく,森,土壌など多様なつながりの存在を実感するようになった。森川海とともに生活する人々との交流,意見交換によって,今まで気づかなかった閉伊川流域と人々との関わり,そして自然の中での人と人とのつながりが手にとるように見えてきた。 【写真⑤】

 

点が線となり面となる

 このように東京〜三陸沿岸の往復で,難所の通過点にしか思えなかった北上山地は,貴重な宝の山であり,そこから流れ出る河川は,海へとつながり豊かにする。森川海での関わりの見えない「点」の出来事が「線」となり「面」となり,森川海と人とのつながりに帰着する。海だけでなく,海へとつながる北上山地全体を面として,全体を俯瞰的に見るアプローチが生命の営みを維持する。森川海と人とのつながりは,世界の人類にとって欠かせない自然財だ。世界全体の持続可能な社会のあり方の解決の糸口となる。と,気づきを与えてくれた7年間であった。【写真⑥】

2020年に訪れたい世界のトップ3「TOHOKU

 年末岩手日報の一面でも報じられていたが,いま世界中で東北地方に注目が集まっている。旅行ガイドブック「ロンリープラネット」誌は,2020年に訪れるべき世界の10地域で,東北が3位にランクインしたという。「豊かな自然やまつりなどの文化遺産,おもてなしにあふれている。冒険好きな人に最適な場所」と。

 アメリカのナショナルジオグラフィック誌も,東北を最高の旅行先世界25箇所の一つに選んだ。ナショジオ誌のすごいところは,全世界でそれぞれの国で編集され紹介されていることだ。オーストラリアの記事を見ると,ベスト25のうちの3番目に東北が紹介されている。緑豊かで豊富な水をたたえ夏でも涼しい北上山地は,最高の癒やしだ。そして,ナショジオ誌はこう綴る。「東京からわずか3時間以内に最高の不思議の国の金メダルを獲得するであろう。東北は6つの県からなり,手つかずの森林,渓谷,カルデラ湖,千年の寺院,神社,伝統的な祭り,潮風トレイル,降雪が多く安比高原は爽快」と。 

 

世界の大谷「IWATE」を発信

 昨年も,海外へ飛び回った。米国ニューハンプシャー州,カルフォルニア州,中国上海市,青島市,韓国浦項市,イタリアベネツィア市,台湾基隆市,宜蘭県8箇所であった。海外訪問の度にいわて文化大使の名刺が大活躍している【写真⑦】が,今までIWATEを知っている人に出会ったことがない。しかし,閉伊川の森川海体験活動の写真を見せると皆さんがあっと驚く。それは,美しい緑と清冽な透き通った閉伊川,そして美しい景観の浄土ヶ浜。この森川海で体験する親子の姿。海外誌が取り上げる理由はここにあるのだ。

 年末には,大谷翔平の特集番組で,キャスターがIWATEを紹介している場面があった。IWATEが世界のIWATEに近づいていることを予感した。果たしてIWATEの知名度が上がっているのか。今夏のハワイ訪問で確かめてみたい。

 

IOCユネスコ国際会議にて閉伊川を放映!!

 12月にはイタリアベネツィアのIOCユネスコ国際会議があった。IOCユネスコとは,ユネスコの海洋科学委員会を指す。世界中の活動家の人々が集まり自分たちの活動を紹介しあった。私も招待状をいただきアジアネットワークの代表として参加した。この会議では,SDGsを達成させるためにIOCユネスコとして何ができるかを話し合った。IOCユネスコは,SDGsを達成させるために,海洋リテラシー教育が必要であるとしてガイドブックを作成した。そのガイドブックは30カ国語に翻訳され世界中で使用されている。その中に,閉伊川の活動が盛り込まれているのだ(20181月参照)。今回も会議に呼ばれ,近年取り組んでいる流域のNCP201911月号参照)についてビデオを交えて紹介した。ビデオは,令和元年8月の森川海体験交流会の写真を3分間でまとめたもの。閉伊川源流の原生林,そこから流れ出る源流,草原と兜明神,小国川沿いの農村生活,ゆったり館前の川流れ体験と天然サクラマスの喫食,浄土ヶ浜での活動の紹介。「良い自然環境での感動的な体験活動は,良い感情を生み出し,良い感情は良い気づきを生み出します。その良い気づきは,良い考えを生み出します。良い考えは良い行動を生み出すのです。」と締めくくり,拍手喝采を浴びた。【写真⑧】ぜひ映像も御覧いただきたい。【写真⑨】

 

 


2020.3体験を通して育む「森,川,海のつながり意識」

2020-03-17 | 森川海に生きる人びと

「育(はぐく)む」という意味の気づき

1月29日〜2月4日まで6泊7日の日程で開催された第4回目となった日本台湾森川海体験交流会が岩手県宮古市閉伊川源流〜河口域にかけて開催された。今回4回目となり大切なことに気づいた。それは,育む(はぐくむ)という言葉の意味だ。育てる(そだてる)の意味と大きく異なることにも気がついた。そのようなことを気づかせてくれたのは,いつ訪れても変わることがない普遍的な自然の摂理を保つ「森川海の存在」だ。育むとは「親鳥が子供を羽でくるむ」という意味があるようだ。「森川海のつながり」の意識は,そのような健全な存在の中で育まれるものなのだ。子供を健全な大自然でくるみ,大事に育てること。それは,大人たちの重要な役割。その役割を何千にわたって実践しているの森川海の地元の人々だ。

 

毎日を記録する十字モデルワークシート

そのような気づきを感じたのは,「メモ帳」が記録した子どもたちの毎日の意識の変化である。ここでいう「メモ帳」とは科学的思考に沿い作られた「十字モデルワークシート」である。この十字モデルWSを用いて,現状認識,問題把握,仮設設定,結果考察,今後の課題に分けて,毎日の振り返りを記述してもらう。

源流での記述には,「水生昆虫をたくさん見つけた」という体験の喜びを記述したものや,「水生昆虫は魚の餌になるから大事」,「水生昆虫がきれいな環境でないと生きることが出来ない」あるいは,「森川海は私達につながっていて,守っていかなければならない環境だ」,といった体験を通して,今後どのようにしたら良いかという規範意識まで記述するものまである。

 さらに,閉伊川河口へと下り,魚市場での水揚げの様子や大きな魚の観察,浄土ヶ浜での自然体験とホテルでの食事を通して,「森の栄養源が川に入って、川の生物の栄養となり、そして海に流れ、魚を育む。そういう生物循環があって、私達は美味しい食べ物をいただくことができる」と,森林からの栄養が川を通して海へとつながっている事への実感が込められた記述が見られるようになる。ここで,台湾海洋大学のレイ・イエン教授のメモを紹介する。

1月29日

今朝, 子どもたちは東京行きのフライトを楽しみにしていました。日本チームは空港にてピックアップして, おにぎり, パン, ビスケットを用意してくれました。とても思いやりがありました。【写真①】

1月30日

東京の森川海を初めて体験, 朝食後, 東京駅に荷物を荷造りした後,品川駅からタクシーでヤマツピア桟橋へ。クルーザーに乗り品川から芝浦を経て浜離宮を見学し,その後港区古川沿いにさかのぼり森に囲まれた代々木公園で休息し,原宿新宿を経て東京駅に戻りました。新幹線に乗車し区界高原を目指しました。【写真②】

1月31日

子どもたちから最も期待されている雪のイベント。区界高原少年の自然の家で,宮古の最初の森ツアーです。山の雪を見て, 誰かが興奮しています。スキーの後は,水生生物観察です。水源は豊富な栄養素があり,イワナが産卵する場所でもあります。簡単な説明の後, 子供達に一人でサンプルを取らせ観察させました。【写真③】

学習会のあと,佐々木先生は,誕生日ケーキを用意してキャンドルを灯して,皆で誕生日のお祈りをしました。暖かく幸せな夜を過ごしました。【写真④】

2月1日

宮古駅に向けて出發。駅前にて,最も美味しいヤギミルクティー。 台湾に比べてちょっと高いけど(450日本円 台湾ドル150), 本当に美味しい。甘すぎず 羊の臭いなしの強いミルク味, タピオカもとっても非常に柔らかくておいしい!!! 【写真⑤】

 八木沢川を訪問し,生物採集調査を行いました。水はとてもきれいです。日本人は環境の持続可能性に非常に重要性を払っており,川の中のエコ環境は子供たち自身によって作られています。【写真⑥】

 ククナキッチンカーにて中華ランチをいただきました。311の津波後に地元の復興を願い活動されている姿に感動しました。【写真⑦】

 午後は,宮古魚市場へ。1. 衛生面,2. 親切な対応,3. 近代的設備,4. 漁業のプロ意識に大変感動を覚えました。【写真⑧】

1. 衛生への配慮: 誰もがレインシューズ, 帽子, 手洗いするステップに従わなければなりません. 海水と雨は消毒され海水を消毒しています. 漁獲物は地面に一つも落ちていません.
2. 親切な対応: 観光客や学生を研修生に歓迎するほか,スタッフも非常にフレンドリーで, レインシューズや帽子を持った観光客を歓迎してくれます. 皆さんフレンドリーで, 全体的な雰囲気がとても良いです. 誰もが笑顔で, 戦いの雰囲気はありません.
3. 近代的設備: 現金衛生と環境機器を除いて, すべてオンラインで, すべての漁船は非常にきれいです.港では, タブレット経由でオンライン情報によって, 漁獲状況を理解することができます. 各船がどれだけ漁獲したかわかるのです。また,セリ売りは透明性が高く, すぐに買った人を登録でき,そして, 永久に管理することもできます.
4. 漁業のプロ意識: 魚の組合の漁師や漁師に多くの若者が, 誰もが自分の職業を主張し, 漁業を尊敬する職業としています.

 その後ワカサギ釣り調査。誰も魚を釣っていませんが, 魚を捕まえるのは特別な経験で,夢中に釣りを楽しんでいます。【写真⑨】

2月2日

浄土ヶ浜では,貝殻を収集するほか, 子供たちはカモメに餌を与え喜んでいました。カモメの目はとても綺麗で,指先から上手に餌を食べていきます。【写真⑩】

 水産科学館に行きました。あまり大きくはありませんが, 宮古市の養殖,鮭に関する展示情報がたくさんあります。科学的情報に加え, 伝統文化や歴史がたくさんあり, 子供たちが遊ぶ場所もたくさんあります。【写真⑪】

 縄文の森ミュージアムのプロジェクションマッピングや展示には,初めて知る日本の歴史に触れることができ,とても感動しました。子供も大人もペンダントづくりに夢中です。【写真⑫】

浄土ヶ浜パークホテルの滞在は,感動でいっぱいでした。素晴らしいサービス,食べ物,環境は本当に機能できない, すべての部屋. 日本の最初の日の出を見て, 空間は快適で, 日本のホテルのおもてなしを感じさせる思いやりがたくさんあります。このレストランは間違いなくすべての友人に経験する価値があります。【写真⑬】

2月3日 

岩手県宮古駅前にて解散式が行われました。参加者は小学生6名,保護者7名合わせて13名でした。市長にも偶然お会いし記念写真を撮りました。【写真⑭】

子どもたちへの期待

最終日のリフレクションで「それぞれの生き物や環境がつながっている事に気づいた」と子供からも親御さんからも多数の発言が見られた。その発言の背景には,森川海のつながりの中での体験によって「森川海のつながり意識」が育まれたからだ。育むためには,育むための器が必要だ。閉伊川流域は,「森川海のつながり意識」を育む最高の器である。最良の器と一体となる活動によって,森川海のつながり意識が芽生え,自然と人のつながりを大事にするリーダーに育つことを期待したい。(育つには自律の意味があるようだ。)
 本活動を支えていただいた区界高原少年自然の家,閉伊川大学校,八木沢川を守り育てる会,水産科学館,縄文の森ミュージアム,宮古市魚市場はじめ宮古市の関係各位に感謝申し上げます。

(みやこわがまち2019年3月掲載を一部追加改編)