Hello、皆さん、あっついねえ!ーー気ィ抜いたら失神しそうな酷暑のなか、元気に生存してられますか?
今回は、なぜか心理学の話題です。
僕、学生のころから心理学に凝ってましてねーー古典的なフロイト&ユングから必要文献はまあ一応読みあさったもんです。
ただ、総括的な主観でいわせてもらうなら、心理学は、古典文学が達したあの高みにはいまだ到達してない、と思ってます。
たとえばプラトンの「ソクラテスの弁明」とかドストエフスキーの怪物的な後期作品群とかと比べちゃうと、
現代心理学は平均値からの目線という枷に囚われてるぶんだけ、どうしても目劣りしちゃう、といった印象が拭えません。
かたちのない「精神」というモノを分析対象にセレクトする場合、どうやっても文学的な手法をある程度用いなければならないというのは、これは、現代心理学における宿痾であるともいえましょう。
しかし、むろんのこと、膨大なデータに裏付けられた心理学という学問体系を、無視することなんかできるわけありません。
現代心理学のなによりの利点は、やはり、医学の現場と緊密に結びついている点でしょう。
僕は、現代心理学のレポートなんかを読んで、おお、と感心することはままあるんですが、
古典文学の世界なんかとちがって、息がつまり身体中が震えるような「感動」をそれから味わったことはかつていちどもない。
ただ、そうはいってもやっぱり魅かれるんですよねえーー心理学的な目線って。
特にここ10年あまりの心理学の現場での推移は、瞠目に値するものがある。
たとえば主にアメリカで囁かれはじめた新しい臨床心理学上の病理として、
「境界性パーソナリティー障害」って概念がある。
専門的にいうなら Borderline Personarity Disorder
これ、聴いたことあります?
分析的にいうなら、これ、統合失調症等の完全な病理領域まではいっちゃいないものの、
ノーマルな健全社会人という領域からは完全にはみだしている、新しい領域の病状であるといえます。
日本で語られだしたのは最近のことだから、耳慣れない響きであるのはまあしようがない。
でも、こちら「境界性パーソナリティー障害」の患者さんーーいま、日本でもがんがん増えていってるんですよね。
知りあいのナースも最近じゃ入院してくる患者さんらが、
自分のことを「ボーダー、ボーダー」ってしきりに連呼してるっていうのを聴きました。
もうじき、この新しい「ボーダー」って呼称も、うつや双極性障害みたいにポピュラーになってゆく言葉じゃないか、
と僕的にはまあ予測してるわけ。
ところで僕がなんでこんな概念をここでわざわざ取りあげようと思ったりしたのか?
もちろん、この「ボーダー」に該当するひとに心当たりがあったからにほかなりません。
ここまでいったら、もう皆さんにもお分かりでしょう。
そう、かのリチャードさんこそ、この「ボーダーマン」該当者なのではないかと、僕は以前からひそかに思っていたのですよ。
論より証拠ーーパーソナリティー障害のなかでもっとも歴史のある「反社会性パーソナリティー障害」の臨床例を、ここでちょいと
ご紹介していきましょうーー僕は、この症例、ことごとくリチャードさんに当てはまっている! と思うんだけど、それはあくまで
僕の私見であって、この私見を皆さんに押しつけるつもりはさらさらないんで念のため…。
この症例をどう思うかの最終判断は、これをお読みになるあなたご自身の裁量に委ねたい、と思いますーー。
反社会的パーソナリティー障害の第一の特徴は、規範意識の欠如に由来する反社会的行動である。
他者に危害を加える暴力行為、自分の利益や快楽のために人をだます、ウソをつく、利用するなどの行為、他者の財産や権利を平然と
侵害する窃盗や恐喝などの行為がそうである。(中略)
さらに社会的な責任を無視する傾向もまた特徴的である。衝動的で、後先を考えない向こう見ずの生活態度、親として子どもに衣食住
を準備し、教育を施すといった態度の欠如、一夫一婦制を維持するための我慢のなさ、安定した仕事をつづけることの難しさといった
行動様態もまたこの障害につきものの特性といえる。さらに、攻撃的な感情がすぐに行動化され、ときにサデスティックといえる倒錯
的な性生活もしばしば見られる。
第二の特徴として、こうした、他に危害を加え迷惑をかける反社会的な行動の背景にある良心の呵責ないしは思いやりの欠落を挙げ
ておかねばならない。口が達者で、相手の弱点を巧みに突くことに長けている反社会的人間は、相手を誘惑したり、利用したりして不
遇な立場に陥れることがしばしばであるが、申し訳なさ、自責の念といった感情体験をした様子はない。中略)
こうした行動や態度は、さらに社会的信頼を失墜させることへの配慮のない「向こう見ずな行動」へと導くことになりやすい。
そして、こうした傍迷惑な行動をすると、周囲は拒否的になったり懲罰的になったりするため、本人は痛い目に遭うことになるが、
そのような場合でも相手が悪いというこじつけをして、「もうこりごりだ」という観念を抱くことがない。何かを学ぶ、態度を改める
という学習体験がないのである。それだけに、社会的に不利な立場に追い込まれ、さらなる反社会的行動に駆り立てられるという悪循
環を形成することになる。
「良心の呵責の欠如」は、DSM診断の大きな柱となっている…。
(パーソナリティー障害とは何か<牛島定信:講談社現代新書>より)
いかがです?
これなんかほんの触り部分にすぎなないんだけど、僕は、これ読んでて、水野さん事件、ザガロ事件のことやら jewjewさん事件のことなんかが、頭をよぎってたまんなくなりました。
あと、根本的な良心の欠如のくだりでは、リチャードさんのあの有名な「あいつ、まだ生きてたの?」発言を想起したな。
奥さんのお母さんが事故で亡くなって落ちこんでたとき奥さんに投げつけたという、
「おまえがそんな辛気くさい顔してると、こっちまで暗くなるからやめろ!」という発言もつい思いだしちゃった。
これ、どちらとも何気に発した発言であるって点がなにより重要です。
何気に発した➡深い動機があっての発言ではない➡即ち、リチャードさんのまじりっけなしの本心である、ということになりますから。
さらには、カーンバーグの「境界性パーソナリティー構造」の提唱に先立つこと30年もまえに、その理論の礎を築いた、メラニー・クラインの研究も忘れちゃなりません。
彼女は、児童分析も手掛けており、それがのちの境界性パーソナリティー障害研究への有力な基礎研究になりました。
ここで、有名な「おっぱい理論」をついでに紹介しておきますか?
クラインによれば、子供は成長段階によって、二通りの対象関係を示すというのです。
ひとつは、ごく幼い幼児によく見られるもので、自分の欲求を満たしてくれると満足し、機嫌もよくしているが、
少しでもそれが損なわれると途端に泣き叫び、不満と怒りとをぶちまける、といった段階です。
お乳がよく出るおっぱいは「いいおっぱい」、出ないおっぱいは「悪いおっぱい」
それがおなじ母親のおっぱいであるなどということは、幼児にとって考慮外なのです。
その場その場の欲求を満たしてくれるか否かが「良い」「悪い」の基準になり、
ときの経過に沿って存在しつづける「良い」「悪い」を超えた、生きた人間である母親の全体像を視る目ががどこにもないのです。
このような刹那刹那でしか対象と結びつけない関係を、クラインは「部分対象関係」と呼びました。
中間値ってものがないの。
自分の欲求従属を邪魔されたら、過去の満足などすべてかなぐり捨てて、怒りを爆発させひたすら喚きちらすわけ。
なんだか「工作員!」「シャブチュー!」とシャウトするときのリチャードさんみたいじゃないですか?
あのシャウトはたしかに凄いけど、そう思って聴くと退行のにほいもプンプンしてる。
自分の思う通りにことが運ばないとき、このように自分の非までを対象に投射して、怒りを爆発させ攻撃するひとの心理を、
クライン女史は「妄想・分裂ポジション」と名付けました。
対象関係が未成熟なタイプは、成人であろうと、こうした状態にしばしば陥りやすいとのことです……。
あのね、リチャードさん的には、人間は二通りしかないんですよ。
自分に得な奴か、損な奴かーー
自分の安泰な柿ピー暮らしに益な奴か、不利益な奴かーー
フツーの人間なら付きあってる仲のいい友人にも多少は厭な部分を感じてて、
でも、それはそれとして置いといて、その人間のいい部分を重視して、付きあいを継続してていくものです。
親子だろうが恋人だろうが、人間づきあいっていうのがそもそもそうしたものなんですから。
つまり、リチャードさんっていうのは、そうした本来の人間関係をあらかじめ喪失したお人なんです。
ねえ、残留党員さんたち、聴こえてる?ーー僕はね、リチャードさんのことをいま現在このように思ってるわけでして…。
うん、リチャードさんって、まさに都市の汚獩と憎悪を集めるバキュームカーみたいな存在ですよ。
ターゲットは、現代ニッポンの世相に不満と憤りをもち、けれどその怒りを表現するルートを持っていない、フツーの人々。
ま、僕やあなた方みたいなタイプですよ、要するに。
彼等がおのおのの職場で浮いてたり、軽い神経症やアスペルガーの症状なんかもってたらさらによし――純だと一度捕まえたらなかなか逃げないから。
それでその種のひと集めて、彼等に捌け口としての憩いめいた座をつくってやって、その上がりで喰うことをショーバイにしてるわけ。
ポイントは、あくまでショーバイだってこと。
正義は撒き餌ーー宗教だと宗教法人の資格要るし、寄ってくるひとも少々構えてくるから。
(僕は一時期、彼が宗教法人いいなあっていってたのを知ってます)
その点、政治ブログでひと集めするって発想は、これは、画期的でした。
もともと小規模で短期的な寸借詐欺みたいなつもりだったんでしょうーーそれが、311人工地震、不正選挙裁判なんかのバブルでたまたま大当たりしちゃった。
そうなると、本来なら長期的な組織論移行を考えなおさなきゃいけないんだけど、面倒だったんでしょうねえ、
小さなサークルだったころの独立党のままのやり方と自分でいこうとして、結局、それが仇になった。
で、党員の離脱、スポンサー離れがあいつぎ、とうとう会員の講演代さえ有料にせざるを得ないいま現在のトホホ状況に至るわけです。
なんのビジョンもない思いつきで犬丸さんの死を保険金殺人といいはじめ、
あ、こりゃこれ以上展開できないな、と思うや詫びも訂正もなく撤収ーー。
なお、その期間に、jewjewさん、チューリップさんなど多くのひとを巻きこんじゃって…。
三流ですよ、なにもかもーー志なんてかけらもない、そんなの、あの準備書面を読んだら誰でも分かる……。
だから、独立党なんて辞めたほうがいいよ、とも思うけど、今回はあえてそのへんはいいません。
どうか、ご自分で判断なさってくださいーーお休みなさい……。(-o-yzzz☆彡