ビッグニュースです!
東京高裁民事第10部所属の高橋譲裁判官が、2023年の3月11日をもって自主退官されていることが判明しました。
最高裁のこの人事更新の発表を僕等が知ったのは、つい先ごろの3月16日のことだったのですが、前回の石垣陽介裁判官の旭川地家裁への左遷人事(令和4.10.25)を知ったときを凌ぐ、猛烈なインパクトを受けたことをまずはここに告白しておきます。
と申しましても、フツーの方々は高橋譲裁判官というひとのことをまず知らないだろう、と思います。
雲上人である裁判官と一般人との間には、深くて暗い川がありますから(笑)
また、この高橋譲裁判官と旭川地家裁に左遷させられた石垣陽介裁判官の両名をたまたま知っているひとがおられたとしても、石垣君がなぜ東京高裁に令和4年の4月1日に異動になって、そのわずか半年と7日後の令和4年の10月25日に、日本最北端の旭川地家裁まで飛ばされてしまったのか?
そして、順風満帆な、絵に画いたようなエリート裁判官のキャリアを歩んできた、この高裁民事10部所属の高橋譲裁判官が、定年退官まであとわずか10か月という任期を残したまま、裁判官のキャリア満了といった輝かしいゴールをわざわざ棄てて、なぜこのような自主退官といったような不名誉な退官を選ばねばならなかったのか?
仮に裁判所内部のひとであったとしても、この両者それぞれのドラマチックな「 挫折 」に共通項を見つけることのできる御仁はほとんどおられないだろう、と僕は思います。
でもね、このマイケルブログを読みさえすれば、それが分かる。
彼等それぞれの「 挫折 」の共通項である不幸の因子は、僕等なんです。
彼等それぞれの「 挫折 」には、僕等の事件の存在が大きく関与していたのです。
しかし、これは相当に入り組んだ、分かりにくい話でもあるので、まずは順を追って、石垣陽介と高橋譲のキャリアの照合から始めていきましょうか ――― まずは前座として石垣さんからどうぞ!
石垣陽介裁判官、エリートの典型みたいな次の高橋譲さんのキャリアと比べるとやや目劣りしちゃうきらいもあるけど、僕等との関わりを除けて考えれば、これはなかなかなキャリアといえるんじゃないかな、と僕なんかは思いますね。
徳島地裁や山形地裁などもいってるけど、概ね東京就任と交互の感じだし、何より彼は「 熊谷連続殺人事件 」や「 全国教員残業代事件 」などの、マスコミもむしゃぶりつくようなエポックな裁判を結構担当させられてもいる。
僕等はこういうのを「 スター裁判官 」と呼んでましてね、実際、司法の上のほうじゃ彼をそのつもりで育成していた、と、まあ思うわけですよ。
けど、2018年頃から、とあるカルト集団が僕に対して集団訴訟をかけてきたんです。
で、おし、いいとも、と、よせばいいのに僕もそれを全部受けた。
全部が全部、それらは制服組の特別警備団付きの、ほとんど反社対応みたいなヤバメな、危険いっぱいの裁判となりました。
どっちも弁護士付ける金すらないもんだから、はっきりいって法廷は味噌も糞もない、罵詈雑言が飛び交うだけの特殊空間に様変わり。
石垣君の前の案件の民事6部の斎藤清文裁判官のときには、結審のあとに向こうの原告団が、法廷内の庁舎入口前で僕ひとりへの待ち伏せなんか敢行しちゃいまして、僕がそれに110番通報して、さいたま地裁庁舎内に浦和警察が突撃! みたいな書記官さん事務官さん方も全員まっ青になっちゃう、ぎりぎり状態の超密空間に突入ですわ。
そのようなカオスのただなかで、こうまで訴えられてばかりっていうのもなんだよなあ、と珍しく当方のほうから彼等を初めて訴え返したのが、令和元年(ワ)第1818号という訴訟でした。
この回からはあかねさんが僕とタッグを組んでくれた。これ以上はない力強いパートナーです。
そして、さいたま地裁という花の舞台でこれを裁いたのが、当時さいたま地裁の民亊5部にいた、かの石垣陽介判事であったのです。
後半部でもまた書くつもりですが、石垣君がこの裁判に取り組んでいる間中、さいたま地裁所長として地裁全体を取り仕切っていたのが、いまをときめく袴田事件再審の立役者であるところの、あの 大善文男裁判官 であったのですよ。
当時の裁判所では家庭裁判所での殺人事件があったりしてピリピリしていてね、僕等がやたらこのときの「 さいたま地裁に警察隊がドーッと雪崩れこんだ 」事件を口にするもんだから、そのようなスキャンダルが広がるのを憂慮した大善文男さいたま地裁所長が、石垣陽介にこの話が表に出ないような和解決着を厳命し、そのプレッシャーに耐えかねた石垣君が心壊れてあのように非常識な「 108つの膨大誤記入り判決 」や「 裁判調書の改竄事件( これ、偽造公文書の行使罪に該当します )」などの破戒に導かれてしまったのではないか、と僕等は思っているんです・・・。
ま、5万かそこいらでしたけど、僕等、この裁判には勝つには勝ちました。
でも、僕等が欲しかったのはそのような小金じゃなくて、集団スラップ訴訟に対する勝訴でしたからね。
当然の如く僕等は控訴しました。
そしたらね、その2審の裁き手になったのが、当時東京高裁民事10部にいた、冒頭で僕が紹介した、あの高橋譲裁判長であったのですよ ―――。
彼のキャリアを見ると、そのあまりのエリートぶりにため息を漏らしたくなってもきます。
石垣陽介より一段上の貴種だわ、これは。
H17年から21年までは、彼、最高裁の調査官なんていうのもやっている。
3333号の訴状内にも書いたように、この控訴審において高橋譲裁判長は、第1審で石垣陽介裁判官が判決書において「 70箇所の誤記を書いてしまった事実 」を認めています。
本来ならこの時点で、彼はこの控訴( 1818号の控訴である( ネ )第3515号訴訟 )を差し戻すべきだった。
彼は官吏であるから、同僚裁判官がこのようなどうにもならない過ちを犯したのを見つけた時点で、それをどのようにしてでも問題提起しなくちゃいけなかったんです。
最高裁の調査官をやったほどのひとですから、そのような告発の義務は重々心得ていたはずです。
しかし、彼はそれをやらなかった。
理を通すよりも、ちょちょいと裁判結果を捻じ曲げて、裁判所内の日常の安寧に埋もれる暮らしのほうを彼は選んだのです。
石垣陽介に「 高橋さんがなんとかしてくれた 」と感謝され、高裁の同僚裁判官からも「 いざとなるとやっぱり頼りになるのは高橋さんだわ 」とか噂されるのが心地よかったのです。
それが彼の犯罪でした。
いざとなったら、ひとの生命すら奪う判決を書かなければいけないのが裁判官です。
その聖務を、石垣陽介と高橋譲は汚したのだ、と僕は思っています。
だから、石垣陽介は「 判事失格 」の烙印を押され、日本最北の地まで飛ばされてしまった。
だから、東京高裁の筆頭裁判官まで昇りつめた高橋譲は、円満退官まであとわずかのゴール寸前まできたというのに、こうして虚しい自首退官を選ばなければいけなかったのです。
今件に関しては、正直もう僕にはいうべき言葉もありません。
司法の優秀なひとたちが自己の安泰のために築いた、このような安手の誤魔化し地獄に命名する言葉なんてあるでしょうか?
僕はこれまでの石垣陽介関連の「 司法の過ち隠蔽作戦 」を牽引してきた人物は、この高橋譲氏であった、と個人的には思っています。
証拠はないですけど(笑)
でも、彼、全然別のほかの僕のカルト裁判のときにね、高裁の別室に僕を案内して、僕とマンツーマンで会って話したことがあるんですよ。
それ、たったの1度きりでしたけどね。
裁判官は法廷以外の場所で原告とも被告とも会ってはならない、というあの鉄の掟を彼はこのとき破っていたのです。
彼はこのとき、裁判の特別警備をやめることにしたけどどうだろう? みたいな話を振ってきました。
けれど、笑みながら、彼はその目で必死に見定めようとしているようでした ――― 僕がさらに控訴してくる人間かどうか、さらにそのまた上である国家賠償まで仕掛けてくる人間であるかどうか・・・。
令和4年の1月に、僕等は令和4年( ワ )第3333号の国家賠償事件を提訴しました。
その結果、東京高裁の石垣陽介は旭川地家裁に左遷となり、高橋譲までが定年退官を目前にして散りました。
こんなことってあるのかな? とふしぎに思います。
僕等のキャパを超えたスケールの出来事が、次から次へと、こんな団子状になって生起してくるなんて。
そんな僕の気持ち内でいまいちばん心配になってくるのは、僕等の3333号と現在対峙されている、東京地裁民事16部の丹下友華裁判官のことでしょうか。
彼女は第2回目の口頭弁論の席で、自分は弁論主義を守るとはっきりといいました。
けれども彼女は原告である僕等が何度も調書改竄の証人である佐々木智穂書記官、それと森本清美書記官、並びに石垣陽介裁判官の出廷を求めているにも関わらず、それらを完全に拒否されました。
しかも、僕等が争点にしている「 石垣判決内の108つの誤記 」に対しても「 裁判調書の改竄問題 」に対しても、彼女はこの2つの単語を法廷内でとうとう1度も発音しようとはされなかった。
これは裁判官として万死に値する行動である、と僕は思います。
あの高橋譲でさえ散ったのですよ。
家裁出身のあなたの周りを粛清の黒い空気が一重一重くるみはじめているのが、あなたにはまだ見えてないのですか?
厳しい言葉ばかりが並ぶ、辛い記事についなっちゃいましたけど。
僕の今日の記事は以上です ――― お休みなさい。