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旧精神科医療は思想警察なのか?

【ジャニー喜多川死亡説】Hey!Say!JUMP岡本圭人が活動休止 岡本の父親はジャニー喜多川のお気に入りだった。

2018年06月26日 | SMAPへ そして、全てのジャニーズタレントへ

「ジャニー喜多川死亡説」をことあるごとい書いてきましたが、こればかりは最終的にジャニーズ事務所から公式発表がないと確定しません。

しかし、昨今のジャニーズ事務所タレントの不祥事報道が止まらない理由を説明するのに

「ここ最近、アイドルがたるんでいるからだ」

という精神論で解決できるものではないと考え、仮説たて見ていくと、スマップ解散騒動から始まった一連のジャニーズ帝国没落は

「悪のカリスマ ジャニー喜多川死亡説」が浮上するしか辻褄があいません。

(その理由については過去の記事を参照してください)

ジャニー喜多川死亡説、相次ぐジャニーズタレントの乱交パーティー、不祥事流出がとまらない(手越祐也メンバーNEWS脱退か?)

NEWS小山熱愛事件&未成年飲酒事件から見る、ジャニーズという不法空間で行われていること。

満州国による繋がりがメディアを占拠している、タモリ、小沢健二(小澤開作)、安倍晋三(岸信介)

SMAP解散劇とディーンフジオカ躍進の関係。山口組の分裂劇、飯島三智の独立支援は中国マフィアでラオックス親会社「蘇寧電器」が画策して弘道会と手を組んだ可能性が大。

『カリスマジャニー喜多川死亡説』も:ジャニーズはどれだけ悪魔を拝むのだろうか?)「ジャニーズなのに……」A.B.C-Z・橋本良亮、ギャル系女性と“白昼デート”写真流出!?

山口達也強制わいせつ事件 「解雇と契約解除」の違いと目的は?解雇すれば事件の真相を口外するおそれがあるため経済支援を続け口止め料を支払うつもりなのか?

「King & Prince」とRの法則:被害者が特定されてはまずい理由)TOKIO山口達也強制わいせつ事件

ジャニー喜多川という人物、喜多川諦道、大谷貴義から見る、下稚児=男娼生活

 

それは日本最大のカルト宗教団体、「創価学会の第3代目会長 池田大作死亡」を受けて、創価学会を支持母体としている公明党の勢力が弱まったことが如実にリーダーの不在が組織における影響力を表すというように証明しています。

池田大作が入院したのが2011年と言われています。

創価学会は公式に池田大作の死亡を発表していません。

以下、週刊文春からの転載記事になります。

・・・・・・・・・・(さらば池田大作-5 2017-08-18 07:55:07 | Weblog さらば池田大作-消えた「上御一人」の跡  野田峯雄 (2016/11・第三書館) ------(21P)---(以下、本文)-------)

◆ 創価会館は安心の灯台です
 創価学会は、11年3月11日に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所壊滅さえ逆手にとって、大城建設に励む。「そこは地域の安心の灯台です」と触れまわる。
聖教新聞(11年7月15日付)がこう言う。得意げだ。
「苦難の中で、いやまして輝く人間の底力。金剛不壊の創価の師弟(※師=池田大作、弟=創価学会員)の絆、同志のスクラムこそ、世界広布の新時代を開きゆく希望の光である。この60周年(※池田大作の東北訪問60周年)の佳節に、『広布理想の大東北』をスローガンに掲げて大前進を期す。その新出発にあたり、新・東北文化会館の建設など、“新生・東北”の未来構想が発表された。
 それによると、希望・復興のシンボルとして、宮城に新・東北文化会館が誕生する。そのほか、気仙沼文化会館(宮城)、大船渡文化会館(岩手)、新・福島平和会館(福島)など、東北各県に7会館が新たに建設されることになった」(※印の注=本書筆者)
 これは大震災と原発壊滅から約4力月後の話である。
 佳節? 被災地には死者累々。数百万人が震えあがっていた。

◆ まっ赤なザクロ
 そんな悲惨きわまりない2011年の晩秋。新総本部建設現場の東北隅から東へ延びている幅員2~3 メートルの路地へ入る。約50メートル先の突き当たりが創価学会第2別館。
 池田大作の住んでいた和風切妻で総ヒノキ造りの豪邸である(東京都新宿区信濃町26番地)。
 路地には人通りがまったくなく邸内もまた静まりかえっていた。2メートルを超す白いコンクリート塀の向こうの緑の庭木の間に熟れきった赤いザクロが顔をのぞかせていた。
 創価学会はこれからどうなるのか。
 池田大作の消滅で何がどう変わるのか。
 熟れきったザクロを放っておくと、必ず野鳥に食い荒らされるか、地に落ちて砕け散る。

◆ キングサイズべッドに横たわる
 池田大作が倒れたのは2010年5月と推定される。というのは、同年5月13日の創価学会本
部幹部会に出席した、けれど次回6月3日の本部幹部会にも、それ以降の本部幹部会にもいっさい出てこなくなったからだ。外部への肉声が消えた。
 本部幹部会は、最高幹部たち、組織各部や地方の代表、各国創価学会(創価学会インターナショナル=SGI=傘下)の代表など約2000人が集まり一カ月に1回開く定例会合である。
 最高幹部たちはこの場を使い組織運営の方向を示したり、選挙活動のためのハッパをかけたり、財務と称する池田信奉度を示す献金などについての指示をくだす。とともに、かっては池田大作の意思を伝え、池田本人がしきりに「どこそこから名誉称号を授与された」などと誇ってもいたのだが…、とにかく組織を動かし引き締める最高の集まりである。
 池田カゼなどをこじらせて動けなくなったときを除けば欠席したことがほとんどない。

 しかし、いまやとんでもない不幸に見舞われ、前述の豪邸から150メートルほど南東の南元センター(創聖健康保険組合診療所=創価学会の健康保険組合員用として1990年に新築した病院)の5階のキングサイズべッドに横たわった。
同5階は約517㎡だ。池田の病室を囲むように会議室やナースステーション、浴室、仏間、秘書室、警備室などを並べ、これらを外部から完全に遮断する。

◆ ひん死の状態
 滑り止めのためにアスファルトを粗く敷いて丸い輪を刻んだ幅員2~3メートルの急坂を下っていく (北高南低、延長約65メートル)。この急坂の右手にとても細長い南元センタービルがある。このビルの脇に白くて大きな金属箱(タテ=約1・5メートル、ヨコ=約2メートル、奥行き=60~80センチの室外機)が置かれているのに気付いた。
 側面の右上に「MRI室チラー」と記されている。MRIは核磁気共鳴画像法。核磁気の共鳴現象を利用し生体内情報を画像化する。チラーは機器類の温度を一定に保っための装置である。
 つまり「MRI室チラー」は南元センターが“そこら辺にある並みの診療所ではないこと”を示している。
 念のためインターネットの地図検索システム「グーグル・マップ(ストリートビュー)」を見る。“2010年3月前”に撮影された画像にはそれが写っていない。
 10年から11年の春ごろへかけ「池田大作担当をしていたという元看護師のAさん」が週刊文春の11年10月27日号で次のような内情を“暴露”した。
「先生は糖尿病に加え脳梗塞を2力所で起こしていた。それに認知症を進行させてもいた。言語の障害があり、意思疎通や自力歩行が困難。オムツをつけている。口から食べものをうまく摂れない。飲食物を気管支に詰まらせてしまうおそれがあるので栄養剤を経管注入している| (要点)

◆ ほらっ、こんなに元気だよ
 すると、(池田大作本人ではなく)創価学会がこの週刊文春記事に怒った。結局、週刊文春側が「記事を取り消しお詫びいたします」というオチになり、池田大作はひとまず“ひん死状態”から救い出されるのだが、「えっ?」と思わせたのは、くだんの週刊文春発売から約10日後(11年10月31日)の聖教新聞である。
池田大作の全身写真を掲載し、そこに「ザンビア大学『名誉法学博士』のローブを着用する池田SGI会長(今月、東京・新宿区内で)」という注をくっつけている。
 池田大作が黒い縁取りのある真紅のローブ(ガウン)で体を包み、赤茶色の房の垂れた黒い博士帽子をかぶり、両手を指先まで体側に沿ってまっすぐ伸ばし、黒い靴で灰色のじゅうたんを踏みしめ直立している。背後には、花群の文様を浮き彫りにし、金色のノブなどをつけた堅牢そうなこげ茶色のサイドボード。その上方に、英ロンドン郊外に広がる創価学会インターナショナル(SGI)タプロー・コート総合文化センターの一画と思われる“緑濃い樹林と2棟のレンガ造り家屋”を撮影した、とても大きな金色の額縁人り写真が掛かっている。
 ほらっ、こんなに元気だよと言いたいらしいのだ。「私は看護師なんかの手を借りず、なんにもつかまらず、ちゃんと立っているよ」と。

 しかしその池田大作はすでに、こちらを見ているような、見ていないような、とろんとした視線を投げかけ、フッと息を吹きかけると崩れてしまいそうな気配だった。
       ---------(26P)-------つづく--

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

創価学会のカリスマ池田大作が現れなくなったのは2010年5月以降だとされています。

 

話題を変えて、SMAP解散騒動について見ていくと、ジャニー喜多川が表の舞台に出てきたのが2017年1月の滝沢歌舞伎だと書いてあります。

・・・・・・・・・・(SMAP解散騒動(スマップかいさんそうどう)

2016年に日本の芸能事務所・ジャニーズ事務所に所属する男性アイドルグループSMAPの解散危機及び解散が決定した事象と、それを巡る社会の動きを取り扱う。

概要
SMAPは、中居正広・木村拓哉・稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾の5人で構成されていた(結成当初は森且行を含む6人であった)男性アイドルグループで1988年に結成、1990年代から日本の芸能界の第一線で活躍し老若男女から幅広い支持を得ていた国民的グループでもあった。また、ジャニーズ事務所もSMAPを筆頭に数多くのアイドルグループを擁し、2000年代半ばから男性アイドル界がジャニーズの寡占状態となるなど日本の芸能界で確固たる地位を築いていた。

2016年にSMAPの解散の危機が報じられると、紆余曲折を経て同年末の解散に至るまでメンバー及び事務所の一挙手一投足がメディアで連日報じられ、ファンによる大規模なCD購買運動や、ネットにおける事務所および一部のメンバーに対する大規模なバッシングなど、メンバー及び事務所の影響力の大きさが改めて可視化されることとなった。また、騒動に絡めた様々な社会評論も行われている。


経緯
解散危機の発覚まで
ジャニーズ事務所は、メリー喜多川とジャニー喜多川の姉弟によって設立されたアイドル主体の芸能事務所である。

業務形態はジャニーが所属タレントのプロデュース、メリーが事務統括やメディア対応などをそれぞれ分担しており、この基本型は2人の最晩年まで変わっていなかった。

事務所は1980年代にたのきんトリオや光GENJIなどのヒットで成功を収めるが、1990年頃に音楽業界・テレビ業界の転換期が訪れた。バンドブームの到来、テレビ歌番組に出ない実力派アーティストの台頭、テレビ番組の出演辞退がステータス化する状況などが生まれ、各局の歌番組は視聴率に苦しみ軒並み終了する事態に陥る。

結果、歌番組への出演が最大の宣伝になっていたアイドル業界そのものが氷河期に入るとともに、ジャニーズの勢いにも陰りが見え、弱小事務所への転落の危機にあった[1]。

SMAPもデビュー当時、セールス面で表立った結果を残すことが出来ず、マネジメント面でも大々的な露出をすることが少なくなっていた。当時事務職をしていた飯島三智がこれを見かね、「自分がSMAPの世話をする」と志願しマネージャーへ転属する。

飯島は、それまでのアイドル界では畑違いと見られていたバラエティや主演・主要役以外でのドラマにも積極的にメンバーを進出させ、結果的に世間の認知度が上がると共に本業のアイドル業でも成果を挙げ、見事SMAPを大スター(ビッグアイドル)に押し上げた[2]。

事務所も後輩タレントを同様のメソッドで売り出すことによりヒットを連発し、息を吹き返したのち業界最大手に上り詰めた。さらに、飯島の手法によりアイドルの守備領域が広がるなど、芸能界のアイドル観を根本から変えるまでに至った[3]。

メリー、ジャニー姉弟は飯島を事務所の恩人として厚遇し、いずれ2人の後を継ぐ副社長・藤島ジュリー景子(メリーの一人娘。以下「ジュリー」と記述)の代でも飯島は大番頭としてジュリーを支え、ジャニーズは安泰と思われていた。

ジュリーと飯島の仲も非常に良好であり、ジュリーは飯島を頼りにしていた[4]。

しかし年を経るにつれて、メリーが飯島に警戒感を抱くようになる。

それは、ジュリーと飯島のタレントマネジメント能力に格段の差があったためである。

ジュリーは飯島の手法を真似てTOKIOや嵐など後輩グループのマネジメントを行っていたが、実質の業務は他のスタッフに任せきりで、タレントや仕事先の人望も飯島に対する全てにおいて明らかに劣り、さらにどのグループもSMAPの人気を中々越えることができなかった(2008年に嵐がブレークするまでは、名実ともにSMAPの1枚看板体制であった)[5]。

メリーは娘の将来を案じ、次第に飯島を危険視するようになっていく。

不穏な空気を察知したジャニーは、子会社のジェイ・ドリームを設立した上で飯島に経営を委ね、飯島がメリーを気兼ねせずに仕事ができる環境を整え、両者の関係の軟化を図った[6]。

さらに、2010年にKAT-TUNのマネジメントを飯島に移管したのを皮切りに、若手グループを次々と飯島にゆだねた[7]。

しかし、メリーの目には飯島がジャニーの権威を嵩に着て権力を伸ばしているようにしか見えず、猜疑心はさらに激化した。

やがて、テレビ番組でもジュリー管轄のタレントと飯島管轄のタレントとの共演が原則ご法度になるなど、事務所の活動に大きな影響が出る事態に至ったと言われている[8]。

決定的な亀裂が生まれたのは、『週刊文春』2015年1月29日号掲載のメリーに対するインタビューであるとされる。

ジャニーズ事務所は芸能界での実権を握って以降、タレントの番組出演やカレンダー販売などの利権をばらまくことによって自己に不利益な報道をしないよう仕向けていたが、週刊文春はジャニーズ事務所のメディアコントロールの傘下に組み込まれていない、数少ないメディアであった[注 1]。

そのインタビュー内でメリーは、週刊文春がジュリーのことを「次期社長『候補』」と呼んでいる点を指摘し、「次期社長は決まっている」と後継者がジュリーであることを正式に認めた。

更に「派閥など存在しない」「実在しない『派閥』があると思わせるようなことがあったとしたら、飯島を注意します。

今日、辞めさせますよ」と断言。

直後、インタビューが行われていた事務所ビル2階の会議室に飯島を急遽呼び出し、現れた飯島に対して「SMAPは踊れない」「飯島に踊りを踊れる子を預けられない」とまで言い放った上で、飯島に対しては「『派閥』争いがあるのか?」と詰問、飯島が「ありません」と答えるも、「もしそれが事実なら、SMAPを連れて事務所を出なさい。私はジュリーを残し飯島は辞めさせます」などと、一方的にまくし立てた[9][10](このインタビューは「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の第22回大賞を受賞している)。

これをきっかけとして、飯島はジャニーズ事務所には顔を出せなくなった上、真剣にSMAPを連れてジャニーズ事務所から独立しようと水面下で画策せざるを得ないこととなる。

ジャニーは当然飯島とSMAPの離脱には反対であったが、メリーの不信感が自身にも向かっていたため慰留を断念したという。

その他、同年のNHK『第66回NHK紅白歌合戦』の司会選考を巡り、「飯島がNHKに対して独自交渉で同紅白の司会(白組司会・総合司会)にSMAPもしくは木村をごり押ししたが、メリーが自派のタレント総引き揚げをちらつかせて断念させた」とする報道もなされたが[注 2]、NHKの三溝敬志エンターテインメント番組部長は定例会見で自ら否定している[11]。

その後、飯島は『芸能界のドン』と称される田辺エージェンシー社長の田邊昭知を頼り、自身とSMAPの移籍・引き受けを依頼する[12]。

水面下でジャニーズ事務所と田辺エージェンシー側とで話し合いが持たれ、飯島とSMAPは2016年9月の契約更新時期を以って事務所を退社、田辺エージェンシーの系列であるケイダッシュへの移籍話が纏まったとされ、関連作品やグループ名の使用権、コンサートの興行権などの利益配分などの交渉を双方の弁護士が進めるまでに至っていた[13]。

しかし、週刊文春インタビューに応じたジャニーズの役員によると、飯島は誰の助けも受けない、一人の力で独立すると話したが、田辺や吉本などの大型事務所に移籍するといううわさが流れてメリーとジャニーズが直接田辺に聞いたが、田辺は否定したという。(田辺エージェンシーとケイダッシュは、役員が同じ)

(中略)

このパートでは、立ち位置[注 3] や発言内容[注 4]、衣装[注 5] の差など、木村と他の4人との間に意図的に差をつける演出であった。また、草彅の「ジャニーさんに謝る機会を…」の件から、ジャニーズの幹部の強権ぶりと古い体質があからさまに視聴者に示された。またメンバー4人が虚ろな表情であったことから[27][28]、「ジャニーズがメンバーを無理やり謝罪させた」「公開いじめだ」といった批判の声が多く上がり、ネットなどでは「公開処刑」という隠語がつけられた[29]。

放送倫理・番組向上機構(BPO)には1月中に約2800件の意見が寄せられ、一時公式サイトのアクセスがダウンした[30]。

またこの様子は他局でも取り上げられたが、フジテレビは当日午後、各局から番組内容の問い合わせが来た時点で、映像の使用を各局に持ちかけた。各局生放送番組で1回限りの使用、期限は翌19日いっぱいという条件で、フジテレビ本社でVTRを直接手渡した。

その際放送権料を放棄してダビング手数料のみをとる、という「報道」素材の扱いで対応した。実際に、裏番組『報道ステーション』(テレビ朝日系)を筆頭に、報道番組でもこの件が取り上げられた。

このような「報道」の名の下で「晒し上げ」に間接的に加担する結果となったことには、テレビ局員の間でも怒りの声があったという[31]。

大手メディアの間では、このメッセージの発表をもって独立騒動にけりがついたこととされた。

事務所も週刊文春、週刊新潮に対して早急に抑えに出て、21日発売の両誌28日号はいずれも事務所の意向に沿った内容の紙面になった。

特に週刊新潮におけるメリーのインタビューでは、木村を別格で押し立てていくというメリーの構想とされるものが報じられた[32]。22日、騒動後最初のスマスマ収録後に事務所の先輩、後輩タレントとの食事会が行われ、騒動は一応終結した[注 6]。

メディアは丁度同時期にスキャンダルが発覚したベッキーを執拗にバッシングすることで世間の目をそらし、SMAP解散騒動は公式には「終わった話」扱いになった[33]。飯島は独立騒動の責任を一身に背負って単独で事務所を退社し、芸能界を追放された[34]。

この間、スポーツ新聞は全面的にジャニーズの意向に沿った記事を書くことで、ネタのリークを得た。

また、テレビ局は事務所やメンバーに対する独自取材を一切行わず、スタジオでのトーク部分ではスポーツ新聞の紙面を紹介していた。

特にフジテレビにおいては、身内のスマスマサイドからは舞台裏の映像提供を受けたにもかかわらず、主に系列のサンケイスポーツを基に紹介した。

サンスポの記事はスマスマの現場にいた関係者の証言を含んでいたため、スマスマサイドの直接の取材を避けて報道したことになる[35]。

しかし一方で、ネット等ではジャニーズ事務所のメンバーおよびメディアに対する高圧・強権ぶりに対する不信感が残り、ジャニーズブランドのイメージダウンを招いた[36]。

(中略)
1月13日、『滝沢歌舞伎2017』でジャニーが公の場に登場し、SMAPについて言及した。

前年5月の解散否定発言については、「僕は(あのとき)正直に言っている。なんの嘘もない。

時と場合によってニュアンスが違ってくることもある」と振り返り、グループを存続できなかったことには「お謝りしたい」と頭を下げ、ファンに対して「僕も同じ。悲しい」と声を落とした。

5人の今後については「心機一転メンバーがますます、それぞれの世界を作りあげていく期待がものすごくある」「(独立の噂について)みんな、出ていくことを前提で話していないと思う。

そんなやぼっちいタレントじゃない」「僕は絶対永遠に後押し、バックアップ、応援していくつもり。誰に対しても。それは間違いない」と断言した

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「1月13日、『滝沢歌舞伎2017』でジャニーが公の場に登場し、SMAPについて言及した。」とあるように、2017年1月13日までは生存していると言えるでしょう。

しかしながら、影武者がいるかもしれません。

なぜ、影武者をおくるのか?というと「ジャニー喜多川のカリスマ性」の影響力を残しておきたいからです。

そして一旦落ちぶれてしまえば、復活するのが難しい世界が芸能界と言えるでしょう。

現に飯島MGは独立を果たし、ジャニーズに対して反旗を翻しています。


その証拠に、ジャニーズ事務所のタレントの不祥事が抑えきれていません。

「山口達也メンバー強制わいせつ事件」

「NEWS小山、加藤未成年飲酒事件」「手越メンバー未成年飲酒事件」

「Hey!Say!JUMP岡本圭人が活動休止」もその影響でしょう。

<Hey!Say!JUMP岡本圭人と有村架純>

岡本圭人は男闘呼組の岡本健一の息子です。

岡本健一ですが、「SMAPへ そして、全てのジャニーズタレントへ」の著者木山省吾氏もその手記で岡本がジャニー喜多川の超お気に入りであったことを書いています。

・・・・・・・・・(SMAPへ そして、全てのジャニーズタレントへ67ページ「いつも発情してるジャニーさん」)

最初のフェラ体験は一人きりのときだったが、その後にもっとおぞましい事件が待ち受けていた。

合宿所は基本的にジャニーさんに呼ばれたものだけが出入りを許される場所で場所を知っていても勝手に来てはいけないことになっている

ここに呼ばれたジュニアたちはみんながジャニーさんの愛人のようなものだった。

僕は毎週土曜日に行くことになっていたが、一応電話をする。すると「YOUは電話なんかしてこなくていいから。とにかく時間があったあったら来なさい」

と言われた。特別扱いのようだった。

O君もデビューを目指していた。合宿所にも僕と同行したのを含めて、3回行き風呂に入れられた経験もしている。

だが彼が合宿所へ行きたいがために電話すると

「ああ、ちょっと僕は留守するから、YOUは来ないで」

と冷たく断られ、数回頼んだが、結局来ることができなかったという。そのうち、全く相手にしてもらえなくなり、結局辞めてしまった。

もしかして、彼はジャニーさんの好みではなかったのかもしれないし、最初から僕へのおとりとして利用されたにすぎなかったのかもしれない。酷い話だ。

(中略)

ジャニーさんが僕の前に特にお気に入りにしていたのは、岡本だった。

彼は何をするにしてもジャニーさんにくっついていた。

今の僕と同じだったらしい。いくら新人のジュニアが来ようと、食事のときに隣になるのは僕でジャニーさんはずっと赤ん坊のように僕の口に食べ物を運ぶ。気味の悪いたとえだが、新妻のようだった。

驚くべきことに、僕は合宿所では自分で箸さえ持ったことがなかったくらいだった。これは大げさい言っているのではない。

ジャニーさんは甘いものが大好きで、「アマンド」(六本木にある洋菓子店)のケーキをよく食べていた。買いに行くときは、僕ではなくベンツの助手席に岡本を乗せていた。

ジャニーさんは僕に

「岡本はケーキは自分が選ぶって言うんだ。置いていくと怒るからね」

と、まるで恋人に言い訳をするようなことを言った。

ジュニアたちは風呂付きの大部屋でみんな寝かされた。ジャニーさんは律儀にも、全員と一緒にお風呂に入り、彼らの体のすべてを洗う。

そして、その後は暗くした部屋でに忍び込んできて、今度は一人づつ全員を犯していくのだ。

みんな、隣で仲間が寝ている中で、ジャニーに精液を吸われているのである。

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

父親 岡本健一の代からジャニー喜多川とホモ関係をしていた、さらに特待生のような優遇を受けていたことが赤裸々に書かれています。

そして、その岡本の息子がジュニアから「Hey!Say!JUMP」でデビューしています。

親子2代にわたって因果なものですね。

・・・・・・・(岡本圭人のHey! Say! JUMP脱退理由は素行不良? 痴漢で警察沙汰を起こした中島裕翔はなぜお咎めなしだったのか)

 本日発売の「週刊文春」2018年6月28日号で、岡本圭人がHey! Say! JUMPから脱退する予定だと報道された。「女性セブン」(小学館)2018年5月3日号で上智大学国際教養学部を退学していたことを明かしたばかりの岡本圭人。今後は、海外への留学を視野に検討しており、グループからは脱退するものの、ジャニーズ事務所には残る方針だと「週刊文春」は報じている。

 岡本圭人はなぜこのタイミングで脱退するのか? 「週刊文春」記事では、民放関係者の証言として、<本人の素行不良と海外志向が理由だと聞いています。最近の岡本といえば、私生活では飲み歩く様子が伝えられ、学業優先を謳いながら大学は留年を繰り返し、昨夏、中退してしまいました>とのコメントが掲載されている。

 岡本は2013年に有村架純とのツーショットを「FRIDAY」(講談社)に掲載されたことがあり、今年に入ってからは、「週刊女性」(主婦と生活社)2018年5月8・15日号にて、関東近郊温泉地のキャバクラでの豪遊を報じられたりしているが、その程度が「素行不良」というならば、なぜ犯罪性のある「あの事件」はお咎めなしで見過ごされたのか疑問が残る。

 それは、同じHey! Say! JUMPのメンバーである中島裕翔による痴漢警察騒動。

これは「週刊文春」2016年5月26日号で報じられた。事件は、2016年4月1 日早朝、30代女性会社員から「路上で男性に抱き付かれるなどした」との110番通報があり、警察官が現場へ向かうと、そこには泥酔した中島の姿があった、というものだ。

 女性が被害届を出さなかったため刑事事件にはならなかったが、ジャニーズ事務所側も、この一連の出来事が事実であることを認め、<泥酔下とはいえ、このような事態になりました点について、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。本人も深く反省しております>とコメントを出した。しかし、大手メディアは「週刊文春」報道を後追いすることはなく、なんのお咎めもなくスルー。その年の7月からは、中島主演の連続ドラマ『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』(フジテレビ)も、なにごともなかったかのように放送された。

 ジャニーズ事務所以外のプロダクションのタレントならば、ペナルティーもなく見逃されることはないのではなかろうか。

 それを端的に示す例が、今年3月、『仮面ライダー鎧武/ガイム』(テレビ朝日)などに出演した俳優の青木玄徳が逮捕された件だ。3月4日深夜、青木は歩道で信号を待っていた女性に背後から抱きついたうえ胸を触り、さらに首や腰に10日間の怪我を負わせたとして、強制わいせつ致傷容疑で逮捕された。青木は犯行当時、酒に酔っていたという。これを受けて、出演予定だった映画や舞台は降板することになり、所属事務所との契約も終了している。

 中島のケースでも何かしらの処罰を受けてしかるべきだったはずだが、結果は先に述べた通り、ジャニーズ事務所と、ジャニーズタブーに忖度するメディアによって握りつぶされて「なかったこと」にされた。

 岡本圭人のHey! Say! JUMP脱退が、本当に「週刊文春」報道の通り、「素行不良」によるものならば、なぜ中島裕翔は許されて、岡本圭人は許されなかったのか。疑問が残る。

(倉野尾 実)

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

岡本圭人がアメリカ留学して何をするのかはわかりませんが、あまりにも「ファン置き去り」ぶりにジャニーズ事務所が終わっているという印象を受けます。

過酷な芸能界、二枚舌、嘘ばかりの世界が地獄に思えてきたのでしょうか?

ちなみに、海外に行ったところで、人生は何も変わりません。

ちなみに、ナオトインティライミは「ケチュア語インティ・ライミ Inti Raymi 太陽の祭」だそうで、

太陽=日出国(ひいずるくに)=天皇の祭りというわけです。

私には彼が売れている理由がさっぱりわかりませんが、彼も小沢健二や坂本龍一のように、皇族や大企業のトップの出身なのかもしれません。

「ジャニー喜多川死亡説」はまだまだ続きます。

現在の不自然な報道の辻褄を合わせるには、こういった発想や視点が必要だと思いませんか?

これからもいろんな意味でジャニーズ事務所から目が離せませんね。

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