人間は死ぬまで成長します。
成長といっても心の成長です。
精神の成長です。
さらに言えば、精神(脳機能)を司る、「霊体」の成長です。
RAPT有料記事602(2021年11月1日)変化せず成長しない人は、希望のない空しい生を生きるしかない。しかし、常に変化し成長する人は、喜びと希望に満たされ、真の成功と繁栄の道を行くことができる。
これは人間が猿から進化した存在ではなく、神が作った存在だからです。
猿から進化したのなら、生理的早産という人間特有のシステムは論理破綻します。
進化しているのなら、他の動物のように、生後間もなく、移動し捕食し排泄できなければならない。
しかし、母親から一方的に世話されないと生きられません。
そこで人間は感情を発達させ、社会性を身に着けるのです。
つまり、人間は人間に育てられないと人間になれないし、さらに言えば、人間は神から育てられないと、人間としての本当の幸せを
手に入れられず、知らずして一生を終えてしまいます。
RAPT有料記事483(2020年7月20日)人間が犬を躾けたとき、何がいけないのかすぐに分かって行いを変える賢い犬もいれば、何がいけないのか分からずに行いを変えられない愚かな犬もいる。人間も主の前でこれと同じだ。
未熟な存在に育てられた人間は、未熟な人間にしかなれません。
つまり、「人間としで人生をどうやって生きていけばいいのか?」を知らない人から育てられても、最終的には幸せになれないというお話なのです。
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ここからが、本題なのですが、10代の若者は何も教えなくても、スマホを使いこなせています。
しかし、パソコンは使いこなせない人が多い。
今の高齢者でスマホやパソコンを使いこなせるのはせいぜい1割から2割でしょう。
きっと、その1割~2割の高齢者は幸せに生きられていると思います。
それはなぜか?というと、「単にスマホやパソコンなどのデジタル機器が使えるから」ではありません。
「古い考え価値観を捨て、新しいものを取り入れることができる、自分を変えられるから」
なのです。
「パソコンなんんて使えなくていい、スマホなんて使えなくても不便じゃない」
と考えている人は「新しいことを覚えたくない、自分を変えたくない」
と言い訳、駄々をこねている子供と同じです。
では、スマホやパソコンを使えない8~9割の高齢者が若者であった頃、どうだったでしょう?
1960年代はビートルズや石原裕次郎、小林旭、ヤクザ映画、ヤンキーが流行しています。
反社会的でヒッピー文化、退廃的な文化が流行しています。
その時は、年寄りや親の世代に反発して、新しい物を取り入れてきているのです。
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多くの人間は、外的変化をしてきたが、内的変化をし続けられないのです。
なぜでしょうか?
それは人間の成長のゴールや目的がないからなのです。
正しく言えば、人間の成長のゴールを知らない、教えてもらっていないから、「成長が止まってしまう」のです。
ですから、2020年の若者世代もあと50年もすれば、次の世代の若者の文化にはついていけなくなってしまい
「最近の若者は…」と文句を言うようになる。
「若者が年寄に合わせるべきだ」と伝統や格式だけを追い求め、「成長を止めてしまう」のです。
それを怠惰と呼ばず、伝統だけを重んじた、ガラパゴス化して不幸になるのです。
そうではありません。
人間は死ぬまで、いや死後まで成長し続けることができる存在なのです。
ですから、私たちの人生に終わりはなく、死ぬまで成長し続けなくてはならない。
同じことをしていたら、昔にこだわっていたら、人間以外の他の動物と変わりなくなってしまいます。
そうすると、人間に与えられた、成長という特権、そこからくる喜び、幸せは手に入れられません。
実は、成長によって得られる幸せを知らずに生きる人ほど不幸なものはない、夢や希望を持たず生きる人ほど
不幸な存在はないのです。
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