看護学校でパワハラ横行、退学者続出 背景に医療現場の体育会系気質と教員不足 2022/4/18(月)
(看護師として働くと、パワハラが無い日はありませんよ
だって、もともと、医療や看護は、怪我人や身寄りのない老人といった
弱者を世話してやっている、上から目線の人が働く、賤しい職業なんだから
看護が尊い仕事なんて「まぼろし~」)
私は、看護学生に対して、精神看護学の概論から各方法論まで教えています。
そして「皆さんの心は健康ですか?」
「心はどこにありますか?」
「心の健康とはどういうものですか?」
と一緒に考えます。
そして一人一人の「幸福論」についてもリフレクションシートに記入してもらいます。
皆それぞれ、幸福論を持っていますが、浅い幸福論の学生もいれば、
素晴らしい幸福論を持ちながらも、
「それをどうやって成し遂げるのか?」
「それを成し遂げるあめに今、目標に向かって生きているか?」
となると
全ての学生は「No」なのです。
特に、看護学校であるため「100%」が「看護師になることが幸せだ」となると思いきや、1%か2%の学生しか
「看護師になることが幸せ」と書いてこない。
つまり、看護師になりたいのではなく、看護師免許をとることで得られる、名声や給料などが
自分を幸せにしてくれると考えているのです。
「何の安定を目指して生きるか?」
そう考えたとき、「収入」「衣食住」と答える人が大半でしょう。
しかし、本当に大切なものは「モチベーション」「ワクワク、ドキドキ感」「知的好奇心」「新しい体験」
ではないでしょうか?
つまり、「穏やかに生活すること」が目的なら、認知症になって、胃瘻つないでもらい、寝たきりで過ごせばいいのです。
何もできず、ただ1日世話して過ごす。
全て諦め、ただ生かされる日々、ある意味欲もなく、穏やかかもしれません。
しかし、これは「ただの寝たきり」であり、人間としての尊厳はありません。
自分の人生を
「画像が保存してある捨てられない古いスマホを時々充電して、データ保管庫として使っているようなもの」でしょう。
毎日、全力で生きる事、全力で生きられるものをみつけることです。
「金や名声を得るために全力で生きても、幸せになれない」のは、単にそれらを求めても「手に入らない社会」で生きているからです。
また、仮に手に入ったとしても、さらなる欲望や「失うことへの不安」が生じ、幸せではないのです。
「宝くじの高額当選者が不幸になる」のと同じです。
「不安や悩みが一切ない人生」が手に入るなら、とても幸せだと思えませんか?
多くの人は、そういう生き方があることを知らずに育ってきています。
常に劣等感と自責の念を植え付けら、死生観もまともにもたず成長してくるため、
人生で事故や事件に巻き込まれると「傷病労死」という(しもんしゅつゆう 【四門出遊】)
が突然芽生え、不安を根底に抱えて生きていかねばならないのです。
それらを乗り越える英知とは?
その答えは「神」にしかないのです。
神を知るしかないのです。
人生の答えを求めて彷徨っていた私に、RAPTブログが唯一、本当の答えを教えてくれた!(十二弟子・エリカさんの証)
神を知った上で、看護師を目指すのならば、きっとその人は幸せになれると思います。
生きていることで、毎日幸せを感じることができると思います。
だから、看護師になる必要もなくなるのです。
そんなことを、看護学校の教員は口が裂けても言えないですが。
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