今回は久しぶりに「精神科看護」のカテゴリー記事を書いていきたいと思います。
私自身、看護師として精神看護という領域をやっていましたから、その現実はよく知っていますし、必要性も理解しています。
日本精神神経学会というものが、神戸で行われたそうで、その反対デモが「小倉 謙」のサイトで以下のように呼びかけられていたそうです。
「6/22夕方、日本精神神経学会総会が開催されている神戸国際会議場付近をデモ行進します。
日時:2018年6月22日 17:15集合 17:30出発
集合場所:ポートアイランド南公園 噴水広場
(神戸市中央区港島中町8-5 ポートライナー市民広場駅から徒歩3分)」
この学会で、学会長が、今回のブログの見出しのような「精神科医に拳銃を持たせてほしい」旨の発言をしたそうです。
そのニュース記事を転載します。
・・・・・・・・・・・(「精神科医にも拳銃持たせて」病院協会長が機関誌で引用 6/23(土) 5:00配信 朝日新聞デジタル)
全国の精神科病院でつくる「日本精神科病院協会」の山崎学会長が、協会の機関誌に寄せた文章で「精神科医にも拳銃を持たせてくれ」という部下の医師の意見を引用していたことが分かった。意見は医療現場での患者の暴力について言及したもので、患者や支援者からは「患者を危険な存在と決めつけている」などと批判の声が上がっている。
患者を支援する「精神科医療の身体拘束を考える会」代表の長谷川利夫・杏林大教授らは22日、東京都港区の協会事務局を訪ね、公開での意見交換会の実施などを求めた。担当者は「役員に伝えます」と答えたという。
文章は協会機関誌の「協会雑誌」5月号(同月5日発行)の巻頭言。山崎会長は、自身が理事長を務める群馬県内の病院の医師が朝礼で話した内容を「興味深かった」として引用した。
医師は、精神疾患の患者への行動制限を減らす試みが世界の医療現場で進む一方、米国では患者の暴力に対応するため武装した警備員が病院におり、暴れる患者を拘束したり拳銃を発砲したりした事例もあると説明。「もはや患者の暴力は治療の問題ではなく治安問題」などとし、「僕の意見は『精神科医にも拳銃を持たせてくれ』ということです」と述べたという。
山崎会長の見解は直接書かれていないが、巻頭言の文末では患者の暴力に対応するため、協会として「精神科医療安全士」の認定制度を検討していることも紹介している。
「考える会」や患者団体は21日、都内で抗議集会を開催。長谷川教授は「このような意見を発信することが責任ある言論とは思えない」と訴えた。
機関誌の編集責任者の松原六郎常務理事は、朝日新聞の取材に「何らかの対策を検討してほしいと言いたかったのであって、決して患者への暴力を容認するということではない。不快な思いをした方がいたのであれば、今後は引用であっても十分に気をつける」と回答。事務局は「山崎会長も同様の考えだ」としている。
巻頭言は協会ホームページにも掲載されていたが、22日までに削除された。事務局は「ホームページのレイアウトなどを更新したためで批判との関係はない」と説明している。(佐藤啓介)
朝日新聞社
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
<全国の精神科病院でつくる「日本精神科病院協会」の山崎学会長>
これは日本精神科病院協会自身が、「精神病患者」は病気ではなくて、単なる基地外であり、犯罪者であるというスタンスであるということを示しています。
これは真実だと思います。
実際に「治療薬」と称して、処方できる抗精神病薬を内服させても治療できないのですから。
実際、人間は脳がやられてしまったら御終いで、この脳を復活させる方法は、現代医療では持ち合わせていません。
私たち、人間と動物の違いは何か?というと、「発達した脳」つまり「精神を持っているか?」という点に尽きます。
現在、精神科医療というジャンルがありますが、これはもともと歴史的にみれば「私宅監置制度」つまり座敷牢が支えてきたシステムでした。
それは「人間の狂気」について何も人類が分かっていなかったから隔離する(牢獄にいれる)しかなかった、家族が日常生活ができなくなてしまうためにそのようにしていたという風習がありました。
今も、昔も「世の中に迷惑をかける人」は刑務所に入ったり、精神病院に入院することになるという方法が脈々と受け継がれています。
つまり、精神科医療は、治安維持目的の「政策的医療である」ということを理解しておいてください。
「薬を飲んでも、カウンセリングをしてもらっても、集団精神療法をしてもらっても治らない病気」であるため
「精神病」でなく「精神障害者」という障碍者カテゴリーに入ります。
ですから、精神保健法でなく、精神保健福祉法という福祉が法令に付則されます。
残念ながら、現代医療では、外科領域に関しては目覚ましい進歩を遂げました。
手術のための麻酔技術や心臓を止め血流を止める技術など、枚挙にいとまがありません。
これは、薬物、外科的処置を中心とした西洋医学が果たしてきた功績でもあります。
しかしながら、全く進歩してこなかった領域もあります。
それは「人間の脳」という分野です。
外傷以外の疾患は多くが「脳」が関与しています。
体のバランスを整えるのは「腸」ではなく「脳」です。
「脳の不調」が身体のバランスを崩すのです。
脳からは様々な生理伝達物質が出ており、まだほとんどが解明されていません。
そして、これから現代医療が向かっていく領域は「人間の脳」の領域です。
動物の部分と人間の部分の大きな違い、差について解明されていないのです。
そして、その脳科学が解明されていない証拠がこの「精神科医療」「認知症高齢者医療」となるわけです。
ですから、精神病患者や、認知症高齢者は医療にとって「未知なる生物」であり、実際は「症状があるが原因がわかっていない」つまり病気ではなく、「狂気」であるのです。
ですから、医者、精神科医はそのあたりがわかっているため、平気で「精神科医に拳銃を所持させてほしい」と考えているのでしょう。
これは明らかな失言です。
なぜなら、拳銃所持するということは、発砲して射殺する権限も与えられていることになるからです。
拳銃発砲の取り扱い規範は警察などにありますが、銃刀法違反を棄却するつまり、違法性阻却することができると裁判所が認めていないと、拳銃を帯刀、所持することは「銃刀法違反」に抵触します。
そして、その要件とは、警察官拳銃取り扱い規則の使用等について見ていきましょう。
・・・・・・・・・・・・(警察官拳銃取り扱い規則 第三章 携帯等)
第三章 携帯等
(けん銃の携帯)
第十一条 警察官は、制服(活動服を含む。以下同じ。)を着用して勤務するときは、けん銃を携帯するものとする。ただし、次の各号のいずれかに該当する場合は、この限りでない。
一 室内で勤務するとき(交番その他の派出所、駐在所その他これらに類する施設で公衆の見やすい場所において勤務するときを除く。)。
二 会議又は事務打合せに出席するとき。
三 儀式に出席するとき。
四 音楽隊員が演奏に従事するとき。
五 看守勤務の警察官が留置施設において勤務するとき。
六 交通整理、交通取締り、交通事故の処理又は交通事故に係る犯罪の捜査に従事するとき。
七 災害応急対策のための活動に従事するとき。
八 雑踏警備に従事する場合等でけん銃を携帯することが職務遂行上特に支障があると所属長が認めたとき。
九 前各号に掲げる場合のほか、けん銃を携帯することが不適当であると所轄庁の長が認めたとき。
2 警察官は、特殊の被服又は私服を着用して勤務する場合において、けん銃を使用する可能性のある職務に従事するときは、けん銃を携帯するものとする。
(けん銃の携帯方法)
第十二条 制服又は特殊の被服を着用してけん銃を携帯するときは、けん銃入れに納めて帯革に付け、右腰に着装するものとする。ただし、職務の性質上特に必要がある場合には、所属長が指示する方法により携帯することができる。
2 前項本文の方法により、制服又は特殊の被服を着用してけん銃を着装したときは、安全止革を撃鉄に掛けボタンで留め、ふたのボタンを掛けるものとする。ただし、職務の執行に当たりけん銃の使用が予想されるときは、安全止革及びふたのボタンは外しておくものとする。
3 私服を着用してけん銃を携帯するときは、目立たないよう適宜の方法で携帯するものとする。ただし、職務の執行に当たりけん銃の使用が予想される場合は、この限りではない。
(たまの装てん等)
第十三条 警察官は、けん銃を携帯するときは、常時、回転式けん銃にあつては長官が別に定める数のたまを装てんし、自動式けん銃にあつては長官が別に定める数のたまを充てんした弾倉を弾倉室にそう入しておくものとする。
(けん銃の安全規則)
第十四条 警察官は、けん銃の取扱いについては、次に掲げる安全規則を厳守し、危害防止について細心の注意を払わなければならない。
一 けん銃を手にしたときは、回転式けん銃にあつては弾倉を開き、自動式けん銃にあつては弾倉を抜き出し遊底を引いて、たまの有無を確かめること。
二 射撃するときのほか、回転式けん銃にあつては撃鉄を起こさず、自動式けん銃にあつては、所属長が特に指示したときを除き、薬室にたまを装てんしないこと。
三 射撃するときのほか、用心がねの中に指を入れないこと。
四 射撃の目標物以外のもの又は跳弾により人を傷つけるおそれのある方向には、銃口を向けないこと。
五 けん銃を他人に渡すとき及び必要があつてけん銃をけん銃入れから出しておくときは、回転式けん銃にあつてはたまを抜き出し弾倉を開いたままにし、自動式けん銃にあつては弾倉を抜き出し遊底を引いてたまが薬室に装てんされていないことを確認すること。
六 必要がある場合のほかは、けん銃入れからけん銃を取り出し、又はこれをもてあそばないこと。
七 職務上必要のない者には、けん銃を渡し、又はけん銃に手を触れさせないこと。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
拳銃を所持携帯するだけで、ここまで細かい指示がされています。
殺傷能力が高いため仕方ないことですね。
そして、発砲した場合、警察における「実況見分調書」の作成が必ず行われます。
この山崎会長がほかに政策提案していることがあります。
「 山崎会長の見解は直接書かれていないが、巻頭言の文末では患者の暴力に対応するため、協会として「精神科医療安全士」の認定制度を検討していることも紹介している。」
とあるように、「精神科医療安全士」を医療保険を使って使えるようにしてほしい」と要望されています。
「危なっかしくてキチガイの相手なんかしてられないよ」
というのが精神科医の本音なのでしょう。
それは当然ですね。
「何かおかしなことを言ってくるひとに、この薬の飲んで寝ると頭がすっきりして楽になりますよ」と「麻薬や覚せい剤」を処方するのですから、中身を知っている医者は精神障害者を「単なる薬物中毒者」だとわかっているのです。
以下の動画を参考にしてみてください。
この山崎会長ですが天皇から表彰をされています。
・・・・・・・・・・(日精協 山崎學会長 旭日重光章受章)
平成28年春の叙勲において、当協会山崎会長に旭日重光章が授与いたしました。
勲章は5月10日、宮中において、安倍晋三内閣総理大臣から伝達されました。
山崎会長は、昭和47年に日本大学大学院内科系精神医学専攻課程を卒業し、同大学医学部精神神経科助手、防衛医科大学校専任講師等を経験したのち、医療法人慈光会慈光会病院理事長・院長を経て、平成18年に現医療法人山崎会サンピエール病院理事長・院長に就任し、現在に至ります。
日精協においては、平成12年に理事に就任以来、常務理事、副会長を務め、平成22年に会長に選出され、現在も会員のために精力的に取り組んでいます。
山崎会長は、日本の全精神病床の85パーセントを占める協会の長として将来の精神医療改革施策は日精協が思い描かなければならないという信念のもと、平成24年3月に「我々の描く精神医療の将来ビジョン」の報告書をまとめ上げ、具現化を進めています。
平成8年に28万人だった精神疾患者数は平成20年には323万人と4疾病(がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病)よりも多く、国民病として国としての施策が必要であるとの具体的データに裏付けられた提案を行い、医療計画に精神疾患を加えた5疾病5事業を平成24年の医療法改正に反映させるなど、地域医療体制の整備に向けて多大な貢献をしました。
このような長きにわたる精神保健医療福祉への貢献により、今回栄えある旭日重光章受章の名誉に輝いたものです。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
「地域医療体制の整備に向けて多大な貢献」をしたために受賞されたそうです。
精神病院を整備したことが天皇に評価されたのですね。
精神病院とは刑務所ですから、刑務所をたくさん作る、発展させること、整備することに貢献したということです。
日本の精神病院のベッド数は34万床で世界一の病床数を誇ります。そして、精神病院が増えているのが「韓国」で、自殺大国と言われています。
このように精神科医療のトップである日本精神科病院協会のトップが受賞する、そしてそのトップが「精神科医に拳銃を所持させるべき」という言葉を使っています。
つまり、精神科医療、そして精神病そのものが国策医療、政策医療であり、日本のトップの天皇家、それに付随する大企業が、庶民を過酷な労働環境、生活環境で追い込み、「脳の機能を壊す=人間性を壊す」ことを黙認しているのでしょう。
そして「脳を破壊された人たちは射殺してもいい」という思想を持っているのです。
つまり彼らは「人間の死」=「脳死」と熟知しているわけです。
最期に余談ですが山崎会長の経歴を見てみると、「サンピエール病院」という名前が出てきます。
「山崎会長は、昭和47年に日本大学大学院内科系精神医学専攻課程を卒業し、同大学医学部精神神経科助手、防衛医科大学校専任講師等を経験したのち、医療法人慈光会慈光会病院理事長・院長を経て、平成18年に現医療法人山崎会サンピエール病院理事長・院長に就任し、現在に至ります。」
このサンピエールとは「セント・ペトロ」つまりキリスト教の12弟子のペトロからその名前をとっています。
イルミナティの中心人物の聖路加国際病院の名誉院長の日野原重明もキリスト教のルカからその名前をとっています。
しかし彼らがやっていることは「医療という偽善を被って、悪を行っている」のです。
彼らは「偽善」しかしていません。
聖書に「偽善は罪である」と書かれています。
この偽善者とはパリサイ派律法学者のことを指し、神に反逆する人、聖書に反逆する人、つまりは悪魔崇拝者のことを指します。
偽善者とは何か?この世での利得や名声ばかり追い求める人のことです。
そして、「愛」ではなく、「損得」「打算」で物事を考える人のことです。
(「愛」について知りたい方はこちらをどうぞ。)
彼らイルミナティ、偽善者は「聖書の知識」、聖句を使って、私たちを翻弄し騙すことによって、悪魔から認められているのでしょう。
しかしながら、心の病を直す精神科医が、患者からの暴力が怖いから拳銃を所持させてよなどと言っていては話になりません。
つまり、彼らは医者という仮面を被っているだけで、単なる偽善者であり、心を病んだ人とろくにコミュニケーションも取れず、心の中で見下し、「金になる、よい鴨がやってきた」と腹の中で考えていることでしょう。
私は精神科医療を否定しません。
しかしそれは堂々と「政策医療をしているんだ」という前提があればの話です。
残念ながら、精神科医療は治安維持のための施設なのですから、医療機関はこういった真実を真摯に受け止めるべきなのです。
こういう人たちをどうするのか?
そのために作られたのが、精神病院なのです。
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