今回は人間の成長についてお話していきたいと思います。
人間が一番嫌いなことは「考え方を変えること」というお話は以前このブログでもお話したと思います。
■キリスト教的看護についてのいくつかの考察② 愛の実践による心理的環境となること「看護師は患者の人生を変えられるような存在を目指すこと」
でもお話していますが、看護師という仕事は処置をすればいい、ルーチンをこなせばいいという考え方だけでは、非常に味気ないつまらない仕事になってしまいます。
実は、看護師は病気の人に対して、最終的に「考え方を変えること」を目的に仕事をしていく職業だと私は考えます。
認知症も含めて、病気になる人というのは、その人自体の生活に何らかの問題を抱えています。
それが悪い生活習慣であったり、悪い癖のようなものもあります。
しかしそれら全て、「その人のもつ価値観、考え方」から由来しているのです。
ですから、本当の意味で病気を治すのは、現在目の前に起こっている痛みや不都合を解消させてあげるこだけでは不十分なのです。
根本的には、その人が病気や症状を引き起こしている原因、つまり考え方や価値観から来る生活習慣を改善してあげることでしか、本来の役目は果たせません。
しかし、現在の看護教育ではその点はほとんどが曖昧になっているため、知識・技術偏重になってしまっています。
看護師とは「知識・技術」を持てばいいだけでなく、実は豊かな感情と、それらを統合する「人格、人間性」がないと完成しません。
しかし、人間を成長させるというノウハウがないため、「知識・技術」偏重になってしまうのです。
道徳や正義を知らない人に、技術や知識を与えても、いずれその人はそれらのものを悪用し始めます。
悪用とは、私利私欲のために使い、自分のポストを確固たるものにするために、自分を守るものとして使ってしまうということです。
自分の持っている知識・技術をひけらかし、周囲を見下すようになるのです。
人間は放っておけば「どんどん自己中心的になっていく」生き物です。
悪の根が生えてくる、雑草が生えてくるのです。
心に生えてくる雑草を借りとるのが、正義や道徳なのですが、私たち大人は、日々の忙しさのせいにして、心の中の雑草を刈り取ろうとしません。
ここで、看護展開の話をしたいと思うのですが、
「スピリチュアルペイン」という言葉が出てきます。
まずもって、このスピリチュアルペインを説明できる教員はいません。
この「霊的な痛み」とは、目に見えるものしか信じない人には到底わからないものだからです。
では、仏教や神道などを信仰していればわかるか?というとそうでもありません。
仏教や神道は教理が曖昧ですし、実はあの世の話や霊界の話が全くありません。
そして現実と繋がっていないため、実感が湧かないのです。
ではスピリチュアルペインとは一体何なのか?
それは、「心の飢え渇き」のことです。
心が飢え渇く?
それは急性期、慢性期問わず、病気など肉体的な危機に陥って、「今までできていたことができなくなることに気付く」ことにより
「今までの人生、努力してきたこと、大切にしてきた価値観、考え方が間違っているんじゃないか?ひょっとして意味なかったんじゃないか?」という考えが浮かび、「虚しさ」が芽生えてくることです。
例えば、55歳男性、健康づくりのために始めたマラソンが趣味になってしまい、週末は毎日1時間ランニングをしている人がいるとします。
マラソンのおかげで、体重、BMI、血液検査も良好、健康診断の結果を楽しみにしていました。
しかし、交通事故で、片足を失いました。
健康づくりと趣味のマラソンはできません。
そもそも、健康であることへの価値も疑い始めました。
「健康なら幸せだと思っていたが、、、両足があったころ、五体満足であれば本当は幸せだったんだな」
と考えるようになったのです。
「自分の人生が間違っていたのかもしれない」ということを55歳になって初めて気づいたのです。
しかし、「人生は一体どうやって生きればいいんだろうか?」という途轍もないテーマにぶち当たることになります。
パラリンピックのように「義足をつけてもう一度走れるように努力することに人生の喜びがあるのだろうか?」と考えるかもしれません。
しかし「今度は交通事故や、脳梗塞などで、半身不随になってしまったら、それらの努力も虚しくなるかもしれない」
と悲観的に考え出します。
そして、自分の人生を振り返ります。
「55年間、大学進学、大企業に就職し、結婚し家も買い、子供も大学に入った。
自分なりに頑張ってきたつもりだった。
しかし、こうやって、肉体の一部や機能が失われると、今まで努力してきたこと、大切にしてきたものが、奪い取られると
自分が努力してきてた方向が間違っているのではないか?
本当に努力する方向があったんじゃないか?
人生をただ、周囲に流されて、親や世間の評価に任せて生きてきてしまった」
という後悔の念が押し寄せてきます。
つまり「人生に価値を見出せなくなった状態によって生じる痛み」
がスピリチュアルペインなのです。
実は、人間はどれだけ年齢を重ねても、どれだけ社会的に成功しても「中身」「人間性」は成長しません。
「知識」や「感情」の部分は「経験」によって成長するのですが、「人間性」は全くといっていいほど成長しないのです。
「知識や感情」は成長させればお金になったり対人関係で得することにつながるのですが「人間性や徳」といったものは目に見えませんし、他人から評価されるものでもないから、「成長させることへの必要性」を感じないからです。
むしろ現代社会はEXILEのようなヤクザやチンピラのような格好をしている「ちょい悪オヤジ」がオシャレだとか、自分よりも二回りも下の年下の女性と付き合ったりする、芸能人やお笑い芸人のような生き方が「かっこいい」とされるからです。
そういった「外面ばかり」の表面的な派手な生き方が幸せな生き方だと信じて生きてきた人や、そういう人たちを見て「羨ましいなぁ」という羨望の気持ちを持って生きている人にとって、目に見えない、「人間性や徳を育てる」ことはよほどのことがない限りやることはないでしょう。
むしろ、そうやって真面目に生きている人、実直な人を「要領が悪い」「空気が読めない」「つまらない人生だ」と馬鹿にしたり、見下したりする風潮で生きてきています。
「人生はどれだけ欲望を満たしたか?」で幸せが決まると本気で信じてきた人が、「人間性を成長させることに幸せが隠れている」ということに気付くわけありません。
しかし、いざ自分の体が不自由になったり、脳が思うように働かなくなると、「欲望が叶えられなくなること」に気付きます。
そして、自分の人生が「いかに無意味だったか?無価値なものに努力してきたか?」を現実直面させられるのです。
こんなこと、看護師に相談できるわけありません。
ましてや家族や親友にも相談できません。
「誰も人生の答えなんて知らないに決まっている」と考えるからでしょう。
55年間生きてきて、仕事や遊びのことは教えてくれたが「人生の答えや目的について教えてくれる人はいなかった。自分自身も考えてこなかった。向き合ってこなかった」からなのです。
この「孤独感、絶望感」を患者は味わうのです。
これが「霊的な痛み」つまり看護展開における、スピリチュアルペインなのです。
<エリクソン>
発達段階においてエリクソンの理論を使うことがあると思います。
私からすれば、この発達段階をクリアして老年期まで迎えている人を見たことはありません。
みな、80歳超えた高齢者を見ても、学童期「勤勉性vs劣等感」で止まっています。
つまり、80歳を超えた高齢者ですら、青年期の「アイデンティティの確立」すらできていません。
アイデンティティの確立とは何か?
調べても出てきませんし、抽象的過ぎて理解できません。
つまり答えがないという説明ばかりです。
アイデンティティの確立とは一体何か説明します。
それは「人生の目的をみつけた状態であること」を指します。
「私たちはどうやって生きるべきなのか?」
という答えを見つけた人のことです。
・仕事に生きる
・趣味に生きる
・お金に生きる
・グルメに生きる
・有名になるために生きる
これらは答えになっていませんね。
交通事故にあい、体が動かなくなっては実現できないからです。
ですから、エリクソンが言う、アイデンティティの確立とは、抽象的過ぎて、上辺だけしか語っておらず、実際は何もわからないのです。
きっと、エリクソン自身、人生の目的など知らずにその生涯を終えたに違いありません。
スピリチュアルペインはこの「人生の目的」が分かっていないひとには死ぬまでついて回るものだと考えてください。
私たちは人生において、「結婚や異性」「地位や名誉、お金」「趣味や買い物」といった表面的で一時的な刺激に喜びを得ているだけで実は何も進歩もしていなければ、何もわからずに暗闇の中を手探りで歩いているのです。
しかし、その「暗闇から出てこよう」と考える人がいません。
現実に溺れ、流され、年齢だけ重ねてしまい、人生を無駄に過ごしてきてしまうのです。
(人生の目的を知りたい人は「こちら」をどうぞ。)
私は看護学生を指導していて、いつも歯がゆくなります。
それはスピリチュアルペインを教えてもらっていないからです。
どれだけ医学的知識と経験があったところでスピリチュアルペインを知らない看護師なんて、
製造業の現場で物相手に、ライン作業している人たちと同じです。
私から見れば表面的な部分しか見ていない、看護補助と同じだと思うのです。
では、スピリチュアルペインを理解するにはどうすればよいのでしょうか?
それは「知・情・意」をバランスよく伸ばすこと。
そして、最後は「意」が「知と情」を包み込むような状態にまで成長することです。
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