麻生太郎財務相は18日、福田淳一財務事務次官(58)の辞任を発表した。閣議を経て近く発令する。森友学園に関する文書改ざん問題に加え、週刊誌で報じられたセクハラ疑惑に批判が集中しており、事実上の更迭となった。財務省では文書改ざんで福田氏の同期、佐川宣寿前国税庁長官(60)が3月に辞めており、次官と同庁長官が実質不在となる異常事態だ。以下、同日午後7時ごろ、会見した福田氏の一問一答。

 福田氏 (週刊誌報道は)事実と異なるものと考えており、裁判の中でで引き続き争って参りたいと思います。他方、財務省が厳しい状況に陥った中で、さらに私のこのような報道が出てしまったこと自体が、不徳の致すところであり、また、報道後の現状を鑑みますと、財務事務次官としての職責を果たしていくことが困難な状況になっていると、私自身が考え、先ほど、麻生財務大臣に対して辞職を申し入れた。麻生大臣からはご了解をいただいた。

 記者団 一部週刊誌で報じられたセクハラ疑惑の音声。あれは次官ご自身のものとお認めになられますでしょうか

 福田氏 自分の声というのは自分の体を通じて聞くんで、私はずっと録音された声が自分のものか分からないんで、そういう風に申し上げた。ただ、福田の声に聞こえると多数おられることは知ってます

 記者団 あのような女性記者との会合を持ったことはあるか

 福田氏 えっと、ここにおられる在庁の方が多いかと思いますが、新聞記者の人とは男女を問わず、というかまあ、男性記者の方が多いんで男性記者を中心に会合を持っていることはあります。まあ、1対1で会合を持つことはもちろんあります。ただし、あそこに書かれているような、あんな発言をしたことはありません

 記者団 あのお相手はどなただとご記憶していますか

 福田氏 分かりません

 記者団 あの当日の記憶がないということですか

 福田氏 あの当日ってのはいつのことを指しているんですか

 記者団 ご自身があの録音のような発言をされた記憶がないということですか

 福田氏 えっと、あんなひどい会話をした記憶はありません

 記者団 次官が出されたコメントを読むと、接客業の女性とも取れますけど、そういうことをお考えですか

 福田氏 いや、分からないから、自分の行動について一般的に正直に、あの官房長に申しただけです。あの記事がそういうものであるかは分かりません

 記者団 あの記事が自身の記憶にないということか

 福田氏 そうではない。そういう接客業の人と話すことはあると一般論で申し上げてるんで、それがあの記事の元となっているとは申し上げているつもりはございません

 記者団 ご自身の発言であれば、あのテープがご自身の会話であると覚えていると思うんですが

 福田氏 いろんな人と、いろんな会話をしてますんで。しかも、会話の全てを順番に取っている風に思えませんので、部分のものをくっつけているように見えますので、そういう意味では覚えておりません

 記者団 日付の心当たり、自身の手帳、記録と照らし合わせてご覧になったか

 福田氏 4月8日だったかな、グラビアの写真に撮られたことは日付が書いてあるんで確認しました。そこで相手方に確認したことは(発表した)コメントに書きました

 記者団 それは民間企業の女性?

 福田氏 そうです

 記者団 女性記者とのやりとりは

 福田氏 それは日付がないんで、分かりません

 記者団 だいたいの会話の中からご記憶を探られたということは

 福田氏 一生懸命読みました。あの、テープで「予算が成立したら」とある一方、「ゴミの運び出し」の記述もあって、それが前後関係が逆なんで、どういうところか正直なところよく分からない

 記者団 辞任の理由は、あくまでもセクハラ音源はお認めにならないことか

 福田氏 報道が出ること自体、不徳の致すところだと考えております。それで、本日の状況などを見ると、私に関するいろんな議論が役所の職務を遂行する上で問題になっており、今の職責を全うすることが出来ないと判断した

 記者団 あのコメントの中で、被害に遭った女性記者に名乗り出て協力してほしいとあるが、そのことに関して批判が出ているが

 福田氏 担当者がこういう問題の処理の専門家に聞いて、被害者の方にも聞くんだというのが通常であると聞いて、ああいう整理をしたんじゃないかと思います

 記者団 ただ、今回雇われている弁護士事務所は財務省の顧問弁護士事務所であり、公正でないと受け止められても仕方ないのでは

 福田氏 私自身は取り調べを受ける方なんで、調べ方の対象になるんで、こういう調べ方でいきましょうということに、そんなに自分自身の意見を申し上げたわけではないんですけど、財務省の担当者なりに両方調べるのが例であると研究の上で提案したと理解している

 記者団 辞任はいつ付け?

 福田氏 閣議の了解がいるんで、来週になるかと思います

 記者団 辞任について、森友疑惑は関係ないということか

 福田氏 まあ、その、なんていうか、あらゆることに責任がありますので、個別のことについて関係ないというのはちょっと真面目じゃない態度だと思いますので、何とも言えませんが、直接の原因は、私の報道をきっかけとする現在の状況が、今の仕事をまっとうですることができない状況になってしまったということが辞任の理由です

 記者団 庁内の聴取はいつ受けたのか

 福田氏えっと、週末と、今日木曜日でしたっけ? 水曜日? 週の頭です。土日月です

 記者団 大臣に対して直接、辞めるという考えをお伝えしたのか

 福田氏 もちろんです

 記者団 大臣から処分に関して言われたことは

 福田氏 大臣の話はノーコメントにさせていただきたい

 記者団 告発した女性の気持ちはどういうものだと考えているか

 福田氏 分かりません。どういうことをおっしゃっているか分からないので、よく分かりません

 記者団 自身のセクハラに対しての認識が甘いと考えたことはありませんか

 福田氏 今回あの、何でしたっけ、言葉遊び? のところが結構、ご批判を受けているのは、なるほど、今の時代ってのはそういう感じなのかなとは思いました

 記者団 セクハラに対してそういう認識でありながら、記憶にないと言われても、ご自身がセクハラと認識していないだけと考える人もいると思う

 福田氏 正直に、セクハラという認識がないと表現していると思います。私のコメントは

 記者団 最近の中で、特に我慢できないと思ったことは

 福田氏 ふふふ、特にそういうことは…

 記者団 普通の人は自分の声と分かると思うと思うんですけど

 福田氏 私は子どもの頃からテープレコーダーで自分の声を聞くと、よく分からないんですけど、そうなんですか?

 記者団 国会で答弁したこともありますし、月曜日もテレビの前でコメントしてますよね

 福田氏 あのテープを聴いたときは、これ俺の声なのかな? と思いました。ただ、福田の声という人が多数いることは認識しています。

 記者団 財務省は財政健全化、来年の消費増税という重要な政策を抱えている。それらへの影響も考えての判断か

 福田氏 そこまで余裕がないというか、当面は今の状況が職責をまっとうできないということ。財政の問題というのは、負担をする人も給付を受ける人も国民なんで、我々はいわゆる管理人なんで、管理人に問題があるからそこをどうこうして良いということではないと思うんで、そこはご理解いただきたい。

 記者団 文書改ざんのもありまして、財務省の対応は後手に回っているということは否めない。組織のトップとして、どうだったのか

 福田氏 太田理財局長が答弁していると思いますけど、3月12日、書き換えの資料を提出したわけですけれども、その前はご注文があってポチが入ってないようなやつを出せとか、そのへんが誤解を招くことはあったかと思いますが、そこからは理財局は本当に昼夜を明かさず作業をして、出せるものは全部出すという精神で対応したと思います。そこは皆さんも正当に評価してあげても良いのかと思います

 記者団 後任へ。消費増税などがある中、国民の信頼を失っているが

 福田氏 一般的に申し上げると、不徳の致すところで、そんなことが影響を与えるとしたら残念ですが、財政は財政当局のものではなく、負担も給付も国民のもの。管理人の不祥事は本当に許されないものなんですけど、だからといって、こういう方向を変えると、それをきっかけに考え方を変えるというのは国民にとって良いことではない。ぜひご理解いただきたい

 記者団 同期の佐川さん(前国税庁長官)も森友問題を受けて辞任された。同じ同期でこのようなことになったことについては

 福田氏 個人的な感慨なんでちょっと

 記者団 辞任の決断が1週間かかったのは組織防衛との指摘があるが

 福田氏 そういう新聞記事を時々思いますけど、難しいことが書いてあるなと、理解できません

・・・・・・・(転載ここまで)

『佐川国税庁局長辞任 ⇒ 福田財務相事務次官辞任』

過去にこれだけ、官僚が不祥事で辞任したケースはあったでしょうか?

私は「薬害エイズ事件」を思い出します。

これも、真相は、皇后妃が名誉総裁である日本赤十字社が、輸血利権をミドリ十字社から奪い取るための工作活動だと考えています。

ここでも「薬害エイズ事件、元厚生省課長の控訴審判決 官僚の「不作為」」

でとまってしまった事件でした。

・・・・・・(薬害エイズ事件)

薬害エイズ事件(やくがいエイズじけん)とは、1980年代に、主に血友病患者に対し、加熱などでウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出した事件である。非加熱製剤によるHIV感染の薬害被害は世界的に起こったが、日本では全血友病患者の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約600人以上がすでに死亡しているといわれる。

概要
原因は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染したと推定される外国の供血者からの血液を原料に製造された血液凝固因子製剤を、ウイルスの不活性化を行なわないままに流通させ、治療に使用したことである。後にウイルスを加熱処理で不活性化した加熱製剤が登場したため、従前の非加熱で薬害の原因となった物を非加熱製剤と呼ぶようになった。

HIVに汚染された血液製剤が流通し、それを投与された患者がHIVに感染して、後天性免疫不全症候群(AIDS)を発症したことから、多数の死者を出した。

日本においても、非加熱製剤によるエイズ被害が発生し、厚生省の不作為が問題視された。しかしエイズが感染後に、長期の潜伏期間を経て高確率で発症することが明らかになったのは、1980年代の後半以降であり、1986年から1987年頃までは、専門家の間でも抗体陽性者の発症率は低いとする見解もあった[1]。

1984年6月まで、厚生省生物製剤課長を務めた郡司篤晃(ぐんじあつあき)は、2005年12月、熊本市で開催された第19回日本エイズ学会学術集会・総会のシンポジウムにおいて、次のように発表した[2][3]。

1983年当時、献血を日本赤十字社が独占的に取り扱っており、血液分画製剤として期限切れの全血製剤を原料にしたアルブミンしか製造していなかった。
濃縮製剤は多人数の血漿を1つの窯で処理するため感染リスクが高い(血漿提供者のうちの1人でも感染していれば窯全体が病原体に汚染される)。クリオ製剤は少人数の血漿から作るので感染リスクが低い(報道で言われているような原料が日本人だから安全ということではない)。
1983年当時は加熱製剤を作るための原料を確保することが困難だった。
1982年には世界の血漿総量の3分の1以上を日本が一国で消費していた。
1983年の技術で加熱製剤を作るには非加熱製剤と比べて3倍の血漿が必要だった。
1982年当時に血漿を国内自給するためには、採漿量を増やしたり成分献血の導入が不可欠だった。400ml採血基準と成分献血のための採漿基準は1986年(後任の松村明仁の時代)に承認された。
1982年頃から知人を通じてエイズ感染の危険性を知り、1983年6月にエイズ研究斑を召集したが、当時の国際的医学的知見は必ずしも定まっていなかった。
エイズの病原体も特定されておらず、検査法も確立されておらず、潜伏期間も長かったため、血液製剤による感染リスクがどの程度あるかについての医学的知見は直ぐには確定しなかった。
1983年5月に発表されたロバート・ギャロの論文では、エイズ病原体はHTLV-I型とされた。HTLV-I型が病原体ならば発症率は極めて低く、濃縮製剤製造過程の凍結処理によりウイルスを死滅させられると予想された。
1984年5月に発表された論文でエイズの真の病原体が同定された。
1984年9月に発表された論文で加熱によるエイズウイルスの不活性化が報告された。
1983年6月の国際血友病学会大会にて血友病の濃縮製剤による治療を変えるべきではない(=クリオ製剤へ戻るべきではない)とされていた。
非加熱濃縮製剤をクリオ製剤に転換すべきとする論文もあったが、反論も多くあった。
日本でエイズ感染の調査が行われたが第2回エイズ研究班会議においてエイズが疑われる症例は1例のみであった。
アメリカが加熱製剤を早期承認したのはB型肝炎対策であってエイズ対策ではなかった。日本ではワクチン等で対応可能と考えられたので、B型肝炎対策を目的とした加熱製剤の早期承認は必要なかった。
いわゆる“郡司ファイル”をまとめたときは専門知識がなくて分からなかったが、血友病の治療としてクリオ製剤への回帰はあり得ないと後で知った。
アメリカにおけるエイズ患者数の増加や加熱製剤の技術開発の状況等を検討した結果、厚生省としても対応を早く行なう方針となり、未整備であった制度の詳細を定めて、1983年の11月に製薬会社に対して説明会を開いた。
『後天性免疫不全症候群の実態把握に関する研究班』(いわゆる、エイズ研究班)の班長であった 安部英 (あべたけし) の裁判の弁護団の武藤春光、弘中惇一郎は次のように主張している[4]。

抗体陽性はエイズに対して免疫ができているとする解釈が米国では有力だった。
クリオ製剤は供給が少なく、入手が困難だった。
クリオ製剤は有効成分が薄く、かつ、副作用が強かった。クリオ製剤の副作用で患者が死亡すれば、標準治療から外れた危険な治療を行ったとして医師が逮捕される可能性もあった。
加熱製剤は変性たんぱく質の危険性などが予想されるので、慎重に治験を行うべきだった。
ミドリ十字の加熱製剤開発は遅れていなかった。
一括申請で治験や審査の時間を大幅に短縮した。
1985年4月にWHOが加盟各国に対し血友病患者の治療に加熱製剤を使用するよう勧告し、これを受けて松村明仁生物製剤課長(当時)が加熱製剤の早期承認を図る方針を示した結果、加熱第VIII因子製剤が同年7月に加熱第IX因子製剤が同年12月にそれぞれ承認されている[5]。

一方で、1983年11月の加熱第VIII因子製剤の厚生省説明会で、第I相試験は省略可能と説明されていたにもかかわらず、安部英は、開発が遅れていたミドリ十字に合わせるため、他の製薬会社に第I相試験を指示するなどして、第II相試験の着手を1984年3月まで遅らせるよう『調整』したとされる[6]。 さらに、血友病治療に関わる金銭面を指摘する者もいる。クリオ製剤は通常100単位ずつ 投与し、その薬価は7000円だった。これに対し非加熱製剤は通常500単位ずつ投与し、その薬価は45000円だった。クリオ製剤は国産で値引きがないため、病院側に経済的なメリットが殆どなかったのに比べ、非加熱製剤は50%から60%の値引きが常態化し、病院側には、1本投与する毎に、25000円から27000円の薬価差が利益となった。患者一人は、朝晩2回500単位ずつ、計1000単位ずつ投与されるとひと月で270万円の治療費となる。病院側が受け取る薬価差は、50%引きとして、毎月135万円であった。こうした薬価差益が安全なクリオ製剤への転換を阻んだとの指摘である。[7]

また、加熱製剤の承認等によって、安全な血液製剤の供給が十分可能になった後も、国による未使用非加熱製剤の回収等の措置が即座に講じられなかったことが、被害拡大の一因であるとされている


・・・・・・・(転載ここまで)

森友学園問題を

「政治家ではなく財務省に塗りつけよう」

という魂胆が見え見えではありませんか?