「卒業」と聞いて何をイメージしますか?
入院している「後期高齢者」を受け持つと、90歳超えた人たちは口を揃えて「早く死なせて欲しい」「死に損なった」と言います。
日本では高齢者が「胸が苦しい」「息をするのが苦しい」と訴えると、すぐに救急車を呼ばれ、大きな病院に搬送される。
検査を経て、「手術が必要です。入院しましょう」となる。
100歳まであと10年もない高齢者が、手術入院となるのは良くあるケースです。
90歳過ぎの高齢者が珍しくなく、80歳代の高齢者がリハビリセンターで平行棒を使って歩かされているのは2次救急指定の病院ではよくあることです。
(理学療法士はやりがいなんてあるのでしょうか?)
高齢者たちは、自分が人生の卒業式=肉体の死を迎えることを、感覚的に分かっていると思います。
ただ、卒業後の進路が決まっていないため、「痛い、苦しい」と感覚的な発言をしてしまうのかなと思います。
しかし、救急搬送され病院に行って、医療にかかっても、その感覚的な苦しみは一時的に除去できても、肉体的な苦痛は再燃します。
待っているのは「高度医療」と呼ばれる、容赦のない機械や輸液による救命、延命治療です。
待っていたのは「穏やかな最期」「円満な人生の卒業」ではなく、「問題の先送り」「卒業の先送り」をされるだけなのです。
「うーん、もう年ですから、医療でできる限界ですね。正直、これ以上医師ができることはありません。
誰でも最期は苦しいものですよ。
急変した時はかかりつけ医に連絡してください」
の一言が言えないのが、日本の最先端医療です。
在学中、まともに勉強も部活もやっておらず、必要な単位も修得していない。
遊び惚けていた学生は卒業できるでしょうか?
大切なことは他人任せ、学習意欲や労働意欲、生活していく意欲のない生徒が、留年して何とかなるでしょうか?何ともなりません。
日本の医療とは、「進学率に傷がつく、就職内定率に傷がつくため取り繕う進路指導の先生」
のような役割をしています。
人生は学校を卒業すれば、勉強も部活もありません。
しかし、「人生の問題」に対して向き合って、解決していかなくてはなりません。
それこそ、信じようが信じまいが、「死」「寿命」は存在します。
また、「あの世」「霊界」といった目に見えない世界も存在します。
今まで、ちゃんとした宗教がなかったため、目に見えない世界が正しく語られてきませんでした。
喜ばしい卒業式を迎えられる生徒というのは、卒業に向けて準備をして、進路を決めてきた生徒だけです。
無神論の日本では、就職も進学も決まっていない高齢者しかいません。
あの世や神を否定する最新医学では、卒業させることができず、留年、卒業延期をさせ続けることしかできません。
高度救命医療が、高齢者の問題の先送りにしか使われない、日本医療。
長生きが幸せなのでしょうか?
目標もなくダラダラ生きることに意味があるのでしょうか?
医療従事者にとって、高齢者にとっても不幸な結果しか生みません。
今からでも遅くありません。
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