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スポーツは正当化されるのか?

2015年12月29日 | 洗脳からの解放
師走のこの時期、通勤電車は空いていますね!ストレスなく移動できるのは有難く感じます。さて、この時期ですと、通学の学生さんはおらず、スポーツ系の部活をやっている学生さんぐらいしか目にしませんね。
さて、勉強に比べて、何故だか社会評価が高い、学生の部活や運動、これについつ何故か不自然なため少し考えを述べたいと思います。
結論からいえば、スポーツや部活は、勉強、入試対策に対する、ガス抜き的なものに過ぎないと思っています。
大学入試や高校入試に頑張るのと同じものだということです。
部活、運動だって、自分の身体を壊してまでやるべきではありませんし、実績を残したから何なのか?と考えたとき、残るのは社会的評価と自己満足だけです。
つまり、勉強もスポーツも、そこに意図がないのです。
あるのは、欲望の追求のみ。
頑張れば、この経験や実績がいつか役に立つという、欲望。

使命を果たすために、高い知性、広い見識がいるため、勉強するのか?使命を果たすために、強い体力と逆境に打ち勝てるような強いハートを手に入れるためにスポーツをやるのか?
こんな事考えて、目標にして勉強、運動している学生さんいないですよね?
己の我欲のみ。両親が社会が、認めてくれるから。
エネルギーは意図に従います。
同じメッセージを書いた手紙でも、エネルギーの篭っていないものは、単なる紙切れに文字が書いたものです。動物や植物も同じ。愛情込めて育てた物は本当に生命力に溢れていますよね?

ですから、その行動に意図があるのか?
そして、その意図はその人が人生をかけて果たさなければならない使命という裏付けがあるかによって変わってくるということ。
いずれも、勉強や研究、スポーツもそこに明確な意図がなければ価値がありません。
ということは、人生は自分の使命を考えること。
世界で起こっている問題、戦争、子供の貧困、飢餓、環境汚染…などなど、これらの地球規模の問題を解決しないと、持続可能な社会では無くなります。
これらは、国連に入って働けば解決されるのでしょうか?
もしも、国連がこれらの問題を作っていたら?
色々考えられます。
まとまりがなくなりましたが、全ては作られたものであり、それに気づいたら勝ちだと思いますよ。
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