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旧精神科医療は思想警察なのか?

第28回 精神病院に入院している知的障害者、発達障害者はどうするべきなのか?

2020年08月22日 | 精神科医療とRAPT理論

今回は、精神科病院の問題として挙がってくることが少ない、「精神発達遅滞MR」の問題についてお話していきたいと思います。

 精神発達遅滞の定義は知能テストにおいIQて70~75もしくはそれ以下の人を対象とします。

 精神科医療では「精神発達遅滞」などといい、教育業界では、精神薄弱や知的障害という表現方法が用いられます。

 細かいお話は割愛しておいて、精神病院に入院してくる「精神発達遅滞」の人は、一言で言えば、養護学校、今でいう特別支援学校で何らかの問題を起こした学童や人が、家族からの「家庭看護困難」だという要請を受けて、精神科医療のドアを叩いて来るパターンがほとんどです。

 例えば、カードゲームのやりとりで友達に暴力をふるってしまった子や、欲しいものが買ってもらえずに、大暴れして両親を野球のバットで殴るなど暴力を振るったというケースがありました。

 「それは担任の先生や両親はお気の毒だな」と思う方が多いかもしれません。

 だから、精神病院に入院させるのは仕方ないのかな?と考えるのなら筋は違ってくるのです。

 なぜか?というとその精神発達遅滞の人たちは、明らかに「犯罪行為をしている」のです。

 友人とのカードのやりとりでかっとなって暴力を振るったり、欲しいものが買ってもらえず、両親をバットで殴ったという行為は「傷害罪」にあたります。

 物事の道理は分かっているのに、我慢しきれずに衝動的な行動、感情に従って行動してしまうことは許されるのでしょうか?

 社会で生きていく以上、ルールは守る必要があります。

 特に社会が高度に文明化された便利な社会で生きていくには、ルールは細分化されているため尚更なのです。

 そのルールを理由はどうあれ守れないということは、法の裁きを受けて更生しなくてはなりません。

 そういった最低限のルールを守れない人たちが集められ更生される施設が刑務所なのです。

 日本では終身刑の制度はなく、無期懲役しかありません。

 本人の反省具合をかんがみていずれ刑務所から出てこれるのです。

 しかし精神病院はどうでしょうか?精神病院に医療保護入院するということは、事実上の終身刑なのです。

 なぜか?入院させている保護者、家族等が「退院んを許諾しないと、精神科医からの退院許可がおりないから」なのです。

 そもそも、自宅で家族に暴力を振るっていたため精神病院に連れてこられた人を、家族がもう一度受け入れたいと思うでしょうか?

 無理なな話です。

 となると、精神発達遅滞の人たちは事実上終身刑を宣告されたということになります。

 問題のある精神発達遅滞、知的障害者の収容施設が精神病院であり、精神病院では「薬と隔離拘束、作業療法で性格を変える」というプログラムしかされていませんから、そんなもので人間の性格や考え方が変わるわけないのです。

 精神発達遅滞とは本来「教育」が担当すべき分野なのですが、いつのまにか精神保健福祉が「療育」などという言葉を使い、医療分野に引き込むかたちとなってしまいました。

 実際に病棟で大声を出したり詰所のドアを蹴ったりするのは、この「精神発達遅滞」と呼ばれる人たちばかりで、これが果たして「病気なのか?」という話になってしまいます。

 社会のルールが守れないだけで、その疾病の成り立ちや原因が不明なら治療のしようがないため、「障害」のカテゴリーつまり「福祉」の担当のはずなのです。

 ですから、精神病院で強烈な向精神薬による薬漬けにされて、3食昼寝におやつ付の生活をさせて、死ぬのを待っているのが現実なのです。

 実は精神発達遅滞に限らず、精神病院に長期入院している患者は汚い言葉を使えば、「家族から社会から無視されて、死ぬのを期待されている人たち」だと言えるのです。

 罪を償う、更生してやり直すというプログラムを受けることができない、つまり人権を奪われているのです。

 「結婚は人生の墓場」などと冗談ぽく言われたりしますが、今の日本の精神病院に入院するということは、「人生に夢や希望を持てず、ただ座して死を待つだけであることから、”人生の墓場に入るようなものだ”」という事ができます。

 

 「病気のせいで、家族や社会と折り合いがつかなくなったのか?」

 それとも

「家族や社会と折り合いがつかなくなったから病気と呼ばれているだけなのか?」

 皆さんはどちらだと思いますか?

 私は圧倒的に後者の「家族や社会と折り合いがつかなくなったから病気と呼ばれているだけなのか?」だと思います。

 誰にだって対人恐怖はあるし、妄想と呼ばれるような自分なりの世界観や価値観は持っています。

 理想と現実のギャップに直面したり、思う通りにいかなくて、怒る時、落ち込むとき、辛い時、逃げたいとき、何かに責任を押し付けたくなることだってあります。

 それらの「人間的な弱さや心の状態」は病気なのでしょうか?

 また、それらの感情や考え方は、薬や隔離拘束によって問題解決されるのでしょうか?

 日本には精神病院が33万床もあります。

 33万人もの人が、人生に夢や希望を持てず、座して死を待つ施設に入れられているのです。

 実は精神病院は気軽に入院させることができ、簡単に本人の意志だけでは退院できない施設なのです。

 入院継続の理由なんてどうにでもつけられるのですから。

 

 「人間には生まれてきた目的」があります。

 目的を知らない、教えてもらってこないから、「人生は死ぬまでの暇つぶしだ」とか「仕事もせず三食昼寝付きって天国じゃん!」と考えるのです。

 しかし、実際することもなくゴロゴロしているだけでは家畜と同じで、食肉加工するために屍殺場に送られる前に「何で自分は生まれてきたんだ?」と我に返り、生き地獄を味わうのです。

 認知症やうつ病はそういった思考停止から始まるものだと思います。

 

 人間は皆それぞれ個性を持って生まれてきています。

 しかしその磨き方、光らせ方を誰も知らないだけなのです。

 RAPTブログ有料記事にて、その方法が書かれています。

 そして人生の目的や生き方についても明確に答えが書かれているのです。

 ここでしか私は、心の問題、人生の問題が解決できないと思います。

 

 精神病院に長期間入院していたり、家族に入院させられている人が急に夢や希望を持って生きるのは大変なことだと思います。

 ただ、人生に目標を持って生きることは、人間に与えられた特権でありそれこそ人間らしく生きるという本質なのではないかと思います。

 暴れたら知的障害者というだけで無条件に精神病院に入院させられる現実が存在するのです。

 

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