「ありのままで」
「世界に一つだけの花」
(ありのままでいたら、蟻のまま=昆虫と同じ次元だということ)
学生たちを指導していると、今の若者たちの傾向は、「好き勝手に生きることが幸せな人生だ」
と教育されていると感じます。
何の信念もなく、「ただ世の中に認められてい、一目置かれたい」という自尊心の塊のように育てられてきたのが日本の学校教育であると感じます。
では、それが単に日本の「ゆとり教育による影響なのか?」
と言われるとそうではない。
なぜなら40代である私も、人生のどん底を経験し、絶望し、RAPTブログに出会うまで、ゆとり世代の子たちと似たような考え方を持っていたからです。
RAPTブログに出会い、世の中のからくり、仕組みを理解し、どれだけ自分が無知であったのか?という愚かさを思い知らされました。
RAPTブログ以外の陰謀論サイトでは、そこで終わり。
「では、どうやって生きればいいのか?」という答えはありません。
しかし、RAPTブログにはどのように生きれば、人間は幸せになれるのか?という問いに対して、明確に答えが準備されています。
RAPTブログに出会うまで、共産主義、唯物論的思考で、「目に見えないものは信じない」頭がガチガチだった自分が
聖書を買って、有料記事を読むことで「神様の存在を確信したこと」で、人生の問題、心の問題が全て解決してしまいました。
「神の存在を知らなかった」時は、何をするか?ということばかり考えて生きてきました。
ですから、金持ちになれば幸せになれる、有名人になれば幸せになれると思い込んでいました。
しかし、この世の支配構造の仕組みでは、庶民がいきなり金持ちになったり、有名になれることはないとラプト理論で知りました。
そして、有料記事や聖書を読み、「神が存在している」と確信した時に、「どう生きるか?が重要だ」と気付いたのです。
「どうやって生きれば幸せになれるのか?」も確信しました。
私は、看護学校で教員をしていますが、看護師を目指して入学してくる学生たちは
「何をするか?」
に拘って、看護学校に入学してきます。
理由は様々です。
①ドラマで見てかっこいいと思った、憧れた
②親戚に看護師をやっている人がいる、
③人に感謝されたい、役に立ちたい、必要とされたい
④自分が入院した時、良くしてもらったから、他の病気で苦しむ人を助けたい、
⑤人と接するのが好き
⑥国家資格という資格、手に職をつけて仕事に困りたくない
という理由が大半でした。(学生との本音トーク調べ)
私自身、「社会人を経て、手に職をつけるために、看護師になった」と堂々と学生に話すため、学生も本音で志望動機を話してくれるのです。
そして、続けて学生にこのような質問をします。
「看護師になって、何がしたい?」
①とりあえず、病棟で3年間はバリバリ働いてみたい(3年間の理由は奨学金返済期間)
②お金を稼いで、遊びたい
③特にない、30歳までに結婚して、子育てが終わったらクリニックでのんびり働きたい。
④助産師コースに進学したい
いかがでしょうか?
こんなにも漠然としているのです。
「とりあえず、国家資格を取得したら、人生あとは何とかなる、資格が食べさせてくれる」と安穏と考えているのです。
つまり「看護師資格をとったら問題解決する」と思い込んでいるのです。
しかし、実際そうはいきませんよね?
国家資格神話、これは、マスコミや親など社会が作ったイメージに過ぎません。
実際に臨床に出ると、
①学生時代よりも、責任が重くなる、
②夜勤が入るため、不規則勤務
③夏休み、冬休みがなく、単調な日々が続く
④看護師の給料が高いためそれ以外の職業ができなくなってしまう
⑤違う科に異動になると、また一から覚えなおし
⑥仕事を教えて貰えないため、自分で勉強しなくてはいけない世界のため、学生とのリアリティギャップに悩まされる
⑦性格の悪い意地悪な人が多く、人間関係で苦労する
という問題に直面します。
看護師という業界は「職人の世界」ですから、技術や仕事は先輩から「盗む」「教えて貰う」世界です。
ここが、一般企業と違います。
看護師に、部下を育てて業務負担を軽減しようという考えは毛頭ありません。
「仕事を全部教えてしまったことで、脅威になる後輩ができるくらいなら、このままでいい」
とまで考えているのです。
看護師に部下を、後輩を育てる義務はないのです。
「優秀な部下が育つと、自分の立ち位置や存在価値がなくなってしまうため、無理に可愛げのない部下、やる気のない部下を育てる必要がない、やる気がない部下や、学ぶ姿勢がない部下に、苦労して身に着けてきた、自分の知識や経験をわざわざ教える必要がない。
むしろ、簡単に教えてしまうことで、自分の立場、必要性を脅かす存在を作る必要がない」と考える業界なのです。
この感覚が今の学生にはわかりません。
どういうことか?というと「患者さんの利益のために働いていない」業界なのです。
つまり、臨床で働く看護師というのは、「自分の収入や生活、社会的な居場所、存在価値を第一に守るために働いている」のです。
自分より優秀な看護師が増えてしまったら、シフト希望の融通や発言権が下がってしまうからです。
「〇〇さんんがいないと、この病棟は回らない」と言い続けてもらう必要があるのです。
しかしそのように言ってしまっては元も子もありませんから、「患者さんのために」と表面的に使うのです。
本音は「自分よりも必要とされる人間はいらない」業界なのです。
仮に自分よりも必要とされる人間を育成したとしても、それは「自分の存在を脅かす存在でなければよい」のです。
つまり、育ての親を尊重してくれる存在であれば、許すのです。
いかに利己的な世界であるかおわかりでしょうか?
ですから、「タダで仕事は教えない」というのは、「お金ではなく、忠誠心、育ての親を裏切らない」という条件付きなのです。
100%そんな人ばかりの世界ではありませんが、残念ながら臨床に出ると、そういう人たちが多いのは事実です。
人間性が低い人に忠誠心を尽くすのは誰もが辛いです。だから心が病むのです。
悪人の価値観をその場では全面的に受け入れなければならないのです。
しかし、仕事を覚えたければ、受け入れる必要がある業界なのです。
結局、一人前になったころに、人間関係に嫌気がさして離職する人が後を絶たないのです。
職人の世界は、排他的なのです。「上意下達、絶対服従」それ以外の異質な考え方は受けいれない世界なのです。
成長したい人間は、閉塞感を感じ、外へ出ていってしまうのです。
残るのは居心地の良い、ジャイアンのような人たちばかり。
たとえば、「患者の誤認や誤薬」があったとします。
医療は、それを平然と個人の責任にします。
「仕組みの問題」という捉え方をしません。
「人命を取り扱うという意識が低いからだ、責任感がないからだ、緊張感がないからだ」
と最終的には結論してしまいます。
本当にそうでしょうか?
夜勤の明け方などの業務は、どう考えてもミスが起こりうる状況ばかりです。
そもそも、人間は生活リズム、睡眠リズムによって、脳と体が活動と休息のバランスをとって生活しています。
そのリズムを突然壊すのが「夜勤」であり、不眠状態で明け方を迎えた人間が「正常な判断ができる」とはとうてい考えられません。
それこそ、覚せい剤でも何か使わない限り、眠気、人間の生体リズムには勝てないのです。
もしくは、チェック体制を増やす、業務量を減らすなどして、対策しない限り、夜勤の負担はなくなりません。
私は学生たちに折を見て、このような話をします。
すると目を丸くして話を聞きます。
しかし「じゃぁ先生、どうすればいいのですか?どうやって生きればいいのですか?」
と質問してくる学生はほとんどいません。(いるにはいます)
多くの学生は「それでも、、、、」と看護師の道を頑なに進もうとするのです。
それは何故でしょうか?
「まだ、自分は正しい」と思っているからです。
「先生、ではどう生きればいいのですか?」と質問してくる学生には、
「看護師以外にやりたかったことや興味はないか?」
と質問します。
すると「カフェがやりたい。会社を経営したい。youtuberになりたい。e-sportsのプロになりたい、パン屋さんになりたい、英語を使った仕事がしたい、結婚したい」など本音が出てきます。
さらには、「一生遊んで暮らせるお金を稼いだら、とっとと仕事をリタイヤして、ストレスなく遊んで暮らしたい」と話してくる学生もいました。
「やりたいことがあるのに、なぜやらないの?」と質問すると、「大変そうだから、自分には無理だ、」という意見から、「看護師なら手っ取り早くお金を稼げるから、まずはお金がいるから」と話します。
「お金が人生の問題を全て解決してくれる」と考えているのです。
そこで、「あなたがやりたいことは、看護師なんかやっていて、プラスになるの?自分のやりたい業界に飛び込んで、その業界で働きながら学んだほうが手っ取り早いんじゃないの?」と伝えるとぎょっとした表情をします。
そして「親が、、親が納得してくれないんです」と話してくれる学生ばかりです。
「なるほど、問題は親か?」
看護師の道を選択してくる学生は20代のうちから、「安定志向」を持って選択してくるのだとわかります。
しかし、矛盾しているのは、「ありのままでいい」という考えを根底に強く持っています。
「安定志向」を持っているということは、その業界にどっぷり使い、考え方をその業界が望むように変えていかなくてはなりません。
つまり、人生をその業界に預けるつもりでないと到底定年まで耐え抜くことはできません。
ですから、「ありのままでよい」わけありません。
その業界にいる以上、「ありのまま」でいられない。
隣地実習に行くと、学生をボロクソ叱り、泣かせてしまったり、心の病にしてしまう名物実習指導者がいます。
「あの病院の指導者やばいよね?メンタルやられる。まじ、あーなりたくないよね。」と愚痴るだけで
「実は、これが現実なんだ」
と学生は認めようとしません。
私はこういう指導者の方は「優しい指導者だ」と感じるようになりました。
「こういう理不尽で、愛のない業界なんだよ」と早い段階で学生に身を持って教えてくれているのですから。
「患者さんのために、みんな一生懸命勉強して頑張ろう!」という世界ではないのです。
専門学校なら3年、大学なら4年、時間とお金と労力を使い、看護師免許をせっかくとっても、臨床の現実を知らずに働き始めることで、絶望し、精神を病んでしまいます。
もしくは、誤魔化しながら、その業界に染まっていって、先輩と同じことを繰り返すだけの業界なのです。
(まさに、看護師養成や医療業界の仕組みは「ディスポーザブル(使い捨て)手袋やマスクと同じ」扱いのライセンス発行ビジネスなのです。)
残念ながら、職人の世界は「技術力」第一、結果第一の世界です。
ですから、ものづくりに似ています。
人間性が成長していきません。
人間性が成長しないと、排他的になり、傲慢になり、自分以外の価値観を認めなくなります。
新しい価値観を受け入れず、自分の居場所づくりに精を出し始めます。
それが医療業界、看護業界の正体です。
実際、どれだけ無駄な医療がされているでしょうか?
実際、どれだけ嘘が罷り通っているでしょうか?
マスコミや製薬会社、厚労省により、医療は「神格化」されています。
しかし、実際何もわかっていません。
複雑に複雑にしているだけで、解決しない問題、治らない病気が増えているばかりです。
まるで医療が魔法のような奇跡を起こすものだとマスコミは囃し立てます。
私は教員をしていて、看護師に向いていない学生に早く違う道に進むように導くことを主眼に置いています。
そして、人生の悩みが深い学生には、いかに自分勝手な人生が虚しいのか?「何をすればいいのか?ではなく、まずどう生きればいいのか?」を伝えるようにしています。
この仕事が私に与えられた、嗣業であるかどうかはわかりません。
しかし、看護教育に、「聖書」や「神の存在について」「愛について」
教育する必要は間違いなくあると確信しています。
看護師養成でなく、一人でもよいから、真理を見極めれるような人材を育成することが仕事だと考えているのです。
そうでないと、業界が変わっていかないからです。
私が神に出会うまで、神の存在を確信するまで悩みが尽きなかった事を考えると、一人でも人生の悩みを抱える人に、神の存在を伝えていかなくてはならないと思います。
その場所が「教育」という現場にあるかもしれないと思い、日々影響力を高めることができるよう、努力しています。
証しになるかわかりませんが、最後までお読みくださりありがとうございます。
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