おはようございます。
まじめに社畜をやりながら、起業を目指しております。
最近は、ホスピタリティを感じました。
それはとある、健康診断での出来事です。
そのクリニックは1階が外来、2階が検診という構造なのですが
検診の階の雰囲気がホテルの受付。しかも高級ホテルさながら。
受付ではコンシェルジェの若い受付嬢が3人おり、笑顔で丁寧な応対をされる。
こりゃ、時代が変わったなあと。
受付を済ませ、とりあえず検尿。
これもスムース。着替え部屋に案内してもらい、高級サウナのようなロッカーで更衣します。
鍵を預けて、いざ検診。
ゆったりとしたソファー。
そこで、自分のお気に入りの本を読書しながら
ゆっくり待ちます。
ホールには時計がない。クラシックやオルゴール音楽が流れる。
採血からスタート。看護師だろうかな?言葉遣い、メイクが雑だから良くわかる。
しかし、一般の病院、検診クリニックよりは丁寧である。
待合室は広く、各検査の部屋が診察室のように扉で仕切られていて、集団で検診をするという雰囲気でなく、個別性重視してあり、ほかの検診受診者ともかぶらないし、プライベートがしっかり分断してある!すごい!!
そして、胸部X線。こんなのも被爆するだけなので本当は無意味、いやいや害しかない。
少し医学を学べば、救急時以外でレントゲン検査は無意味。
レントゲン検査機器を購入したから、その支払いのための人体を使った検査だといえるだろう。
国民全体が、検査をありがたいものとテレビで洗脳されまくっている。
最近は、人間ドックを芸人さんが受けて、問題を指摘される番組がやたらとやっている。
問題指摘するだけで、根本原因はわかっていない。いたずらに検診、人間ドックに行けば、医療機関に食い殺されるだけである。
そのあたりが解るようになるといいのになぁ。
やっぱり、自分が少しでも間違った方向に進んでいる医療の現状、ビジネス化してしまっている現状を変えるために伝えていかないといかんと思いました。
視力検査、聴力検査の技師は言葉遣いが悪い。
だけど、フレンドリーなのかな?と思ったり。
多分、看護師だろうなぁ。ローテーションでいろんな検査回るんだろうなぁと思いながら。
きっと普通のクリニック、病院の感覚でやっていたら、このレベルの検診クリニックではクレーム対象となる。なぜなら、健診受けに来ている人は
特に問題ない、会社から受けろといわれて来ているだけであるからだ。
まぁ、健診なんて一年に一回だし、と不適切な対応を見てみぬ振りする人も多いだろうが、その1回
の積み重ねが大事なのだ。
医療機関はそれが多分わからないだろうなぁ。自分も病院勤務していた頃、警察署に勤務していたころは、接客、応対、接遇なんて意識していなかった。
自社の先輩上司ばかり向いていた気がする。
有る程度の権威のある職場で働くのは、そういう意味を含めてとても危ない。
逆に今のような、医療法人が絡んでいない、株式会社で仕事をすると、クレームはダイレクトに来るし、毎回
「お客様」という意識を持つことが重要視される。多分、そのマインドを持ちながら、常に相手のニーズを確かめながらやっていく難しさがあるのだろうと感じる。
対応の悪い職員はフロントに立たせるべきではないし、それに気付かない会社、部署、上司はけっこう不味いと思う。現に、警察署でフロントをやっていた頃は、クレームこそなけれど、相当態度悪かったと思ったし、今思えば、私に応対された人は不幸だっただろうなぁと反省しております。
組織に嫌気がさしており、それがモロに仕事に出ていたといえる。
組織が悪いわけでなく、自分がそれに適応できなかったのですがね。
病院勤務もそう。病院や医療が悪いわけではない。
やっぱり組織に適応できないだけなんです。
大きな組織になればなるほど、人材が死んでいるなぁと思ってしまいます。
大きな組織になればなるほど、学歴や資格が不要となってくるなぁと感じます。
組織の決めた方針に何も考えず従うのが、優秀な社員だと気付きました。
そう考えるとバカらしくてやってられなくなるのが私の特徴。ならサラリーマン辞めろよってな話になるのです。
いままで勉強してきたことが嘘だったと気付けたことが一番よかったと思いますよ。
高校、大学以上の教育は、社会に出て何も役に立たないところか、害がありますね。
何故日本は学歴社会を選んでしまったのでしょう?
何故、これだけ学歴だけは高い若者が多いのに、みな公務員や会社員になりたがるのでしょう?
結果、ニートやスニップが多いのは何故でしょう?
教育や常識のあり方が間違っていたと反省するのは誰でしょう?
厚労省ではありません。親であり本人なんだと思います。
仕事とは労働とは何かと自問自答しています。
紙切れを、銀行通帳に打刻される数字のためだけに働くのは、家族や子供との時間をお金に売っている、つまり、大事なものをお金に支配されていると感じるのです。
さて、精神科看護のお話をさせてもらいます。
一応プロなので。
まぁ、ほとんどの患者が抱えている問題は、解決してはいけないものがほとんどです。
解決できっこないから、精神病なんですから。
ただ、時々不調になったりパニックになります。
そういう時は、「問題がわかっていない状態」が多いです。
だから、目の前のことでパニックになりやすい。
そこで、とりあえず、カウンセリングしますね。
カウンセリングは、黙って聞いていればいいのではなく、質問の強さ、タイミング、相槌、作業を一緒にしながら、日常会話、世間話をしながら進めていきますから、臨床心理士のやり方とはアプローチが全然違います。むしろ精神科看護のほうがきっと上手いと思いますよ。
自発的に話すまで沈黙なんてことは死んでもできません。
これは素人です。悩みや問題を上手く引き出せなければ、プロではない。
悩みや問題を引き出し、一緒に考えるのがプロのアプローチです。
殆どの患者は生活の中に悩みのヒントとなるものが隠れており、それに気付かない。
そこを上手く指摘していくのです。気付き、観察をしないと、カウンセリングは上手くならない。
悩みや問題を引き出したら、それを相手に返していく作業をします。
ただし、返しても相手はそれを処理仕切れないケースばかりなので、関連機関や家族などにもふっていきます。悩みを一人で抱えさせない、分割させることに意味があるのです。
そうすると悩みや痛みが和らいできて、問題行動が減り日常生活に戻れるのです。
常識的アプローチでは快方に向いません。子供と接するような気持ちで、肯定的に接するしか方法がないのが、難しいところ。
見た目は大人ですが、中身は相当こどもですからね。
「なんだそんなことか!」と思ったら相手に伝わります
そんなことで身動きがとれなくなるのが精神病患者の特徴。
行動の原則が、不安や恐怖ですからね。アウトプットがわがままに見えるだけで、本質的には受身体質で主体性が無い人ばかり。
常に頭の中には不安や恐怖ばかりです。
今を生きてないんですね。ですから、目の前のことを少しづつ解決してあげるのが大事。
そう感じます。権威の逆利用もします。この人達に行き方なんだから良い悪いはない。そう思うことで良い関係が築ける、お客さんなんだからね、と。
というスタンスで付き合っていく仕事だなとしみじみと感じますね。
ありがとうございました。本日はこのあたりで。
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