「あなたは何故存在するのか?」
「神の存在」を無視してこの問いに答えられる人はいません。
現代人は「いかに神の存在を否定するか?」に腐心してきた世代だといえます。
その第一人者といえる人物が、先日なくなったスティーブンホーキングです。
彼の出自を見る前に、彼の発言を聞いて、「一体何人の人が救われるのでしょうか?」と思ってしまいます。
・・・・・・・・(ホーキング博士、天国を否定 「暗闇が怖い人間のための架空の世界」 国際ニュース : AFPBB News)
英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング(Stephen Hawking)博士は、16日の英紙ガーディアンのインタビューで、天国について「暗闇が怖い人間のための架空の世界」と述べ、宗教の根幹を成す概念を改めて否定したそうだ。
ホーキング博士は、世界各地でベストセラーとなった『ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)』(1988)では「神というアイデアは、宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」と記していたが、その後四半世紀で宗教に対する態度は著しく厳しいものになった。
2010年の『ホーキング、宇宙と人間を語る(The Grand Design)』では、「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」と述べている。物理学における一連の進展により、そう確信するに至ったという。
博士は今回のインタビューで、自分の考えは21歳の時に発症した運動ニューロン疾患との闘いにも影響されていると語った。
「わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね」
「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」
信じることで救われると教えられていた「神」の存在の是非は、高名な科学者にとっては無意味な存在となっているようだけど、精神世界という別の世界では、やはり必要不可欠なものであるということは長い歴史が物語っているかもしれないね。
・・・・・・・・・(転載ここまで)
いかがでしょうか?
「わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね」
「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」
このような発言をする人物が本当に死を恐れていないのでしょうか?
彼のような生き方をしていて、「一体、人生に何の意味があるのか?」と聞き返したくなります。
本当に人生で努力してきた人ならわかりますが、人間の努力だけでは、生きていけません。
例えば、大災害であったり、不慮の事故、病気など、これらは一体何がもたらすものなのでしょうか?
これらを仮に科学的に説明できたとしても、それにどのような意味があるのでしょうか?
ただ、これらの法則を証明する唯一の方法があります。
それが「神の存在を受け入れる」ということです。
人間だけの論理では全てが辻褄が合わなくなってしまうのは、様々な分野で努力してきた人なら受け入れざるをえない真理なのです。
「科学の土台は何なのか?」⇒自然現象なのです。
自然現象を全て解決した人はいません。
広大で膨大だからです。
ヨブ記を引用してみましょう。
ヨブ記では、ヨブが神様から試されます。
どのように試されるかというと、神様がサタンにヨブの人生を受け渡し、「ヨブの信仰を試す」のです。
ヨブほどの義人がいないというほど、ヨブはサタンからの攻撃に耐えます。
友人達が、ヨブを批難します。
友人はサタンの遣いでしょうか?
ヨブは潔白に生きてきたことを語り、弱音を吐きますが、最後まで神様にすがりつき、その義が認められます。
38章はヨブと友人達(サタン)に対して、神様の御言葉が語られるシーンです。
私はこの章を読んで、「神様は実在する」と感じました。
人間の知識や常識がいかにちっぽけなものかということが『言葉」「文字」「文章」によるだけで伝わってきたからです。
それでは実際、見て見ましょう。
・・・・・・・・・・(ヨブ記38章~)
この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、
「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。
わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。
その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。
かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。
海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、だれが戸をもって、これを閉じこめたか。
あの時、わたしは雲をもって衣とし、黒雲をもってむつきとし、
これがために境を定め、関および戸を設けて、
言った、『ここまで来てもよい、越えてはならぬ、おまえの高波はここにとどまるのだ』と。
あなたは生れた日からこのかた朝に命じ、夜明けにその所を知らせ、
これに地の縁をとらえさせ、悪人をその上から振り落させたことがあるか。
地は印せられた土のように変り、衣のようにいろどられる。
悪人はその光を奪われ、その高くあげた腕は折られる。
あなたは海の源に行ったことがあるか。淵の底を歩いたことがあるか。
死の門はあなたのために開かれたか。あなたは暗黒の門を見たことがあるか。
あなたは地の広さを見きわめたか。もしこれをことごとく知っているならば言え。
光のある所に至る道はいずれか。暗やみのある所はどこか。
あなたはこれをその境に導くことができるか。その家路を知っているか。
あなたは知っているだろう、あなたはかの時すでに生れており、またあなたの日数も多いのだから。
あなたは雪の倉にはいったことがあるか。ひょうの倉を見たことがあるか。
これらは悩みの時のため、いくさと戦いの日のため、わたしがたくわえて置いたものだ。
光の広がる道はどこか。東風の地に吹き渡る道はどこか。
だれが大雨のために水路を切り開き、いかずちの光のために道を開き、
人なき地にも、人なき荒野にも雨を降らせ、
荒れすたれた地をあき足らせ、これに若草をはえさせるか。
雨に父があるか。露の玉はだれが生んだか。
氷はだれの胎から出たか。空の霜はだれが生んだか。
水は固まって石のようになり、淵のおもては凍る。
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
あなたは十二宮をその時にしたがって引き出すことができるか。北斗とその子星を導くことができるか。
あなたは天の法則を知っているか、そのおきてを地に施すことができるか。
あなたは声を雲にあげ、多くの水にあなたをおおわせることができるか。
あなたはいなずまをつかわして行かせ、『われわれはここにいる』と、あなたに言わせることができるか。
雲に知恵を置き、霧に悟りを与えたのはだれか。
だれが知恵をもって雲を数えることができるか。だれが天の皮袋を傾けて、
ちりを一つに流れ合わさせ、土くれを固まらせることができるか。
あなたはししのために食物を狩り、子じしの食欲を満たすことができるか。
彼らがほら穴に伏し、林のなかに待ち伏せする時、あなたはこの事をなすことができるか。
からすの子が神に向かって呼ばわり、食物がなくて、さまようとき、からすにえさを与える者はだれか。
第39章
あなたは岩間のやぎが子を産むときを知っているか。あなたは雌じかが子を産むのを見たことがあるか。
これらの妊娠の月を数えることができるか。これらが産む時を知っているか。
これらは身をかがめて子を産み、そのはらみ子を産みいだす。
その子は強くなって、野に育ち、出て行って、その親のもとに帰らない。
だれが野ろばを放って、自由にしたか。だれが野ろばのつなぎを解いたか。
わたしは荒野をその家として与え、荒れ地をそのすみかとして与えた。
これは町の騒ぎをいやしめ、御者の呼ぶ声を聞きいれず、
山を牧場としてはせまわり、もろもろの青物を尋ね求める。
野牛は快くあなたに仕え、あなたの飼葉おけのかたわらにとどまるだろうか。
あなたは野牛に手綱をつけてうねを歩かせることができるか、これはあなたに従って谷を耕すであろうか。
その力が強いからとて、あなたはこれに頼むであろうか。またあなたの仕事をこれに任せるであろうか。
あなたはこれにたよって、あなたの穀物を打ち場に運び帰らせるであろうか。
だちょうは威勢よくその翼をふるう。しかしこれにはきれいな羽と羽毛があるか。
これはその卵を土の中に捨て置き、これを砂のなかで暖め、
足でつぶされることも、野の獣に踏まれることも忘れている。
これはその子に無情であって、あたかも自分の子でないようにし、その苦労のむなしくなるをも恐れない。
これは神がこれに知恵を授けず、悟りを与えなかったゆえである。
これがその身を起して走る時には、馬をも、その乗り手をもあざける。
あなたは馬にその力を与えることができるか。力をもってその首を装うことができるか。
あなたはこれをいなごのように、とばせることができるか。その鼻あらしの威力は恐ろしい。
これは谷であがき、その力に誇り、みずから出ていって武器に向かう。
これは恐れをあざ笑って、驚くことなく、つるぎをさけて退くことがない。
矢筒はその上に鳴り、やりと投げやりと、あいきらめく。
これはたけりつ、狂いつ、地をひとのみにし、ラッパの音が鳴り渡っても、立ちどまることがない。
これはラッパの鳴るごとにハアハアと言い、遠くから戦いをかぎつけ、隊長の大声およびときの声を聞き知る。
たかが舞いあがり、その翼をのべて南に向かうのは、あなたの知恵によるのか、
わしがかけのぼり、その巣を高い所につくるのは、あなたの命令によるのか。
これは岩の上にすみかを構え、岩のとがり、または険しい所におり、
そこから獲物をうかがう。その目の及ぶところは遠い。
そのひなもまた血を吸う。おおよそ殺された者のある所には、これもそこにいる」。
・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
「私達は自然に生かされている、地球に生かされている」
という言い方をしますね。
では、「その自然は何処から来たものか?」
「地球は誰がどのように作ったのか」
「偶然は誰が起こしたものなのか?」
「偶然という言葉を作ったのは誰なのか?」
「偶然という概念は誰が作ったのか?」
明確に答えられる人はいません。
私達の生活を便利にしてきた科学技術です。
しかし、この科学すら神様の手のひらの上で行われているということがわかるでしょうか?
私達は前提、基本を無視して物事を考えてしまいます。
物心がついたときから、「人間からの評価」「社会(集団)からの評価」を得ることが、幸せな人生だと友人や両親や学校、マスコミから教えられてきたからです。
つまり、真理から程遠いものばかり教え込まれてきたのです。
私達は「己の欲望を満たすため」に生きる(富、名誉、権力、安定、楽して金儲けできる、仕事もせず贅沢できること)が価値感の中心になってしまい、「これこそ正しい生き方だ」と考えて、受験やスポーツ、就職試験、社内での仕事をしてきたに過ぎません。
努力をして、全て実になったでしょうか?
結果を出すためだけに、どれだけ悪の道を進んでしまったでしょうか?
どれだけやっても『虚しさ」や「心の乾き」「つきまとう不安」はとれなかったと思います。
それは、正しい道ではないからです。
「お金を稼いで何がしたいのか?」
「権力や地位を築いて何がしたいのか?」
その先です。その先がないから虚しくなるのではないかと思います。
続いて、今回のテーマである11歳の天才少年の記事を日本語に翻訳したサイトをご紹介します。
11歳の少年が、「アインシュタインやホーキングがおかしな理論を言っている」と主張しています。
アインシュタインもホーキングもデタラメばかりです。
彼らは、原発や放射能を肯定し裏付けするための御用学者にすぎません。
原発や放射能は「20世紀最大の詐欺」です。
・・・・・・・・(11歳の超天才少年がホーキング博士の“間違い”を証明すると宣言布告「宇宙は無から誕生していない、何者かがいたはず」)
<ウイリアムマイリス君とホーキング博士>
過去の理論を一新し、新たな平野を切り開くのが「天才」であるが、天文学や物理学の世界でも次世代を担う才能はすでに現れている。その中の一人である将来有望な少年が、先ごろメディアのインタビューに答え、神が宇宙を作ったことを証明したいと話して話題になっている。オルタナティブメディア「Disclose.tv」からご紹介しよう。
■神を信じる天才少年
米国ペンシルベニア州に住むウィリアム・マイリス君(11)は、天体物理学者になり神の存在を証明したいという大きな夢を抱く少年だ。だが、彼はただの少年ではない。すでに高校を卒業し、昨年秋からは全米でも屈指の名門校であるカーネギーメロン大学に通う天才少年である。
父親のピーターさんによれば、ウィリアム君は生後7カ月で完全な文章を喋り、21カ月目には足し算を、2歳の時には掛け算を理解していたといい、4歳の時には代数に手話、ギリシャ語の読み方をマスターしていたという。5歳の時には209ページにも及ぶ幾何学の教科書を一晩で読み、翌日にはどんな問題も難なく解くことができたそうだ。まさに天才少年と呼ぶにふさわしい。
天才ぶりを発揮する一方で、ギリシャ正教会の司教である父の影響を受け、ウィリアム君は敬虔なクリスチャンでもあるという。信仰と神に対する強い信念を持った彼には、アインシュタインやホーキング博士の唱えた宇宙理論に賛同できない部分があり、いずれ神が宇宙を作ったことを自らの手で証明したいというのだ。先月亡くなった世界的な天才物理学者スティーブン・ホーキングは無神論者を自称しており、神が宇宙を作ったのではなく、宇宙は無から自らを創造したのだと主張している。だが、ウィリアム君はホーキングの考えを誤っているとし、次のように語った。
「何者かが宇宙を作ったと考える方が、宇宙が自らを作ったと考えるよりもずっと理にかなっているんです。だからこそ、宇宙が自発的に生まれたと考える方がずっと強い信念が必要になるんです。何者かが宇宙を作ったと考える方が論理的ですからね」
ウィリアム君のインタビュー動画はYouTubeでも公開されており、すでに12万回以上再生される人気動画となっている。人生をかけて神の存在を証明したいと語る敬虔な11歳の天才少年。彼の今後が楽しみである。
・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
ホーキングのように「宇宙人説」を持ち出してくる理論の方がよっぽど破綻しています。
「じゃぁ宇宙人は誰が作ったのか?」
<捕獲された宇宙人:手作り感満載ですね笑>
となってしまいますから。
SFの世界ですね。作家が考え出したのか?と科学者を疑いたくなります。
「ドラコニアン」「レプタリアン」なんてのも何の根拠もありません。
<レプタリアン:SF作家が考えたのでしょうか?アメコミの域は脱することができません>
私には、恐竜にしか見えません。
ちなみに恐竜は「発掘された骨を元にイメージで肉付けして色づけされた巨大な生き物」です。
レプタリアン、ドラコニアンも彼ら(イルミナティ)がイメージしている「神様」を描写した存在なのかもしれませんね。
となると「宇宙人=サタン、悪魔」
となってしまうかもしれません。
悪人たちは、「サタン」のような存在から「庶民を騙す手口を霊感やインスピレーションのようなもので教えてもらっている」のかもしれません。
詐欺の手口を教えるのがサタンのやり方なのでしょう。
放射能や原発、医療、食品添加物なども、サタンの手口なのでしょうか?
目に見えるものだけを信じている人にはいずれ限界が来ます。
私達は「想いや考え」を「言葉」によって実物化しているだけだからなのです。
「言葉」が先にあったのでしょうか?
「想いや考え、意思」が先にあったのでしょうか?
マスコミの発する情報という「言葉」から影響を受け、
脳に「マスコミの考えや意思が詰め込まれていき、見栄や欲望がとまらなくなる、政治家や大企業のトップが同じ人間なのに巨大に見えてくる」だけなのではないでしょうか?
「言葉」ではなくく「音声を数種類しか持たない、人間以外の動物」のように、「目の前の快楽や基本的欲求さえ満たされれば幸せだ」と考えているのが現代人かもしれません。
そして、残念ながら私達は為政者によって、それこそ「動物のように」管理されてしまっています。
「言葉」を大切にして生きるなら、「言葉」をお創りになった方の「意思、想い」を汲み取ることが正しい生き方ではないかと思うのです。
「言霊に力があるのではなく、言葉にこめた意思、想いに力がある」=「人類に言葉を与えてくださった方に力がある」
と思います。
そして、私達がメディアを通して一方的に与えられているものだけを求めて生きるのか?
正しい真理の道を求めて生きるのか?
どちらの考え方で生きていくことが幸せになるのか?
「11歳の天才少年、ウィリアムスマイリス君」の記事を見て感じました。
人生を振り返り、考えてみるのも良いのではないでしょうか?
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