オルセー美術館は、展示されている絵画ももちろん素晴らしいが、絵の鑑賞に倦んだら、屋上からパリの景色を眺めるのも格別である。
眼下をセーヌ川が流れ、その向こう岸の緑はチュイルリー公園。視線を上げれば、遠くにモンマルトルの丘があり、サクレ・クール寺院は丘を圧するように建っている。その上の白い雲もいい。
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< パリの美しさは端正な美 >
パリは、美しい街である。
その美しさの特徴を一言で言い表せば、端整な美 !!
セーヌ川沿いに、サン・ルイ島、シテ島、ルーブル宮殿を経て、エッフェル塔まで散歩すると、パリがいかに整った、端整な街であるかがよくわかる。
この約5キロのセーヌ川沿いの景観は、早々に世界文化遺産に登録されたが、それも当然だと思える。
私にとって、ルーブルは、美術館であるよりも、左岸からセーヌ越しに見るパリの景観の一つだ。
( オルセーから眺めるルーブル宮殿 )
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水上バスか、遊覧船で (ほぼ同じコースを運行する) 、セーヌ川の水上から、風に吹かれながら、頭上に架かる橋や、美しい建築物の数々や、川岸を散歩する人々を見るのは、楽しい。日常とはちょっと違う角度から見るパリの姿は、…… シャンソンが流れてくるようで、やはり、美しい。
(水上バスから見上げた芸術橋)
水上バスからエッフェル塔が見え始めると、この鉄の塔が、パリの街並みにすっかり溶け込んで、欠かせない「風景」になっているのが納得できる。午後の斜光の中に建つエッフェル塔に、詩情がある。
( 水上バスから見上げるエッフェル塔)
船を降りて、ショイヨー宮のテラスから、セーヌ川越しにエッフェル塔を眺めれば、その先のマルス公園まで構図に入れて、街が整然と造られていることがわかる。── 日本にも、世界にも、高い塔があるが、塔は高さを競えばよい、というものではない。
( ショイヨー宮のテラスとエッフェル塔 )
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辻邦生『時の果実』(朝日新聞社)から。
「それはある晴れた日の夕方で、地下鉄がトンネルを出て、セーヌにかかる橋に、いきなり出たときだった。私は一瞬の間に、エトワールからモンマルトルの家並みの高まりとその上にたつ白いサクレ・クールをはさんでエッフェル塔にいたる夕日に照らされた灰暗色の屋根の拡がりを見たのだった。それはすでに何度も見知った風景だったにもかかわらず、夕日の効果からか、また別の理由からか、ある特殊な感覚で私をつらぬいた。
これをどう説明したらよいのだろう。たとえば、それは、一挙にすべてを理解するとでもいうべき光が、私の内面を走りぬけたといおうか、私はそこにただ町の外観のみをみたのではなく、町を形成し、町を支えつづけている精神的な気品、高貴な秩序を目ざす意志、高いものへのぼろうとする人間の魂を、はっきりと見出だしたのである。そこには、自然発生的な、怠惰な、与えられているものによりかかるという態度はなかった。そこには、何かある冷静な思慮、不屈な意図、注意深い観察とでもいうべきものが、鋭い町の輪郭のなかにひそんでいた。自然の所与を精神に従え、それを人間的にこえようとする意欲があった。
ある意味で、その瞬間こそが、私にとって、おそらく西欧の光にふれた最初の機会だったかもしれない」。
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< 街並みこそ、文化である >
絵や、彫刻や、音楽や、文学は、1本の樹木に例えれば、太い幹から出た枝の、枝分かれしたその先に咲く花みたいなものだ。いかに花を説明してみても、その木を説明したことにはならない。
文化が、その土地の風土のなかで耕され、その土地の暮らしの中で洗練されたものであるとするなら、それは美術や、音楽や、演劇や、文学よりも、まず、街並みではなかろうか。
町や村のたたずまいも、それらを囲む、田園や、川や、森や、山の景観も、文化であり、文化遺産である。
文化は、人々のライフスタイルにある。
西欧では、ごく当たり前のように、おっちゃん、おばちゃん、じいさま、ばあさまが、「この町は美しい」「私の村は素敵だろう」と言う。 ── そういう土地に暮らしていたら、人生は、きっと幸せに違いない。
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明治維新前後に日本を訪れた多くの西洋人が、一様に、江戸 (東京) の街並みの美しさ、日本の田園風景の美しさについて、故郷への手紙や、日記、報告書に書き残している。
つまり、江戸には、文化があったということだ。
粋な黒塀に見越しの松。川端柳。掘割を行く船や、武家屋敷 …。
そこに日本髪の美女が歩いていれば、これはもう立派な文化である。
( 大分県・杵築の町で )
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若き日の永井荷風は、パリに留学して、パリの街並みの壮麗さに圧倒され、打ちひしがれて、帰国した。石の文化にはかなわねえ。
帰国してからは、もっぱら墨田川の江戸情緒に遊んだ。