自然界は奪い合って成り立っている。 あるいは
自然界は与えあって成り立っている。
同じ現象を観察しても まったく正反対の見方が出来るものです。
江添用水が暗渠化される前
土手には桜やクチナシを植えて(私たちが)
自然の彩りを楽しんで せっせと草刈りをして世話をしてきました。
しかし 暗渠化と同時に桜も含めて 多くは伐採されてしまいましたが
クチナシは一部を鉢植えにして残してあります。
最近 若葉を茂らせる時期になったのですが
妙に葉の付きが悪いと思い ひょっとしたら・・・・・・。
擬態をして 葉の風景に溶け込んでいます。
ツノを持っているのが特徴です。
オオスカシバという蛾の一種 👇ネットから
地植えの時も幼虫はいましたが 葉の密度と大きな株に育っていたので
幼虫が食い荒らしても全然平気でしたが
今の鉢植えでは 幼虫が3匹もいれば4~5日で丸裸にされてしまいます。
クチナシにとってオオスカシバは天敵
オオスカシバにとってタイヤ屋のオヤジは宿敵という構図なのです。
クチナシは自然界では 自らを食われることによって オオスカシバを養っています。
それなら与えるだけで見返りは求めない、求める必要もないほど葉が茂る。
しかし鉢植えの中では 食われるとクチナシは葉を失って成長できない。
白い良い香りを出す花が咲かせない。
タイヤ屋のオヤジが天敵化して ごめんよと言いつつ駆除します。
元はと言えば 鉢植えの中にクチナシを閉じ込めたことが始まりです。
伐採されるのが可哀想という思いが オオスカシバには迷惑な話なのです。
あちら立てばこちらが立たない、こちらを立てればあちらが迷惑する。
自然の偉大さが これだけでも感じられます。
用水を暗渠化した人間が
奪ったクチナシとオオスカシバの生き延びる土地
その土地で商売をさせていただいている私たちは
やっぱり自然の営みに感謝するのが
大きないのちの一部として自覚することもできます。
奪っているのも人間 与えているのも人間 お互い様です!か?