NHKの大河ドラマ「どうする家康」を楽しく見ています。
桶狭間の合戦から物語が始まって
前回は織田と松平の同盟が結ばれるところまで進んできました。
サル(後の豊臣秀吉公)をムロツヨシさんが
お市の方(信長の妹)を北川景子さんが演じて
なかなかの見物でした。
主人公は松平元康(のちの徳川家康)ですが
織田信長・今川義元・武田信玄など戦国の有名武将が出てきて
歴史好きにはたまらないドラマです。
特に家康公は
後に徳川幕府を開き
「神君」と呼ばれる偉大な存在としてあらせられますが
当初は三河の弱小豪族で
人質として今川領駿府で過ごした頃は
ドラマではなかなか取り上げられません
「どうする家康」では松潤さんが 弱っちい家康を演じられてとても新鮮です。
神君にも弱っちい青年時代があったのは 家康公に親近感を抱かせます。
徳川家康公は、三方ヶ原の戦いで敗戦した苦渋の姿を肖像画に描かせ、生涯に渡り自分に対する戒めのため、座右から離さなかったと伝えられています。肖像画の正式名称は「徳川家康三方ヶ原戦没画像」といい、通称はその形相から「しかみ像(顰像)」と呼ばれています。
諸説あり!
さて すでに合戦の場面では「厭離穢土欣求浄土」の旗がたなびいていました。
以下ネット抜粋
「おんりえどごんぐじょうど」と読むそうです。
大河ドラマの昨年の真田丸、今年のおんな城主直虎でたびたび目にする言葉。
徳川家康公の馬印の旗に用いられている言葉です。
「穢れた世の中を離れ、極楽浄土に往生することを願う」という意味の仏教用語ということです。
しかし、家康公は、自分が天下を取るために戦争に明け暮れる戦国時代という穢れた時代から、民衆が殺し合うことなく、食べることに困ることのない世の中を創りたいという思いで、この言葉を用いたと伝わっています。
今よりもいい世の中にしたい。
困っている人を助けたい。
未来に人々が困らないようにするために、今すべきことを決断する。
これが政治家ですね。
戦国武将は「戦(いくさ)」のイメージを持たれがちですが、戦争のない平和な世の中を創ろうと命を削っていたり、まちづくりや制度づくりと言った政治家の要素も発揮しました。
応仁の乱から乱れて
全国に有力豪族が群雄割拠する時代です、
戦乱の世を終わらせるため全国統一を目指し始める段階です。
尾張の小豪族でしかなかった信長が
桶狭間で 海道一の弓取りと言われた今川義元を打ち取って
美濃の斎藤道三の娘帰蝶を嫁に迎え 上洛を目指す有力大名に駆け上がっていきます。
その織田と同盟を結んだ松平も
安土(織田)桃山(豊臣)時代を経て 江戸(徳川)幕府を開き
その後270年の天下泰平時代を築き上げられました。
そこのあったのはやはり思想だったようです。
きしくも三河発のトヨタ自動車豊田社長が退任されるにあたり
どういった基準で後継者を選ばれたかと 問われた時
トヨタの「思想・技・所作」を身に付けた人とおっしゃたのと
家康公が掲げられた「厭離穢土欣求浄土」
戦乱の世を終わらせ天下泰平の世を目指す旗印は
人々に明るい兆しを与えるものだったようです。
思想とは旗印とも言えるのでしょう。
小さな商人にも
「専門店運営でお役に立つ」という旗印があって
それが「タイヤ専門店イマージン」という店名に込められているとか?