かなり遅めの新年会でサプライズがあってビックリしました!
例年 節分前に行うのですが本年は葬祭事があり 幹事の高山君が配慮してくれて
2月18日となったのです。
会場は新岐阜の風来坊さん 2Fの個室はかなり個性的で
狭い階段を上がっていくと 学生時の友人の部屋のような感じです。
なんと赤いちゃんちゃんこと赤い帽子が用意されていて
還暦祝い?です。
改めて写真を見ると 私も歳を重ねました もう気持ち以外はオッサンです。
今から15年前 その後の人生を左右する大きな出会いがありました。
ひとりは キーパー技研(株)の谷社長(当時)。
そしてもう一人は当社でキーパー事業を引っ張る高山君です。
当時彼は高校生でアルバイトをしてくれていたのですが
卒業して就職活動をするときに
「この会社へ入ってくれないか 今はタイヤ屋だけど
これからは キーパーへ進みたいので先頭に立ってやってくれないか?」
焼肉を食べながら 口説きました。
当時 タイヤイマージン本店は私を入れて5名
スゴウ店は4名で運営していて
タイヤ販売に9名が従事していたのです。
タイヤ販売の先行きに?を感じながら
キーパーに新しい期待感を持ち始めていたようです。
その後
タイヤ物販は競争が激化し厳しさを増していき
15年後の今年は タイヤ販売に3名となった次第です。
ベテラン3人は 3人揃ってのコンビネーションが最高です。
「3」は不思議な数字です
私の葬祭事で一人かける日々が続きましたが
二人がちゃんとフォローしてくれて事なきを得て感謝です。
小さな店 小さな会社は「3」を意識していきます。
祖業のタイヤ屋から キーパープロショップ専門店への流れは 遂にここまで来ました。
タイヤ屋のオッサン3人以外は 全てキーパーのスタッフです。
15年前の出合いが 流れを変えて来たのです。
これからもただのタイヤ屋のオッサンであり続けますが、
若いキーパーのメンバーが
更に飛躍して行ってもらえたら 本当にうれしいです。
私に経営能力もなく
「キーパーを真似してください」といって
若い人たちに委ねてきたことが
ちゃんと花を咲かせてくれたら
タイヤ屋としてもうれしさいっぱいです、ありがたいです。
還暦 それは私にとって新しい挑戦の始まりでもあり
原点への回帰でもあります。
タイヤ屋が
タイヤとしてキーパー機体の下で滑走し
キーパーが羽に揚力を得て飛翔してくれたら
タイヤはその翼の下に格納される、
そんなイメージで会社像を描いています。
キーパーは タイヤ屋の私にとって「美」であり「技」であり そして「祈り」です。
若い人たちは
「美」を演出する「技」をもって キーパー専門店の舞台で活躍する。
顧客満足と従業員満足が 同時実現し続ける喜びを味わえる感性の持ち主たち。
その舞台の整備にタイヤ屋の3人のオッサンの使命があるようです。
ありがたいことです。