NHKに「プロジェクトX・挑戦者たち」という人気番組がありました、
中島みゆきさんの「地上の星」が主題歌だったので
記憶に残っている方も多いと思います。
「風の中のすばる 砂の中の銀河 みんなどこへ行った・・・・・。」
時代は変わっていくことを
自ら創業した小さなタイヤ屋のオヤジとして
日々商いをするなかで実感してきました。
いつの頃からでしょうか
変化をなんとなく感じてきたのは?
夏~秋に商売が閑になってスタッフがヒマ疲れする中に
不安の匂いを感じたからです、おそらくこれが最初の小さな兆しだったと思います。
当時 小さなタイヤ屋でありながらイケイケドンドンで
新しいタイヤショップイマージンスゴウ店を
開店した頃の事です。
小さな不安を出店という希望で隠したのかも知れません。
しかし2店舗にしたところで夏~秋の閑散期をどうするのか?
そんな時 洗車という行為を高い付加価値を全面に押し出した
極上手洗い洗車というものがある事を知りました。
閑を活用して店先でそれをすると
賑わいや繁盛感もでて ヒマ疲れもとりあえず解消できると考えて
さっそく導入することにしました、
2004年の秋口です。
その小さな挑戦が
なんとイマージン車美容室事業として
大きく育ってくるという幸運の出会いだったわけです。
タイヤ屋とコラボした洗車・キーパーが
タイヤ屋とハイブリットした洗車・コーティング専門店へ
そして2016年3月
タイヤ屋とかかわりを持たない洗車・コーティング専門店の
単独出店ができるまでに成長して来ました。
何をしたのか?
すべてマネしているだけです。
私が本社を置くのは岐阜市江添
江添とは大きな流れに寄り添えと勝手に解釈して
とことんマネに徹しただけです。
小さなタイヤ屋というビジネスに発展性を見い出すのは
至難の業という時代になりました。
自分で始めた自分の会社という意識のままなら
ソフトランディングを狙って縮小均衡を保ちながら
消滅という選択肢でしょうが
自分が始めたのであるが
その創業の役割りを担い次世代に引き継いでもらう
「生物のようなものが会社」だという意識に変換する道を選択しました。
生物なら子孫繁栄と生き残る為に環境の変化に対応して自ら進化するわけです。
今から5年前 キーパープロショップ岐阜店を開業し
それを第2創業としたときこう決めました。
やっぱり会社は生き物でした
若く新しいスタッフがキーパープロショップを切り盛りし
タイヤ商売のベテラン達が若者を支援する道に
また生きがいや役割りを見い出して再生しだしました。
財務上から不可能と思われた資金調達も
バッチリできて あれよあれよと新店舗が実現してしまいます。
自分のものではないこの会社は
自らの意志で成長を志向し
若者を短い期間に主役に押し上げ
ベテランにも新しい役割りを与えて
場所にもめぐり合わせ 資金まで調達してしまいました。
年末を迎えて
賑わいは圧倒的に洗車・コーティングショップに集中しています。
そして自分のものではないこの会社は
次世代のリーダーも示しました。
まったく不思議な感覚です、
勝手に操られているような感じです
それも嫌々操られているのでなく
嬉々としながら勝手に道が開けてくるようです。
楽といえば楽です 心配や不安など取り越し苦労もいつの間にか無縁になりました。
あたらしい時代がもう始まっています、
今まで水面下にあったものが 次々と浮かんできます
その第一弾が キーパープロショップ関店です。
複数の店を運営する為に
イマージン車美容室事業部ができて店舗運営を主導します
そのリーダーが事業部長フィールドマネジャー高山君です。
複数の店があるから運営を統括するところがいる訳です。
そしてその神経組織となるサスシステムが1月から始動します
複数の店舗情報をで把握できます。
すべてマネで利用させてもらいますから
システム開発費も使用料だけですみます。
この会社は「イマージン」と現在人と名乗っています。
創業者には創業者にふさわしい引退の道を選ばせ
後継者には後継者にふさわしい挑戦の道を歩ませ
支援管理部門にはそれにふさわしい人をその任につけ
適材適所でありながら社長以下みんな店舗の現場に張付かせて
稼がせます。
この会社は生き物ですから
警戒心が強く貪欲なんです したたかです。
死んだ振りをしながら別の分野に橋頭堡を作り上げました。
子孫繁栄の道も切り開いて子育ての場所まで用意しました。
まさに野生の生き物です。
この世に何一つ自分のものなどないのかもしれません
その証拠に死ぬ時何一つもっていけません
せめて悪名だけを勲章にもっていけるだけです、
そして閻魔大王に叩かれるわけです。
活用する・人を活かす・和をもって尊し・全てを活かす=イマージン
自分のものなどないなら お借りして大切に活用するのが道です。
2015年 ありがとうございました。
中島みゆきさんの「地上の星」が主題歌だったので
記憶に残っている方も多いと思います。
「風の中のすばる 砂の中の銀河 みんなどこへ行った・・・・・。」
時代は変わっていくことを
自ら創業した小さなタイヤ屋のオヤジとして
日々商いをするなかで実感してきました。
いつの頃からでしょうか
変化をなんとなく感じてきたのは?
夏~秋に商売が閑になってスタッフがヒマ疲れする中に
不安の匂いを感じたからです、おそらくこれが最初の小さな兆しだったと思います。
当時 小さなタイヤ屋でありながらイケイケドンドンで
新しいタイヤショップイマージンスゴウ店を
開店した頃の事です。
小さな不安を出店という希望で隠したのかも知れません。
しかし2店舗にしたところで夏~秋の閑散期をどうするのか?
そんな時 洗車という行為を高い付加価値を全面に押し出した
極上手洗い洗車というものがある事を知りました。
閑を活用して店先でそれをすると
賑わいや繁盛感もでて ヒマ疲れもとりあえず解消できると考えて
さっそく導入することにしました、
2004年の秋口です。
その小さな挑戦が
なんとイマージン車美容室事業として
大きく育ってくるという幸運の出会いだったわけです。
タイヤ屋とコラボした洗車・キーパーが
タイヤ屋とハイブリットした洗車・コーティング専門店へ
そして2016年3月
タイヤ屋とかかわりを持たない洗車・コーティング専門店の
単独出店ができるまでに成長して来ました。
何をしたのか?
すべてマネしているだけです。
私が本社を置くのは岐阜市江添
江添とは大きな流れに寄り添えと勝手に解釈して
とことんマネに徹しただけです。
小さなタイヤ屋というビジネスに発展性を見い出すのは
至難の業という時代になりました。
自分で始めた自分の会社という意識のままなら
ソフトランディングを狙って縮小均衡を保ちながら
消滅という選択肢でしょうが
自分が始めたのであるが
その創業の役割りを担い次世代に引き継いでもらう
「生物のようなものが会社」だという意識に変換する道を選択しました。
生物なら子孫繁栄と生き残る為に環境の変化に対応して自ら進化するわけです。
今から5年前 キーパープロショップ岐阜店を開業し
それを第2創業としたときこう決めました。
やっぱり会社は生き物でした
若く新しいスタッフがキーパープロショップを切り盛りし
タイヤ商売のベテラン達が若者を支援する道に
また生きがいや役割りを見い出して再生しだしました。
財務上から不可能と思われた資金調達も
バッチリできて あれよあれよと新店舗が実現してしまいます。
自分のものではないこの会社は
自らの意志で成長を志向し
若者を短い期間に主役に押し上げ
ベテランにも新しい役割りを与えて
場所にもめぐり合わせ 資金まで調達してしまいました。
年末を迎えて
賑わいは圧倒的に洗車・コーティングショップに集中しています。
そして自分のものではないこの会社は
次世代のリーダーも示しました。
まったく不思議な感覚です、
勝手に操られているような感じです
それも嫌々操られているのでなく
嬉々としながら勝手に道が開けてくるようです。
楽といえば楽です 心配や不安など取り越し苦労もいつの間にか無縁になりました。
あたらしい時代がもう始まっています、
今まで水面下にあったものが 次々と浮かんできます
その第一弾が キーパープロショップ関店です。
複数の店を運営する為に
イマージン車美容室事業部ができて店舗運営を主導します
そのリーダーが事業部長フィールドマネジャー高山君です。
複数の店があるから運営を統括するところがいる訳です。
そしてその神経組織となるサスシステムが1月から始動します
複数の店舗情報をで把握できます。
すべてマネで利用させてもらいますから
システム開発費も使用料だけですみます。
この会社は「イマージン」と現在人と名乗っています。
創業者には創業者にふさわしい引退の道を選ばせ
後継者には後継者にふさわしい挑戦の道を歩ませ
支援管理部門にはそれにふさわしい人をその任につけ
適材適所でありながら社長以下みんな店舗の現場に張付かせて
稼がせます。
この会社は生き物ですから
警戒心が強く貪欲なんです したたかです。
死んだ振りをしながら別の分野に橋頭堡を作り上げました。
子孫繁栄の道も切り開いて子育ての場所まで用意しました。
まさに野生の生き物です。
この世に何一つ自分のものなどないのかもしれません
その証拠に死ぬ時何一つもっていけません
せめて悪名だけを勲章にもっていけるだけです、
そして閻魔大王に叩かれるわけです。
活用する・人を活かす・和をもって尊し・全てを活かす=イマージン
自分のものなどないなら お借りして大切に活用するのが道です。
2015年 ありがとうございました。