増村保造の映画にあてられたもんで、20数年ぶりに再読してみました。
本棚から文庫本を抜き取ると、かなり黄ばんでいます。
やはり、映画の方はかなり原作に忠実。これは見事に谷崎文学を再現してみせたという事でしょう。
園子による関西弁独白形式が、不気味な魅力、魔力になっています。
亡くなった母が関西人の3姉妹長女であったため、普通の東京人より関西弁には幼い頃から親しんだ方だと思います。何しろ3人娘が一同に会すると姦しかった。
普段は標準語(?)の母もたちまち関西弁に逆戻り、叔母たちの発する「ねぇちゃん、ねぇちゃん」という呼びかけを奇異に感じたものです。(この場合は本当にねぇちゃんですが)
園子の関西弁の気色悪さが読んでいると不思議な心地よさを感じてきます。さすがに音読はしませんでしたが・・・
この感覚は旧仮名の文章を読むとか、橋本治の桃尻語を読む時の不思議な心地よさに似ています。
綿貫栄太郎ですね。
小説では当然、綿貫という男の人物描写がいろんな噂話、エピソードを交え丁寧に描かれています。
映画ではそのあたりを川津祐介が演技ひとつで気持ち悪い綿貫を再現していましたね。あらためて驚きます。
原作に忠実であったため、何やら映画をなぞるような読書になりましたが、読んでからずっと時を隔てて見る。そして、見てからまた読む。というのもなかなかオツなもんです。
増村の谷崎文学再現ののち樋口可南子、高瀬春奈、原田芳雄等でリメイク(1983)されている。見たことは無いが、こちらは当然設定やストーリーは原作と乖離している。増村監督が完成品を撮っているのだから同じく再現するわけは無いという事。
そして今年「卍」は3度目の映画化。
こちらも見ていないが、ブラック師匠が怒っていました。エロじゃないグロ。関西弁が吉本新喜劇・・・
増村作品と勝負所が違うと言ってしまえばそれまでですけど・・・どんなものなんでしょう。
谷崎潤一郎は冒頭からすでに妖しさ満開ではあるけれど、物語の途中から読み手の想像を上回る狂気の世界に入っていく作品が数あるように思えます。
狂気に入って行ってからは、ただただ圧倒されてしまう。恐ろしい事です。
人気blogランキングへ まだ読んでいない谷崎が沢山あります。少しづつ・・・
本棚から文庫本を抜き取ると、かなり黄ばんでいます。
やはり、映画の方はかなり原作に忠実。これは見事に谷崎文学を再現してみせたという事でしょう。
園子による関西弁独白形式が、不気味な魅力、魔力になっています。
亡くなった母が関西人の3姉妹長女であったため、普通の東京人より関西弁には幼い頃から親しんだ方だと思います。何しろ3人娘が一同に会すると姦しかった。
普段は標準語(?)の母もたちまち関西弁に逆戻り、叔母たちの発する「ねぇちゃん、ねぇちゃん」という呼びかけを奇異に感じたものです。(この場合は本当にねぇちゃんですが)
園子の関西弁の気色悪さが読んでいると不思議な心地よさを感じてきます。さすがに音読はしませんでしたが・・・
この感覚は旧仮名の文章を読むとか、橋本治の桃尻語を読む時の不思議な心地よさに似ています。
綿貫栄太郎ですね。
小説では当然、綿貫という男の人物描写がいろんな噂話、エピソードを交え丁寧に描かれています。
映画ではそのあたりを川津祐介が演技ひとつで気持ち悪い綿貫を再現していましたね。あらためて驚きます。
原作に忠実であったため、何やら映画をなぞるような読書になりましたが、読んでからずっと時を隔てて見る。そして、見てからまた読む。というのもなかなかオツなもんです。
増村の谷崎文学再現ののち樋口可南子、高瀬春奈、原田芳雄等でリメイク(1983)されている。見たことは無いが、こちらは当然設定やストーリーは原作と乖離している。増村監督が完成品を撮っているのだから同じく再現するわけは無いという事。
そして今年「卍」は3度目の映画化。
こちらも見ていないが、ブラック師匠が怒っていました。エロじゃないグロ。関西弁が吉本新喜劇・・・
増村作品と勝負所が違うと言ってしまえばそれまでですけど・・・どんなものなんでしょう。
谷崎潤一郎は冒頭からすでに妖しさ満開ではあるけれど、物語の途中から読み手の想像を上回る狂気の世界に入っていく作品が数あるように思えます。
狂気に入って行ってからは、ただただ圧倒されてしまう。恐ろしい事です。
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