第五回の前半で、警幻仙女から、宝玉や賈家一族に関わる女性たちの運命の一端を予言する帳簿を見せられた宝玉。警幻仙女から途中で止められ、この後何が起こるのでしょうか。第五回の後半の始まりです。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
宝玉はぼうっとして、思わず知らず帳簿を投げ出し、また警幻に随い後ろの方にやって来た。しかし彫刻した梁、彩色した棟、真珠を連ねたすだれ、刺繍した帷、仙花が馥郁と香り、見たことのない草が香りたち、真にすばらしい場所であった。正に、
光は朱の扉や金を敷いた床に揺らめき、
雪は珠の窓、玉で作った宮殿を照らす。
また警幻が笑って言うのが聞こえた。「おまえたち、早く出て来てお客様をお出迎えなさい。」ことばが終わらぬうち、部屋の中に何人かの仙女たちが出て来た。蓮の葉のようなスカートのたもとがひらひらと揺れ、羽毛で編んだ衣服が空中を軽々と舞い、春の花のようになまめかしく、秋の月のようにあでやかであった。宝玉を見て、皆警幻を怨んで言った。「わたしたち、どちらの「賓客」がお越しになったか知らず、慌ててお出迎えしたんですよ。お姉さまは今日この時きっと絳珠ちゃんの魂が遊びに来ると言ったじゃないですか。だからわたしたちずっと待っていたんです。どうしてこんな汚らしい物を連れて来て、清らかな女子の世界を汚すんですか。」
宝玉はこんなことを言われて、びっくりして後ずさりしようにもそれもできず、その結果自分がたまらなく不潔なものに思えた。警幻は慌てて宝玉の手を携え、仙女たちに向かって笑って言った。「おまえたちはいきさつを知らないんですよ。今日は元々栄国府に行って絳珠(こうじゅ。林黛玉は「絳珠仙草」の生まれ変わり)を連れて来るつもりだったのだけど、ちょうど寧国府を通った時に、たまたま寧栄二公の霊に出逢ったところ、わたしにこう頼まれました。「わたしの家は今の王朝が都を定められて以来、功名を代々上げ、富貴の家柄となり、既に百年続いてきましたが、如何せん遂に命数も尽き、挽回することができません。我らの子孫は多いとはいえ、結局家業を継ぐことのできる者がおりません。ただひとり嫡孫の宝玉は、天性がつむじ曲がりで、感情の持ち方がでたらめで、聡明で頭の回転が速いので、多少望みもあるのですが、如何せん我が家の運数は終わりを迎えているので、おそらく誰も規範通り正しく導いてやることはできないでしょう。幸い仙女様が来られたので、先ずは情欲や女色といった事でその愚かさを注意し、できればあの者を人を惑わす枠組みから抜け出させて、正しい道に入らせることができれば、我ら兄弟の幸せです。」こんなことを頼まれたものだから、慈悲の気持ちに駆られて、あの子をここに連れて来たのですよ。先ずあの子の家の上中下三等の女子の一生の帳簿を、詳しく見せたけれど、まだ悟れていない。だからここに連れて来て、様々な美食、美酒、音楽、女色の幻影を遍歴させれば、或いはやがて悟ることがあるかもしれません。」
言い終わると、宝玉を連れて部屋に入った。少し幽玄な香りがしたが、何からそのような匂いが出ているか分からなかった。宝玉は思わず尋ねずにはおれないでいると、警幻は冷ややかに笑って言った。「この香りは浮世には無いもので、あなたがどうして分かるものですか。これはあちこちの名山や景勝地で初めて奇異な草花の精が生まれると、いろいろな宝林珠樹の油を合わせて作り、名を「群芳髄」と言いいます。」宝玉はそう聞いて、羨ましく思った。そして皆が席につくと、召使が茶を捧げ持って来たが、宝玉は香りが清々しく美味だと感じ、普通の茶と全く違うので、何という銘茶か尋ねた。警幻は言った。「この茶は放春山の遣香洞で出たもので、また仙花の霊葉の上に夜間溜まった露で沸かしたもので、名を「千紅一窟」と言います。」宝玉はそれを聞いて、頷いて称賛した。部屋の中には瑶琴、宝鼎、古画、新詩と、何でもあった。更に喜ばしいことに窓の下には針仕事中に吐き出した絹糸が落ちていて、化粧用品を入れる鏡箱の中にはいつも白粉や紅がこびりついていた。壁には一副の対聯が掛けられ、こう書かれていた。
幽微霊秀(人跡稀で浮世の塵も届かない)の土地、
如何ともすべからざる天命
宝玉はそれを見ると、それぞれ仙女に名前を尋ねた。ひとりは痴夢仙姑、ひとりは鐘情大士、ひとりは引愁金女、ひとりは度恨菩提と言い、各々道号は異なっていた。しばらくして子供の召使が来て、テーブルや椅子を用意し、酒や料理を並べた。まさに、
瓊漿(美酒)は玻璃(ガラス)の杯に満ち、
玉液(きらきらした液体)を琥珀の杯に一杯に注ぐ。
宝玉はこの酒の芳香や清涼さが際立っていたので、また尋ねずにはおれないでいると、警幻は言った。「この酒は百花の蕤(ずい)、万木の汁に、麒麟の骨髄と鳳の乳を加えて醸造し、それで名を「万艶同杯」と言います。」宝玉は称賛して已まなかった。
酒を飲んでいる間、また十二人の踊り子が舞台に上がり、どの曲を演ずるか尋ねた。警幻は言った。「それでは新しく作った「紅楼夢」十二曲を演奏してください。」踊り子たちは「はい」と答えると、拍子木を軽く叩き、銀筝にゆっくりと手を当て、聞こえてきた歌詞は、
始まりは混沌とし……
ようやく一句歌ったばかりの時に、警幻は言った。「この曲は浮世で流布している芝居の曲が、必ず生旦浄末といった役柄の決まりがあり、また南北九宮の音階の区別があるのとは違い、ある人物を詠嘆したり、ある事象を感懐したりしているうち、たまたまひとつの楽曲ができ、それに管弦の楽譜を付けたものです。もし当事者でなければ、その中身の妙は分かりません。おそらくあなたもこの調べを深く理解できないでしょうから、もし先にその原稿を読んでおいて、その後にその曲を聞くようにしないと、訳が分からず、却って蝋を噛むように味気ないものになってしまうでしょう。」そう言うと、振り返って子供の召使に命じて『紅楼夢』の原稿を持って来させ、宝玉に手渡した。宝玉はそれを受け取ると、目でその文を追いながら、その歌に耳を傾けた。
〔紅楼夢第一曲〕
天地開闢より、誰が天性の痴情の人であろうか。実は皆男女の情愛に溺れているだけなのだ。
天命は如何ともし難い、悲しみに暮れる日々、ひとり寂しく過ごす時、試みに心の中の情感を述べてみよう。こういう訳で、この金(賈宝玉)を悲しみ玉(林黛玉)を悼む「紅楼夢」を演じるのだ。
〔終身誤〕
皆語るは金玉の良縁、わたしはただ木(林黛玉の前生は絳珠仙草)石(賈宝玉の前生は女媧氏が天を繕う時に余った石)の前世の盟約を思うだけである。(宝玉と宝釵は結婚してひとつ屋根の下で暮らすも)互いに気持ちが通じ合わず。(宝釵の)人柄は高尚、皮膚はすべすべしっとり。
でも遂に忘れられぬは絳珠仙草(黛玉)、彼女はひとり寂しく亡くなった。人間社会はよりすばらしく円満なことが欠けているとようやく知った。たとえ(宝釵と)互いに敬い合って暮らしても、結局心の底では (黛玉への)深い思いが忘れられぬ。
〔枉凝眉〕
ひとつは閬苑(仙界)の仙葩(草花)、ひとつは傷の無い美玉。たとえ奇縁など無いと言っても、この人生できっと彼女とめぐり合うことができるだろう。もし奇縁が有ると言うなら、どうしてふたりの気持ちを最後まで修復できなかったのか。ただため息をつくばかり、どんなに気にかけても無駄である。水中の月を見ても、鏡の中の花を見ても、いったい眼の中にどれだけ涙の粒があるのだろう。秋から冬になり、春から夏になり、どうやって我慢を続けていけるだろう。
さて宝玉はこの曲を聞いても、まとまりが無くでたらめで、良いところが見られなかったが、その声や調べはやわらかく悲し気で、魂を奪われ、酔いしれさせられた。それでそのいきさつは問わず、その来歴も追求せず、しばしこれを以てうさを晴らしただけであった。それでまた続きを見た。
〔恨無常〕
喜ぶべき栄華は正に好し、恨むべき無常はまた到る。眼を開けると、万事が全てほうり投げられた。ゆらゆら揺れながら、(元春の)霊魂は消えて無くなる。故郷を望むも、道は遠く山は高い。
それゆえ父母に夢の中でこう頼んだ。わたしの命は既に黄泉に入りました。
父さん母さん、どうか(賈家がまだ豊かなうちに)早く官から身を引いてください。
〔分骨肉〕
(探春は)船に乗り風雨を受けはるばる他郷に嫁ぎ、骨肉の情も養われた家庭も、全て捨て去った。彼女は自分が泣いて年老いた家族の健康を損ねることを恐れた。父母には、娘のことを心配するなと言った。昔から、人生の困窮や栄達は皆予め定まっていて、人生の別れや再会も皆わけのあることだ。これよりふたつの地に分かれ分かれになるから、各々平安を保ちましょう。わたしがここを去っても、心配しないで。
〔楽中悲〕
(史湘雲は)襁褓(むつき)の中で、ああ、父母は共に亡くなった。よしんば富貴な者の中に居るとも、甘やかし育てられたと誰か知る。幸い生来、英雄豪傑のように度量が広く、個人の私情にとらわれることがなかった。ちょうど、雨後の月が宮殿を明るく照らすようであった。才能も容貌も優れた青年と結ばれ、末永く共に暮らすことで、幼い時に経験した不遇や不幸の埋め合わせをしたいと願った。しかし結局のところ、夫に先立たれ、不幸な境遇に陥った。浮世では、ものごとの盛衰は自然の規律であり、どうしていたずらに悲しむ必要があろうか。
〔世難容〕
(妙玉は)気質の美しさは蘭の如し、才気は仙女のように溢れている。天性つむじ曲がりで、人とは異なる。このような人は稀である。肉を食べると生臭いにおいがし、華麗な絹の衣服は俗っぽくて嫌だと思っても、あまりに優秀な人は嫉妬されるし、あまりに潔癖だと人に嫌われる。嘆くべし、古い寺院の中でひとり老い、青春の年月を無駄にしてしまった。挙句の果て、相変わらず世間の汚い混沌とした状況を経て、遂には自分の理想とは異なる生活しか送れなかった。正に、傷の無い白玉が泥の中にはまってしまったようなものだ。それでも名門貴族の子弟と縁が無いと嘆いても無駄である。
〔喜冤家〕
中山の狼(迎春の夫、孫紹祖)は、情無き獣。当時のいきさつなど全く眼中に無い。ひたすら傲慢、奢侈、淫蕩を貪る結婚生活。見染められたのは、高官の家の綺麗な娘はカワヤナギのようにか弱い身体、いたぶられ、朝廷の高官の千金もどぶに捨てられたようなもの。美人のりっぱな霊魂も、一年で波間に漂うように消え失せてしまった。
〔虚花悟〕
かの三春(元春、迎春、探春)のことは分かったが、(惜春の)栄華富貴はこの後どうなったのか。浮世の賑やかさに幻滅し、清らかで静かなところで、身を修め精神を涵養したのであった。
天上の桃の花が満開だとか、雲中の杏子の花が盛りだと言ってどうなる。とどのつまり、誰が人生の試練にに耐えて終わりを全うすることができるのか。しからば見るがいい。墓場で人は悲しみ嗚咽し、墓場に植わる楓の木の下では死人の魂がうごめいている。そのうえ、次々枯れた枯草で墳墓が覆われてしまう。これはつまり、昨日貧しかった者が今日は金持ちになりと、人生はせわしなく変化する。春に花が咲いても秋には散り落ち、生命は花のように試練を経るものだ。このように、生死の運命を誰も避けることはできない。聞くならく、西方に生える宝樹は枯れ木に活力を呼び覚まさせ、長生果を実らせるとか。
〔聡明累〕
(王熙鳳は)苦心惨憺して家を切り盛りしたが、却って自分の命を犠牲にした。生前は気苦労で心が乱れ、死後は彼女の苦心も無駄になり、一切が無に帰してしまった。家の豊かさも、人口の安寧も、最後は壊れ果て、一家散り散りに離散してしまった。半生を無駄にはらはらどきどきと神経をすり減らし、まるで波間に絶えず漂うはかない夢のような人生であった。まるで高楼がミシミシ音を立てて崩れ、ぼんやりと灯が消え去ったかのようであった。ああ、一場の喜びも忽然と悲しみに変わってしまう。人の世の禍福は予想し難いことを嘆くのである。
〔留余慶〕
残りものに福有り、残りものに福有り 、ふと恩人に出逢う。わたしの娘(賈巧)のおかげだ、
わたしの娘のおかげだ、功徳を積めば、後代に良い報いがある。人生への教訓、困った境遇の人を見たら、救い助けなさい。あの守銭奴のような、肉親の情愛を忘れた人間(母方の叔父の王仁、いとこの賈環)になってはいけない。まさに善には善の、悪には悪の報いがあり、上には蒼天が広がっている。
〔晩韶華〕
(李紈と賈珠の間の)夫婦の情愛は、鏡の中の花や月のように茫漠とし、更に(李紈と息子の賈蘭が)追求する功名や利益は夢幻のように非現実的なものだ。あのすばらしい時間の過ぎ去ることの何と速いことよ。再び絹の刺繍の帷(とばり)や対になった鴛鴦の掛け布団のことを言うのを止めよ。たとえ真珠の冠を被り、鳳凰の刺繍の上着を着る栄華や富貴に浴しても、生命の予知できない変化や無常な運命に抗(あらが)うことはできない。人生は老年になってから貧困で苦しむことのないよう、功徳を積んで子孫に幸福をもたらせとは言うけれど。意気軒高として、頭には高官を示す冠を被り、胸には金印を下げ、赫々とした地位にあり、爵位や俸禄は高く昇っても、最後は死んで黄泉への道を行くのを免れることはできない。古来の将軍や宰相でまだ存命の者はいるか。彼らが残したのは虚名に過ぎず、それを後代の人が尊敬しているだけである。
〔好事終〕
華美なる屋根の梁の上の繁華な春も過ぎ去り、花びらも風でひらひら舞い落ち、塵や埃に変わってしまった。(秦可卿は)セックスアピールが上手で、月のように輝く容貌を持っていたが、そのため家を滅ぼす原因となってしまった。先祖からの家業が衰えたのは皆賈敬の責任で、寧国府が衰退し、これが最終賈家が滅びる原因となった。全ての禍の根はよこしまな情感による。
〔飛鳥各投林〕
役人の一家の家業は衰退し、富貴なる一家の金銀は使い尽くされた。他人に恩恵を施した者は、危難の中で幸運にも死を免れ、情や義を果たさなかった者は、最後はそれぞれ当然の報いを受けることとなった。命の債務を欠いた者の運命は、既に償われ、涙の債務を欠いた者も、涙を流し尽くしてしまった。恨みは必ず報いを受けると言っても軽々しく報復すべきでなく、別れと再会は前世で定められたものである。ある人の寿命が短い原因を知ろうと思えば、前世の因果を聞かねばならない。(李紈が)歳をとってから富貴を手に入れたのは確かに本当に僥倖だ。浮世に嫌気がさした人は、最後に仏門に逃げ入ることを選び、間違った考えに固執し悟らない人は、最後に命の代価を支払う。(人々が名声や利益を争った後、最後には)鳥たちが食べ物を食べ尽くすと、四散して林の中に飛んで行くように、見渡す限り真っ白な原野のように、後には何も残らなかった。
歌が終わったが、まだ繰り返しのメロディーがあった。警幻は宝玉が何ら興味が無さそうに見えたので、ため息をついた。「おばかさんはまだ悟っていないのね。」かの宝玉は慌てて歌姫にもう歌わなくていいと止めて、自分では意識がぼんやり朦朧としてきて、酒に酔ったので横になりたいと言った。警幻は宴席の残りを取りやめるよう命じ、宝玉を香閨繍閣に連れて行った。この部屋の調度品の配置の豪華なことと言ったら、これまで見たことのないものであった。もっと驚くことには、とっくにひとりの仙女が中におり、そのあでやかで美しい様子は、宝釵にそっくりであった。しなやかで風雅な様子は、また 黛玉のようであった。ちょうどそれがどういう意味か分からないでいると、ふと警幻がこう言うのが見えた。「浮世の多くの金持ちの家では、緑色の寒冷紗(かんれいしゃ)が貼られた窓から見える月や風景、閨房から見える霞や霧も、皆絹のズボンを履いた殿方たちや姫君たちの淫らな行為で汚され、家の名声も辱められました。更に恨めしいことは、昔から軽薄で勝手気ままな行いをする人たちは皆、「色を好んでも淫らではない」だとか、「情はあるが淫らでない」とか言いますが、これらは皆間違いや醜悪な行為をごまかしているだけなのです。色を好むのは淫らであり、情を知るのはもっと淫らなことなのです。「巫山之会、雲雨之歓」(男女の間で歓合する行為のこと)というのは、皆その色を悦び、復たその情を恋することに由るのです。わたしがあなたを愛するのは、すなわち天下古今第一の淫人であるからです。」
宝玉はそう聞くと、びっくりして慌てて答えて言った。「仙女様、違います。わたしがものぐさで読書を怠けるので、家では父母がいつも訓戒、叱責しますが、どうして敢えてまた「淫」の字がつくようなことを冒しましょうや。まして年齢もまだ幼く、「淫」がどのようなことかも知りません。」警幻は言った。「違います。淫とはひとつの道理ですが、その意味は別にあります。世の淫を好む者の如きは、容貌を悦び、歌舞を喜び、人を笑わせることを厭わず、いつも性行為のことばかり考え、天下の美女と束の間の快楽を供することができないことを恨むのです。こうした行為は皮相的な淫蕩と見做され、愚かな行いであるに過ぎません。もしあなたが天分として痴情を生み出しているなら、われらはそれを「意淫」と考える。ただ「意淫」の二字だけが、心で会得できても言葉で伝えることのできない、精神では通じることができるが、言葉では伝達できないものなのです。あなたは今、独りこの二字を会得し、閨閣の中では良き友となることができましたが、世の中では現実離れした怪しい者と見られるを免れず、人々に嘲笑され、人々から怒りの眼差しで見られるのです。今既にあなたの祖先の寧、栄二公が胸襟を開いて心から頼まれたからには、わたしはあなたひとりが我が閨閣では誉れを高めても、人の世では捨て置かれるのが忍びないゆえ、あなたをこちらにお連れしました。美酒に酔い、仙茗(茶)が染み通り、妙なる曲で警鐘を鳴らし、更にわたしの妹で、幼名を兼美、字を可卿(賈蓉の妻の秦可卿)という者をあなたに添わせましょう。今宵は時が良いので、契りを結ぶことができます。けれどもあなたがこの仙閨幻境の風景を相変わらずこのように味わっていたら、まして浮世の情景はどう見えるでしょうか。今後は、くれぐれもご注意なさい。これまでの情況を悔い改め、孔子孟子の説く道に留意し、身を経世済民の道の推進に委ねなさい。」言い終わると、密かに「雲雨」(男女の夜の営み)の事を授け、宝玉を部屋の中に招じ入れると、扉を自ら閉ざした。
かの宝玉はぼうっとして、警幻の言いつけに随い、男女のことをせざるを得なくなり、また尽く述べるのもきまりが悪かった。翌日になるまで、ふたりの気持ちはぴったり合い、やさしいことばをかけ合い、可卿とは離れ難くなった。このためふたりが手に手を取って遊びに行くと、ふとある場所に着いたのだが、荊(いばら)があたり一面に生え、狼や虎がつきまとい、真っ黒な渓谷が行く手を阻み、通るべき橋も架かっていなかった。そこで躊躇していると、ふと警幻が後ろから追いかけて来て、こう言った。「それ以上先に行ってはだめだ。早く帰っておいで。」宝玉は急いで歩みを止めて尋ねた。「ここはどこなんですか。」警幻が言った。「ここがすなわち迷津の渡しで、深さが万丈もあり、遠く千里も隔たり、中は舟も通わず、ただ木の筏が一艘きり、すなわち「木居 mù jū 士」(「謀局」móu jú に通じ、策略家)が舵を執り、灰侍 huī shì 者(「会詩」huì shī に通じ、学問ができる人)が竿を支え、金銀の謝礼を受け取らず、たまたま縁有る者が来れば渡してくれるのです。あなたは今たまたまここまで来て、もしこの中に落ちてしまうようなことがあったら、わたしがこれまで諄々と戒めてきたことばの意味を深く悟ることになるでしょう。」話がまだ終わらないうちに、迷津の中で雷鳴が響くのが聞こえ、たくさんの妖怪変化が、宝玉を引きずり降ろそうとし、驚いた宝玉から冷や汗が雨のように滴り落ち、一方で思わず大声で叫んだ。「可卿、僕を助けて。」驚いた襲人や召使たちが宝玉を抱きしめ、叫んだ。「宝玉様、大丈夫ですよ。わたしたちはここにいます。」
さて、秦氏はちょうど部屋の外で子供の召使に猫や犬たちが喧嘩をしないよう、ちゃんと見ているよう言いつけていたが、突然宝玉が寝言で彼女の幼名を呼んでいるのが聞こえたので、不思議に思って言った。「わたしの幼名はここでは誰も知らないはず。あの方はどこで知って、寝言で呼んだのかしら。」果たしてそれはどうした理由によるものか、次回に解き明かします。
これで第五回は終了。宝玉の周りの女性たちの運命が予め語られ、宝玉は警幻仙女から性の手ほどきを受け、男女の秘め事を知るようになります。そして夢の中では賈蓉の妻の秦氏と契りを交わすこととなります。さて、この後どのような展開が待っているのか、次回をお楽しみに。