中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

『紅楼夢』第五回(その2)

2025年01月29日 | 紅楼夢
 第五回の前半で、警幻仙女から、宝玉や賈家一族に関わる女性たちの運命の一端を予言する帳簿を見せられた宝玉。警幻仙女から途中で止められ、この後何が起こるのでしょうか。第五回の後半の始まりです。

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 宝玉はぼうっとして、思わず知らず帳簿を投げ出し、また警幻に随い後ろの方にやって来た。しかし彫刻した梁、彩色した棟、真珠を連ねたすだれ、刺繍した帷、仙花が馥郁と香り、見たことのない草が香りたち、真にすばらしい場所であった。正に、

光は朱の扉や金を敷いた床に揺らめき、
雪は珠の窓、玉で作った宮殿を照らす。

また警幻が笑って言うのが聞こえた。「おまえたち、早く出て来てお客様をお出迎えなさい。」ことばが終わらぬうち、部屋の中に何人かの仙女たちが出て来た。蓮の葉のようなスカートのたもとがひらひらと揺れ、羽毛で編んだ衣服が空中を軽々と舞い、春の花のようになまめかしく、秋の月のようにあでやかであった。宝玉を見て、皆警幻を怨んで言った。「わたしたち、どちらの「賓客」がお越しになったか知らず、慌ててお出迎えしたんですよ。お姉さまは今日この時きっと絳珠ちゃんの魂が遊びに来ると言ったじゃないですか。だからわたしたちずっと待っていたんです。どうしてこんな汚らしい物を連れて来て、清らかな女子の世界を汚すんですか。」

 宝玉はこんなことを言われて、びっくりして後ずさりしようにもそれもできず、その結果自分がたまらなく不潔なものに思えた。警幻は慌てて宝玉の手を携え、仙女たちに向かって笑って言った。「おまえたちはいきさつを知らないんですよ。今日は元々栄国府に行って絳珠(こうじゅ。林黛玉は「絳珠仙草」の生まれ変わり)を連れて来るつもりだったのだけど、ちょうど寧国府を通った時に、たまたま寧栄二公の霊に出逢ったところ、わたしにこう頼まれました。「わたしの家は今の王朝が都を定められて以来、功名を代々上げ、富貴の家柄となり、既に百年続いてきましたが、如何せん遂に命数も尽き、挽回することができません。我らの子孫は多いとはいえ、結局家業を継ぐことのできる者がおりません。ただひとり嫡孫の宝玉は、天性がつむじ曲がりで、感情の持ち方がでたらめで、聡明で頭の回転が速いので、多少望みもあるのですが、如何せん我が家の運数は終わりを迎えているので、おそらく誰も規範通り正しく導いてやることはできないでしょう。幸い仙女様が来られたので、先ずは情欲や女色といった事でその愚かさを注意し、できればあの者を人を惑わす枠組みから抜け出させて、正しい道に入らせることができれば、我ら兄弟の幸せです。」こんなことを頼まれたものだから、慈悲の気持ちに駆られて、あの子をここに連れて来たのですよ。先ずあの子の家の上中下三等の女子の一生の帳簿を、詳しく見せたけれど、まだ悟れていない。だからここに連れて来て、様々な美食、美酒、音楽、女色の幻影を遍歴させれば、或いはやがて悟ることがあるかもしれません。」

 言い終わると、宝玉を連れて部屋に入った。少し幽玄な香りがしたが、何からそのような匂いが出ているか分からなかった。宝玉は思わず尋ねずにはおれないでいると、警幻は冷ややかに笑って言った。「この香りは浮世には無いもので、あなたがどうして分かるものですか。これはあちこちの名山や景勝地で初めて奇異な草花の精が生まれると、いろいろな宝林珠樹の油を合わせて作り、名を「群芳髄」と言いいます。」宝玉はそう聞いて、羨ましく思った。そして皆が席につくと、召使が茶を捧げ持って来たが、宝玉は香りが清々しく美味だと感じ、普通の茶と全く違うので、何という銘茶か尋ねた。警幻は言った。「この茶は放春山の遣香洞で出たもので、また仙花の霊葉の上に夜間溜まった露で沸かしたもので、名を「千紅一窟」と言います。」宝玉はそれを聞いて、頷いて称賛した。部屋の中には瑶琴、宝鼎、古画、新詩と、何でもあった。更に喜ばしいことに窓の下には針仕事中に吐き出した絹糸が落ちていて、化粧用品を入れる鏡箱の中にはいつも白粉や紅がこびりついていた。壁には一副の対聯が掛けられ、こう書かれていた。

幽微霊秀(人跡稀で浮世の塵も届かない)の土地、
如何ともすべからざる天命

宝玉はそれを見ると、それぞれ仙女に名前を尋ねた。ひとりは痴夢仙姑、ひとりは鐘情大士、ひとりは引愁金女、ひとりは度恨菩提と言い、各々道号は異なっていた。しばらくして子供の召使が来て、テーブルや椅子を用意し、酒や料理を並べた。まさに、

瓊漿(美酒)は玻璃(ガラス)の杯に満ち、
玉液(きらきらした液体)を琥珀の杯に一杯に注ぐ。

宝玉はこの酒の芳香や清涼さが際立っていたので、また尋ねずにはおれないでいると、警幻は言った。「この酒は百花の蕤(ずい)、万木の汁に、麒麟の骨髄と鳳の乳を加えて醸造し、それで名を「万艶同杯」と言います。」宝玉は称賛して已まなかった。


 酒を飲んでいる間、また十二人の踊り子が舞台に上がり、どの曲を演ずるか尋ねた。警幻は言った。「それでは新しく作った「紅楼夢」十二曲を演奏してください。」踊り子たちは「はい」と答えると、拍子木を軽く叩き、銀筝にゆっくりと手を当て、聞こえてきた歌詞は、

  始まりは混沌とし……

ようやく一句歌ったばかりの時に、警幻は言った。「この曲は浮世で流布している芝居の曲が、必ず生旦浄末といった役柄の決まりがあり、また南北九宮の音階の区別があるのとは違い、ある人物を詠嘆したり、ある事象を感懐したりしているうち、たまたまひとつの楽曲ができ、それに管弦の楽譜を付けたものです。もし当事者でなければ、その中身の妙は分かりません。おそらくあなたもこの調べを深く理解できないでしょうから、もし先にその原稿を読んでおいて、その後にその曲を聞くようにしないと、訳が分からず、却って蝋を噛むように味気ないものになってしまうでしょう。」そう言うと、振り返って子供の召使に命じて『紅楼夢』の原稿を持って来させ、宝玉に手渡した。宝玉はそれを受け取ると、目でその文を追いながら、その歌に耳を傾けた。

                                    
                            〔紅楼夢第一曲〕

  天地開闢より、誰が天性の痴情の人であろうか。実は皆男女の情愛に溺れているだけなのだ。
天命は如何ともし難い、悲しみに暮れる日々、ひとり寂しく過ごす時、試みに心の中の情感を述べてみよう。こういう訳で、この金(賈宝玉)を悲しみ玉(林黛玉)を悼む「紅楼夢」を演じるのだ。

        〔終身誤〕

  皆語るは金玉の良縁、わたしはただ木(林黛玉の前生は絳珠仙草)石(賈宝玉の前生は女媧氏が天を繕う時に余った石)の前世の盟約を思うだけである。(宝玉と宝釵は結婚してひとつ屋根の下で暮らすも)互いに気持ちが通じ合わず。(宝釵の)人柄は高尚、皮膚はすべすべしっとり。
でも遂に忘れられぬは絳珠仙草(黛玉)、彼女はひとり寂しく亡くなった。人間社会はよりすばらしく円満なことが欠けているとようやく知った。たとえ(宝釵と)互いに敬い合って暮らしても、結局心の底では (黛玉への)深い思いが忘れられぬ。

       〔枉凝眉〕

  ひとつは閬苑(仙界)の仙葩(草花)、ひとつは傷の無い美玉。たとえ奇縁など無いと言っても、この人生できっと彼女とめぐり合うことができるだろう。もし奇縁が有ると言うなら、どうしてふたりの気持ちを最後まで修復できなかったのか。ただため息をつくばかり、どんなに気にかけても無駄である。水中の月を見ても、鏡の中の花を見ても、いったい眼の中にどれだけ涙の粒があるのだろう。秋から冬になり、春から夏になり、どうやって我慢を続けていけるだろう。


 さて宝玉はこの曲を聞いても、まとまりが無くでたらめで、良いところが見られなかったが、その声や調べはやわらかく悲し気で、魂を奪われ、酔いしれさせられた。それでそのいきさつは問わず、その来歴も追求せず、しばしこれを以てうさを晴らしただけであった。それでまた続きを見た。

       〔恨無常〕

  喜ぶべき栄華は正に好し、恨むべき無常はまた到る。眼を開けると、万事が全てほうり投げられた。ゆらゆら揺れながら、(元春の)霊魂は消えて無くなる。故郷を望むも、道は遠く山は高い。
それゆえ父母に夢の中でこう頼んだ。わたしの命は既に黄泉に入りました。
父さん母さん、どうか(賈家がまだ豊かなうちに)早く官から身を引いてください。


       〔分骨肉〕

  (探春は)船に乗り風雨を受けはるばる他郷に嫁ぎ、骨肉の情も養われた家庭も、全て捨て去った。彼女は自分が泣いて年老いた家族の健康を損ねることを恐れた。父母には、娘のことを心配するなと言った。昔から、人生の困窮や栄達は皆予め定まっていて、人生の別れや再会も皆わけのあることだ。これよりふたつの地に分かれ分かれになるから、各々平安を保ちましょう。わたしがここを去っても、心配しないで。

        〔楽中悲〕

  (史湘雲は)襁褓(むつき)の中で、ああ、父母は共に亡くなった。よしんば富貴な者の中に居るとも、甘やかし育てられたと誰か知る。幸い生来、英雄豪傑のように度量が広く、個人の私情にとらわれることがなかった。ちょうど、雨後の月が宮殿を明るく照らすようであった。才能も容貌も優れた青年と結ばれ、末永く共に暮らすことで、幼い時に経験した不遇や不幸の埋め合わせをしたいと願った。しかし結局のところ、夫に先立たれ、不幸な境遇に陥った。浮世では、ものごとの盛衰は自然の規律であり、どうしていたずらに悲しむ必要があろうか。


                     〔世難容〕

  (妙玉は)気質の美しさは蘭の如し、才気は仙女のように溢れている。天性つむじ曲がりで、人とは異なる。このような人は稀である。肉を食べると生臭いにおいがし、華麗な絹の衣服は俗っぽくて嫌だと思っても、あまりに優秀な人は嫉妬されるし、あまりに潔癖だと人に嫌われる。嘆くべし、古い寺院の中でひとり老い、青春の年月を無駄にしてしまった。挙句の果て、相変わらず世間の汚い混沌とした状況を経て、遂には自分の理想とは異なる生活しか送れなかった。正に、傷の無い白玉が泥の中にはまってしまったようなものだ。それでも名門貴族の子弟と縁が無いと嘆いても無駄である。

       〔喜冤家〕

  中山の狼(迎春の夫、孫紹祖)は、情無き獣。当時のいきさつなど全く眼中に無い。ひたすら傲慢、奢侈、淫蕩を貪る結婚生活。見染められたのは、高官の家の綺麗な娘はカワヤナギのようにか弱い身体、いたぶられ、朝廷の高官の千金もどぶに捨てられたようなもの。美人のりっぱな霊魂も、一年で波間に漂うように消え失せてしまった。

       〔虚花悟〕

  かの三春(元春、迎春、探春)のことは分かったが、(惜春の)栄華富貴はこの後どうなったのか。浮世の賑やかさに幻滅し、清らかで静かなところで、身を修め精神を涵養したのであった。
天上の桃の花が満開だとか、雲中の杏子の花が盛りだと言ってどうなる。とどのつまり、誰が人生の試練にに耐えて終わりを全うすることができるのか。しからば見るがいい。墓場で人は悲しみ嗚咽し、墓場に植わる楓の木の下では死人の魂がうごめいている。そのうえ、次々枯れた枯草で墳墓が覆われてしまう。これはつまり、昨日貧しかった者が今日は金持ちになりと、人生はせわしなく変化する。春に花が咲いても秋には散り落ち、生命は花のように試練を経るものだ。このように、生死の運命を誰も避けることはできない。聞くならく、西方に生える宝樹は枯れ木に活力を呼び覚まさせ、長生果を実らせるとか。

       〔聡明累〕

  (王熙鳳は)苦心惨憺して家を切り盛りしたが、却って自分の命を犠牲にした。生前は気苦労で心が乱れ、死後は彼女の苦心も無駄になり、一切が無に帰してしまった。家の豊かさも、人口の安寧も、最後は壊れ果て、一家散り散りに離散してしまった。半生を無駄にはらはらどきどきと神経をすり減らし、まるで波間に絶えず漂うはかない夢のような人生であった。まるで高楼がミシミシ音を立てて崩れ、ぼんやりと灯が消え去ったかのようであった。ああ、一場の喜びも忽然と悲しみに変わってしまう。人の世の禍福は予想し難いことを嘆くのである。

       〔留余慶〕

   残りものに福有り、残りものに福有り 、ふと恩人に出逢う。わたしの娘(賈巧)のおかげだ、
わたしの娘のおかげだ、功徳を積めば、後代に良い報いがある。人生への教訓、困った境遇の人を見たら、救い助けなさい。あの守銭奴のような、肉親の情愛を忘れた人間(母方の叔父の王仁、いとこの賈環)になってはいけない。まさに善には善の、悪には悪の報いがあり、上には蒼天が広がっている。

       〔晩韶華〕

  (李紈と賈珠の間の)夫婦の情愛は、鏡の中の花や月のように茫漠とし、更に(李紈と息子の賈蘭が)追求する功名や利益は夢幻のように非現実的なものだ。あのすばらしい時間の過ぎ去ることの何と速いことよ。再び絹の刺繍の帷(とばり)や対になった鴛鴦の掛け布団のことを言うのを止めよ。たとえ真珠の冠を被り、鳳凰の刺繍の上着を着る栄華や富貴に浴しても、生命の予知できない変化や無常な運命に抗(あらが)うことはできない。人生は老年になってから貧困で苦しむことのないよう、功徳を積んで子孫に幸福をもたらせとは言うけれど。意気軒高として、頭には高官を示す冠を被り、胸には金印を下げ、赫々とした地位にあり、爵位や俸禄は高く昇っても、最後は死んで黄泉への道を行くのを免れることはできない。古来の将軍や宰相でまだ存命の者はいるか。彼らが残したのは虚名に過ぎず、それを後代の人が尊敬しているだけである。

       〔好事終〕

  華美なる屋根の梁の上の繁華な春も過ぎ去り、花びらも風でひらひら舞い落ち、塵や埃に変わってしまった。(秦可卿は)セックスアピールが上手で、月のように輝く容貌を持っていたが、そのため家を滅ぼす原因となってしまった。先祖からの家業が衰えたのは皆賈敬の責任で、寧国府が衰退し、これが最終賈家が滅びる原因となった。全ての禍の根はよこしまな情感による。

       〔飛鳥各投林〕

  役人の一家の家業は衰退し、富貴なる一家の金銀は使い尽くされた。他人に恩恵を施した者は、危難の中で幸運にも死を免れ、情や義を果たさなかった者は、最後はそれぞれ当然の報いを受けることとなった。命の債務を欠いた者の運命は、既に償われ、涙の債務を欠いた者も、涙を流し尽くしてしまった。恨みは必ず報いを受けると言っても軽々しく報復すべきでなく、別れと再会は前世で定められたものである。ある人の寿命が短い原因を知ろうと思えば、前世の因果を聞かねばならない。(李紈が)歳をとってから富貴を手に入れたのは確かに本当に僥倖だ。浮世に嫌気がさした人は、最後に仏門に逃げ入ることを選び、間違った考えに固執し悟らない人は、最後に命の代価を支払う。(人々が名声や利益を争った後、最後には)鳥たちが食べ物を食べ尽くすと、四散して林の中に飛んで行くように、見渡す限り真っ白な原野のように、後には何も残らなかった。


 歌が終わったが、まだ繰り返しのメロディーがあった。警幻は宝玉が何ら興味が無さそうに見えたので、ため息をついた。「おばかさんはまだ悟っていないのね。」かの宝玉は慌てて歌姫にもう歌わなくていいと止めて、自分では意識がぼんやり朦朧としてきて、酒に酔ったので横になりたいと言った。警幻は宴席の残りを取りやめるよう命じ、宝玉を香閨繍閣に連れて行った。この部屋の調度品の配置の豪華なことと言ったら、これまで見たことのないものであった。もっと驚くことには、とっくにひとりの仙女が中におり、そのあでやかで美しい様子は、宝釵にそっくりであった。しなやかで風雅な様子は、また 黛玉のようであった。ちょうどそれがどういう意味か分からないでいると、ふと警幻がこう言うのが見えた。「浮世の多くの金持ちの家では、緑色の寒冷紗(かんれいしゃ)が貼られた窓から見える月や風景、閨房から見える霞や霧も、皆絹のズボンを履いた殿方たちや姫君たちの淫らな行為で汚され、家の名声も辱められました。更に恨めしいことは、昔から軽薄で勝手気ままな行いをする人たちは皆、「色を好んでも淫らではない」だとか、「情はあるが淫らでない」とか言いますが、これらは皆間違いや醜悪な行為をごまかしているだけなのです。色を好むのは淫らであり、情を知るのはもっと淫らなことなのです。「巫山之会、雲雨之歓」(男女の間で歓合する行為のこと)というのは、皆その色を悦び、復たその情を恋することに由るのです。わたしがあなたを愛するのは、すなわち天下古今第一の淫人であるからです。」

 宝玉はそう聞くと、びっくりして慌てて答えて言った。「仙女様、違います。わたしがものぐさで読書を怠けるので、家では父母がいつも訓戒、叱責しますが、どうして敢えてまた「淫」の字がつくようなことを冒しましょうや。まして年齢もまだ幼く、「淫」がどのようなことかも知りません。」警幻は言った。「違います。淫とはひとつの道理ですが、その意味は別にあります。世の淫を好む者の如きは、容貌を悦び、歌舞を喜び、人を笑わせることを厭わず、いつも性行為のことばかり考え、天下の美女と束の間の快楽を供することができないことを恨むのです。こうした行為は皮相的な淫蕩と見做され、愚かな行いであるに過ぎません。もしあなたが天分として痴情を生み出しているなら、われらはそれを「意淫」と考える。ただ「意淫」の二字だけが、心で会得できても言葉で伝えることのできない、精神では通じることができるが、言葉では伝達できないものなのです。あなたは今、独りこの二字を会得し、閨閣の中では良き友となることができましたが、世の中では現実離れした怪しい者と見られるを免れず、人々に嘲笑され、人々から怒りの眼差しで見られるのです。今既にあなたの祖先の寧、栄二公が胸襟を開いて心から頼まれたからには、わたしはあなたひとりが我が閨閣では誉れを高めても、人の世では捨て置かれるのが忍びないゆえ、あなたをこちらにお連れしました。美酒に酔い、仙茗(茶)が染み通り、妙なる曲で警鐘を鳴らし、更にわたしの妹で、幼名を兼美、字を可卿(賈蓉の妻の秦可卿)という者をあなたに添わせましょう。今宵は時が良いので、契りを結ぶことができます。けれどもあなたがこの仙閨幻境の風景を相変わらずこのように味わっていたら、まして浮世の情景はどう見えるでしょうか。今後は、くれぐれもご注意なさい。これまでの情況を悔い改め、孔子孟子の説く道に留意し、身を経世済民の道の推進に委ねなさい。」言い終わると、密かに「雲雨」(男女の夜の営み)の事を授け、宝玉を部屋の中に招じ入れると、扉を自ら閉ざした。

 かの宝玉はぼうっとして、警幻の言いつけに随い、男女のことをせざるを得なくなり、また尽く述べるのもきまりが悪かった。翌日になるまで、ふたりの気持ちはぴったり合い、やさしいことばをかけ合い、可卿とは離れ難くなった。このためふたりが手に手を取って遊びに行くと、ふとある場所に着いたのだが、荊(いばら)があたり一面に生え、狼や虎がつきまとい、真っ黒な渓谷が行く手を阻み、通るべき橋も架かっていなかった。そこで躊躇していると、ふと警幻が後ろから追いかけて来て、こう言った。「それ以上先に行ってはだめだ。早く帰っておいで。」宝玉は急いで歩みを止めて尋ねた。「ここはどこなんですか。」警幻が言った。「ここがすなわち迷津の渡しで、深さが万丈もあり、遠く千里も隔たり、中は舟も通わず、ただ木の筏が一艘きり、すなわち「木居 mù jū 士」(「謀局」móu jú に通じ、策略家)が舵を執り、灰侍 huī shì 者(「会詩」huì shī に通じ、学問ができる人)が竿を支え、金銀の謝礼を受け取らず、たまたま縁有る者が来れば渡してくれるのです。あなたは今たまたまここまで来て、もしこの中に落ちてしまうようなことがあったら、わたしがこれまで諄々と戒めてきたことばの意味を深く悟ることになるでしょう。」話がまだ終わらないうちに、迷津の中で雷鳴が響くのが聞こえ、たくさんの妖怪変化が、宝玉を引きずり降ろそうとし、驚いた宝玉から冷や汗が雨のように滴り落ち、一方で思わず大声で叫んだ。「可卿、僕を助けて。」驚いた襲人や召使たちが宝玉を抱きしめ、叫んだ。「宝玉様、大丈夫ですよ。わたしたちはここにいます。」

 さて、秦氏はちょうど部屋の外で子供の召使に猫や犬たちが喧嘩をしないよう、ちゃんと見ているよう言いつけていたが、突然宝玉が寝言で彼女の幼名を呼んでいるのが聞こえたので、不思議に思って言った。「わたしの幼名はここでは誰も知らないはず。あの方はどこで知って、寝言で呼んだのかしら。」果たしてそれはどうした理由によるものか、次回に解き明かします。


 これで第五回は終了。宝玉の周りの女性たちの運命が予め語られ、宝玉は警幻仙女から性の手ほどきを受け、男女の秘め事を知るようになります。そして夢の中では賈蓉の妻の秦氏と契りを交わすこととなります。さて、この後どのような展開が待っているのか、次回をお楽しみに。
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『紅楼夢』第五回(その1)

2025年01月25日 | 紅楼夢
 賈家の親戚である薛家のドラ息子、薛蟠が起こした殺人事件は、なんとか解決し、薛蟠とその母親である薛姨媽(賈政の妻である王夫人の妹)は、栄国府の敷地内の北東にある梨香院で暮らすことになりました。続いて何が起こるのか。紅楼夢第五回のはじまりです。

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賈宝玉は太虚境に神遊し、
警幻は仙曲もて紅楼夢を演ず

 第四回の中で、薛家の母子が栄国府の中に身を寄せ暮らすといった事のあらましは既に述べたので、この回ではしばし書かないで良いだろう。今、林黛玉は栄国府にて、一に賈のお婆様が非常にいとおしみ、寝食起居何れも、宝玉と全く同じで、かの迎春、探春、惜春の三人の孫娘を後回しにした。そして宝玉と黛玉二人の親密さ、友情も他の人々とは異なった。昼間は一緒に行動し、夜は一緒に休み、真に意気投合していること、お互い分かち難い様子であった。しかし思いがけず、今突然に薛宝釵がやって来た。歳は多少上だが、品行方正で、容貌は美しく、人々は皆黛玉は宝釵に及ばないと言った。かの宝釵は行動が闊達で、臨機応変に対応でき、黛玉のようにひとり孤高を保ち、視線を下々の方に向けないというようなことはなかったので、深く人々の心を捕えた。それで召使の女たちも、多くは宝釵に親近感を持った。このため黛玉は心の中で義憤を感じていた。宝釵はしかし少しもそれを察していなかった。

 かの宝玉もまだ幼少で、まして彼は天性で備えた資質として、愚かで無知で、兄弟姉妹皆同じに思い、親疎遠近の区別が無かった。今黛玉とは一緒に賈のお婆様の部屋にいたので、多少他の姉妹に比べて手慣れていた。手慣れていたからには、より親密に感じていた。親密であったから、多少は思いがけない誤解が生じるのも致し方なく、懸命に名誉を守ろうと思うも、却って中傷を受けてしまうものだ。この日理由は分からないが、ふたりは話しているうちに少し言い合いをしてしまい、黛玉はまた部屋の中でひとり涙を流し、宝玉も意見が衝突してしまったことを自ら悔やみ、黛玉のところへ行って謝り、黛玉は次第に機嫌を直した。

 東側の寧国府の花園の中の梅の花が満開であったので、賈珍の妻の尤氏は酒菜を準備し、賈のお婆様、邢夫人、王夫人らを招いて花見をした。この日は先ず賈蓉夫妻が来て、ご挨拶をした。 賈のお婆様らは朝食後に来られ、会芳園で梅を鑑賞し、先に茶が出て、その後酒になった。とはいえ、寧栄両府の身内の宴会であり、別段特記すべき新たな趣向も無かった。


 しばらくして宝玉は疲れて、ちょっと昼寝がしたくなった。賈のお婆様は人に命じ、休憩に行ってまた戻って来るよう言った。賈蓉の妻の秦氏はすぐに笑って言った。「わたしたち、ここには宝叔父様のため片付けた部屋があるんですよ。お婆様、ご安心ください。わたしにお任せくだされば、大丈夫です。」それで宝玉の乳母や召使たちに言った。「おばあさん、お姉さん方、宝叔父様にわたしのところに来ていただいて。」賈のお婆様は日ごろから秦氏がたいへん穏当な人であるのを知っていた。というのも、彼女は容姿が上品で愛らしく、行動はおとなしく穏和であり、孫たちの嫁の中で一番のお気に入りであったので、彼女が宝玉を置いてくれるのであれば、自然と安心できるのであった。

 すぐさま秦氏は何人もの人を連れて客間の奥の寝室に向かった。宝玉は上に一幅の絵が掛かっているのを見上げた。描かれた人物はもとより良かったのだが、その物語は『燃藜図』(ねんれいず。漢の成帝の末年、劉向が天禄閣で書物の校正をしていると、夜中に黄色い服を着、青藜の杖をついた老人が楼閣に登って来た。老人が杖の端を吹くと藜(あかざ)が燃え出し、部屋を照らしたので、劉向は引き続き校正を続けることができた。人々に勤学を勧める物語。)であったので、宝玉は内心愉快ではなかった。また一副の対聯があり、こう書かれていた。

世事が洞明(見通せる)なのは皆学問、
人情の練達なるは即ち文章。

 宝玉はこの二句を見るに及び、部屋はきれいで、部屋の調度の配置は華麗であったけれども、断じてここにいるを肯(がえん)ぜず、慌てて言った。「早くここから出ようよ、出ようよ。」秦氏はそれを聞くと笑って言った。「ここが嫌だったら、どこへ行きましょうか。それならわたしの部屋に行きましょう。」宝玉が頷き微笑むと、ひとりの乳母が言った。「叔父がおいの嫁の部屋に行って眠るなんて、どこにそんな礼儀がありますか。」秦氏は笑って言った。「あの子のことで悩んでも仕方が無いわ。あの子は幾つになったら、こうしたことが忌むべきだと分かるのかしら。先月、うちの弟が来たのを、あなた、ご覧にならなかった?宝玉叔父様とは同い歳だけど、ふたりが一緒にいると、どちらが年上か分からないわ。」宝玉は言った。「ぼく、どうしてあの子に会ったことがないのだろう。あの子を連れて来て、僕に会わせてよ。」周りの人々は笑って言った。「二三十里離れているのに、どうやって連れて来るの。また会う機会もあるわ。」

 そう言うと、皆は秦氏の寝室にやって来た。部屋に入ると、微かに甘い香りがしてきて、宝玉はこの時疲れて朦朧としていて、続けざまに言った。「いい香りだ。」部屋に入って壁の上を見ると、唐伯虎の描いた「海棠春睡図」が掛けられ、両側には宋代の学士、秦太虚が書いた一副の対聯があり、それには:
嫩(よわ)い寒さが夢を鎖(とざ)すは春冷に因り、
芳気が人を襲うは是れ酒香。

机の上には武則天が曾て鏡室(手洗い)に置いていた宝鏡が置かれていた。一方には趙飛燕が立ったまま舞ったという金の盆が並べられ、盆の中には安禄山が投げて傷つけた太真乳(「太真」は楊貴妃のこと)の木瓜(カリン)が盛られていた。上の方には寿昌公主が含章殿の下で横になったという宝榻(寝台)が置かれ、掛けられているのは同昌公主が作ったという連珠帳(連ねた真珠で装飾した帳(とばり))であった。宝玉は笑みを浮かべて言った。「ここはいい、ここはいい。」秦氏は笑って言った。「わたしの部屋はおそらく神様でも住めるのよ。」そう言いながら、自ら西施が洗ったという薄い掛け布団を広げ、紅娘が抱いたという鴛鴦枕(夫婦が使うおしどりの刺繍の入った枕)の位置を整え、乳母たちは宝玉がちゃんと横になるのを世話し、ゆっくりとそこを離れて行き、襲人、晴雯、麝月、秋紋の四人の召使だけが残ってお伴をした。秦氏は幼い召使たちに、ちゃんと軒下で猫たちが喧嘩しないよう番をするよう言いつけた。

 かの宝玉はようやく目をつぶり、ぼうっとして眠りについたが、なお秦氏が目の前にいるような気がして、ふわりふわりと、秦氏と一緒にある場所に行った。ただ朱色の欄干と玉の石垣だけが見え、緑の木々に清流が流れ、真に人跡稀(まれ)で、塵一つない清浄なところであった。宝玉は夢の中で嬉しくなり、こう思った。「この場所はおもしろい。僕はもしここで一生暮らせるなら、毎日父上や母上、先生から管理されるよりずっといい。」ちょうど好き勝手に妄想していると、山の後ろから誰かが歌を歌うのが聞こえた。

 春の夢は雲に随って散り、飛ぶ花びらは水の流れを遂(お)う。言を衆(もろもろ)の児女に寄せる。何ぞ必ずしも閑愁を覓(もと)めん。

 宝玉が聞いたのは、女の子の声であった。歌声のまだ止まぬうちに、早くもあちらからひとりの美人が歩いて来るのが見えた。ひらひらとしなやかに歩き、普通の人とは全く異なっていた。その有様は、次の賦(詩)を見れば明らかである。

 今しがた柳の塢(どて。堤)を離れ、ちょうど花の館を出(いで)しところ。行くと、鳥たちが庭の樹木に驚く。影が回廊を度(わた)れば、仙女の着物の袖がひらひら漂い、麝香や蘭の香りが馥郁(ふくいく)とした。蓮の葉のような衣裳が揺れ、(首に掛けた)環珮(玉の飾り)のリズミカルな音が聞こえた。えくぼを含んだ笑顔は春の桃のようにあでやかで、髷(まげ)を雲のように高く結い、翡翠色に輝いた。唇は桜の花のようにあでやかに裂け、歯にはドリアンのような甘い香りを含んだ。ふと見るとすらりとした腰は楚々として、風が雪を舞いあげるように軽やか。髪に付けた真珠と翠玉の簪はきらきら輝き、エメラルドグリーンに明るい黄色が鮮やかだった。(咲き誇る)花の間に出没し、怒った時も喜んだ時も美しい。池の周りを自由自在に駆け巡る。細くカーブした美しい眉を顰め、もの言いたげなるも何も言わぬ。足どりはなよなよとし、止まろうとしつつもそのまま行き過ぎる。かの仙女の美しさたるや、氷のように清らかで、玉のようにしっとり潤いがある。彼女の身に着けた華やかな衣裳たるや、鮮やかで眼にまばゆい。彼女の容貌の美しさたるや、香料のかぐわしさを含んだ、彫刻を施された玉器のよう。かの美人の身のこなしは、鳳や龍が飛び立つかのよう。彼女の本性は如何なものか。春の梅が雪の中でほころびるように純白である。その純潔さたるや、秋の菊に霜が降りたように清らか。その静けさたるや、松の樹が谷間に枝を伸ばすよう。そのあだっぽさは、夕焼けが池の水面に映り込むよう。このような文章は、聞いてどう感じられるだろう。龍が身をくねらせて沼の中を遊ぶよう。彼女の容姿はどうであろう。真っ白な月が清らかな川の水を照らすよう。遠くは西施、近くは王昭君をも恥じ入らせる。彼女はどこで生まれ、どこに降臨したのであろうか。もし宴席を終え帰ってきたのでなければ、きっと瑶池から来た仙女で、唯一無二の存在だ。きっと簫を吹いて仙境に導けば、そこでも並ぶ者無き存在であろう。

 宝玉が見たのはひとりの仙女で、彼は嬉々として走り出て両手を組んでお辞儀をし、笑って尋ねた。「仙女様、どこから来られたか存じませんが、どちらへ行かれるのでしょう。わたしもここがどこか存じません。どうかわたしをお連れください。」かの仙女は言った。「私は離恨天の上、灌愁海の中に居り、すなわち放春山、遣香洞、太虚幻境の警幻仙姑と言う者です。人間界の男女の恋愛沙汰を司り、浮世での女の怨み男の痴情を掌握しています。最近は男女間の愛情のもつれで生じた恨み事や罪業がここで纏(まつ)わりつくので、実際に訪問して観察する機会により、ふたりを別れさせたり慕い合わせたりするのです。今日あなたと逢ったのも、また偶然ではありますまい。ここはわたしの居るところからも遠くなく、別段これ以外何もありませんが、ただ自ら不老長寿の茶を一杯摘み、自ら美酒を数甕醸し、魔舞に精通した歌姫が、新たに仙曲「紅楼夢」十二曲を作りました。わたしと一緒に試しに聞いてみますか。」


 宝玉はそれを聞くと、喜ぶまいことか、秦氏がどこにいるかも忘れ、この仙女と一緒にとある場所に行った。ふと前面に石碑が横に建てられているのが見え、その上には「太虚幻境」の四文字が大きく書かれ、両側には一副の対聯があり、それにはこう書かれていた。

假を真とする時真もまた假、
無を有と為すところ有も還た無。

牌坊の方を見ると、一基の宮門があり、上には横書きで四文字が大書され、「孽海情天」と書かれていた。これにも一副の対聯があり、大きな文字でこう書かれていた。

 厚地高天、嘆くに堪える古今の情の尽きざるを。
痴男怨女、憐れむ可し風月之債(男女の情愛のもつれの欠債)は贖い難し。

 宝玉はこれを見て、心の中で思った。「なるほどそういうことか。しかし「古今の情」とはどういうことか。また「風月之債」とはどういうことなのだろう。これからちょっと味わってみようではないか。」宝玉はひたすらこのように思うばかりで、はからずも早くも幾ばくかの邪念が心の内の深いところに巣くっていった。仙女に随い二番目の門の中に入った途端、両側の配殿には皆扁額と対聯があるのが見え、とっさにはその幾つも見ることができず、ただ何ヶ所か、こう書かれているのが見えただけである。「結怨司」、「朝啼司」、「暮哭司」、「春感司」、「秋悲司」。宝玉はこれらを見て、仙女に尋ねた。「お手数ですが、どうか仙女さん、わたしを連れてあの各司の中を見物させてもらうことはできないでしょうか。」仙女は言った。「この中の各司にあるのは、この世の全ての女子の過去と未来の帳簿です。あなたは俗世間の人だから、先に知るわけにはいかないのです。」宝玉はそう聞くと、どうしてあきらめられようか。また何度も頼み込むと、かの警幻は言った。「仕方ありません。この司の中をざっとご覧いただきましょう。」宝玉は飛び上がる程喜び、上を見上げてこの司の扁額を見ると、「薄命司」の三文字が書かれ、両側に対聯があり、こう書かれていた。

春恨み秋悲しむは皆自ら惹き起こす、
花容月貌は誰が為に妍(あでや)かなる


 宝玉はこれを見て、感心しため息をついた。門の中に入ると、十数台の大きな戸棚が置かれ、皆封を貼って封印してあった。その封印の紙には、皆各省の文字が書かれていた。宝玉は一心に自分の故郷の紙を選んで見ると、その戸棚の上の封には大きな文字で「金陵十二釵正冊」と書かれているのが見えた。宝玉はそれで尋ねた。「「金陵十二釵正冊」とはどういうことですか。」警幻は言った。「つまり、あなたの省の十二人の最も優れた女子の帳簿で、それゆえ正冊と言うのです。」宝玉は言った。「常々金陵はとても大きいと言われています。どうして十二人しか女子がいないのですか。今うちの家だけでも、上から下まで数百人の女子がいます。」警幻は微笑んで言った。「ひとつの省の女子は固より多いですが、その重要な者だけ選んでここに記録しているだけで、両側の二つの戸棚にはそれに次ぐ者の帳簿があります。それ以外の凡庸な者は、記録が無いのです。」

 宝玉は再び次の戸棚を見ると、上に「金陵十二釵副冊」と書かれ、またひとつの戸棚には「金陵十二釵又副冊」と書かれていた。宝玉は手を伸ばし、先ず「又副冊」の戸棚の扉を開け、一冊の帳簿を取り出し、開いて見ると、最初のページには絵が描かれていた。人物ではなく、山水でもなく、ただ墨で濃淡が付けられ、紙一面に黒い雲や濁った霧が描かれているだけだった。後ろに何行か文字が書かれていた。


  雨後の晴れ間(晴)に出る月には出逢い難く、彩雲(雯)は散り易い。
 (晴雯は)心は天より高きも、身は下賤に在り。聡明利発、機智に富むも、他人の嫉妬を
 受けがちである。
 彼女の短命は多くは他人の誹謗より生じ、多情の公子は空しく彼女のことを気にかける。
 (晴雯は宝玉の四人の召使のひとり)

 宝玉はこれを読んでもあまり意味がよく分からなかった。また後ろに一束の花、一席の破れた蓆(むしろ)が描かれ、いくつか言葉が書かれていた。

  (襲人は)やさしくおとなしい人とはいえ、キンモクセイや蘭の花がもの言わぬように
 何も応えぬ。優れた演者や怜悧な子女は幸せだと羨んでも、公子と縁無しとは誰知ろう。
 (襲人は宝玉付きの召使の第一。)

 宝玉はそれを見て、ますます何のことやら分からなくなり、遂にこの帳簿をそのままにして、また「副冊」の棚の扉を開け、一冊の帳簿を取り出し、それを開いて見ると、最初のページはやはり絵で、一枝のキンモクセイの花(「桂花」)が描かれ、下の方は池だが、中の水は涸れ泥が干上がり、蓮は根から枯れてしまっていた。その後ろにはこう書かれていた。

  蓮は根と花が同じ茎に生え、良い香りを発するものだが、終生実につらい経験をしてきた。
 夏金桂(ふたつの「土」と一本の「木」で「桂」)が薜蟠に嫁いでから、香菱は迫害され、
 魂は故郷に返った。

 宝玉はこれを見てもまた理解できなかった。また「正冊」を取って見てみると、最初のページには二本の枯れ木が描かれ、木の上には一本の玉の帯が掛かっていた。地面には雪が積もり、雪の中に一本の金の簪が描かれていた。これにも四句の詩が添えられていた。

  嘆く可し機を停めるの徳、憐れむに堪える絮(雪)を咏(うた)うの才。
 玉の帯は林の中に掛け(玉帯林中挂。「玉帯林」yù dài lín を逆に読むと林黛玉lín dài )、
 金の簪(宝釵)は雪 xuě (「薛」xuē と同音)の中に埋まる(薛宝釵を指す)。

宝玉はこれを見ても依然理解できず、どういうことか聞こうと思ったが、天の機密を漏らしてはならないと知り、捨ててしまおうとするも、捨てることができず、遂には更に次を見た。それにはひと振りの弓が描かれ、弓の上には香橼chuán(枸櫞。シトロン)が一個掛かっていた。これにも一首の歌詞が添えられていた。

  二十年来是非を見分け、石榴(ざくろ)の花の開くところ宮廷の帷を照らす。
 三春争いて及ぶ初春の景(賈元春を指す)、虎と兎が相逢う時
 (寅年と兎年の境の立春の日)に大夢帰る(生命が尽きる)。

その後ろには、ふたりの人が凧を揚げているのが描かれ、大海原に一艘の大船が浮かび、船の中にはひとりの女子がおり、顔を覆って泣いている情景である。絵の後ろにも、四句の詩が書かれている。

  才は聡明怜悧にして志は自ずと高きも、末世に生まれ運命は佳からず。
 清明節に家人は川のほとりで我が嫁に行くのを涙を流して見送る、千里東風一夢遥かなり
 (嫁ぎ先は家から遠く、故郷は夢の中でしか見ることができない)。
 (賈探春のことを指す)

後ろにはまた何筋かの雲と、流れゆく川の水が描かれていた。その詞に言う。

  富貴の家に生まれて何の意味があるのか。襁褓(むつき)の間に父母と離別す。
 夕陽の残照を見て悲しみに耽(ふけ)る。湘江の水は逝(ゆ)き楚の雲は飛び去る。
 (史湘雲のことを指す)


その後ろにはまた一塊の美玉が、泥の汚れの中に落ちているのが描かれている。その運命を判定する言葉に言う。

  純潔を望んでも純潔たり得ず、浮世を超越すると言っても煩悩は出てくるものだ。
 憐れむべし金玉の質、ついに泥中に陥る。(妙玉のこと)


その後ろにはふと悪賢い狼が描かれ、ひとりの美女を追いかけ、食べようとしていた。その下に次の文が書かれていた。

  子(男)は中山の狼、志を得て暴れ狂う。閨房の中ではきゃしゃで弱々しく、
 一載にして黄粱に赴く(短い時間の後あの世に旅立つ)。(賈迎春のこと)

その後ろは古い廟で、中にひとりの美人がおり、廟の中で経を読みひとり座っている。その運命を判定する言葉に言う。

  三春の景長からざるを看破し、無地の法衣でにわかに昔日の装いを改める。
 憐れむべし華美なる名門の娘、ひとり青灯の古佛の傍らに臥す。
 (賈惜春のこと)

その後ろには氷の山が描かれ、その上には一羽のメスの鳳がとまっている。その運命を判定する言葉に言う。

  凡そ鳥(鳳。王熙鳳を指す)は偏に末世より来り、皆この生まれ出ずる才を愛慕す。
 (夫である賈鏈の態度は)最初は言うことを聞いてくれたが(一従)、次第に冷淡になり(二冷)、
 遂には離縁を言い渡した。(三人木は「休」、「休棄」で妻を離縁すること)
 彼女は離縁され泣きながら実家に帰った。

その後ろには人煙まれな寒村と旅館が描かれ、ひとりの美人が布を織っている。その運命を判定する言葉に言う。

  権勢は既に衰え、過去の富貴は語る莫れ。家業は既に凋落し、親族のことは論じる莫れ。
 たまたま(巧姐の母の王熙鳳が)村婦(村から出て来た劉婆さん)を援けたために、
 うまい具合に(巧姐は)恩人(の劉婆さん)に出会って助けてもらうことができた。

詩の後にはまた一鉢の茂った蘭、傍らにはひとりの鳳の冠と刺繍の肩掛けを身に着けた美人が描かれていた。その運命を判定する言葉に言う。

  桃やスモモは春に実を付けると使命を終える(李紈と賈珠の結婚は春風のように短かった)が、
 最後は誰が一鉢の蘭のように盛んに茂るだろう(没落する賈府の中で、最後に賈蘭が出世する)。
 (李紈は)氷水のようにきれいな貞節を保つも、空しく人の嫉妬を受ける。
 空しく他人に笑い話の種にされた。

詩の後ろにはまた高い楼閣が描かれ、その上でひとりの美人が梁に首を吊り自尽している。その運命を判定する言葉に言う。

  情天情海(男女が互いに愛し合う情)、夢幻の情は深く、ふたりの情がひとたび惹き合うと
 自分で抜け出すのは難しく、必ず淫らな情が生じる。
 言うなかれ不肖の子弟は皆栄府より出ずと。事の発端は実は寧府より出ず。
 (賈蓉の父賈珍と息子の嫁の秦可卿の間に不義の男女関係があったことを指す)

宝玉はまだ見たいと思ったが、かの仙女は宝玉の天分が優れ、気性が聡明であるのが分かり、天の秘密が漏れてしまうのを恐れ、帳簿を閉じると、笑って宝玉に言った。「ひとまずわたしと一緒に不思議な景色を見て回りましょう。ここでこんな難しいなぞなぞとにらめっこする必要なんてありませんわ。」


 今回は、ここまで。警幻仙女から、宝玉や賈家一族に関わる女性たちの運命の一端を予言する帳簿を見せられた宝玉。警幻仙女から途中で止められましたが、この後、何が起こるのでしょうか。続きは次回で。
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『紅楼夢』第四回

2025年01月21日 | 紅楼夢
 王夫人の妹の嫁ぎ先の薛家で、妹の子供の薛蟠が殺人事件を起こしたという急報がもたらされ、騒ぎになりますが、この訴訟案件を裁いたのが、第一回で出てきた賈雨村でした。しかも、薛蟠の殺人事件のそもそもの原因は、この物語の当初に起こった事件がからんでいました。『紅楼夢』第四回をお読みください。

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薄命の女は偏(ひとえ)に薄命の郎(おとこ)に逢い、
葫蘆の僧は葫蘆の案を判断する

 さて、黛玉は女兄弟たちと王夫人のところへ行くと、王夫人がちょうど兄嫁のところの使いと一家のいざこざについてあれこれ画策し、またおばの家で人命に関わる訴訟事件が遭ったと話しているのを聞き、王夫人がたいへん煩雑な件に対処されているのを知り、彼女たちは部屋を出て、亡くなった兄の妻の李氏の部屋に行った。

 この李氏というのは賈珠の妻であった。賈珠は若くして亡くなったが、幸い子供がひとりいて、名を賈蘭といい、今ようやく五歳になり、既に家塾に入り勉強をしていた。この李氏はまた金陵の名の知れた役人の娘で、父親の名は李守中といい、曾て国子祭酒を務めた。一族の男女は皆詩書をたしなみ、李守中までそれが続いたが、「女子は才が無いのが徳である」と言うので、この娘が生まれるとあまり熱心に勉強をさせず、ただ『女四書』、『列女伝』などを勉強させたので、いくつか文字も読め、また前の王朝の何人かの賢女の事跡も憶えた。しかし針仕事や家事ができることが大切なので、名を李紈wán、字を宮裁とした。したがって、この李紈は若くして伴侶を失っても、相変わらず贅沢な生活が送れ、枯れた樹木や火災の後の冷えた灰のように、心は沈み込んでいても、一切問わず聞かず、ただ親族に仕え子を養い、時間があれば小姑らのお伴をし、裁縫をしたり詩を詠んだりするだけであった。今黛玉はこのお屋敷に移り住み、既にこれら何人かの女性たちと一緒にいるので、故郷の父親のことを除いては、何も心配することはなかった。

 さて、賈雨村は応天府に官職を得て、赴任するや、すぐに人命に関わる訴訟案件が、詳細に彼の職務机の上に報告が上げられたのだが、ふたつの家の間で召使の女の購入をめぐって争いになり、双方が譲らず、遂には殴り合いで人命を損ねたのであった。この時雨村は原告を拘束して取り調べると、その原告が言うには、「殺されたのは手前どもの主人です。その日、召使の女を買ったのですが、まさか誘拐犯が誘拐してきて売ったとは思いませんでした。この誘拐犯は先に当家の銀子を受け取っており、当家の主人が元々三日目が吉日であるので、その日に受け取って家に入れるつもりでした。この誘拐犯はまたこっそりと薛家に売っていたのを、わたしどもに知られることになり、売主を捜して、女中を奪い取ったのです。いかんせん薛家は金陵のボスで、権勢を笠にして、屈強な手下が手前どもの主人を殴り殺したのです。殺した下手人とその手下は既に皆逃亡し、跡形もなく、ただ何人かの部外者がいるだけでした。わたしはずっと委細を申し上げておりますが、どなたも率先して取り扱ってくれません。どうか旦那様、殺人犯を捕まえ、善良な者を助けてくだされば、生きている者も死んだ者も皆あなた様の大恩にどんなに感謝しても尽きることがございません。」


 雨村はそれを聞くと大いに怒って言った。「それはなんとしたことだ。人を殴り殺したのに虚しく逃がして捕まえられないとは。」それで命令書を出して役人を差し向け、直ちに殺人犯の家族を連行して拷問しようとした。ふと見ると、机の傍にひとりの門番が立ち、雨村に命令書を出さぬよう、目くばせした。雨村は心の中で疑念が湧き、手を止めるしかなかった。広間を退き密室に行き、お供の者を退かせ、ただこの門番ひとりを留めて控えさせた。門番は急いで前に進み出て挨拶をし、笑って尋ねた。「旦那様はずっと官位が上がり俸禄を増やしてこられて八九年になられますが、わたしをお忘れですか。」雨村は言った。「見たところ、おまえにたいへん見覚えがあるのだが、すぐには思い出せぬのだ。」門番は笑って言った。「旦那様はどうして出身地のことまでお忘れなのですか。旦那様はあの時の葫蘆廟での出来事を憶えておられませんのですか。」

 雨村は大いに驚き、ようやく当時の事を思い出した。実はこの門番は葫蘆廟の沙弥(出家したばかりの少年僧)で、火災の後、身を寄せるところが無く、この仕事はあまり重要ではないし、寺の中の寂しさも我慢できなかったので、遂に若さに乗じ、髪の毛を伸ばし、門番になったのであった。雨村がどうしてこの男のことを憶えていようか。それで急いで手を携え笑って言った。「実はわたしも昔馴染みなのです。」それで門番に座って話をするのを許した。この門番は座ろうとしないので、雨村は笑って言った。「おまえとも、貧しかった時の知己であろう。ここはわたし個人の部屋だから、座っても誰も咎めぬよ。」門番はそれでようやく身体を横に向けて座った。

 雨村は言った。「先ほどはどうして命令書を出すのを止めたのだ。」門番は言った。「旦那様は栄進してここに来られたのに、まさか本省の「お守り札」を発行なさらないでいるなんて、だめではないですか。」雨村は急いで尋ねた。「何が「お守り札」なのかね。」門番は言った。「今はおよそ地方官をなさっておられる方は皆個人名簿をお持ちで、それに載っているのは本省で最も権勢がある極めて富貴な大郷紳のお名前で、各省皆そうなんです。もしそれをご存じなく、一度でもこうしたお家に触れるようなことをなすったら、官位だけでなく、お命だって保証の限りではありません。だから「お守り札」なんです。先ほど言われた薛家ですが、旦那様はどうしてあのお家に逆らおうとなさるんです。今回の訴訟は別段判断の難しいところは無く、以前のお役人様は、皆義理人情と体面を汚すことのないよう、こうしてきたんです。」そう言いながら、腰に付けた袋の中から一枚の「お守り札」を取り出し、雨村に手渡した。それを見ると、書かれているのは皆当地の名家や役人の家のことわざや言い伝えで、こう書かれていた。

 賈jiǎ家は假jiǎならず、白玉を堂と為し金もて馬を作る。(賈家)
 阿房宮は(宮殿の規模が)三百里もあれど、金陵城の史家(の一族の人々)を収めきれず。
(史家)
 東海には白玉の床(ベッド)が欠け、(そこに住む)龍王は金陵の王家に(借用を)請うた。
(王家)
 豊作の年の好(よ)く大なる「雪」xuě(薛xuē家)、珍珠とて糞土の如し、金とて鉄の如し。
(薛家)


 雨村がなお見終わらないうちに、ふと伝達所からの報告が聞こえた。「王旦那様がご来訪です。」雨村は急ぎ衣冠を身に着けお迎えした。食事を接待して帰られてから、先ほどの門番に尋ねると、門番は言った。「四つのお家は皆親しく連絡をとられていて、一家が損なわれれば皆損なわれ、一家が栄えれば皆栄えられるのです。今、人を殺して訴えられた薛家というのは、「豊年大雪」の「薛」家のことです。この三家だけでなく、この方のお付き合いされているお友達は、都にも外地にも元々たくさんいらっしゃいます。旦那様は今どなたを捕まえようとなさるおつもりですか。」雨村はそう聞くと、笑って門番に尋ねた。「そう言うからには、この案件にどう結末をつければいいんだ。おまえ、おそらくこの殺人犯が逃げ隠れた情況もよく知っているんだろう。」

 門番は笑って言った。「嘘偽り無く言いますと、この殺人犯が逃げ隠れた情況だけでなく、この金をだました男のことも知っていれば、亡くなった買主のこともよく知っています。詳しく申し上げますから、旦那様お聞きください。この殴り殺されたのは、小さな村の役人の子で、名を馮淵と言い、父母は共に亡くなり、兄弟も無く、わずかな家産を守って暮らしてきました。年齢は十八九、男色をたいへん好み、女色を好みませんでした。これも前世での因業(いんごう)のせいでしょうか。ちょうどうまくこの娘に出会い、この男は一目見て見染め、すぐにこの娘を買って妾にしようと思い、今後は男色を近づけず、また二号も作らないと誓い、それでこのことを厳粛に取り決め、必ず三日後に家に入れると決めたのです。それがまさかこのペテン師がまたこの娘をこっそり薛家に売るとは。こいつは両家の金を巻き上げて逃げようと思ったのに、思いがけず逃げきれず、両家がこいつを捕まえ、半殺しにしました。どちらの家も金を取り返そうとはせず、各々女を受け取ろうとしました。かの薛の若様は召使に命じて手を出し、馮の息子をめちゃくちゃに殴って、帰って来て三日目に亡くなりました。この薛の若様は元々日を選んで上京するするつもりだったのですが、人を殴って、女を奪っておいて、この男は何事もなかったかのように、ただ家族を連れて我が道を行くばかりで、このために逃げるようなことはしませんでした。この失われた人命も大したことではなく、召使たちが勝手にしでかしたことだと。このことはこれで置くとして、旦那様、この売られた女は誰だと思います。」雨村は言った。「わたしがどうして分かると言うんだ。」門番は冷たく笑って言った。「この人は旦那様の大恩人でしょう。この女は葫蘆廟の隣に住んでいた甄様の娘で、幼名を英蓮と言われた方です。」雨村はびっくりして言った。「誰かと思ったらあの娘か。あの娘が五歳の時に人さらいに遭ったと聞いたが、どうして今になって売られたんだ。」

 門番は言った。「こうした誘拐犯は幼い女の子を誘拐して、十二三歳まで養うと、よその土地まで連れて行って売るんです。当時、この英蓮は、わたしたちが毎日あの娘の機嫌を取って遊んでやっていて、とてもよく知っていたので、七八年経って、顔かたちは幼さが抜けてきれいになっていましたが、大きくは変わっていないので、それと分かったのです。それに眉の中心に元々米粒大のちょっとした赤い痣があって、これは母親の胎内からの、生まれつきのものなのです。わざとこの誘拐犯はうちの部屋を借りて住んでいました。その日誘拐犯は家にいなかったので、わたしもあの娘に聞いたことがあるのですが、殴られるのが怖くて、何も言えないと言っていました。ただ誘拐犯のことを自分の実の父親で、金が無くて借金が返せず、売られるんだと言っていました。何度も何度も自分を騙すので、この娘はまた泣いて、ただ「わたしは小さい時のことは憶えていない」と言うばかりで、確かにそうだろうと思いました。その日、馮の息子と顔を合わせ、銀子と交換しました。誘拐犯は酔っぱらっていたので、英蓮は自ら嘆いて言いました。「わたし、今日で罪業も終わりになるわ。」その後、三日後にお屋敷に連れて行かれると聞いたので、あの娘はまた心配になった様子でした。わたしはまた我慢できず、誘拐犯が出かけたのを待って、家内に言ってあの娘を慰めさせました。「この馮の若様は必ず良い日を選んであなたを迎えに来ます。あなたをきっと女中扱いなさらないと思いますよ。ましてあの方はたいへん風流なお人柄で、お家も裕福で、生まれつき女性を嫌われていたのですが、今は破格の価格であなたを買われたのですから、後のことは言わなくても分かろうというもの。あとは二三日我慢するだけのことで、何を思い悩む必要があるでしょう。」あの娘はそう聞くと、ようやく気持ちを和らげ、これでようやく安心して暮らせるわと言いました。ところが、まさかこの世の中に思い通りにならぬことがあろうとは。翌日、あの娘はあいにくまた薛家に売られることとなったのです。もし別の家に売られただけならまだ良いのですが、この薛の若旦那のあだ名は、「呆霸王」(ばか大王)と呼ばれ、天下第一の勝手気ままで遊び好きで、金使いが荒く、馮の息子をこてんぱんに打ちのめし、無理やり引っ張って行きました。英蓮を連れ去り、今は生きているのやら死んでしまったか。この馮の息子は空喜びも束の間、一念を遂げられず、却って金を使い、命を落とし、全く気の毒なこととなりました。」


 雨村はいきさつを聞くと、ため息をつき言った。「これも彼らの罪業の結果で、決して偶然ではないのだろう。そうでなければ、この馮淵がどうして偏(ひとえ)にただこの英蓮だけを見染めることがあっただろうか。この英蓮は誘拐犯にこの何年も苦しめられ、ようやく進路を得て、且つまた多情であるので、それらが寄り集まっただけなら良いが、逆にまたこのような事態を生み出してしまった。この薛家はたとえ馮家より富貴だとしても、その人となりは、自ずと妾を多く抱え、放縦なこと際限なく、馮淵がひとりに愛情をかけていたのに及ばない。これは正に夢幻や情の縁が、ちょうどひとりの薄命の娘に出逢ったためだ。それにしても他人のことは議論する必要もないが、ただ目を今この訴訟に置けば、どのように判断したらいいだろうか。」門番は笑って言った。「旦那様はあの時あんなにはっきり決断されたのに、今はどうしてこんなにしっかりしたお考えのない方になられたのですか。手前が伺ったところでは、旦那様が今のお役目に昇格なさったのは、賈府や王府のお力だとか。この薛蟠は賈府のご親戚です。旦那様はどうして水の流れに沿って舟を進めようとされないのです。義理人情に則(のっと)り、この事件を終わらせれば、今後賈や王の二公ともお会いになりやすいでしょう。」雨村は言った。「おまえの言うことは間違っていない。けれども人命に関わることは、皇帝陛下の大恩に報いて採決せねばならず、正に力を尽くし回答を考えねばならぬ時に、どうして私事で法を曲げることなどできよう。実に忍び難い行いではないか。」門番はそれを聞くと冷笑して言った。「旦那様が言われることは、自ずから正しい理屈ではありますが、今の世ではそうはなりません。どうして古人が言う「大丈夫は時を見て動く」、また「吉に依り凶を避くるが君子」ということわざを聞かれたことがないのですか。旦那様のおっしゃるようなやり方では、朝廷の恩に報いることができないばかりか、ご自身の地位を保つこともできません。やはりよく考えて決められるのが良いと思います。」

 雨村は下を向いて思案していたが、しばらくして言った。「おまえはどうすればよいと思う。」門番は言った。「わたしはもうここに良い考えを思いつきました。旦那様は明日法廷に座られたら、虚勢を張り上げ、檄文を出し、逮捕状を出して捕まえに行かせればよいのです。殺人犯はもちろん捕まえられないし、原告はもとより頼りになりません。ただ薛家の一族の人間と召使らを何人か捕まえて来て拷問し、小者とは影でこっそり仲裁し、彼らに「病を発して亡くなった」と報告させ、一族の者や地方に一枚の上申書を手渡し、旦那様はただ、自分はこっくりさんが上手で、神様を呼び出すことができると言い、法廷に乩壇 jī tán(こっくりさんをする神壇)を設け、軍人や民間人らに見に来させたら、旦那様はこう言うのです。「神様が判断を下した。死者の馮淵と薛蟠は元々前世からの因業があり、今たまたま出逢ったのであり、元の因業が完結した。今、薛蟠は既に名も分からぬ病にかかり、馮淵の魂に迫られ亡くなった。その禍(わざわい)は誘拐犯により引き起こされ、誘拐犯を法により処罰する他は、巻き添えになった者はいなかった。」などと。わたしはこっそり誘拐犯に言いつけ、事実を白状させます。人々はこっくりさんの神託と誘拐犯の自白が符合しているのを見れば、当然疑わないでしょう。薛家には金がありますから、旦那様は一千でも五百でもいいから決めて、馮家に与えて葬儀の費用にさせてください。あの馮家は大して重要な人もいないのですが、訴えたのは金のためですから、金があれば、何の問題もありません。旦那様、よく考えてください。この計略は如何ですか。」雨村は笑って言った。「よくない、よくない。わたしがもう一度斟酌して、双方を服従させてこそ良いのだ。」ふたりの計略は既に定まった。

 翌日になり法廷に座ると、事件に関係する犯人の関係者を召喚し、雨村が詳しく尋問すると、果たして馮家は人口も少ないのだが、この事件によって葬儀の費用を得たいと思っていた。薛家は権勢を頼みに強気に出て、あくまで妥協しないので、ずっと解決できないでいた。雨村は私情をからませ法をねじ曲げ、この事件を勝手に判断し、馮家はたっぷりと葬儀の金を得て、もうそれ以上何も言わなかった。雨村はそれで急いで書信を二通したため、賈政と京営節度使の王子騰に出したが、その内容は、「甥子さんの事件は既に解決したので、心配される必要はない」というものだった。この事件は葫蘆廟内の沙弥であった新しい門番のところから出たもので、雨村はまた門番が他人に自分の当時の貧しかった頃のことを言いやしないか心配で、このため心中あまり愉快ではなかった。後に結局門番のある罪状を捜し出し、遠くへ労役の処罰で追放してしまった。

 目下話題は雨村とは関係がない。さてかの英蓮を買い、馮淵を殴り殺したかの薛の若様は、また金陵の人氏で、元々、代々読書人の家柄で、ただ今この薛の若様は幼い時に父を亡くし、未亡人となった母親がまた、この子が一人っ子であったので可愛がり、溺愛して好き勝手をさせてしまい、遂に成人しても何も成就すなかった。ただ家に百万の富があるので、今は朝廷から銭か食糧を受け取り、細々としたものを購入していた。この薛の若様は学名を薛蟠、字(あざな)を文起といい、性格は奢侈を好み、言葉は傲慢であった。家塾にも通ったが、いくつか文字を憶えただけで、一日中闘鶏をしたり馬を走らせ、野山に遊んで景色を楽しむばかりであった。実家は皇室御用達の商人であったが、一切の商売や世事については全く知らなかった。ただ祖父の昔の人間関係に頼り、戸部に虚名を掲げ、銭や食糧の支給を受け、それ以外のことについては、家の番頭や古くからの召使が処理してくれた。未亡人の王氏は現在京営節度使に任じられている王子騰の妹であり、栄国府の賈政の夫人の王氏は同じ母親の生んだ女兄弟で、今年ようやく五十前後、薛蟠が一粒種であった。もうひとり娘がいたが、歳は薛蟠より二歳下で、幼名を宝釵といい、生まれつき皮膚がふっくらすべすべし、振舞いが上品でおおらかで、父親がまだ生きている時は、この娘を大層可愛がり、娘に本を読ませ字を憶えさせたので、学問は兄に比べ、十倍もよくできた。父親が亡くなってからは、兄が母を安心させられないのを見て、彼女は読書や字の勉強を止め、専ら針仕事や暮らし向きのことを心にとめ、母親の悩みを分担し、代わりに働こうとした。最近は今上陛下が詩礼を重んじ、才能ある人材を採用し、珍しい大きな恩典を下され、宮中の女官を選抜する以外に、代々官職に就いている名望家の子女は、皆その名前を礼部に登録し、以て選抜に備え、公主や郡主にお仕えし、才人や賛善の職位に就かせることになった。薛蟠の父親が亡くなってから、各省の中の全ての売買は局、総管、伙計といった人を経て担当され、薛蟠がまだ年若く世事に通じていないと見ると、この機に乗じ仕事を横取りし、都の数か所での商売は、次第に減っていった。薛蟠は日頃都の中は最も繁華な場所であると聞いていたので、ちょうど遊びに来たいと考えていたところで、この機会に、一に妹を送って選抜に備えさせ、二に親戚を訪問し、三に自ら役所に乗り込み、古い帳簿を精算し、その上で新たな支出計画を作る。その実、ただ都見物をしたいと思っただけであった。このため、とっくに軽くて持ち運びに便利な貴重品、親戚や友人に贈る様々な土産や贈り物を見繕い、日を選んで出発しようとしていたところ、思いがけずあの誘拐犯に出逢い、英蓮を買ったのだった。薛蟠は英蓮が生まれつき上品であるので、すぐに買って妾にしようと思ったが、馮家の者が奪いに来たのに遭遇したので、権勢を頼りに、獰猛で悪賢い家僕に命令し、馮淵を殴り殺し、家中の事務は、一々一族の人間と何人かの古くからの召使に依頼し、自分は母親や妹と一緒に、長旅に出てしまった。人命を奪った訴訟については、彼は児戯に等しいと見做し、少しばかり金を使って、後は必然に起こったこととして処理させたのであった。

 旅に出たが、それがいつの日であるか定かでない。その日、既に都に入り、また母親の兄弟の王子騰が九省統制に昇進し、帝の命を受け都を出て辺境の警備に向かったと聞き、薛蟠は心の中で密かに喜んで言った。「都に入ると、叔父さんの管理化に入ってしまうので、勝手に金を使えないと心配していたが、今は叔父さんは昇進して都を出てくれたとは、全く天は人の願いを聞いてくれるものだ。」それで母親と相談して言った。「わたしたち、都に何ヶ所か家を持っていますが、ここ十数年誰も住んでいなかったので、留守番の人間が、こっそり他人に貸して住ませていたかもしれず、先に誰か掃除と片付けに行かせる必要がありますね。」母親が言った。「どうしてそんなに大騒ぎをする必要があるものか。わたしたちは今回都に入ったら、元々先ず親しい友達か、おまえの叔父さん、或いはおまえの義父さんの家を訪ねることになっていただろう。あの両家だったらお屋敷がたいへん広いから、わたしたちもとりあえず暮らし始めてから、ゆっくり人をやって片付けさせれば、大騒ぎしないで済むではないか。」薛蟠は言った。「今叔父さんはちょうど昇進して地方に行かれたので、家の中はおそらくばたばたされているでしょう。わたしたちが今回どたばた飛び込んで行ったら、ご迷惑になるでしょう。」母親は言った。「叔父さんが昇進して行かれても、おまえの義父さんの家があるだろう。ましてここ数年、おまえの叔父さんと義父さんの奥さんのところの両方から、何度もお手紙でわたしたちに出てくるよう言われていたの。今、出て来た以上、あなたの叔父さんは出発の準備に忙しくても、賈家の奥様はなんとかしてわたしたちを留めようとされるに違いないわ。わたしたちが慌てて部屋を片付けなどしたら、却って変に思われるじゃない。あなたの考えはわたしはとっくに分かっていたわ。叔父さんやその奥さんと一緒に暮らしたら、堅苦しさが免れないから、それぞれ別に暮らした方が、好き勝手にやれると思ったんだろう。おまえがそう思うなら、おまえは自分で家を見繕って住めばいい。わたしはあんたの義父さんの奥様ご兄弟たちとここ何年も離れ離れだったから、わたし、あなたの妹を連れてあなたの義父さんの奥様の家に行って過ごすわ。どう、それでいいわね。」薛蟠は母親がそう言うのを見て、気持ちが変わらないと知ったので、人夫に言いつけ、真っ直ぐ栄国府に向け車を走らせるしかなかった。

 この時、王夫人は既に薛蟠の訴訟沙汰は幸い賈雨村が仲介してくれたと知り、ようやく安心した。また兄が昇進して辺境守備の欠員に任官され、ちょうど実家の親戚の往来が少なくなると愁い、幾分寂しく思っていたところ、数日して、突然召使がこう報告した。「ご側室がお兄様お姉さまとご一緒に都に来られ、門の外で車を降りられました。」喜んだ王夫人は、人を連れて広間に出迎えに出て、薛の叔母様たちを出迎え、女兄弟たちがその日の朝顔を合わせ、悲喜こもごもであったことは、言うまでもない。一通り久闊(きゅうかつ)を述べ、また連れられて賈のお婆様にお目にかかり、ご挨拶をしたりお土産をお渡ししたりし、家中の者と顔を合わせ、宴席を設けて遠来の客をもてなした。

 薛蟠は賈政、賈璉にお目にかかり、また連れられて賈郝、賈珍などにお目にかかった。賈政は人を遣って来させ、王夫人に言った。「ご側室はもうお歳だし、甥御さんはまだ年若く、細々した事務をご存じなく、お家の外で住むと、揉め事もあるかもしれない。うちの東南の角の梨香院には、部屋が十間くらいあって、誰も使っていないから、言いつけて、ご側室とご兄弟に住んでもらうのが良いと思う。」王夫人は元々引き留めたいと思っていて、賈のお婆様も人を遣ってこう言わせた。「ご側室がここで暮らせば、皆もっと親しくなれるでしょう。」薛の叔母様は一緒に住みたいが、それではやや堅苦しいかもしれないと思い、別に外に家を捜すとなると、また気ままに振る舞って厄介なことを引き起こすのを恐れ、慌てて承知した。また密かに王夫人にこう説明した。「一切の日常の費用のご提供は、全てお止めください。そうしてはじめて正常な暮らしができます。」王夫人は薛家がそうしても金銭面で問題ないと知っていたので、言われるようにした。これより、薛家の親子は梨香院で暮らすようになった。


 元々梨香院は曾て栄公が晩年静養していたところで、小さいが精巧に作られ、約十間余りの部屋があり、前の広間、後ろの客間が全て揃い、それとは別に街路に通じる門があった。薛蟠の家族はこの門から出入りした。西南には角門があり、狭い通路に通じていて、通路を出ると、王夫人の母屋の東の中庭だった。毎日或いは食後、或いは夜、薛のご側室がやって来て、或いは賈のお婆様とよもやま話をし、或いは王夫人と雑談をした。宝釵は毎日黛玉や迎春の姉妹たちと一緒に過ごし、或いは本を読んだり将棋を指したり、或いは裁縫をしたりし、互いにとても平安無事であった。ただ薛蟠は当初元々賈府の中で暮らしたくなく、叔父さんに束縛されて、勝手気ままに暮らせないと恐れたのだった。いかんせん、母親があくまでここで暮らすと言い張り、また賈のお屋敷の中はたいへん親切で、辛抱強く引き留めてくれたので、しばらくの間は暮らさざるを得なかったが、一方では人を遣って自分の家の部屋を掃除させてから、引っ越そうと考えていた。あろうことか梨香院に住んでひと月も経たぬうち、賈の一族の若い者たちのうち、既に半分が顔見知りになり、皆金持ちのドラ息子の気があり、薛蟠と付き合うのを好まぬ者は無く、今日は酒、明日は花見、引いては博打を打ち女を買い、何でもやらないことはなく、薛蟠は誘惑されて以前より十倍も悪くなった。賈政は子弟を訓練するに有効な方法を採り、家を治めるに一定の方法を採ったとはいうものの、ひとつには一族の人数が多過ぎ、管理がしきれず、ふたつに現在の家長が賈珍で、寧府の一番上の孫で、また今は職位を継いだので、およそ一族の中のことは皆賈珍が管轄することになっていた。三つ目に公務と私事が煩雑で、また生まれつき立ち居振る舞いが鷹揚で、世俗の事を要とせず、祭日の日も、本を読み将棋を指すだけだった。まして梨香院は二重の家屋に隔てられ、また街路への門が別になっていて、自由に出入りできたので、これらの子弟たちは、勝手気ままに愉しむことができた。このため薛蟠は遂に引っ越ししようという思いが、次第に消えていった。その後どうなったか、次回説き明かしましょう。

 以上で第四回は終わりです。第五回ではどのような話が展開するのか。次回乞うご期待です。
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『紅楼夢』第三回(その2)

2025年01月14日 | 紅楼夢
 栄国府にやって来て、賈のお婆様、賈家の三姉妹、王熙鳳に出迎えられた林黛玉。後半では、ふたりの叔父、賈郝と賈政にご挨拶にうかがい、その後、賈宝玉に出会うことになります。第三回後半の始まりです。

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 お茶請けが片付けられると、賈のお婆様はふたりの乳母に命じて、黛玉を連れてふたりの叔父に会いに行かせた。この時、賈郝の妻の邢氏が急いで立ち上がると、笑みを浮かべ答えて言った。「わたしが甥(おい)の娘を連れて行った方が、おそらく都合がよいと思いますが。」賈のお婆様は微笑んで言った。「そうだね。おまえも行っておくれ。もう戻って来なくていいから。」邢夫人ははい、と答え、黛玉を連れて王夫人にお別れを告げると、皆は表に通り抜ける部屋まで見送った。垂花門の前には既に何人かの小僧たちが一輌の緑色のとばりを掛けた、木に透明のラッカーを塗った車を引いて来ており、邢夫人は黛玉の手を取り座席に座り、乳母たちが車のとばりを降ろし、それから小僧たちに担ぎ上げるよう命じた。広くなったところまで引いてくると、車に飼い馴らしたラバをつけ、西角の門を出て東に進み、栄府の正門を過ぎると、黒いペンキを塗った大門の中に入り、儀門の前に着くと、ようやく下車した。邢夫人は黛玉の手を引いて敷地の中に入った。黛玉は今いる場所は、きっと栄府の中の花園が仕切られた場所に違いないと推察した。三層の儀門を入ると、果たして母屋、厢房(母屋の前の両側の棟)、回廊が皆精巧に作られていて趣があり、こちらのお屋敷が広大で壮麗なのとは様子が違った。しかも屋敷の中の随所に木々や築山、石が配置され、とても景色が良かった。母屋に入ると、既に多くのなまめかしい化粧、美しい服装の奥方や側室、召使の女たちがおられ、黛玉たちを出迎えた。


 邢夫人は黛玉を座らせ、一方頼んで外の書斎に行って賈郝を呼んで来てもらった。しばらくして戻って来て言うには、「旦那様はこうおっしゃいました。「ここ数日身体の具合が良くなく、妹の娘さんの顔を見ると、お互い悲しくなるので、しばらくはお会いするに忍びない。どうかお嬢さんには家を恋しがって悲しまないようにしてほしい。おばあさんやおばさんと一緒に、自分の家にいるのと同様に過ごしてほしい。女兄弟たちはつたない点もあるかもしれないが、皆が一緒に暮らせば、悩みや辛さも無くなると思う。問題ない。遠慮しないでいいから。」」

 黛玉は急いで立ち上がって一々はい、はい、と頷いた。もう一度しばらく座ると、暇乞いをしたので、邢夫人は黛玉を引き留め、食事をして帰るように言ったが、黛玉は微笑んでこう回答した。「おばさまがせっかくお食事を勧めてくださるのを、本来はご辞退すべきではないのですが、まだ二番目のおじさまのところへご挨拶に行かないといけなくて、行くのが遅れると失礼になりますので、また日を改めていただきに参ります。どうかおばさま、お許しください。」邢夫人は言った。「仕方ないわね。分かりました。」それでふたりの乳母に命じて先ほど乗って来た車で送らせた。黛玉は暇乞いし、邢夫人は儀門の前まで送り、またお付きの者たちに二言三言言いつけ、車が行ってしまうのを見送ると、家に戻った。

 しばらくして黛玉は栄府に入ると、車を降りた。目の前には一本の石畳の通路が見え、直接入口の大門につながっていた。乳母たちは黛玉を連れ、東に曲がると、東西方向の通り抜けのできる建屋と南向きの広間を通ると、儀門内の区画で、上手には正面五間の母屋があり、その手前両側は 厢房(母屋の前の両側の建屋)と鹿頂( 厢房の北側、母屋の東西の間の空間に建つ小さな部屋)で、妻入りの出入口が設けられ、四方八方に往き来でき、広大、壮麗で、他所とは異なっていて、黛玉はこここそが主要な部屋だと思った。中央の部屋に入り、頭を上げると、正面に先ず銅の九龍で縁どられた青地の大きな扁額が見え、扁額には大きく「栄禧堂」の三文字が書かれ、その後ろに一行、小さな字で「某年月日書を栄国公賈源に賜う」と書かれていた。また「万几宸翰」の帝の印章が置かれていた。紫檀に螭(角の無い龍)を彫った机の上には、三尺余りの高さの青緑色の古い銅の鼎が置かれ、役人が朝廷に出るのを待つ部屋に掛ける墨絵の龍の絵が掛けられ、一方には金銀で象嵌された青銅器が置かれ、一方にはガラスの鉢が置かれ、床にはクスノキの円形のひじ掛け椅子が二列に十六脚並べられ、また黒檀で作った掛札の上に金の文字を刻んだ一組の対聯が掲げられ、それにはこう書かれていた。

 座上の珠玑(しゅき。大小さまざまの美玉)は日月を昭(あき)らかにする、堂前の黼黻(ほふつ。役人の礼服の刺繍模様)は煙霞に焕(かがや)く。

その下に一行、小さな字でこう書かれた。「代々付き合いある両家の子弟、東安郡王を継した穆蒔が拱手し書(しる)す」


元々、王夫人がいつも起居し休息するのもこの正室ではなく、東側の三間の耳房(母屋の両端に建てられたやや背の低い部屋)であった。そして乳母たちは黛玉を引率して東の部屋の入口を入った。窓に面したオンドルの上には緋色の毛布が敷かれ、正面には赤地に金の糸で蟒蛇(うわばみ)が刺繍された丸いクッションと淡い黄緑色の金の糸で蟒蛇が刺繍された細長い敷布団 が置かれ、両側には五枚の花びらの梅の花の形のペンキを塗った茶卓が一対置かれ、左側の茶卓の上には文王鼎、鼎の傍らには匙と箸、香入れの容器が並べられ、右側の茶卓の上には汝窯の美人觚(細長く優美な曲線の酒器)が置かれ、その中に生け花が挿されていた。床には西向きに四脚の椅子が一列に並べられ、それらには明るい朱色に花模様を散らしたカバーが掛けられ、足元には四組の足置きが置かれていた。両側には背の高いテーブルが一対置かれ、テーブルの上には茶具や花瓶が具わっていた。その他の調度品は、細かく言うまでもないだろう。

 年配の乳母は黛玉をオンドルに上げて座らせた。オンドルの縁に沿って、錦の敷物が二枚、対に置かれ、黛玉は席順を考え、オンドルの上には上がらず、東側の椅子に座った。この部屋の係の召使が茶を捧げ持って来たので、黛玉は茶を飲みながら、これら召使の身ごしらえや衣服、挙止やふるまいを観察すると、果たして他所とは異なっていた。

 茶をまだ飲み終わらぬうちに、赤い綾(あや)絹の上着に青い薄絹でフリルを付けたチョッキを着た召使がひとりやって来て微笑んで言った。「奥様から、林お嬢ちゃんにあちらに座っていただきなさいとのことです。」年配の乳母はそう聞くと、また黛玉の手を引き出て来ると、東の廊下の三間の母屋の中に入った。正面のオンドルにはテーブルが横向きに置かれ、その上には書籍と茶具が積み重ねられており、東の壁に寄りかかり西向きにお古の黒い緞子の背もたれのクッションが置かれていた。王夫人はしかし西側の下座に、またお古の青い緞子の背もたれと座布団に座っていた。黛玉が入って来たのを見ると、東に移り、席を譲った。黛玉は心の中で、ここは賈政旦那様の席に違いないと思い、それでオンドルの傍の、一列に並んだ三脚の椅子の上にもお古の弾き模様の椅子カバーが付いていたので、黛玉は椅子に座ろうとした。王夫人は再三黛玉をオンドルの上に座らそうとし、黛玉はそれでようやく王夫人の傍に座った。王夫人はそれで言った。「あなたのおじさんは今日は斎戒に行っているので、また今度ご挨拶しましょう。ただひとつ、あなたに言付けがあって、あなたがた三人の女兄弟は皆とてもいい子だから、これから一ヶ所で勉強して字を憶え、裁縫を憶えて、また時には冗談を言い合うこともあるかもしれないが、とにかく自由にやりなさい。ただひとつ心配なことがあって、うちにはひとりいざこざを引き起こし、家人を心配させる子供がいて、我が家の中での「世界をかき乱す暴君」で、今日は祖廟にお礼参りに行って、まだ帰ってきていませんが、今晩会えば分かりますよ。あなたは今後ずっとあの子のことを気にとめる必要はありませんよ。あなたがた姉妹はあの子と関わり合いになってはだめよ。」

 黛玉は元々母親から、甥っ子に玉を銜(くわ)えて生まれた者がいて、愚劣なこと尋常でなく、勉強が嫌いで、女の居室であれこれ人に付き纏うのが大好きだと言うのを聞いたことがあった。母方の祖母がその子を甘やかすものだから、誰も敢えて手出ししようとしなかった。今王夫人が言うのを聞いて、この姓の異なる年上のいとこのことと知ったので、また作り笑いをして言った。「叔母様が言われた方は、でも玉を銜えてお生まれになったのでは。家にいた時、母がいつも言っていたのですよ、このお兄様はわたしよりひとつ年上で、幼名を宝玉と言われ、性格は勝手気ままだけれど、妹たちへの面倒見はとても良いと。ましてわたしにとって、いつも女兄弟と一緒にいて、男兄弟は別の建物におられるのだから、どうして付き纏うことができるでしょう。」王夫人は笑って言った。「あなたはその原因をご存じないからですね。あの子は他人とは違い、幼い時からお婆様が溺愛され、元々女兄弟たちと同じところで甘やかされて育ったのです。もし女兄弟たちが相手にしなければ、あの子はまだ少しは静かにしています。でも姉妹たちがあれこれ話しかけようものなら、あの子は大喜びで、あれこれしでかすんです。だからあなたにあの子を相手にしてはだめよと言いつけたんです。あの子の口からは、甘いことばが飛び出すこともあれば、荒唐無稽なことを言ったりし、気がふれたようになるのです。あの子の言うことを信じてはだめですよ。」

 黛玉は一々頷いた。ふとひとりの女中がやって来て言った。「お婆様のところで晩御飯の支度ができたそうです。」王夫人は急いで黛玉を連れて裏の建屋の門を出、裏の廊下から西に行き、角門を出ると南北方向の石畳の小径で、南側が母屋に向かい合った三間の小さな抱厦庁で、北側には白いペンキを塗った大きな影壁(目隠しの壁)が立っていて、その後ろには半分開いた門があり、小さな建物があった。王夫人は微笑みながら黛玉に向け指さして言った。「ここが鳳お姉さまのお部屋です。帰ってきて、何かあればここであの子を捜すといいわ。何か足りないものがあったら、あの子に言えばなんとかなるから。」この屋敷の門にも何人かのようやく髷(まげ)が結えるようになった若い召使が、両手を下で組んで恭しく待機していた。

 王夫人は黛玉を連れて東西方向の建物を通り抜けると、賈のお婆様の家の裏庭であった。家の裏の入口から入ると、既に多くの人々が待機していて、王夫人が入って来るのを見ると、そこでテーブルと椅子を準備した。賈珠の奥さんの李氏は杯を捧げ持ち、熙鳳は箸を置き、王夫人は羹を注いだ。賈のお婆様は正面にひとり座り、両側には四脚の空の椅子が置かれていた。熙鳳は急いで黛玉を連れ、左側から一つ目の椅子に座らせようとすると、黛玉はしきりに遠慮した。賈のお婆様は微笑んで言った。「おばさんや義姉さんたちはここでは食べないのよ。あなたはお客様なのだから、ここに座らないとだめなの。」黛玉はそれでようやく、お礼を言って座った。賈のお婆様は王夫人も座らせた。迎春の姉妹三人は座るよう言われてからこちらに来て、迎春は右側の一番目に座り、探春は左側の二番目、惜春は右側の二番目に座った。横から召使の女が塵払い、口漱ぎの壺、ナプキンを手に持ち、李紈鳳(李珠の妻)はテーブルの傍らに立ち給仕をした。直接外に通じる部屋で待機する嫁や召使は多くいたが、咳払いひとつ聞こえなかった。食事が終わり、各人の召使がお盆を捧げ持って茶を運んだ。当時、林家では娘に贅沢を慎み養生せよ、食後は必ずしばらく時間を置いてから茶を飲めば、脾臓や胃を害することがないと教えていた。今、黛玉はここでは多くのきまりがあることを知り、家とは異なっていたが、それに合わせざるを得ず、お茶をもらった。また召使が口漱ぎの壺を持って来たので、黛玉も口を漱ぎ、また手を洗い終えた。その後また茶を捧げ持って来た。今度がようやく飲むためのお茶であった。

 賈のお婆様は言った。「おまえたち、もう行っていいよ。わたしたちが自由に話をするから。」王夫人はそれで立ち上がり、一言二言世間話をしてから、李紈鳳を連れて行ってしまった。賈のお婆様はそれで黛玉にどんな本を勉強しているか聞いた。黛玉は「『四書』を読んだばかりです。」と答えた。黛玉はまた女兄弟たちにどんな本を勉強しているのか尋ねたところ、賈のお婆様は、「何を勉強しているにしても、字をいくつか憶えただけですよ。」と答えた。

 その言葉も終わらぬうちに、外で誰かが歩いて来る音が聞こえ、召使が入って来て報告した。「宝玉様がお越しになりました。」黛玉は心の中で思った。「この宝玉様がひょっとして、その手に負えないという方なのかしら。」そうして部屋に入って来たのを一目見ると、年若い若君であった。頭には髪の毛を束ねて宝石を象嵌した赤銅の冠を被り、額の眉を揃えた位置には二匹の龍が珠を弄ぶ図案の鉢巻がきつく縛られ、金糸で百匹の蝶が花の周りを舞う様を刺繍した真っ赤な裾詰めの袖、五色の糸で花模様に作った組みひもに、長い穂の飾りを垂らしたベルトを締め、上着の上には藍色の八つの模様を刺繍した日本式の緞子の下端の縁に房状の飾りの付いたひとえの服を羽織り、黒い緞子に白い靴底のブーツを履いていた。顔の形は中秋の月のように際立って美しく、顔色は春の早朝の花のようにみずみずしく、鬢は刀で切られたように鋭く整えられ、眉は墨で描かれたかのよう、鼻は豚の肝が掛けられたかのよう。眼は相手に秋波を送り、怒っている時も笑うかのようで、睨みつけても好感が持たれた。首には金の螭(角の無い龍)の瓔珞を掛け、また五色の糸の打ち紐で、美玉を一個吊り下げていた。


 黛玉は一目見るなり、大いに驚き、心の中で思った。「とても奇妙なことだけれども、どこかでお目にかかったかのようで、見覚えがあるわ。」ふと、宝玉が賈のお婆様にご挨拶しているのが目に入り、賈のお婆様が「あなたのお母さんにご挨拶しておいで」とお命じになり、そのまま向こうを向いて行ってしまった。再び戻って来た時には、既に帽子やベルトを着替えていた。頭の上には一周短い髪の毛をぐるっとお下げに編み、赤いリボンを結び、それらを頭のてっぺんで集めて、一本の太い辮髪が編まれ、髪の毛はペンキのように黒光りし、てっぺんから端まで、四個の大きな玉が連なり、金に八宝を象嵌した飾りが吊り下げてあった。ピンク色の生地に花柄の着古した上着を身に着け、相変わらずネックレス、宝玉、寄名鎖(子供の長命を祈るお守りで、錠前の形をしている)、お守りなどを付けていた。下はやや黄緑色がかった花柄の綸子のズボン、フリルの付いた柄物の靴下、厚底の真っ赤な靴を履いていた。より一層、顔は白粉を塗ったよう、唇には紅を挿したようで、益々あでやかで多情な様子で、言葉は快活であった。自然に現れる風采は、眉毛の先端から末尾の間に示され、これまでの人生の様々な感情は、尽く目じりに積み上げられていた。その外観を見ると、それは際立って優れていたが、その心の奥底はよく分からず、後代の人が『西江月』の二首の詞で正確に批評した。詞に言う。

 故無く愁いを尋ね恨みを覓(もと)め、時に傻かさは狂う如くに似たり。よしんば好き皮囊(革袋)を生ずるを得るも、腹内は原来(元来)草莽(そうぼう)たり。潦倒(ろうとう。落ちぶれる)するも庶務(世務)に通ぜず、愚頑にして文章を読むを怕(おそ)れる。行為は偏僻(へんぺき。偏(かたよ)る)にして性は乖張(かいちょう。ひねくれる)、誰か世人の誹謗を管(つかさど)る。

また言う。

 富貴なれが業(正業)を楽しむを知らず、貧窮すれば凄凉を耐え難し。憐れむ可きは好き時光に辜負(こふ。そむく)し、国にも家にも望み無し。天下に無能なること第一、古今に不肖なること無双。言を寄す(忠告する)紈褲(贅沢な着物)(を身に着け)と膏粱(贅沢な食べ物)(を食べている金持ちの子弟)よ、此の児の形状に倣う莫れ。

 さて、賈のお婆様は 宝玉が入って来たのを見ると、微笑んで言った。「お客に会っていないのに着替えてしまったのかい。まだあなたの妹に会っていないのに。」宝玉はとっくにたおやかな娘がいるのを目にし、この子は林の叔母様の娘に違いないと見当をつけ、急いで挨拶に来たのだった。戻って来て席について子細に見ると、確かに他の娘たちとは異なっていた。ふと以下のような有様が目に入った。

 両湾(両側に湾曲)の蹙(しか)めるに似、蹙めるに非ざる罥烟(一筋の煙のような形の眉) 、一双の喜ぶに似、喜ぶに非ざる情を含んだ目。生まれつき両頬のえくぼに愁いを含み、弱々しさは身の病から出る。目じりにはに少し涙が光り、愛らしい喘ぎが微かにする。淑やかさは愛らしい花が水に照るに似、その動作は華奢な柳が風を受ける如し。心は(商の紂王の忠臣)比干より(心臓の)孔がひとつ多く、病は(古代の美女)西施より三分勝る。

 宝玉は黛玉の様子を見て、微笑んで言った。「僕、このお嬢ちゃんに前に会ったことがある。」賈のお婆様は笑って言った。「またでたらめを言って。どうして前に会ったことなどあるものかね。」宝玉は笑って言った。「会ったことがなくても、顔つきの優しさを見ていると、心の中で遠く離れていて再会したかのように思えるんだ。」賈のお婆様は笑って言った。「すばらしいわ。それならもっとお互い仲良くなるわね。」

 宝玉は黛玉の近くまで歩いて来て座ると、また子細に観察すると、尋ねた。「お嬢ちゃん、お勉強をしたことはあるの。」黛玉は言った。「勉強したことはありますわ。一年だけですが、学校に行って、覚える必要のある漢字をいくつか勉強しました。」宝玉はまた尋ねた。「お名前はなんと言うの。」黛玉は名前を言ったが、宝玉はまた言った。「字(あざな)は何と言うの。」黛玉は言った。「字(あざな)はありません。」宝玉は笑って言った。「僕があなたに字(あざな)をつけてあげるよ。「顰顰」(ひんひん)の二字にするのがいいよ。」探春が言った。「何から採ったの。」宝玉は言った。「『古今人物通考』でこう言っているんだ。「西方に石あり名を黛、眉を画く墨に代える可し。」まして、この娘の眉の尖がりは(眉を)蹙(ひそ)めているようだから、この字を取れば、きれいなんじゃないかな。」探春が笑って言った。「また適当に作り話をするんだから。」宝玉は笑って言った。「『四書』を除けば、でっちあげられたものはとっても多いんだよ。」それでまた黛玉に尋ねた。「玉は持っているの。」周りの人々は何のことか分からなかったが、黛玉はこう推察(忖度cǔn duó)した。「あの人は玉を持っているから、わたしも持っているか聞いたのね。」それでこう答えた。「わたしは玉を持っていません。あなたの玉は珍しいもので、誰もが持っているものではないんですよ。」

 宝玉はそう聞くと、たちまち発作が起こって、その玉を掴むと、むきになって投げ捨て、怒鳴った。「何が珍品だ。人の才能も知らずに、それで霊験があるなんて判るもんか。僕もこんなもの要るもんか。」びっくりして周りの人々が取り囲むと、急いで玉を拾い上げ、賈のお婆様は急いで宝玉を抱きしめると言った。「この罰当たり。あなたが怒って人を罵るのは簡単だけど、どうしてこの命のもとを放り投げるの。」宝玉は顔中泣きの涙で濡らしながら言った。「我が家のお姉さまも妹も皆持っていないのに、僕だけ持っているなんて、面白くないよ。今日来たこの女神のようなお嬢ちゃんも持っていないなんて。きっとこれはろくなものじゃないよ。」賈のお婆様は急いで宝玉をあやして言った。「このお嬢ちゃんは元々玉を持っていたんだけど、おばさまが亡くなる時に、この娘を残していけず、どうしようもなかったので、最後はこの娘の玉を持って逝かれたの。ひとつにはすべて埋葬の礼として、この娘が孝心を尽くされた。ふたつにはおばさまの霊魂もこの娘にお伴してもらえることになった。だからこの娘は持っていないと言ったの。自分から大げさに言うのもきまりが悪いからね。あなたはやっぱり玉を持っていないといけないわ。子細はこの婆が知っているわ。」そう言うと、召使から玉を受け取ると、お婆様自ら宝玉に身に着けさせた。宝玉はお婆様が言われるのを聞いて、しばらく考えていたが、もうそれ以上何も言わなかった。

 それからすぐに乳母が来て黛玉の部屋のことを尋ねたので、賈のお婆様は言った。「宝玉を移して、わたしの居間の隣のオンドルの部屋に住ませるわ。林のお嬢ちゃんはしばらく蚊帳のところに落ち着いてもらって、冬が過ぎたら、春にまた部屋を片付けて、別のところに落ち着いてもらいましょう。」宝玉は言った。「お婆様、僕は蚊帳の外のベッドでも大丈夫。移る必要無いよ。騒いだら、お婆様お休みになれないでしょう。」賈のお婆様は少し考えたが、「それもいいかね。」と言った。子供たちはひとりひとり、ひとりの乳母とひとりの召使が世話をし、それ以外は外側の部屋で当直をし、用事を仰せつかった。一方ではとっくに熙鳳が人に命じて薄紫色の模様の入った帳(とばり)と錦の掛け布団、緞子の敷布団の類を届けて来ていた。

 黛玉はふたり連れて来ていただけだった。ひとりは乳母の王ばあや、ひとりは十歳の召使で、名を雪雁と言った。賈のお婆様は雪雁が幼なくて、こどもっぽ過ぎるし、王嬷嬷も歳をとり過ぎていて、黛玉の世話をさせるのに不十分だったので、自分の身辺の世話をしている召使の鸚哥と言うのを黛玉に与えた。これで迎春ら他の兄弟と同等になった。ひとりひとり幼い時からの乳母の他、四人の躾け担当のばあやがいた。お傍でアクセサリーを管理し日常の洗面や沐浴のお世話をするふたりの召使の他、別に四五人の部屋を掃除したり、通いで家事をする召使がいた。すぐさま王ばあやと鸚哥が黛玉の傍に付き添って蚊帳の中に入り、宝玉の乳母の李ばあやと女中の襲人というのが付き添って外の部屋の大きなベッドのところにいた。

 元々この襲人も賈のお婆様の下女であった。本名を蕊ruǐ珠といい、賈のお婆様が宝玉を溺愛していたので、宝玉の下女が役に立たないのを恐れ、ふだん蕊珠は心根が純粋で善良であったので、遂に宝玉に与えた。宝玉は彼女の元の姓が花で、また昔の詩に「花気襲人」(宋の陸游の詩で、「花気襲人知驟暖」。気候が暖かくなり、一層花の香りが人の鼻をくすぐる)の句があるのを見たことがあったので、遂に賈のお婆様に申し上げ、蕊珠を襲人に改名させたのだった。

 さて、襲人にはひとつのことに夢中になるところがあり、賈のお婆様にお仕えしている時は、心の中に賈のお婆様のことしかなく、今は宝玉と一緒なので、心の中には宝玉のことしかなかった。ただ宝玉は気性が偏屈なので、いつも諫めても、宝玉は聞いてくれないようで、心の中は実に憂鬱であった。この日の晩、宝玉は李ばあやが既に眠り、中では黛玉、鸚哥がまだ休んでおらず、彼女は化粧を落とすと、そっと入って来て、微笑んで尋ねた。「お嬢さん、まだお休みにならないのですか。」黛玉は急いで微笑んで席を勧めた。「お姉さん、お座りください。」襲人がベッドに沿って座ると、鸚哥が笑って言った。「林お嬢様はここで悲しまれ、涙で目をこすり、こう言われました。「今日ようやくここに来たばかりなのに、お兄様の病気を引き起こしてしまった。もしあの玉が壊れていたら、それはわたしのせいだわ。」そう言って悲しまれるものですから、わたし、おなだめするのが大変でしたわ。」襲人が言った。「お嬢さん、こんなことじゃだめですよ。これから、もっと奇妙な出来事だって起こります。あの方がこんな行状だからといって、あなたがその度に傷ついていたら、もうこれ以上悲しめなくなりますよ。もうこれ以上気を回さないで。」黛玉は言った。「お姉さま方が言われること、わたししっかり覚えておきますわ。」そう話して、それでようやく気が静まり、眠ることができた。

 翌朝起きると、賈のお婆様におはようのご挨拶にうかがい、王夫人のところへ来ると、ちょうど王夫人と熙鳳が一緒に金陵から来た手紙を開いて読んでいるところで、また王夫人の兄嫁のところから差し向けられたふたりの女房が来て話をしていた。黛玉は事の次第を知らなかったが、探春らは知っていて、金陵の城中に住んでいる薛家のおば(王夫人の妹の薛王氏。薛姨媽)の子供で、いとこの薛蟠が、自分の権勢を頼みとして、殺人事件を起こし、現在は応天府で取り調べ中で、今日おじの王子騰が知らせを聞いて、人を遣ってこちらに連絡してきて、都に来て引き取ってほしいと頼んできた。いったいどういうことなのか、次回に説き明かします。

 さて、王夫人の妹の嫁ぎ先の薛家で、妹の子供の薛蟠が殺人事件を起こし、風雲急を告げます。この事件はどのような展開を見せるか、第四回をお楽しみに。

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『紅楼夢』第三回(その1)

2025年01月10日 | 紅楼夢
 さて、第二回の最後で、賈雨村に声をかけて来たのは誰でしょうか。そして賈雨村にこのあとどのような運命が待っているのか。また母を失った林如海の娘、黛玉はこの後どうなるのでしょうか。第三回の始まりです。

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内兄(妻の兄)に託し、如海は(雨村を)西賓(幕僚)へ薦め
外孫(林黛玉)を迎える賈母(史太君)は孤女を惜しむ

 さて、雨村が急いで振り返って見ると、他でもなく、曾ての同僚で、一緒に弾劾を受けて罷免された張如圭であった。彼はこの土地の人で、免職後は家にいて、今都で罷免された官吏の復職の批准がされたとの知らせを聞き、あちこち情報を尋ね、つてを求めていて、ふと雨村を見かけたので、急いでお祝いを言ったのである。ふたりは挨拶を交わし、張如圭はこの知らせを雨村に告げ、せかせかと二言三言話をすると、それぞれ別れて帰って行った。冷子興は張如圭の言うのを聞いて、急いで雨村に、林如海にお願いし、都の賈政に力になってくれと頼んでもらうよう献策した。

 雨村はその考えを受け入れ、冷子興と別れた。お屋敷に戻ると、急いで邸報(宮廷の公報)を調べて確かめ、翌日如海に会って相談をした。如海は言った。「これは全く天のめぐり合わせです。妻が死に、都の妻の母が、孫娘がよるべにする者がいないことを心配し、以前船を差し向け迎えに来たのですが、わたしの娘がまだ健康を回復していなかったので、行かなかったのですが、今回は娘を都にやろうと思います。娘を教えさとしていただいた恩にまだ報いておりませんでしたので、この機会に、是非なんとかその気持ちを果たしたく思い、わたしは既に予め考えを巡らし、あなたの推薦状を書きました。内兄(妻の兄の賈郝、賈政)に頼んであなた様をちゃんとお助けすることができれば、それでようやくわたしの誠意をいささかでも尽くすことができるというもの。たとえ何がしか費用が必要でも、わたしが妻の家への手紙の中に書いておきましたので、あなた様が心配なさる必要はございません。」雨村は一方では頭を下げ、絶えず感謝の意を表しながら、一方でまた尋ねた。「お兄様は現在どんな役職に就いておられるのでしょうか。わたしは礼儀作法がいいかげんなもので、お目にかかる勇気がないのです。」如海は笑って言った。「親戚ということで言えば、貴兄も同じ一族なのですから、栄公の子孫であるわけです。上の兄は現在一等将軍の職を継ぎ、名を郝、字は恩侯です。下の兄は、名を政、字は存周、現在は工部員外郎に任じられています。その人と為りは謙虚で丁寧、善良で寛容です。大いに祖父の遺風を残し、特権を笠に利益をほしいままにするのでは断じて無く、それゆえわたしも手紙を書いてお力添えを託そうと思っているのです。そうでなければ、あなた様の高尚な節操を汚してしまうことになり、わたしも軽蔑されてしまいます。」雨村はそう聞いて、心の中でようやく昨日の子興のことばを信じ、そして林如海に感謝した。如海はまた言った。「来月の二日を選んで、娘を都に入れますので、あなた様も同行して行っていただくのは、双方ご都合よろしいでしょうか。」雨村はただただ命令に従ったが、心中はすこぶる満足であった。如海はそれで贈り物を用意し、また送別の宴を開き、雨村は一々それらを受け入れた。


 かの女学生は元々母親から離れて行くに忍びなかったが、いかんせん母方の祖母が必ずあちらに行くように言われるし、しかも如海がこう言った。「汝の父は齢五十、もう後添いを娶るつもりはなく、しかも汝は病気がちで、年もたいへん小さく、上に母親の躾け無く、下に姉妹の扶助も無い。今妻方の祖母やめい姉妹を頼ってあちらに行ってくれれば、ちょうどうまくわたしの家庭内の心配事を減じてくれるのに、どうして行かないのか。」黛玉はそう聞くと、ようやく涙をこぼしていとまごいをし、乳母と栄府から来た何人かの老女に付いて、船に乗り出発した。雨村は別の船に、ふたりの子供の召使を連れ、黛玉に付き従い出発した。


他日、都に到着すると、雨村は先ず衣冠を整え、子供の召使を連れ、「宗侄」(同族の甥)の名刺を持って、栄府の屋敷に身を投じた。この時、賈政は既に妹のご主人からの手紙を読んでいたので、急いで招じ入れてお互いに顔を合わせたところ、雨村は見るからに偉丈夫で、ことばも俗っぽくなく、しかもこの賈政が最も好きなのは読書人で、彼は賢者を尊敬し、自ら謙(へりくだ)って才能のある人と交わり、水に落ちた者を救い、危機に瀕した人を扶助し、大いに祖先の遺風を具えていた。ましてや妹の亭主が手紙を寄こしてきたので、このため雨村を優待すること、猶更いつもと異なり特別であった。そこで極力手助けし、朝廷に奏上する時に、復職実現を謀ると、二か月も経たないうちに、金陵応天府に採用されたので、雨村は賈政の前を辞し、日を選んで赴任して行ったが、そのことはここでは言うまでもない。

 さて、黛玉はその日より下船し岸に上がると、栄府が駕籠を寄こし、併せて荷物を運ぶ車輛がかしずいていた。この黛玉は曾て母親から、彼女の母方の実家の祖母は他の家の人々とは異なると聞かされていたが、彼女が最近出会った何人かの年配の女性の召使は、普段の生活での衣食の費用や生活手段が、既に普通の家とは異なっていた。ましてや今はその家に行くのだから、一歩一歩気をつけ、常に注意し、余計なことは言わず、余計なところへ行かないようにし、人に嘲笑されぬようにしていた。駕籠に乗ってから、城内に入り、紗を貼った窓からちょっと覗き見ると、その市街の繁華なこと、人家の非常に多いことといったら、別の場所とは比べようも無かった。また半日進むと、突然街の北側に二匹の大きな石の獅子が蹲(うずくま)り、三列の扉の上に獣の頭の形の門環(ドアノッカー)の付いた大門が見え、門前には十人ばかりの華麗な冠や衣服を身に着けた人々が順に座っていた。正門は開かず、東西両側の角門からのみ人の出入りができた。正門の上には扁額が一枚架かり、扁額の上には「勅造寧国府」の五つの大きな文字が書かれていた。


栄国府正門。林黛玉一行は西角門から中に入る

 黛玉は思った。「ここがお母さまの実家のお屋敷なんだ。」また西へしばらく行くと、先ほどとそっくりの三枚の扉の大門で、ここが「栄国府」であった。しかし正門を入らず、西の角門からのみ入ることができた。駕籠を担いでほんの少し進んで、曲がろうとする時、駕籠は進むのを止め、後方の女の召使たちも皆駕籠を降りた。ここで別途四人の眉目秀麗な17、8才の若い男の召使がやって来て駕籠を担ぎ、女の召使たちは歩いて付き従い、垂花門(正門を入った後の二の門)の前まで行って駕籠を下した。若い男の召使たちは揃ってうやうやしく退出し、女の召使たちが前に進み出て駕籠のすだれを持ち上げ、黛玉を助けて駕籠から降ろした。

 黛玉は女の召使の手で支えられ 垂花門を入った。両側は両手を広げたような回廊が廻り、真ん中は通り抜けができるようになっている部屋で、ここには紫檀の台に大理石の屏風が置かれた。屏風を回ると、小さな三間の広間で、広間の後ろが母屋の広い中庭であった。正面は五間の母屋で、棟木や梁木には皆彫刻と彩色を施し、両側の山型の壁の下は門とつながった廊下で各々両側の棟と連なり、廊下には色とりどりのオウムや画眉鳥などの小鳥の鳥籠が吊るしてあった。階(きざはし)の上には赤や緑の衣服を纏った女中たちが座っていた。彼らが来るのを一目見ると、笑顔で出迎え、言った。「先ほどご隠居様がまた気にかけておられました。ちょうど良いところにお着きで。」そして三四人が先を争いすだれを上げると、一方でこう言うのが聞こえた。「林お嬢様がお着きになりました。」


 黛玉が部屋に入るや、ふたりの女が鬢の毛が銀のようになった老女を支えて出迎えに来た。黛玉はこの方が母方の祖母だと分かり、ちょうど跪いて拝礼しようとしていると、それより早く祖母に抱かれ、彼女の胸の中に抱きしめられた。「かわいい子。」そう叫ぶと、大声で泣き出した。すぐさまお傍に立っていた人で、涙を流さぬ者はいなかった。黛玉も泣き続けた。人々はゆっくり慰め、かの黛玉はようやく祖母にご挨拶をした。賈のお婆様はひとりひとり指さして黛玉に言った。「これはあなたのお母さまのお兄様の奥様。これは二番目のお兄様の奥様。これはあなたの先だって亡くなった珠お兄様のお嫁さんの珠お姉さま。」黛玉は一々ご挨拶した。賈のお婆様がまた言った。「どうか皆さん。今日は遠方よりお客様が来られたので、勉強に行かなくてもよいですよ。」一同の女性たちは「はい」と答え、ふたりが出て行った。


 しばらくして、ふと三人の乳母と五六人の女中が三人の娘を連れて入って来るのが見えた。ひとり目は肌がふっくらとし、中肉中背で、頬は新鮮なライチのよう。鼻はつやつやしてきめ細かく、ガチョウの脂が固まったよう。温和でおとなしく、人に親しみを感じさせる。ふたり目はなで肩で腰がほっそりし、やせて背が高く、アヒルの卵のような形の顔で、きれいな眼に細長い眉、眼は鋭く輝き、色やつやが人を照らし、見ていると世俗を忘れさせる。三人目はまだ身体も小さく、幼な過ぎた。簪(かんざし)と耳飾り、スカートと裏地の付いた上着は、三人とも同じ服装をしていた。黛玉は急いで出迎えてお辞儀をし、互いに挨拶した。席に戻ると、女中が茶を持って来た。しかし黛玉の母親の話になると、どのように病気になり、どのように医者にかかり薬を服用したか、どのように葬儀を行ったかという話になり、賈のお婆様がまた感傷的になるのを免れなかった。そのためこう言った。「我が家の娘たちが悼んでいるのはひとりあなたのお母さまだけで、わたしたちを残して先に亡くなり、もうお会いすることもできず、どうして悲しくないはずがありません。」そう言うと、黛玉の手を取りまた泣き出した。周りの人々は急いで互いに慰め、そこでようやく、いくらか悲しみも収まった。

 周りの人々は黛玉の年齢は小さいが、その動作ふるまいや話すことばが俗っぽくなく、身体や容貌が痩せて弱々しく、服の重みにも耐えられないかのようであるが、立ち振る舞いがおおような態度で、彼女は気や血が虚弱な症状があると知ったので、それで尋ねた。「いつもどんな薬を飲んでいるの。どうして病気がよくならないの。」黛玉は言った。「わたしは元々このようでしたから、ご飯が食べれるようになってから、今までずっと薬を飲んでいます。何人もの名医に診てもらいましたが、結局効果がありませんでした。あの年はわたしがやっと三歳になった時で、確か、ひとりの白癬(しらくも)頭の坊さんがやって来て、治そうと思ったらわたしを出家させろと言いましたが、父母はもちろんそれに従いませんでした。坊さんはまたこう言いました。「この子を棄てられないなら、おそらくこの子の病気は一生良くならないだろう。もし良くしようと思うなら、今後決して泣き声を聞かさないだけでなく、両親以外、およそ親戚でも、一切会わないようにすれば、それでようやく一生平穏無事に暮らせるだろう。」この坊さんは狂気じみた様子でこうした荒唐無稽の話をしましたが、誰も取り合いませんでした。今はまだ人参養栄丸を飲んでいます。」賈のお婆様は言った。「これはちょうどよい。うちでもちょうど丸薬を調合しているから、彼らに少し多く原料を配合するようにさせましょう。」

 ことばがまだ終わらぬうち、ふと後院から笑い声が聞こえ、こう言った。「遅くなってしまいました。遠方からのお客様をお出迎えできなくて。」黛玉は少し考えて言った。「ここにいる人たちはひとりひとり皆声をひそめて話されるのに、今度来られたのは誰だろうか。このように不遠慮に振る舞うなんて。」心の中でそう思っていると、一群の女中や小間使いがひとりの麗人を連れて後ろの部屋から入って来た。この人の装いは少女たちと異なり、彩りがまばゆく、華麗で美しく、まるで天上の神妃仙女のようで、頭上には金糸で真珠を繋ぎ八宝(瑪瑙や碧玉など)を象嵌した飾りの髷(まげ)を、太陽に向かう五羽の鳳が真珠を銜えた簪で留め、銅でできたとぐろを巻いた螭(みずち。角の無い龍)の瓔珞(ようらく)を首に掛け、身体には細い金糸で縫った百羽の蝶が花に舞う赤い錦の身体にぴったりのあわせの服を身に着け、その上から五色の色糸で図案を縫った扁青(へんじょう)色のひとえの上着で裏地にシロリスの毛皮を貼ったものを羽織り、下は翡翠色で花びらが散る図案の洋式の薄絹でやや皺を帯びたスカートを履いていた。切れ長で目じりのつり上がった眼をし、眉毛は柳の葉のようにしなやかで細長く、眉尻は斜めに切れ上がり、背丈はすらりと美しく、体つきはあでやかでなまめかしかった。容貌はなまめかしく人を惹きつけ、真っ赤な唇は鮮やかで、まだ口を開かぬうちに笑い声が先に聞こえてきた。

 黛玉はあわてて身体を起こして挨拶をしようとすると、賈のお婆様は笑って言った。「あなたはまだこの子のことを知らなかったね。この子は我が家では有名なあばずれで、南京のいわゆる「辣子」、あなたはこの子を「鳳辣子」と呼べばいいのよ。」黛玉はちょうど彼女のことをどう呼べばいいか分からなかったので、姉妹たちが急いで黛玉に教えて言った。「この方は璉お兄さまの奥様ですよ。」黛玉はこれまで面識は無かったが、彼女の母親がこう言うのを聞いたことがあった。一番上の叔父、賈郝の子の賈璉が娶ったのは、叔母の王氏の兄弟の娘で、幼い時から男の子と偽って教育を受けさせ、学名(子供が学校に入学する時につけた正式の名前)を王熙鳳というと。黛玉はあわてて作り笑いを浮かべて挨拶し、「お姉さま」と呼んだ。

 この熙鳳は黛玉の手を取って、上から下まで細かく一度観察すると、黛玉をまた賈のお婆様の傍に座らせ、笑みを浮かべて言った。「世の中には本当にこんなきれいな子がいるのね。わたし、今日はじめてそれが分かってよ。ましてやこの全身から醸しだされる気風は、賈のお婆様の娘の生んだ娘とは違って、まさしく実の孫のように思えるので、道理でご隠居様が日々口の中でも心の中でもご心配されるはずだわ。ただお可哀そうなのは、このお嬢ちゃんがこんなに辛い運命を負わされていることで、どうして叔母様は意地悪く先立たれてしまわれたんだろう。」そう言いながらハンカチで涙を拭いていると、賈のお婆様が笑みを浮かべて言った。「わたしはもう大丈夫よ。あんたはまたわたしを泣かせるつもりなの。あんたの妹がはるばる遠くから来て、身体も丈夫じゃ無いんだから、もうこのことは言いっこなしよ。」熙鳳はそれを聞いて、急いで悲し気な様子から嬉しそうな雰囲気に変えて言った。「本当にね。わたしはこの子を一目見るや、一途にこの子の身の上が思われて、嬉しいやら悲しいやらで、ご隠居様のことを忘れてましたわ。全部わたしが悪いわ、ごめんなさい。」それからまた急いで黛玉の手を引き、尋ねた。「お嬢ちゃん、おいくつ。お勉強はなすったことがおあり。今どんなお薬をお飲みなの。ここではお家のことは考えないで。何か食べたいもの、遊びたいことがあったら、わたしに言いさえすればいいのよ。召使や乳母たちに問題があったら、わたしに言えばいいからね。」黛玉は一々はい、はいと頷いた。一方で熙鳳は使用人たちに尋ねた。「林のお嬢ちゃんの荷物は運び入れたのかい。召使は何人お連れになってるの。おまえたち、急いで二部屋掃除して、皆さん方に休んでもらいなさい。」

 話をしていると、もうお茶とお茶請けが並べられたので、熙鳳は自ら取り分けて勧めた。また弟のお母さまが彼女に尋ねた。「毎月のお手当は渡し終わったかい。」熙鳳は答えた。「渡し終わりました。先ほど人を連れて奥へ行って緞子を捜してきました。あちこち捜したんですが、昨日奥様が言われたものは見つかりませんでした。おそらく奥様の記憶違いだと思うのですが。」王夫人は言った。「あっても無くても、どちらでもいいわ。」それでまた言った。「適当な布を二反取って来てこのお嬢ちゃんに服をこさえてあげないといけないわ。今晩また考えて誰か取りにいかせて。」熙鳳は言った。「それだったら、わたしもう先に手配しています。お嬢ちゃんが昨日今日着かれると聞いていたので、もう準備しておきました。奥様がお部屋に戻られたら、見てみてください。それで良ければお渡しするので。」王夫人は微笑み、頷くともう何も言わなかった。

 今回はここまでとします。この後、林黛玉はふたりの叔父、つまり賈郝と賈政にご挨拶にうかがい、更に賈宝玉に出会いますが、それについては次回をお楽しみに。


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