■[1]
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・無名火 wu2ming2huo3 怒りの炎。激怒。
・高高在上 gao1gao1 zai4shang4 [成語]お高くとまっている。指導者が一般大衆から遊離してしまっていること。
・呵斥 he1chi4 しかりつける。
・政績 zheng4ji4 官吏の在職期間中の成績。政治的な業績。
・唯唯諾諾 wei2wei2nuo4nuo4 [成語]唯唯諾諾(いいだくだく)。少しも逆らわず、相手の言いなりになる。
・点頭哈腰 dian3tou2 ha1yao1 ぺこぺこする。
皆さんは、こんな話を聞いたことはないだろうか。誰でも分かることだが、人は時には激怒することがある。人に相談できないことだが、どんな役職にも就くことができない、或いは金儲けをしようと思ったが儲からないような時、人は公然とした理由にかこつけ、それを怒りに転嫁し、こうした怒りの炎は繰返し出現する。またこんな話がある:一つの会社、組織で、最もえらそうにしているのは、そこの社長である。この人は役職が最も高いので、いつでも部下の誰でもしかりつけ、その人を責めることができる。この仕事を、あなたはどうしてうまく出来ないのだ。あなたがちゃんとやってくれなかったら、私は業績を残せない。このポストをうまくやれなかったら、私は名誉を得られないと、全ての過ちをあなた一人の運営能力のせいにする。あなたの業務手腕がどうであるか、帰って反省してみなさい。彼の部下としては、ただ相手の言いなりになり、頷いて、はいそうです、と言うしかない。家に帰ると、この怒りの矛先は奥さんに向けられ、奥さんを大声で叱りつける。私は苦労して外で稼いできて、この家の名義を買い、そうしてはじめておまえはこうして楽に暮らしていける。けれどもおまえは家をちゃんと管理できないし、子供をちゃんとしつけられない。おまえは私にこんな生活を送らせるのか。奥さんをひとしきり口汚く罵ると、奥さんもただ頷いて聞いているしかない。それというのも、毎月この夫から金を受け取らないといけないからである。けれども、しばらくすると、気持がおさまらなくなり、子供を説教する。ごらん、私はおまえのためにこんなに苦労している。私はこの一生を差し出し、こんなに苦労しているのに、おまえは勉強に努力せず、今のこんな成績で、おまえは私にすまないと思わないのか。この子も、ただ頷いて聞いているしかないが、しばらくすると怒りがこみ上げてきて、この子はこの家で飼っている犬を罵り始める。ごらん、おまえはなんてわからず屋なんだ。上ではこんなに多くのおとなが僕をいじめるのに、家に帰るとおまえは相変わらず僕の言うことを聞かない。そして犬を殴りつける。犬は、主人の命令を聞かなければならないし、ここに住まないといけないと分かっているが、彼にも怒りの炎がある。彼は家では何も言う勇気がないので、しばらくして家の外に出ると、怒りの矛先を野良猫に向け、家を出るやずっと休まず野良猫を追いかけ、その猫に噛みつく。猫の方でも犬と喧嘩しても勝てないのが分かっているので、じっと我慢しているしかないが、その後この猫は必至でネズミを追いかける。なぜなら、ネズミの対してしか、猫の怒りの捌け口がないからである。実際、私たちがこのように言うと、一人の社長の怒りと一匹のネズミの忍耐の間にいったいどれだけの連鎖があるのだろう。これこそが私達人間社会の一つの隠れた規則である。実際、私達は一人一人心に怒りの炎を持っていて、私たちが本当に心安らかになろうと思うなら、ちょっと振り返って荘子を読んでみるとよい。これが心の中の原因によるものではないか、見てみよう。それは他人が私達にもたらした、たくさんの忍耐なのか、それとも私達自身が名声と利益という二艘の船を看破できていないからなのかを。
■[2]
・吊唁 diao4yan4 弔問する。
・追本溯源 zhui1ben3 su4yuan2 [成語]事の根源を明らかにする。
・坦然 tan3ran2 平然としている。平気である。
・牽絆 qian1ban4 しがらみ。
・苦楚 ku3chu3 苦痛。苦しみ。
ご覧なさい、古代の文字の創造はたいへんおもしろい。人の心の中の悩みは、どのように言うのだろうか。この“悶”という字は、“門”という字の中に“心”という字を入れるに他ならない。つまり、あなたは自分の心を扉の中に閉ざしておいて、心の悩みを叱責するというのか。扉を開き、全てを自分の下に置けないか。いわゆる“看破”の2文字は、扉を開け放つことに他ならない。それでは、人が生きている間、“名”と“利”の2文字が最も重要とするなら、最後の終極の状態で、名と利は見てはっきり分かるが、生と死は難しい。浮世に居る時、荘子はこう言った:むしろ生きて尻尾を引きずり泥の中に居たいと。生きて泥水の中に居る方が死ぬより良いと、こう荘子が言ったなら、彼は真に生と死の問題を看破できたのだろうか。
こんな有名な話がある。荘子が長年連れ添った妻が先に亡くなった時、恵子は彼の親友として、弔問にやって来た。荘子の家に着いて見てみると、荘子は盆を叩きながら歌っていた。
連れ合いが死ぬと、人々はしばしば悲しみに苦しむが、それなのに荘子は妻が死んで、どうして盆を叩いて歌を歌うことができたのだろうか。荘子は富に無欲で、名利を看破したのに、どうして死に対しても、荘子は独自の見方を取るに至ったのだろうか。荘子は生と死をどのように見做していたのだろうか。
恵子:あなたの奥さんは家で子供の世話をよくし、今年老いて亡くなったのに、あなたは深く悲しまないばかりか、盆を叩いて歌を歌うなんて、やり過ぎではないか。荘子:ああ、それはこういうことなのです……。
荘子は落ち着いて彼にこう言った:ああ、妻が亡くなったばかりの時は、私の心はどうして辛くないなどということがあったでしょうか。けれども、私は今、突然一つの道理がはっきり分かったのです。何事も「その始まりを調べれば本生無きなり」です。私が本当に事の根源を明らかにし、最初の始まりを調べれば、人は生命がないのではないですか。一番最初の人は生命が無く、生命が無ければ形が無く、形が無ければ何の息吹もありません。これはつまり、一般大衆の言葉で言うと、人がひとしきり生きるということは、実は天地の間で見ると、ここかしこにある“気”が集まって、やがてこの息吹が、次第に一つの形になり、形から生命が生み出される。人とはつまりこのようなものなのです。今、私の妻はこの道筋に沿って元に帰って行ったのです。彼女は私より先に行き、この時この時刻に、彼女はおそらく巨大な密室の中で、ゆっくりと寝ているのです。彼女はつまり解脱したのだから、喜ばしいことではありませんか。このことが分かったので、思わず、盆を叩いて歌っているのですと。どうだろう、これは連れ合いの死であり、連れ合いの死に臨んで、このように平然とほっとしていられるのである。実は、このような心理は、中国の民間では、時に大智慧者がこのようにすることができる。民間で重んじられるお祝い事には二種類あり、“紅白”の喜び事と言う。赤(紅)は嫁を娶るお祝いで、これから新しい生命が増えるというのは一つの喜びである。それでは白はというと、天寿を全うした老人を見送ることで、これも喜び事である。いわゆる“紅白”とは、生命の両端であり、赤は生命が宿る前のお迎えであり、白は命が尽きた後の見送りである。そして生と死の間は、形態の転化に過ぎない。
荘子:大自然は私に形を与え、生活によって疲労させ、歳月によって老化させ、死によって永遠の休息に至らしめる。自然は変化であり、人は自然に従わなければならず、そうしてはじめて喜怒哀楽から解放されるのである。
もし私たちが本当に荘子のような心持になれば、或いは私たちは多くのしがらみや苦痛を減らすことができるかもしれない。
■[3]
・打点 da3dian3 (贈り物や旅装などを)整える。準備する。
・百年之后 bai3nian2 zhi1 hou4 死んだ後。(婉曲な言い方)
・棺椁 guan1guo3 内棺と外棺。“椁”は柩を覆う外棺のこと。
・珠玑 zhu1ji1 宝石。“珠”は(丸い)真珠。“玑”は丸くない真珠のこと。
・蒼鷹 cang1ying1 タカ。オオタカ。
・啄 zhuo2 (くちばしで)ついばむ。つつく。
・有朝一日 you3 zhao1 yi1ri4 [成語]いつの日か。いつかは。
・螻蛄 lou2gu1 オケラ
・豁達 huo4da2 闊達(かったつ)。度量が広く、物事にこだわらないこと。こせこせしないこと。
それでは、皆さんはこう言われるかもしれない。そうです、年老いて病死すると、周囲の人はそれを見送らざるを得ない。けれども本当に自分が身を処する時が最も難しく、自分が死に直面できるだろうか。古より今日まで、どれだけ多くの人が不老不死を求めたことだろう。魏晋時代から、かの「五食散」を作り、薬を飲んだらゆったりした服を着て気を発散させたが、全ての人が追い求めるのは、どうしていつも不老不死なのだろうか。荘子も自分自身の死に直面せざるを得なかったのではないか。彼は多くの弟子たちと相談した:先生が本当にある日、死んだら、私たちはどのように先生の後のことを準備したらよいのか。荘子は弟子たちにこう言った:私が死んだら、何も準備するな。私は天地全体を柩とし、日や月は連璧、星は宝石、万物を副葬品とする。こう言えば、私たちが見ることのできる楚王墓、漢王墓と比べ、どんな王陵墓よりも贅沢だ。私は天地や日、月を連璧とし、玉や宝石は陪葬品で、私はそれらといっしょにいる。こんなに大きな葬礼をすることになるのだから、直接私を外に放り投げておいてくれればよい。弟子たちはそんなことはできないので、何か言おうとした。先生、先生に小さな棺おけを準備せず、外に放っておいて、獣たちに食べられたらどうしますか。すると、荘子はしばらく考えて、弟子たちに言った:私を荒山に放っておいたら、タカやカラス、あらゆる空を飛ぶ鳥や猛禽によって、私の死体はついばみ、食べられてしまうだろう。もし皆さんがちゃんとした、棺おけで私を包んで、地下に埋めたとしても、いつかは木が朽ちて、人体も腐り、今度は私を食べるのは、地下にいるアリや、オケラ、あらゆる地下の虫たちで、私は彼らの餌になるだけだ。皆さんはどうして空にいる鳥たちの餌を奪って、地下の虫たちに食べさせようとするのか。ここで言っているのは、何れも物質が不滅であるということではなく、食べられてしまうということではないか。これこそ、荘子の自分自身の(物質的な)形と生死についての考え方である。実は、こう言うと、私たちはチベット地方で現在も行われている鳥葬を想像する。つまり、人が死んだ後、自分の体を空を飛ぶ禽獣に持って行ってもらうことで、再び天界で一種の有形の形で生命が最初に戻れることを望んだ。おそらく多くの文化の中で、いくつかの理念は相通じるもので、それはつまり、こせこせしないことが、人が解脱する前提であるのだ。
(この項続く)
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人々は孔子を「聖人」と呼び、荘子を「神人」と呼ぶ。孔子が儒家の代表であるなら、荘子は道家の化身である。荘子の文章は、自由奔放な想像力に満ち溢れ、辛辣な風刺や皮肉に満ち溢れている。荘子の思想は、私達現代人に、どのような啓示を与えてくれるのだろうか。
■[1]
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・身家 shen1jia1 本人とその家や家庭。
・叮当 ding1dang1 [擬声語]金属や磁器がぶつかり合う音。ちりんちりん、かちん、という音を表す。
・家財万貫 jia1cai2 wan4guan4 巨万の財産。
・富比連城 fu4 bi3 lian2cheng2 富の豊かさの程度が隣り合った幾つもの町を越えるほどの大金持ちであること。
・異化 yi4hua4 異化する。同じ、或いは相似の物が次第に違った物に変化すること。
・文凭 wen2ping2 証書。一般には卒業証書を指す。
・心為形役 xin1 wei2 xing2yi4 心や気持ちが生活や功名心に駆られ、それに酷使されること。
・不値得 bu4zhi2de ……する値打ちが無い
・諡号 shi4hao4 (死者に対し、故人を称えてつける)おくり名。
・辛棄疾 xin1 qi4ji2 南宋の詩人。
・了却 liao3que4 果たす。
・身后 shen1hou4 死後。
□[1]
実際、私たちは今日、たった10元の金しか持っていない人であっても、必ずしもその人の幸福が、その家に何万もの資産を持つ人に及ばないとは限らない。つまり、その手にどれだけの金銭を持っていようと、決して心の中の重さを決めることはできないのだ。実際、現在の社会で、最も幸福な人は、貧しくて何も無くてすっからかんの人でもなければ、巨万の財産を持った、富がいくつもの町に跨るような人でもなくて、しばしば衣食に困らない程度から、まずまず安定した暮らしができる人である。それというのも、そういう人たちの生活のベースは、それほど困窮している訳でもなく、また財産に縛られ、それが転じて、財産のことを心配するまで至っていないからである。実際、はっきり言って、私たちはおそらく、ここに座っておられる一人一人が、この社会の多数を占めるだろうが、幸福になる資格のある人であるが、幸せかそうでないかは、心の持ち方による。
実際、このような人を見たことがある。私の友達の一人は、マスコミ出身で、後に不動産業を始め、資産は益々増えた。マスコミを離れる時、彼はとても悲しそうで、彼が言うには、マスコミの仕事は自分の一生で最も好きな仕事だったのだが、どうして不動産の仕事に変わらないといけないかというと、子供ができたら、子供に責任を持たないといけない、子供に幸せな生活を送らせてやらないといけない。彼は、だから自分の心に背き、もっと大きな金銭的な利益を得ないといけないと言った。その後、彼は結婚し、たいへんかわいい子供ができた。その時、彼はそこそこ金を儲け、生活もまずまずであるように思えた。その後、彼は移民しなければいけないと言った。実際、ある遠い遠い国に移民し、先ず奥さんに子供を連れてその国へ行かせ、自分は国内に残って金儲けをしている。それで私たちは尋ねた:あなたはどうしてこのように奥さんや子供と離れ離れでいるの。あなたはあんなに子供をかわいがっていたのに、どうして子供と別れるの。彼の答えは、おそらく皆さんは想像できないだろう。彼はこう言った:自分達の今の財産であれば、この子がもし国内で学校に上がると、私は毎日この子が誘拐されないか心配しないといけない。だから自分は子供を遠くに行かせるのだと。実際、これは皆さんとは関係の無い話だが、もし皆さんの身近でこのような事が起こったとしても、この“利”が本当に大きければ大きいほど良いと言うだろうか。
今、ネット上で流行っている、こんな話がある。人生なんて何枚かの紙きれのために過ぎないと言う。一生は何枚かの紙きれのためにある。それは金であり、何枚かの人民元紙幣のためである。それは名声であり、何枚かの賞状、証書、功績記録のためである。人が死んでからは、それは墓誌銘のためであり、紙銭を燃やすためである。一生のことを考えてみると、本当に何枚かの紙に過ぎない。荘子が生きていた時代は、これらの物はあまり重要視されなかった。だから、“利”で彼を縛ることはなかった。彼はこう感じていた:自分が心配しているのは、“利”のために自分の自由や心の機智が失われてしまうことで、自分が功名心に駆られる程の値うちも無いと思うように心掛けた。この道理は、或いは高尚な人は理解できるかもしれない。けれども、その次の段階の、名を捨てることは、利を捨てることよりも難しい。多くの人は、自分は金のために動かされることはないと言う。けれども、私たちは古今到来、どれだけ多くの人が生前、死後一つのおくり名を追封されるよう努めてきたことか。君王から彼は忠であったとか、孝であった、文、武であったと。これはおくり名にいつも見られることである。このおくり名が墓誌銘に刻まれさえすれば、その人は生前の一切の失ったものをこの永遠の墓碑の上で補うことができると思っていたに違いない。これこそが辛棄疾のいわゆる、君王が天下の事を果たし、生前に死後の名声を勝ち得たとしても、悲しいかな、その時には老いさらばえて白髪頭になっている。人の一生というものはこのように過ぎていくのだ。
ことわざに、「雁は過ぎて声を留め、人は過ぎて名を留める」という。利を捨てることは容易でないが、名を捨てることは更に難しい。どれだけの人が、利のためには惑わされずとも、名のために惑わされたことか。たとえ高潔な人でも、名を歴史に残すことを望むものである。それでは、荘子は名声を気に留めなかったのか。高い官位や名誉を前にし、荘子はどのような態度を取ったのか。
■[2]
・雄才大略 xiong2cai2 da4lve4 [成語]傑出した知力と遠大な計略。(主に歴史上の偉人についていう)
・遊蕩 you2dang4 ぶらぶらと働かずに遊びまわる。
・梧桐 wu2tong2 アオギリ。
・栖 qi1 鳥が木に止まる。
・猫頭鷹 mao1tou2ying1 フクロウ。ミミズク。
・嘎 ga1 [擬声語]アヒルや鵞鳥のガアガアという鳴き声。
・名位 ming2wei4 名誉と地位
□[2]
荘子は名声を気にしなかったのだろうか。荘子という人は、傑出した知力と遠大な計略を持っていたが、自ら進んで語ろうとしなかった。なぜなら、世の中の人が迷って悟っていないのに、真面目な事を言っても仕方がないからである。人間社会で、彼は対話すべき前提を何も持たなかった。天地はたいへん美しいが、自ら語ろうとはしない。だから彼は自分からは何も話そうとしなかった。このようにして、彼は各地をぶらぶらと歩き回った。この時、彼はちょうど彼の良き友、恵施と出会ったのである。恵子という人は梁国で宰相をしていた。荘子はぶらぶらとちょうど梁国にやって来た。そうすると多くの人が恵子に駆け寄って言った。荘周という人は弁舌の才があり、雄弁なことといったらあなたを遥かに上回る。彼が話をしないと考えてはいけない。もし話し出したら、あなたの相手ではない。実は、恵施は当時、有名な《堅白論》を著し、天下に聞こえた雄弁家であった。恵施はそれを聞くと、焦り、恐れた。梁国は大きくないので、配下の者を動員し、街中で荘子を捜した。必ず彼を探し出し、決して彼が直接、梁恵王に会わせないようにした。万一、宰相の位を彼に与えたらどうしよう。荘子はこの話を聞き、彼の方から恵子を訪ねてやって来た。
恵子:あなたの方から私を訪ねて来られたのは何か特別な目的があるのですか。荘子:南方に宛雛(鳳凰のような鳥)という名の鳥がいて、南海から北海に飛ぶ時、こんなに遥かな道のりであるのに、アオギリの木でなければ休まず、竹の実でなければ食べず、甘泉でなければ飲まないそうです。ある日、宛雛が一羽の鴞鳥(フクロウの仲間の猛禽)の頭上を飛んでいると、この鴞鳥はちょうど腐ったネズミを食べているところでした。鴞鳥は宛雛がネズミを奪い取らないよう、上を向いて一声鳴き叫びました。あなたは今、私にガアガアと一声鳴き叫ぼうとしているのですか。名誉や地位は、俗世間に対しては、設ける必要があるでしょうが、高い智慧のある人にとっては、旅館のようなもので、記念として残す値打ちもないものです。
■[3]
・順道 shun4dao4 通りすがりの。
□[3]
実は、これが荘子の考えている“名”である。もちろん、皆さんはこう言うかもしれない:これは通りすがりのことで、彼は元々、その宰相の位を狙っていたのではない。しかも梁国は小国なので、彼は気にかけていなかったと。けれども実は更に大きな宰相の地位が届けられたのだ。皆さんは楚国が大国であることをご存じだろう。私たちは先ほど斉国、楚国、秦国が大国であると言った。これは戦国時代の最も大きな三国である。それでは、楚王が大臣を荘子の所に遣わし、自ら彼を訪ね、楚国の宰相の位を彼に授けたいと望んだ。荘子はその時、何をしていたか。当時、彼は自由気儘に蒲水で魚釣りをしていた。この時、二人の大臣が来、うやうやしく彼に、我が国の事を、よろしくお願いします、と語った。たいへん丁寧に、出仕して宰相になってほしいと頼んだ。荘子はここでまた物語を語り始めた。たいへん回りくどいけれども。
荘子:聞くところによると、楚国に神亀がいたそうで、三千年前に死んで、その骨は宗廟に置かれ、占いに使われているそうです。神亀は死んで骨を留め、人に厚く敬われることを望んでいるでしょうか、それとも生きて泥の中を転げまわっていたいと思うでしょうか。大臣:きっと、泥の中を転げまわっていたいと思うでしょう。荘子:それなら、お帰りなさい。私も亀と同じで、尻尾を引きずって泥の中で転げまわっていたいので。
■[4]
・労頓 lao2dun4 疲労する。疲れ切る。
・交待 jiao1dai4 申し開きをする。
・堂而皇之 tang2 er2 huang2zhi1 公然と。堂々とした。
・淪陥 lun2xian4 陥落する。
・無事忙 wu2shi4mang2 つまらない事で忙しいこと。
□[4]
荘子はその時、一笑して彼らに、私は尻尾を引きずり泥の中で暮らしたい、どうかお帰りください、と言った。実はこれが、荘子が家に届けられた名誉に対し、取った態度である。皆さんはお分かりになっただろうか。人の心はどうしたら自由でいられるのか。自由とは、自分が気に留めないからである。実際、人の一生は、本当に気にかけた事情によってのみ、真に拘束されるべきものである。だから、人生の疲れが積み重なったら、先ず目的は何か問うてみるべきである。多くの事が互いに繋がって循環している。ひょっとすると、あなたのところが起点であるかもしれず、自分に対する申し開きは、たいへん高尚な答えである。例えば、家人のため、自分の成果のため、社会貢献のため、というように。言ってみると、すばらしい名声である。しかし、背後に隠された動機は何であったのか。私達は一人一人、心に問うてみるべきだ。これは私たちが名声や利益を得るために、公然と口実をつくっているのではないか。時には、名利のために先に少しずつ引っ張り込まれ、人が余計な事でばたばたするという人生の隘路に陥ってしまっているかもしれない。
(この項続く)
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これから、北京師範大学 于丹教授の《荘子心得》を読んでいきたいと思います。于丹教授が大ブームを引き起こした《論語心得》に続いて《荘子》を取り上げたのには意味があります。孔子の教えを基にする儒教と、老荘の教えというと、何か対立する思想のような気がしますが、実はそうではありません。《論語》は、人が社会との関わりの中で如何にあるべきかを語っているのに対し、《荘子》は人が個人として如何に生きていくべきかを語っており、この二つは、実は本質のところでは密接な関係があると思われるのです。それでは、于丹《荘子心得》の第一回、先ずは荘子とは如何なる人物か、というところから話がスタートします。
■[1]
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・傳誦 chuan2song4 語り伝える。
・潦倒 liao2dao3 落ちぶれる。
・追名逐利 zhui1ming2 zhu2li4 名声や利益を追い求める
・嘲諷 chao2fen3 あざける。諷刺する。
・嬉笑怒罵 xi1xiao4 nu4ma4 [成語]嬉しければ笑い、怒れば罵る。
・尖酸刻薄 jian1suan1 ke4bo2 辛辣である。“尖酸”は言葉がとげとげしいこと。
・瞠目結舌 cheng1mu4 jie2she2 [成語]目を見張り、口がきけない。あっけにとられて、ものが言えない。
・拍案叫絶 pai1an4 jiao4jue2 机をたたいて、すばらしいとほめる。“拍案”は机をたたくことで、激しい怒り、驚き、称賛などを表す。
・不屑 bu4xie4 軽蔑する。さげすむ。
・金聖嘆 jin1 sheng4tan4 民末清初の文学家、文学批評家。
・才子 cai2zi3 文才のある人。才智に長けた人。
・上窮碧落下黄泉 shang4qiong2 bi4luo4 xia4 huang2quan2 上は大空の果てまで、下は地の底まで。“碧落”は大空。
・是耶非耶 shi4ye2 fei1ye2 是か非か。“耶”は助詞で、疑問を表す。
□[1]
今日、私たちは一人の人物の話をしたいと思う。誰かというと、荘子である。荘子という名前は、皆が長い間語り伝えてきたが、荘子がどのような人であるかは、言われ方がずっと漠然として矛盾に満ちている。誰でも知っているのは、荘子が物に乗って心の中を遊び、独り天地や精神を行き来できる人物だということだ。
荘子が私達に残したのは、寓話や物語のたくさん詰まった書物である。荘子の一生は、貧しく困窮していたが、貧困を超越し、その中で楽しむことができた。荘子は弁舌が巧みであり、とりわけ寓話や物語で自分の見方を表現し、同時に自分の利益や名声ばかり追い求める小人物を嘲笑した。彼の文章は喜怒哀楽が激しく、彼のすること為すことは、いつも人をあっけにとられ、ものがいえなくし、また机をたたいて、すばらしいと褒めさせる。彼は功名を看破し、利益や仕官により俸禄を得ることをさげすみ、死に対してさえ、自分独自の見解を持っていた。荘子は一体全体、どのような人物なのであろうか。
皆さんもご存じのように、金聖嘆は6人の文才のある人の書を批評したが、その第一が《南華経》の荘子であった。この人は、嬉しければ笑い、怒れば罵り、上は大空の果てまで、下は地の底まで、天下の英雄を罵り尽くしたが、実は彼の内心は決して怒りに燃えたものではなかった。私たちも知っているように、荘子は、天地はたいへん美しいが、ものを言わないと言ったが、彼が本に書いたものは、でたらめで、とりとめがなく、際限の無い言葉であったが、見たところ、とりとめが無くても、その実、その中には多くの智慧が含まれている。荘子という人は天地の間で、生死を看破し、名利を超越し、この一切合切を見抜いたと言うことができる。しかし、彼は自分が誰だと言っているのか。荘子は夢の中で蝶になったというが、それが本当なのかどうか、誰も荘子が本当はどんな人であったか知らない。彼の一生には、いったい幾つの物語があったのだろうか。
※ 司馬遷の《史記》によれば、荘子の名は周、字は子丘、戦国時代の宋の蒙地の人で、生年、卒年ははっきりしないが、おおよそ紀元前369年から286年の間に活躍し、梁の恵王、斉の宣王、孟子、恵施等と同時代で、南華山に隠棲したことがあり、それで唐の玄宗の天宝初年に、南華真人と追号された。
■[2]
・了然 liao3ran2 はっきり分かる。
・熙 xi1 隆盛。・攘攘 rang3rang3 混乱しているさま。
・在世 zai4shi4 在世。存命する。(死者を追憶する時に用いる)[用例]他~的時候。
□[2]
荘子という人は、乱世の中で、彼が天地大道から、人間社会の名利、生死に至るまで、看破したもの、経験してきたもの、この一切合切が心にはっきり分かるようにしたと言うことができる。今日まで《荘子》という本は内篇7篇、外篇15篇、雑篇11篇が残されている。それでは、荘子のこの本の中で、私たちが分かるのはどういうことだろうか。実は、この本の中で、真に伝えられた思想は、ある種の天地を自由気儘に動き回る“逍遥遊”であるに違いなく、このような“逍遥遊”の中で、荘子、彼が看破したものはたいへん多い。いわゆる「天下は繁栄し、皆利のために来、天下は混乱し、皆利のために去る」である。人生、この世に生ある間、太古から今日に至るまで、看破し難いのは、名と利、この二文字である。
■[3]
・紛擾 fen1rao3 騒ぎ。混乱。
・困窘 kun4jiong3 困惑する。当惑する。どうしてよいか分からなくなる。
・一斑 yi1ban1 全体の一部分。[用例]管中窺kui1豹bao4,可見~。(管を通してヒョウを見ても、斑紋の一部は見ることができる。そこから転じて、見方が狭くてもおよその見当はつくこと。)
・掲不開鍋jie1bu4kai1gyo1 貧しくて、食糧や、食べ物を買う金が無いこと。
・四下 si4xia4 四方。周り。あたり。
・軋 ya4 ローラーをかける。車に轢かれる。
・車轍 che1zhe2 わだち。車の通った跡。
・印 yin4 痕跡。跡。
・淡淡地 dan4dan4di 冷やかに。
・捉襟見肘 zhuo1jin1 jian4zhou3 [成語]えりを合わせると肘が出る。衣服がぼろぼろである形容。そこから転じて、困難が多くてやり繰りがつかない喩え。にっちもさっちもいかない。
・擋住 dang3zhu4 遮る。捉える
□[3]
言っておかないといけないのは、先ず誰もが直面するのは利益に心をかき乱され、利益の誘惑を受けることで、それというのもこの世界では、人々は皆経済の問題に直面し、生存の困難に直面するからである。それでは、荘子の生活はどのようであったのだろう。実は、荘子の生活は、彼の寓話の中からその一端を見ることができる。荘子は嘗てある話を語ったことがある。ある日、家の蓄えが尽き、食べる物が無くなってしまい、米を借りに行かないといけなくなった。彼は当時、“監河侯”と呼ばれた、水利を管理する小役人に会いに行った。河川を管理しているので、生活は荘子よりましであった。彼は言った:「少し、米を貸してくれませんか。」その“監河侯”は話がたいへんスマートで、彼に対し、たいへん親切に言った:ご覧のように、私たちはちょうど年貢の回収で忙しくしていて、ひとたび年貢を全部回収したら、すぐにあなたに300金をお貸ししましょう。この話はたいへんきれいで、300両の黄金といえば、たいへん大きな資産である。荘子はそれを聞くと、「私はあなたに一つお話をしましょう。」と言った:昨日、私もこのあたりを通ったのですが、誰かが私の名を呼んでいるのが聞こえました。あたりを見回してみたのですが、誰も見えません。もう一回捜してみて、最後に頭を下げて下の方を見てみると、車が通った後の溝の底が平らになってできたわだちの跡に、一匹の小さなフナがいて、そこで飛び跳ねていました。
フナ:私にちょっと水を飲ませていただけませんか。荘子:いいですよ。でも私は、今は水を持っていません。これから呉越に行って、呉越王に、西江の水を引いてくれるよう頼みますが、水が引けたら、あなたを大海原に帰してあげますが、どうですか。フナ:それなら、明日の朝、魚市場に行って、私を買って帰ってくれればいいですよ。
彼は言った:そのフナは話を聞くと、冷やかにこう言った:あなたが一升の水を持っていれば、今私の命を救うことができるのです。あなたがそんなに遠くの水を引いてくるのを待たないといけないなら、ご覧なさい、あの魚の干物を売っている店を。ひょっとすると、その中に私が見つかるかもしれない。荘子はそう言い終わると、行ってしまった。このことは何を説明しているのだろう。荘子は現実の境遇の中では、決して超越した、洒脱した、生活が満ち足りて悩みの無い人ではなく、彼の生活はにっちもさっちもいかない状態で、彼は方々で人の支援を求めねばならず、鍋に入れる米も無い状態であったと言うことができる。このような生活の苦境は、おそらく一般の人々と同じであったろう。しかし皆が不思議に思うのは、このような人物が、どんな資格があって“逍遥遊”ができたのだろうか。一人の人間が、寒さを凌ぎ、空腹を満たすこともできない状況下で、どうしてより高いものを追い求めることができたのだろうか。ここには実は一つ秘密があり、真に人の心を捉えることができるというのが、永遠に彼が最も重んじた基準であったのだ。
■[4]
・補丁摞補丁 bu3ding luo4 bu3ding つぎはぎだらけ。“摞”luo4は積み重ねる。“補丁”はつぎはぎ。
・后羿 hou4yi4 羿(げい)。中国神話の英雄で、弓の名手。10個の太陽が一度に出て、植物が枯れ、人々が苦しんだ時、羿が9個の太陽を射落とし、人々を救ったという伝説がある。
・荊棘 jing1ji2 いばら。
・小心翼翼 xiao3xin1 yi4yi4 小心翼翼。注意深いさま。
・生不逢時 sheng1 bu4 feng2 shi2 [成語]巡り合わせが悪い。運が悪い。
□[4]
荘子はある時、梁恵王に会ったが、彼は麻布で作った、つぎはぎだらけの服を着、靴には靴紐も無く、適当に藁で縛り、そのような格好で会いに行った。
梁恵王:先生、あなたはどうしてそのように困窮されているのですか。荘子:私は確かに貧しいですが、困窮はしていません。大いに智慧があるのに世の中を変えることができなければ、困窮していると言えます。サルがクスノキの上を、ぐるぐる飛び跳ね、唯我独尊、たとえ后羿であってもそれに対してどうすることもできません。けれども、いばらの茂みの中では、サルも注意深くせざるをえず、むやみに飛んだり駆けたりできません。そして私は今、ちょうど運悪く、いばらの茂みの中にいるのです。
■[5]
・乗 sheng4 乗(じょう)。古代、4頭の馬で引く兵車1台を1乗と言った。
・浩浩蕩蕩 hao4haodang4dang 威風堂々と。
・趾高気揚 zhi3gao1 qi4yang2 足を高くあげて意気揚々と歩くさま。得意満面のさま。
・驕矜 jiao1jin1 傲慢である。驕り高ぶる。
・夸海口 kua1 hai3kou3 大言壮語する。ほらを吹く。
・本事 ben3shi 才能。能力。腕前。
・黄連癟境 huang2lian2 bie3jing4 おそらく“黄臉癟境”の間違いと思う。“黄”は“枯黄”(草木が枯れて黄ばむ)から「元気がない、病弱」の意味があり、“癟”bie3は「干からびた」という意味から、「尾羽打ち枯らす」、落ちぶれる、という意味だろう。
・夸耀 kua1yao4 自慢する。(他人に対し、自慢する、ひけらかす、という、マイナスのイメージで用いられる)
・瘡 chuang1 できもの。瘡(かさ)。
・癤 jie1zi 疔(ちょう)。小さなできもの。(同じできものだが、瘡の方が大きい)
・膿瘡 nong2chuang1 化膿したできもの。
・低三下四 di1san1 xia4si4 [成語]卑屈にぺこぺこ頭を下げる。こびへつらうさま。
・舔 tian3 なめる
・痔瘡 zhi4chuang1 痔(じ)。痔核。いぼ痔。
・稀罕 xi1han (珍しいものなので)欲しいと思う。(多くは否定文、反語に用い、嫌悪を表す)
□[5]
彼によれば、真の仁者や志のある人は、生活上の貧困を恐れない。恐れるのは、精神上の困窮である。人は貧困に困窮することはあるが、その人が心の中で本当にこの貧困を気にかけているかどうかは、彼が“利”という文字をどれだけ重視しているかで、彼の貧困に対する態度が決まってくる。荘子自身は、この“利”という文字を重んじていたのだろうか。彼の周囲に金持ちの人がおり、それで彼は次のような話を残している。
彼は言う:宋国に、曹商という人がいた。この人はある日、光栄にも、国の使命を帯びて秦国に使いした。皆が知っているように、当時、秦国は中国西部で最も強大な国で、出発する時、宋国は彼に数乗の兵車と馬を準備した。秦に到着後、その使命を辱めることなく、任務を遂行し、とりわけ秦王の歓心を勝ち取ることができた。帰ってくる時には威風堂々と、百乗の兵車と馬を連れて帰ってきた。彼は帰ってからは得意満面で、たいへん驕り高ぶって、皆に対して大言壮語した。彼が言うには、自分という人物は、能力や才能について言えば、自分が破れ屋で、尾羽打ち枯らして毎日草鞋を編み、手仕事をして暮らしていたのでは、恐らくそのような能力は発揮できなかっただろう。自分の能力はどのようなものか。それはつまり、ひとたび一国の君主に見えれば、高い位の人には、自分の一言二言がそういう人たちの歓心を買い、このような財産や富と引き換えることができるのだ。彼は自分の能力がおおよそこのようであると言った。彼がこのように自慢した後、荘子はどのような態度を取ったか。彼は冷ややかにこの人の言うことを聞いていたが、それから彼はこう言った:私も次のように聞いたことがあります。秦王はある時、自分が病気になり、広く天下の名医を捜し、できものができた時には、彼のために膿を吸い出してくれた者には、褒美として車馬を1輌与え、すすんでぺこぺこ頭を下げ、彼のために痔核を舐めてくれた者には、褒美として5乗の車馬を与えたそうです。彼は曹商に言った。あなたは秦王に痔を治療してあげたのではないですか。そうでなければ、どうしてこんなに多くの車馬を連れて帰ることができたでしょうか。行きたいなら行かれれば良い。でもこのような物を私は少しも欲しいとは思いません、と。さて、このような極めて辛辣で諷刺の限りを尽くした言葉で、何を言おうとしたのだろうか。それは、“利”という文字では、荘子の心を縛ることができないということだ。
(この項続く)
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(挿絵は範仲淹。本文参照)
于丹教授の《論語心得》は、《論語》そのものからの引用を必要最小限にし、《論語》の思想のポイントに関し、寓話を有効的に引用し、読者や聴衆の理解を助けており、《論語》の思想を現代人の生活や仕事に結び付けて考えることが話の主眼になっています。
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(クリックしてください。中国語原文と語句解説が見られます。)
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□ この言葉はなんて実用的なのだろう。“言寡尤,行寡悔”(言に尤(とがめ)寡(すくな)ければ、行に悔い寡(すくな)し)この6文字は、今日でも相変わらず役に立つのではないだろうか。ネット上で次のような話を見つけた:
一人の利かん気の男の子がいて、一日中朝から晩まで家で癇癪を起し、物を叩いたり、わがままのし放題だった。ある日、父親がこの子を家の裏庭の籬(まがき)の傍に連れて行き、こう言った。「息子よ、これからおまえは家族に癇癪を起こす度に、籬の上に釘を一本打ちなさい。何日かしたら、おまえがどれくらい癇癪を起したか見てみよう。いいね?」この子供は思った。それがどうしたというのだ。それなら見てやろうじゃないか。それから、彼は一回騒ぎ立てる毎に、自分で籬のところに行って釘を一本打った。一日が過ぎ、見に行ってみると、まあなんと、釘の山ができていた。彼は自分でも少し申し訳なく思った。
父親は言った。「どうだい、ちょっとは我慢しないといけないと思うだろう。もし丸一日一回も癇癪を起さなかったら、打った釘を一本抜いて構わないよ。」この子は思った。一回癇癪を起したら釘を一本打ち、一日癇癪を起さなかったら、ようやく釘を一本抜くことができる。なんて難しいんだろう。しかし釘の数を減らすため、彼は絶えず自分を抑えて我慢するしかなかった。
初めは、男の子はたいへんだと思ったが、籬の上の全ての釘を抜き終わる頃になると、彼はふと自分はもう我慢することを学んだと感じた。彼はにこにこして父親を見つけると言った。「父さん、早く行ってご覧よ。籬の上の釘を全部抜き終わったよ。僕はもう怒ったりしないよ。」
父親は子供と籬の傍に来ると、意味深長に言った。「坊やご覧、籬の上の釘はきれいに無くなったね。でもあれらの釘穴は永遠にここに残るんだよ。本当はね、おまえが家族や友達に腹を立てる度に、皆の心の中に一つの穴を開けていたんだよ。釘は抜けたから、おまえは謝れば済むが、あの穴は永遠に消すことはできないのだよ。」
■[2]
□ この寓話から、《論語》の中の“言寡尤,行寡悔”(言に尤(とがめ)寡(すくな)ければ、行に悔い寡(すくな)し)の言葉を読み解くことができる。私たちは行動を起こす前に、その結果を考えてみないといけない。それは、釘を打ってしまったら、後で抜いてしまうにしても、籬はもう元通りの姿に戻らないのと同じだ。私たちは行動する時、先ず遠くを見据えて考えてみて、慎重の上にも慎重にして、他人に害が及ばないように気を付け、自分ができるだけ以後後悔しないようにしなければならない。話をする時は頭でよく考え、行動する時にはその結果を考慮すること、これは人の処世の重要なポイントである。
■[3]
□ 入り組んで複雑な現代社会の中で、様々な人間関係をうまく処理しようと思ったら、より重要なのは礼節をわきまえていることである。それでは、孔子の眼から見て、どういうことを礼節と呼ぶのだろうか。
孔子は日常生活の中の礼節をたいへん重んじた。彼が礼を尊び、礼を守り、礼を行うのは、別に他人に見せるためではなく、自分自身の修養であった。役人をしている人、喪服を着た人、また盲人が彼の前を通り過ぎる時は、その人がどんなに若い人であっても、彼も必ず立ち上がった。彼がこれらの人の前を通り過ぎる時は、小さな歩幅で急いで通り過ぎ、これらの人への尊敬を表した。盲人は、今日の言葉で言えば、「社会的弱者集団」と呼べるもので、尚更尊敬を示さなければならなかった。彼らの行動をあまり長い時間邪魔をしてはならない。彼らの悲しみを見て驚き騒いではならず、彼らの前をそっと通り過ぎなければならない。これは一種の礼節であり、これは相手に対する一種の尊重であった。孔子はその他の場面でもこのようにした。
■[4]
□ 《論語・郷党》にこう記されている。「郷人飲酒し、杖なる者出でて、斯(すなわ)ち出づ。」「郷人追儺(ついな)し、朝服して階(きざはし)に立つ。」村人たちがいっしょに正式の宴会をする時、宴席の儀礼が終わると、孔子はいつも杖をついた老人が出て行ってから、退出するようにし、決して老人を置いて我先に外に出るようなことはしなかった。村人たちが疫病や魔物を追い払う儀式を行う時は、孔子は必ず朝服を身につけ、恭しく家の東側の石段の上に立ったが、これは最小限の礼儀作法であった。皆さんはこう感じているかもしれない。聖人がある事を行ったら、古典典籍に記載されていることを引き合いに出すんでしょう?それは誰でも知っている道理ですか。聖人をほめたたえているんでしょう?いや、実は、いわゆる聖人賢人の言動というものはたいへん素朴なもので、その素朴さが今日の私達にはいくらか胡散臭く感じさせさえする。このようなことは、隣家で起こるかもしれないし、自分の家で起こるかもしれない。けれども、なんと温かみのあることだろう。このことは私達に聖賢は決して遠い存在ではないと感じさせる。彼は今なお自分で悟った道理、体得した経験を、私達に残してくれ、いっしょに分かち合うことができる。
■[5]
□ 孔子の弟子の子路は嘗て先生にどうやったら君子になれるか尋ねたことがある。孔子は彼に告げて言った。「己(おのれ)を修めて以て敬せよ。」自分自身を修練した上で、厳粛で敬虔な態度を維持しなさい。子路はこれを聞くと、こう思った。“修己以敬”の四文字のようにできたら君子になれるのか。こんなに簡単なはずがないだろう。そこで更に問うて言った。「斯(か)くの如きのみか。」こうすれば、それでよいのか。孔子はまたちょっと付け足して言った。「己を修めて以て人を安んぜよ。」自分自身をきちんと修練した上で、他人の気持ちを安らかにする方法を考えなさい。子路は明らかにそれでも尚満足できず、更に尋ねた。「斯(か)くの如きのみか。」孔子は更に付け足して言った。「己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んぜよ。己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んずるは、堯、舜も其れ猶(なお)諸(これ)を病(や)めり。」自分自身を修練し、更に一般民衆が幸福な生活を送れるようにしなさい。堯、舜のような聖賢の君子であってもこれについては十分出来ない点があった。そこまで出来て、どうして君子と呼ぶに足りないなんていうことがあるだろうか。
■[6]
□ 《論語》には至る所にこうした素朴さがあり、あたかも私たちの身近で起きた出来事であるかのようで、長いページを割いて展開する大論理はほとんど無い。私たちは《論語》が述べる道理は遥か高所にあって自分には及ばないなどと感じることはなく、却ってたいへん温かみがあり、身近なものであると感じる。 孔子が私たちに教えるのは、先ず、如何に天下を安んずるかではなく、如何に最も良い自分自身を作るかということである。「修身」とは、国家、社会に責任を負うための第一の前提である。孔子と彼の弟子は「最も良い自己」を実現するに努めたが、その目的は国家や社会に対する責任をより良く果たすためであった。
■[7]
□ 別の人が嘗て子路に尋ねた。あなたの先生の孔子はどのような人ですか。子路はそれに答えなかった。孔子は後になって子路に尋ねた。おまえはどうしてこのように答えなかったのかね。「其の人と為りは、憤(いきどおり)を発して食を忘れ、楽しんで以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ」と。私は発憤して懸命に努力している時には、食事をとるのを忘れてしまうことがある。楽しくてうれしい時には、悩みや憂いを忘れることができる。このようにしてやるべき仕事をし、楽しめることを思いきり楽しんでいると、私の生命がもう終焉に近づいているということを忘れることができる。これは孔子の描写であるが、中国の知識層の、理想の人格を追求した描写でもある。
■[8]
□ 儒家の哲学とは、つまるところ、道を実践する者を育成することであり、文化を担うという使命を果たすことのできる特殊な階層を育成することでもある。この階層の中の傑出した人物の品格は、範仲淹の言うところの「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに后(おく)れて楽しむ」(《岳陽楼記》)である。そういう人は自分自身の損得を忘れ、自分自身を大きな民衆の利益の中に融合することができる。これはある種の信仰であり、ある種の心意気であり、社会の担い手である。けれども、その前提は飾らないことで、先ず自分の足下から始めることである。身を修め精神を涵養し、きっちりとした自我を持つこと、それが始まりである。
■[9]
□ 私たちは、人が社会が不公平だと怨み、世渡りは大変だと嘆くのをよく耳にする。実際は、天を恨み人をとがめるより、わが身を振り返って反省する方がましである。もし私たちが本当に物事の頃合いを知っていて、言行を慎み、礼儀作法を世の中に普及させ、身を修め精神を涵養することができるなら、様々な煩悩を少なくし、自然と人としての処世の道を理解することができるだろう。
楽観的で積極的な気持ちを持ち、人と交際する上での頃合いを理解し、自分自身によって他人を気持ちよくさせることのできる人は、自分自身の心地よい気持ちを陽の光のようなエネルギーにし、他人を照らし出し、他人を温める。それは、家族や友人、ひいてはより幅広い社会に、自分自身の体から多少なりとも安堵の理由を得さしめることができる。
私は、このことは《論語》の中のある種の道徳的理想に止まらず、それは同様に21世紀にも通用するものだと思う。孔子とその弟子たちが享受した快楽は、同様に私たちの今日の快楽の源でもある。この点がおそらく《論語》が私たち現代人への最大のお手本であり、経験たり得るところであろう。
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(“子張学干禄”(子張、禄を干(=求)むを学ぶ) 本文参照)
中国師範大学の人気教授、于丹の《論語心得》第3回、処世之道の2回目です。前回は人と人の関係で、“過憂不及”、過ぎたるは及ばざるが如く、適当な距離を保つことが大切であると学びました。それでは、こうした関係は、仕事の面ではどのように応用するべきなのでしょうか。
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(クリックすると、中国語原文と語句解説が見られます。)
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□ 《論語》は私たちにこう言って戒めている。友人に対してであれ、上司に対してであれ、一定の距離を保ち、親しみと疎遠の頃合いを見極めなければならないと。それでは、自分が最も親しい家族とは、距離を置かなくてもよいのか。父母と子供の間、夫婦の間、恋人との間にも、適当な距離を保つ必要はあるのか。心理学に一つの定義があり、それによると、現代人の人との交際の中に、「非愛情的行為」と呼ばれる行為がある。それはどういうことかというと、愛情という名で最も親しい人に対して非愛情的な掠奪を行うことである。こうした行為はしばしば夫婦の間、恋人との間、母と子の間、父と娘の間、つまり世の中で最も親しい人との間で発生する。
夫婦や恋人の間でよく次のような場面が起こる。一人がもう一人に対してこう言う。見て、私はあなたを愛しているから、これこれをあきらめたのよ。私はこの家のためを思って、このようにしたのだから、あなたは私に対してこうしてくれなくっちゃ。母親達は少なからず子供にこう言う。ご覧、おまえを産んでから、仕事もだめになったし、体も老けて醜くなった。私が全てを犠牲にしたのは、皆おまえの為なのに、おまえはどうして一生懸命勉強しないの。これらは全て、非愛情的行為である。というのも、それらは愛という名目で行われる強制的な束縛で、相手に自分の願望に基づき行動をさせようとしているからである。
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□ 私は嘗て、如何に人の親になるべきかを書いた本を読んだことがある。作者はイギリスの心理学の女性博士である。彼女は本の冒頭でたいへん良い事を言っている。彼女は言う。この世の中の全ての愛は一つに寄り集まることを最終の目的としているが、一つの愛だけが別れを目的としている。それは父母の子供への愛である。父母の本当に成功した愛とは、子供をできるだけ早く独立した個体としてあなたの生命から分離させることである。こうした別れが早ければ早いほど、あなたはより成功したと言えるのである。この意味から言うと、距離と独立とは人格に対する尊重であり、こうした尊重はたとえ最も親しい人との間にも、持たねばならないものである。父と子、母と娘との間であれ、長年連れ添った夫婦の間であれ、一旦この距離、この尊重が無くなり、この尺度を越えると、《論語》の中で言われる“数”shuo4(しばしば)の段階であり、お互いがもはや独立しておらず、隠れた危機が忍び寄り、お互いが疎遠になる、場合によっては二人の関係が破綻を迎えるのもそう遠くないであろう。《論語》が私たちに教えるのは、公平で理性的な態度で一人一人の人を尊重し、お互いの間に程良い距離を保ち、ゆとりを持ちなさいということである。
これは禅宗が尊重する境地にたいへんよく似ており、「花未だ全て開かず、月未だ圓(まる)からず」と呼ばれる。これは人の世の最も良い境地である。花は一度満開になると、ほどなくしぼんで散ってしまう。月は一旦満月になると、すぐに欠け始める。まだ満開でなく、まだ満月でないと、心の中では依然、期待やあこがれの気持ちを持たせられる。友人との関係、肉親との関係も、また同様である。少し距離を保つことで、しばしば心が開けてわだかまりを無くすことができる。友人に対しても肉親に対しても、程良い距離をつかんでおくべきで、程合いが最も良いのである。
■[3]
□ それでは仕事については、熱心であればあるほど良いのだろうか。自分の役割内の仕事であれ役割外の仕事であれ、やらないといけない仕事は多ければ多いほど良いのか。仕事についても、程合いを知っておく必要はないか。子曰く:その位に在らざれば、その政(まつりごと)を謀らず。(《論語・憲問》)つまり、どんなポストであれ、本来やるべきことをきっちりやるべきで、出しゃばって、職位を飛び越えて、する必要のないことをしてはならない。これは現代社会でとりわけ提唱しなければならないプロフェッショナルな仕事の態度である。
多くの大学生の諸君は外資企業で実習をしたことがあるだろう。会社に一歩入ると、人事部の担当者がJob Description、つまりあなたの仕事のポジションについて書かれたものを渡してくれ、あなたにこの職場で何をすべきか教えてくれる。事務員、秘書、タイピストから高級管理職に至るまで、それぞれ自分のポストについての記述がある。中国の多くの会社に今欠けているのが、正にこのポストについての記述である。私たちはポストを通常その内容で見るが、その仕事の分量では見ない。私たちはいつもこう言っている。若いうちは一生懸命やらなければならない。一人で三人分の仕事ができたら良いと。これは結局、責任者の代わりに困難を助けてやっているだけだ。実際には、このような考えは現代企業の管理精神に適合しない。自分の仕事は自分がちゃんとできるよう配慮する。こうすれば、全部集めてはじめて、一枚の碁盤になるのである。
孔子は「その位に在らざれば、その政(まつりごと)を謀らず」と提唱した。ここにはある前提が隠されている。すなわち、「その位に在れば、その政を謀らねばならない」、先ずあなた自身の職位の仕事をちゃんとやるべきで、他人のことを心配する必要はないのである。それでは、その位に在って、どのようにその政(まつりごと)を謀るのだろうか。
■[4]
□ 先ずは仕事を行う原則である。「子曰く:君子の天下に於けるをや、適無く、莫も無し。義にこれ与(とも)に比(した)しむ。」何を「義にこれ与に比しむ」と言うのか。つまり、「道義」をお手本とし、法則とするのである。孔子の言った意味は、君子は天下の事を行うのに、あれこれ言って無理強いしないし、理由もなく反対しない。依怙贔屓もしない。一切を道義に基づき行う。道義は、つまり政治を行う原則であり標準である。
次に、仕事を行う方式である。「言葉」と「行動」の中で、孔子はとりわけ「行動」を重視した。彼は口先だけで大げさにまくし立てる人を好まなかった。彼は言う:「巧言令色、鮮(すく)なし仁。」(《論語・学而》)きれい事を言って、人に取り入ろうとする、このような人の中に、本当の仁者は見つからない。孔子が奨励したのは何か。言葉は少なく、より多く仕事を行うことである。仕事は積極的にし、言葉は慎み深くあるべきだ。孔子が言った「言を慎む」とは、話す内容に注意を払い、できもしない事は言わないことである。一般庶民の言葉で言うと、「災いは口から生じる」。そこまで厳しく言わないまでも、少なくとも「言葉数が多いと、失言を免れない」ということである。
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□ 孔子の弟子の子張は、「禄を干(=求、もと)む」ことを学ぼうと思った。「禄を干む」とは何か。仕官することである。子張は社会で何か仕事に就こうと思い、先生にどうしたらよいか尋ねた。孔子は彼にこう言った。「多く聞き疑わしきを闕(か)き、慎みてその余りを言わば、則(すなわ)ち尤(とがめ)寡(すくな)し。多く見て殆(うた)がわしきを闕(か)き、慎みてその余りを行えば、則ち悔い寡(すくな)し。言に尤(とがめ)寡(すくな)ければ、行に悔い寡(すくな)く、禄はその中に在り。」(《論語・為政》)「多く聞き疑わしきを闕(か)く」とは、先ず耳をそばだてて、多くのことを聞き、疑問に思ったことは、ひとまず置いておく。私たちはよくこう言う:ある人が自ら体験し、努力してきたこと、それは直接経験と呼ばれる。一方、他人の経験や教訓、その中にはその人が経験してきた紆余曲折を含むが、そういうものを聞くことは、間接経験と呼ばれる。間接経験を多く聞くことにも、メリットがある。「慎みてその余りを言う」とは、自分が理解できたことだけを言い、話す時も慎重にするということである。「則(すなわ)ち尤(とがめ)寡(すくな)し」とは、不満を減らすことができるということである。「多く見て殆(うた)がわしきを闕(か)く」とは、多く見て、疑問に思ったことはひとまず置いておく。戸惑いが多いのは、視野が狭いからで、井の中の蛙がどうして海や空が広々としていることを知ることができるだろうか。
経験が豊かになった後も、行動は依然として慎重であるべきである。こうした慎重さを《論語》の中ではこう概括されている。「深淵に臨むが如し、薄氷を履(ふ)むが如し」(《論語・泰伯》。一人で仕事をする時は、深い淵の傍に立っているように慎重に行動し、薄い氷の上を歩く時のように注意深くしなければならない。
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□ 多く考え、多く聞き、多く見、言葉を慎み、慎重に行動する。このようにすることのメリットは、「悔いを寡(すくな)くする」ことで、自分自身にとっての後悔も減らせるのである。世の中に、好き好んで相手に後悔させるような人はいない。間違ったと分かった時には、全てがもう定まっており、挽回はできない。話の中に人から非難されたり怨まれたりすることが少なく、行為の中の、自分がこれまで後悔した様々な経験を減らすことができれば、その人は出仕し仕事をしても、成功することができるだろう。
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