“豪猪的哲学” ヤマアラシの哲学とは? ―― 本文参照のこと。
中国師範大学・于丹教授の《論語心得》の第三話は、処世の道、人間関係についてである。キーワードは、“過憂不及”、「過ぎたるは尚及ばざるが如し」。
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(クリックしてください。中国語原文と語句解説が見られます)
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□ 現代の社会は、人と人の関係がより近くなったと言えるし、より疎遠になったとも言える。しかし何れにせよ、対人関係は全ての人ひとりひとりが対面する問題である。公正でない待遇を受けた時、私たちはどのような気持と態度を保たなければならないのか。自分と親しくなった人に対し、私たちはどのような原則を持たなければならないのか。入り組んで複雑な社会環境の中で、私たちはどうしたら対人関係をうまく処理できるのだろうか。《論語》という本は、私たちに多くの処世術や礼儀作法を教えてくれる。これらの道理は見たところたいへん素朴で、これらの方法は時には原則の中に多少の融通も垣間見えることがある。簡単に言うと、それが私たちに語るのは、物事を行う原則と、原則を保つ上での頃合いである。
私たちはしばしば、「こういう事はやるべきだ、こういう事はやってはならない」、或いは「これは良いことだ、これは良くないことだ」などと言う。しかし実際は、多くの場合、一つの事を判断するのに、決して簡単に「べき・べからず」、「良い・悪い」の区分をすることができない。いつこの事を行ったか、この事をどの程度行ったかが、この事の性質に直接影響を与える。孔子は物事を行う頃合いを特に強調しており、「やり過ぎ」と「不十分」は極力避けるべきとする。孔子は仁愛を提唱しているが、彼は決して原則を失した仁愛の心で全ての人の過ちを許すべきとは考えていない。
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□ ある人が尋ねた。「徳を以て怨みに報いるは、如何。」孔子の回答は、「直(率直さ)を以て怨みに報い、徳を以て徳に報いる。」孔子が出した回答は、私たちはちょっと聞くと意外に思うかもしれないが、実はこれは正に孔子が私たちに教えてくれる処世の「頃合い」なのである。孔子がここで提唱しているのは一種の人生の効率と人格の尊厳である。彼はもちろん怨みで以て怨みに報いるのは賛成でない。もし永遠に一種の悪意や、一種の怨恨で以て別の不道徳に対するなら、この世界は悪性の循環に陥り、それが止まったり休んだりすることがなくなる。私たちが失うものは、自分の幸福に止まらず、子孫の幸福も失ってしまう。徳を以て怨みに報いるのも同様に採用できない。つまり、恵みや慈悲を与え過ぎても、値打ちの無い思いやりで自分がするに値しない人や事に対するのは、ある意味、人生の浪費である。これら二つの他に、三つめの態度がある。それは、公正で、率直で、正直で、大らかで細かい事にこだわらない態度。つまり、高尚な人格で、平然と一切の事に対することである。孔子のこうした態度は、私たちに、限りある思いやりの心、限りある優れた才能を、最も使うべき所に残しておくべきであると、教えてくれる。
今日、私たちは誰でも資源の浪費を避けようと言うが、心の荒廃と自分自身の生命エネルギーの浪費に注意していない。物質文化の繁栄、生活テンポの加速は、より一層、私たちが一つの事に対処するのに、迅速に判断を下し、自分のできる、最も価値のある生活方式を選択するよう求めている。
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□ 私たちは生活の中でしばしば次のような困惑に陥ることがある:父母の子供に対する関心、愛情は至れり尽くせりであるのに、しばしば子供の反感を招く。昵懇(じっこん)の間柄の親友であるのに、しばしば互いに傷つけあうような事態になることがある。時にはいろいろ知恵を絞って上司や同僚と親しくなろうと思うのだが、しばしばその反対の結果になることがある。どうしてそうなるのか。どのような関係が「良い関係」と言えるのか。孔子は、疎遠すぎるのも親密すぎるのも良くなく、いわゆる「過ぎたるは尚及ばざるが如し」であると考えた。どうして二人の間が大変親密であるのが、人と付き合う最も良い状態ではないというのか。
孔子の弟子の子遊はこう言った。「君に事(つか)えるに数(たびたび)すれば、斯(そ)れ辱められん。朋友に数(たびたび)すれば、斯(そ)れ疎(うと)んじられん。」(《論語・里仁》)“数”shuo4は「しばしば」という意味である。もしあなたが用事があっても無くてもいつも国王(或いは上司)の傍に居るなら、如何に親しみを表しても、自分が辱めを受ける可能性が大いにある。あなたが用事があっても無くても友人の傍に居るなら、たとえ親密に見えても、あなた方二人が疎遠になる可能性が大いにある。
■[4]
□ ある哲学的な寓話があり、その名を《ヤマアラシの哲学》という。ヤマアラシは、体中に鋭い刺(とげ)が生えており、集団で寄り集まって暖を取って冬を越す。彼らは群れの中でどのような距離を保てばよいか分からず、お互いが離れていると、互いに熱気を受けることができないので、いっしょに寄り集まる。一旦寄り集まると、鋭い刺が互いに体を刺すので、また間隔を開けて離れる。しかし離れ過ぎると、皆がまた寒く感じる……何度も失敗を繰り返し、ヤマアラシ達は遂にちょうどよい距離を見つけ出す。それはお互いが傷つけ合うことのない前提で、群れ全体が温かさを保てる間隔である。
私たちの今日の社会、とりわけ都市では、元々の寄り合い住宅は撤去され、集合住宅が建設され、中庭を挟んだ一軒が餃子を作ると、隣近所にお裾分けするなどという事はもうなくなってしまった。同じ敷地の隣人同士一緒に年越しをすることはもうなくなり、大人、子供それぞれ別々にテーブルを持つようなご時世である。一つの集合住宅に三四年住んでいても、隣近所を全て知っている訳ではないということがしばしばある。周囲の人との交流が疎遠になったことにより、人と人の間のコミュニケーションの障害が益々増えてきている。こうした障害が多くなると、どうなるのか。自分たちが信頼する数人の友人の身にかかる負担が更に重くなる。あなたはこう感じるかもしれない。私の親友は私にもう少し良くするべきだ。私も彼にもう少し良くするべきだと自覚している。あなたはこう感じるかもしれない。あなたの家で何かプライベートな事件が起こったら、例えば夫婦喧嘩をしたら、どうして私に言ってくれないの。私はあなた方の間を仲裁してあげる。多くの人は皆このように考えている。
皆さんは真剣に子遊のこの言葉に耳を傾けるべきだ:「君に事(つか)えるに数(たびたび)すれば、斯(そ)れ辱められん。朋友に数(たびたび)すれば、斯(そ)れ疎(うと)んじられん。」距離が近すぎると、必然的に他人を傷つけてしまう。それでは、どのように友人と付き合うべきなのか。
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□ 子貢は嘗て彼の師の孔子に質問したところ、孔子はこう答えた。「忠告して善く之を道(みちび)く。可(き)かざれば則(すなわち)止む。自らを辱められること勿れ。」(《論語・顔淵》)友人が正しくない事をしているのを見たら、真剣に忠告し、善意で指導するべきである。しかし、もし彼がそれを聞いてくれないなら、仕方がない。それ以上説得する必要はない。さもないと自分が厭な思いをする。だから、親友とお付き合いするのも節度がなければならず、どんな事でも一切合財引き受けてしまってはならない。
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(写真は、鈴木大拙)
私達の心の真の勇気とは何か。それが今回の話の主題です。それは心の持ち方であり、大らかな気持ちを持ち、前向きに人生を捉えることだとしています。
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(クリックしてください。中国語の原文と語句解説が見られます)
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□ この話は、私達一人一人に当てはまる。考えてごらんなさい。私達は同じようにこの世の中で生活しているが、何人かの人はうれしそうに心安らかに暮らしているのに、何人かの人は毎日毎日あれこれ非難し不満に思っているのはどうしてだろう。彼らの生活の本当の格差はそんなにも大きいのだろうか。実は、これは私達の眼の前に瓶に半分の酒があるのと同じである。悲観主義者は、「こんなに良い酒があと半分しか残っていない」と言い、楽観主義者は、「こんなに良い酒がまだ半分も残っている」と言う。言い方が異なるのは、心情や態度が異なるからである。今日のように競争の激しい時代には、良好な心持ちと態度を保持することが、これまでのどんな時代よりももっと重要になっているのである。
孔子は言った。「君子は泰らかにして驕らず、小人は驕りて泰らかならず」(《論語・子路》)。君子は心持ちや態度が穏やかで、安定していて、勇敢であるので、彼が落ち着いていて心が安らかなのは、内から外へ自然に滲み出てくる。小人が表現するものはわざと作った姿勢であり、傲慢で驕り高ぶり、内心は多くがせっかちで、その人柄はのんびりしたところが少ない。
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□ 私は嘗て鈴木大拙の本の中で一つの話を読んだことがある。物語の主人公は江戸時代の有名な茶人で、この茶人はある羽振りの良い主人に付き従っていた。皆さんご存じのように、日本で提唱されたのは茶と禅の一体化で、茶道と座禅は「二が一に融合する」プロセスである。
ある時、主人は都に行かなければならない用事ができたが、茶人と別れるに忍びなく、それでこう言った。「私といっしょに行きましょう。そうすれば毎日私に茶を点ててもらえますから。」しかし当時は社会が不安定な時期であり、浪人や武士が強い力を頼みにのさばり、憚ることがなかった。この茶人は恐れて、主人に言った。「私には武芸の心得もありませんから、万一途中で面倒なことに出会ったらどうしたらよいのでしょうか。」主人は言った。「刀を差して、武士の恰好をすればよろしいでしょう。」茶人は仕方なく武士の服装に着替えると、主人に付き従い都に行った。
ある日、主人は用事で外出したので、茶人は一人で外出した。この時、向こうから一人の浪人がやって来て、茶人に因縁をつけて言った。「おまえも武士なら、我ら二人、剣の腕を比べようではないか。」茶人は言った。「私は武芸を存じません。唯の茶人に過ぎません。」浪人は言った。「おまえが武士でもないのに武士の装束を身につけているのであれば、武士の尊厳を辱めたことになる。それなら、なおさら拙者の剣の下で死なねばならぬ。」茶人は思った。避けようにも避けきれまい。そしてこう言った。「それでは私に少々時間をいただきたい。私は主人にお渡ししなければならないことをやり終えましたら、今日の午後、池の畔でまたお会いしましょう。」浪人は少し考えて承知すると、それでは必ず来いよ、と言った。
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□ この茶人はまっすぐ都で最も有名な武術の道場に行くと、道場の外には武術を学びに来た人が集まって列を成していた。茶人は人ごみをかき分け、直接武術の大先生の前に行くと、先生に向かって言った。「どうか私に武士として最も面目が立つ死に方を教えてください。」大先生はたいへん驚き、言った。「ここに来る人たちは皆、生きる糧を求めて来られますが、死に方を教わりに来られたのはあなたが初めてです。いったいどうされたのですか。」茶人は浪人と出会ったいきさつをもう一度話すと、言った。「私は茶を点てることしかできませんが、今日は人と決闘をせざるを得ません。どうか私にやり方を教えてください。私は多少なりとも尊厳を守って死ぬことしか考えていません。」大先生は言った。「分かりました。それでは私に一服、茶を点ててくれませんか。それからあなたにやり方を教えましょう。」茶人はたいへん感傷的になり、言った。「これは私がこの世で点てる最後の茶になるでしょう。」茶人はたいへん注意深く、落ち着いて山の泉の水が竈の上で湧き立つのを見ていたが、その後茶葉を投入すると、茶葉を洗い、濾し、再び少しずつ茶を注ぎ出すと、茶碗を捧げ持って大先生に渡した。大先生はずっと茶を点てる一部始終を見ていたが、茶をひと口味わうと、言った。「これは私が生まれてから飲んだ中でも最高のお茶です。私はあなたに申し上げる。あなたはもう死ぬ必要はありませんよ。」茶人は言った。「あなたが私にお教えになりたいのはどういうことですか。」大先生は言った。「私が教えるまでもありません。あなたは茶を点てる気持ちでその浪人に対すればよいことを憶えておきさえすればよいのです。」
※ 于丹教授は日本の茶道の抹茶を点てるのを見たことがなかったか、或いは中国の聴衆に抹茶道を説明しても分かりづらいと思ったか、その何れかだと思います。ここで説明している茶の淹れ方は、“工夫茶”そのものですよね。
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□ 茶人は大先生の話を聞くと、約束の場所へ行った。浪人は既にそこで待っていた。茶人を見ると、すぐに剣を抜くと言った。「おぬしが来たからには、我らは武術の腕比べを始めよう。」茶人はずっと大先生の話のことを考え、茶を点てる気持ちで浪人に対した。茶人が微笑みながら相手をじっと見つめているのが見え、その後ゆったりした動作で帽子を脱ぎ、きちんと横に置いた。ゆったりした上着を脱ぐと、一か所一か所きっちりと折りたたみ、帽子の下に押しつけて置いた。帯紐を取りだすと、内側の着物の袖口をきつく縛り、それから袴をきつく縛った……茶人は頭から足まで慌てず騒がず自分の身づくろいをし、その間ずっと気を静め、落ち着いていた。相手の浪人はこの様子を見れば見る程緊張し、見れば見るほど呆然となった。なぜなら、相手の武術の技がいったいどれ程深いものであるのか、見当がつかなくなったからである。相手の眼差しと笑顔は浪人を益々恐れさせた。茶人は服装を全て整えると、最後には剣を抜き、剣を空中に向け振ると、そこで動作を止めた。というのも、彼はこの後それをどう使えばよいか知らなかったからである。この時、浪人はパタンと茶人に向け跪き、言った。「どうか助けてください。あなたは私がこれまで見てきた中で最も武術の腕前のある方です。」
■[5]
□ 実のところ、どのような武術の技で茶人は勝利することができたのだろうか。それは心の勇気であり、あのゆったりした、落ち着いた、精神の力である。だから、技巧は最も重要なものではなく、技巧の他のものを私達は心で感じて悟る必要がある。もしあなたの心が広々として明るく、思いやりがあって寛大で、ある種の率直さと勇気があるなら、あなたはたくさんの思いもしなかったものを獲得できるかもしれない。誰でも皆、良いことを言いたがるが、もしあなたがそれと正反対に悪いこともはっきり言うなら、たとえどんな人にも等しく教えを授ける孔子であっても、彼が教えることが馬の耳に念仏になってしまうことがなくなるだろう。
孔子はこう言ったことがある。ある人があなたの説く道理を聞くことができても、あなたがその人に話をしなかったら、それは“失人”といって、あなたはその人と交わる機会を失したのであり、よくない。それと反対に、もしその人が根本的に理を説いても理解できないのに、あなたがそれでもその人に道理を説き続けるなら、それは“失言”といって、それも良くない。あなたが、他人があなたと是非交流したい、あなたと交流してもよいと思ってもらえる人になりたいなら、最も大事なのはあなたが広々として明るい心を持つことである。これこそが《論語》の中で提唱されている「心が純潔でさっぱりとした」心境なのである。こうした心境や心持ちは、先天的な欠点を補うことができるだけでなく、後天的な過ちも補うことができる。同時に一定の力を与え、真の勇気を与え、生命を豊かにし、充実させ、大きな喜びを与え、人生に最大の効果をもたらす。毎日新鮮な息吹を見ることができ、こうした新鮮な養分が他の人の下にも流れていく。
《論語》が私達に教えてくれるのは、変わることのない人生の一連の動きであり、私達は勝手に抜粋してその一部だけ理解してはならず、こちこちの頭でそれを理解してはならない。こうした古(いにしえ)の聖人君主の思想の精華は、自然に体の血液の中を流れるようになった時に、喜びの態度を示すことこそ、私達現代人のこの古典に対する最高の敬意となるのである。
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(口絵は、「蘇軾と佛印」)
《論語心得》の第二回・「心の道」では、人間の心の持ち方の大切さを述べています。長い人生の中で、自分の意に沿わぬことも多々ありますが、心の持ち方一つで、それを良い方に持っていくことも、益々悪い方向に陥ることもできるということで、多くの人にとり、共感を得られる内容であると思います。
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ここをクリックしてください。中国語と語句注釈が見られます。
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□ 彼女が店先に立ちつくし、ぽかんとしていると、店員が彼女に言った。「お嬢さん、あなたの亜麻色の髪の毛は本当に綺麗だ。もしそれに薄緑色の髪飾りを付けたら、きっととても綺麗ですよ。」彼女が値札を見ると16ドルと書かれていて、高くて買えない、やっぱり付けてみるのはやめようと思った。けれどもその時店員はもう髪飾りを彼女の髪に付けていた。店員は鏡を持ってきて彼女に自分を見てみさせた。少女は鏡の中の自分を見ると、突然びっくりしてぼおっとなった。彼女は未だ嘗て自分がこんな容貌をしていることを見たことがなかった。彼女は一輪の花が自分を天使のように顔が美しく光り輝くように変えてしまったように感じた。彼女はもうためらわず、お金を出してこの花を買った。彼女の心はこのうえなく陶酔し、このうえなく興奮し、店員から4ドルおつりをもらうと、身を翻し、外に走り出た。その結果、ちょうど入口を入ってきた老紳士の体とぶつかった。彼女はその老人が彼女に何か言ったような気がしたが、もう上の空で、ゆらゆらと前へ向かって走って行った。彼女は知らず知らずのうちに村の真ん中の大通りまで走って来ると、全ての人が彼女に驚きの眼差しを投げかけ、人々がこう議論するのが聞こえた:「この村にあんなに綺麗な娘がいるとは知らなかった。あの娘はどこの家の子だろう?」彼女はまた自分がこっそり慕っているあの男の子に出会った。その男の子は意外にも彼女を呼び止めてこう言った:「あの、今晩あなたがクリスマスパーティーのダンスのパートナーになってくれたらありがたいのですが。」少女はうれしくてたまらなかった。彼女はせっかくだからもう一回ぜいたくをし、残った4ドルで何か買おうと思った。それで彼女はまた浮き浮きしながらさっきの店に戻ってきた。入口を入ると、さっきの老紳士が微笑みながら彼女に言った。「お嬢さん、きっとあなたは戻ってくると思っていました。あなたはさっき私とぶつかった時、この花を落としましたよ。私はずっとあなたが取りに戻ってくるのを待っていました。」
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□ 物語はこれで終わりである。本当に一輪の花がこの少女の生命の中の欠点を補ったのだろうか。実際には、欠点を補ったのは、彼女の自信の回帰である。ならば、人間の自信はどこから来るのか。それは心の中の冷静な判断と落ち着きから来るものである。孔子は言った。「仁者は憂えず、智者は惑わず、勇者は惧れず」(《論語・憲問》)と。心の内面の強さは、生命の中のたくさんの遺恨を氷解することができる。心の内面を強くしようと思ったら、一つの前提は、自分の外にある物の損得を気にしないことである。あまりに得失にこだわる人を、孔子は“鄙夫”(ひふ。“卑夫”とも書く)と呼んで叱責した。“鄙夫”の意味は“小人”と同じで、公(おおやけ)の場所に出てこない見識の狭い人のことである。孔子は嘗てこう言った:このような小人が国家の大事を謀ることができるだろうか。できない。このような人は利益を得ることができないと、利益を得られなかったと恨むが、利益を得ると、今度はそれを失うのを恐れる。利益を失うのを恐れる以上、今度は手段を選ばず既得の利益を守ろうとする。このように損得にばかりこだわる人は、広い心持ちなど持っておらず、泰然自若とした気持ちは無く、真の勇敢さなどあり得ない。真の勇敢さとは何か。それと匹夫の勇とはどのように区別されるか。《論語》の中では、“勇敢”はどのように解釈されているのか。
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□ 皆さんがご存じのように、孔子には子路という弟子がいた。彼はたいへん率直で、勇敢な事には特に気にかけていた。孔子は嘗て冗談半分にこう言った。もしいつか私の説く道理が世の中で通用しなくなったら、私は舟を浮かべて川に漕ぎだそう。その時、私に付いて来られるのは、おそらく子路だろう。子路はこの話を聞いて、たいへん得意であった。その結果、先生は後でまたこう言うことになる。私がこう言うのは、子路という人物は、勇敢であることを除いて、他に何も無いからである。(《論語・公冶長》)「勇を好む」というのは子路の特徴であるが、彼の勇敢さには内に秘めたものが欠けていた。それでもなお、ある日、子路は先生に尋ねた。「君子は勇を尚(とうと)ぶか?」君子は勇敢さを尊ばなければなりませんか? 孔子は彼に言った。「君子は義を以て上と為す。君子の勇有りて義無きは乱と為り、小人の勇有りて義無きは盗と為る。」(《論語・陽貨》)その意味はこうである。君子が勇敢さを尊ぶのは間違いないが、この勇敢には制約があり、前提がある。この前提というのは“義”である。義の文字が先に来る勇敢が、真の勇敢である。さもないと、君子は勇によって乱を犯すことになり、小人は勇敢の為に盗賊に成り下がることになるかもしれない。考えてみると、コソ泥や強盗が門や戸を破って侵入し、ものを強奪し、人を殺すに至るのは、勇敢でないと言えるだろうか。しかし、このような道義の制約の無い勇敢さは、世の中で最も大きな災いである。それでは、この“義”、“道義”とは何か。それは、ある種の心の内の制約である。孔子は言った。「約を以て之を失う者は、少なし。」(《論語・里仁》)人々の心の内に制約があれば、行動の上で過失を減らすことができる。もし人々が本当に毎日「三たび吾身を省みる」(《論語・学而》)なら、本当に「賢を見て斉(ひと)しからんと思い、賢ならざるを見て内に自ら省みる」(《論語・里仁》)なら、制約ができている。そして自分の過ちを反省することができ、改める勇気があるなら、これこそ儒者が提唱する真の勇敢さである。
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□ 後に、蘇軾は《留侯論》の中で勇敢について論述したことがある。彼は本当の勇敢さを“大勇”と呼んだ。彼は言う:「古のいわゆる豪傑の士は、必ず人に過ぐるの節有り。人情に忍ぶ能わざる所有れば、匹夫見て辱め、剣を抜きて起ち、身を挺して闘う。この足らざるを勇と為す。天下に大勇有り、卒然とこれに臨めども驚かず、故無くこれに加えれども怒らず。此において其の挟持する所の者は甚だ大きく、而して其の志は甚だ遠き也。」蘇軾が見るところ、本当の勇者には“過人之節”、人より優れた礼節があり、そういう人は韓信のように股くぐりの辱めを受けても我慢でき、劉邦を補佐して千里の彼方から戦局を指揮し、天下を平らげるという大業を成し得たのである。彼は普通の人のように一時の勇をひけらかしたり、一時の快楽を図ったりはしない。それは、彼の心の中には一種の理性にコントロールされた自信と落ち着きがあるからで、それは、彼が広い気持ちと高遠な志を持っているからである。いわゆる「卒然とこれに臨めども驚かず、故無くこれに加えども怒らず」というのは、実行が難しい。私達は自分が修養を積んだ道徳君子になることを要求し、他人に失礼なことをしないようにすることはできるが、他人が何の理由もなくいつもあなたに失礼なことをしたら、あなたは怒らずにいられるだろうか。
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□ 私達はよく次のような情況を目にすることがある:ある人が月曜日に何のいわれもなく暴行を受け、その人は火曜日に友人にその事件のことを振り返って話をするが、水曜日になると、気がふさいで外に出て人に会いたくなくなり、木曜日になると、ちょっとしたことが気に入らなくなり、家人と喧嘩を始める…… 実はこのことは何を意味しているのか。人が過去の事件を振り返って話をするというのは、もう一度殴られるのと同じであり、事件はもう終わったのに、毎日繰り返し殴られていることを意味している。不幸な出来事が起こった時、最も良い方法は、そのことを一刻も早く過ぎ去らせることであり、このようにしてはじめて、より多くの時間を空けて、より価値のある事に使うことができる。こうしてこそ生活がより効率的になり、心持ちも良くなる。この話が私達に教えてくれることは、生活の中にはたくさんの思い通りにならないこと、不合理なことさえあり、おそらく個人の力では変えることができないが、自分の心持や態度は変えることができる。ある意味において、一人の人が心でどう思っているかにより、その人にはその通りに見えるのである。
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□ 宋の人の随筆の中で、蘇軾と佛印の交流の話が載っている。蘇軾は大文人であり、佛印は高僧であったが、二人はいつもいっしょに座禅を組んだ。佛印はおとなしくて、いつも蘇軾にいじめられた。蘇軾は相手をやりこめて愉快であると、家に帰ってうれしそうに彼の才女の妹、蘇小妹に話をした。ある日、二人がいっしょに座禅をしていた。蘇軾は問うた。「あなたは私がどのように見えますか。」佛印は言った。「あなたはご尊仏のように見えます。」蘇軾はそれを聞くと大笑いで、佛印に言った。「あなたは私が、あなたがそこに座っているのがどのように見えるか分かりますか。牛の糞とそっくりですよ。」この時、佛印はいっぱい喰わされたと、口が利けなかった。蘇軾は家に帰ると、蘇小妹の前でこのことをひけらかした。蘇小妹は冷ややかに兄に言った。「あなたはそんな悟りの程度でまだ禅の修行をしようというのですか。あなたは禅の修行をする人が最も重んじているのが何か知っていますか。それは心を見、性(さが)を見ることです。あなたの心の中にあるものが、眼の中に見えるのです。佛印老師はあなたが尊仏のように見えると言われたのであれば、あの方の心の中には尊仏がおられるということです。あなたは佛印老師が牛の糞のように見えるとおっしゃったのだから、あなたの心の中に何があるか考えてごらんなさい。」
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中国師範大学教授・于丹の《論語心得》の第二話は、《心霊之道》というタイトルがついています。現在のような動きの速い、複雑な社会に於いては、一人一人の人が、仕事にせよ、家庭生活にせよ、思い通りにならず、悩むことが多々あります。そんな中、人はどのような心持ちで、世の中と向き合うべきなのでしょうか。現代人の感覚で読み解く孔子の思想、その第二話の始まりです。
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□ 一人一人の人の一生は、残念なことや思い通りにならないことから免れることはできない。おそらく私達はその事実を改めることはできず、私達が改められるものは、こうした事情に対する態度である。《論語》の精華の一つは、私達に、如何にして穏やかな気持ちで生活中の欠点や苦難と向き合うべきか、教えてくれることである。2500年余り前の《論語》が、本当に現代人の心の中のわだかまりを解いてくれるのだろうか。人生百年、何事も慣れれば悩まずに済むのか。人の一生の中では、いつもこのような思い通りにならない事情に巡り合う。
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□ 孔子には弟子3千人、72人の賢人がいた。こんなに多く弟子がいると、それぞれの家に悩ましい事情もあった。それでは彼らはどのように人生の悩みに対応していたのだろうか。孔子の弟子の司馬牛はある日憂え悲しんで言った。「他の人には皆兄弟がいるのに、一人私だけにはいない!」同じ弟子の子夏が彼をなだめ励まして言った。「商これを聞く。死生に命有り、富貴は天に在る。君子は敬して失わず、人と恭して礼有り、四海の内は皆兄弟也と。君子は何をか兄弟無きを患うや。」子夏は自分の名を“商”と称していた。彼の話はいくつかの段階に分かれている。人の生死や富貴というものは天命に帰する以上、個人では決定できないし、操作することもできない。ならばそれを承認し、且つ順応することを学ばねばならない。しかし誠実で敬虔な心を保ち、自分の言行の過ちを少なくし、他人に対して十分に尊重し、謙虚で礼儀正しくすることは、自分自身の修養を高めることで実現することができる。一人の人間が自分をちゃんと律することができれば、世の中の人々は皆その人を愛し敬うこと自分の手足や兄弟と同じである。だからちゃんと修養を積んだ真の君子は、またどうして兄弟がいないことを憂う必要があろうか。
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□ この話は孔子の口から出たものではないが、《論語》が提唱する一種の価値観念を代表している。つまり、人は先ず人生の遺恨に正確に向き合うことができなければならず、最短の時間内でそれを受入れなければならない。その中でつきまとって、毎回毎回あれこれ問うてはならない。そんなことをしても、苦痛が重くなるだけである。二番目の態度は、できるだけ自分ができることでこの遺恨を補うことである。現実の生活の中の足りないところを認め、自らの努力を通じてこの不足を補うこと、これこそが《論語》が私達に語る生活の欠点に対する態度である。もしある人がこの遺恨を受入れられないなら、どのような結果をもたらすだろうか。ある種の遺恨は、実際たいへん大きく大きく拡大される。遺恨が拡大した結果はどうなるのか。それはインドの詩人で哲学者のタゴールが言うように、「もしあなたが太陽を見失って泣いているなら、あなたは星をも見失うことになるだろう。」
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□ 私は以前ある雑誌の転載記事を見たことがある。そこに書かれていたのは、イギリスの有名なテニス・プレーヤー、ジーン・ギルバートの物語である。この少女は小さい時に一度、思いがけない事故を経験した。ある日、彼女は母親と歯科医に行った。このことは本来些細なことで、彼女はすぐに母親と家に帰れると思っていた。しかし、虫歯は心臓病を誘発することがあることを、私達は知っている。おそらく彼女の母親はそれ以前にこのような隠れた病気を持っていることを診断で発見されたことがなかったのだろう。その結果、少女は人々を驚かせる場面を目にすることになる。彼女の母親はなんと歯科医の手術椅子の上で亡くなってしまったのだ。この暗い影は彼女の心にずっと存在し続けた。或いは彼女は精神科の医師に診てもらおうとは思いつかなかったのかもしれない。或いは彼女はこの心の傷を根本から治療しなければならないとは考えたこともなかったのかもしれない。彼女ができたのは、ひたすら避けること、永遠に避け続けることで、歯が痛くてもずっと歯医者に行く勇気がなかった。後に彼女は有名なスター選手になり、満ち足りた生活を送った。ある日、彼女は虫歯が痛くて我慢できなくなった。家人は彼女に、歯科医に家に来てもらうよう勧めた。私達は病院に行く必要はない。ここにはあなたのプライベートの弁護士がいるし、プライベートの医師もいる。それに、家族全員があなたに付き添ってあげる。それなのにまだ何を恐れるの?そして歯科医に来てもらった。すると意外なことが起こった。正に歯科医が傍らで治療器具を整え、治療の準備をしている時に、ちょっと振り返って見ると、ジーン・ギルバートは既に死んでいた。当時、ロンドンの新聞は、この事件を記述する時に次のような論評を用いた。「ジーン・ギルバートは、この40年間のある念頭により殺された。それは心理の暗示力である」と。一つの遺恨がどんなにまで大きく拡大されたことか。それはあなたの生命の中の一つの暗い影となり、あなたの生命の本質にまで影響を及ぼすのである。
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□ もちろん多くの人が、上のような極端な例に直面するとは限らないが、皆さんは次のような説明を聞いたことがあるに違いない。一人の人が怒ったり悩んだりしている時、ある測定器でその人の吐き出した空気を測定すると、それは灰色で、その中の二酸化炭素量は特別に多いと。したがって、長期間人生に悩んできた人の遺恨は、自分ではそこから抜け出すことができず、一人の人の生命の質に損害を与え得る。生活の中の欠陥から免れることができない以上、どのような態度でこのような欠陥に向き合うかは非常に重要である。心持や態度が異なれば、完全に別の生活の質をもたらすことができる。
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□ ひとつの寓話がある。それによると、ある村にたいへん貧しい少女がいた。彼女は父親を失い、母親と助け合い、内職をしてなんとか生活を維持していた。彼女はたいへん自分を卑下していた。というのは、これまできれいな服や首飾りを身につけたことがないからである。このような極めて貧しい生活の中で、彼女は18歳になった。彼女が18歳のクリスマスに、母親は未だ嘗てなかったことだが、彼女に20ドルを渡し、この金で自分自身のためにクリスマスプレゼントを買うようにと言った。彼女は望外の喜び様であったが、大通りを堂々と歩いて行く勇気が無かった。彼女はお金を握りしめ、人ごみを避けるようにして、塀の隅にへばりつくようにして商店の方に歩いて行った。道々、彼女はどの人の生活も自分より良いと思い、心の中で残念に思うことしきりであった。私はこの村でもっともうだつの上がらない、最もみっともない子供であると。自分が事の他あこがれている青年の姿を見ると、彼女はやっかみの気持ちで、今晩の盛大なパーティーで、誰が彼のダンスのパートナーになるのかしら、と思った。彼女はこのようにしてためらいながら、人ごみを避けつつ商店にやって来た。店の入り口を入るや、彼女は目が刺されたような痛みを感じた。彼女は、カウンターの上に飾られた、特別に綺麗な緞子でできた髪飾りを見たのだった。
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この寓話は、次回に続きます。この寓話が教えることと、孔子の思想はどのように結びつくのでしょうか。次回をお楽しみに。
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中国・中央電視台の人気番組、《百家講壇》で放映された、中国師範大学 于丹教授の講演、《論語心得》の原文を読んでいます。是非、ビデオ版の講演で、于丹教授の歯切れの良い、中国語を味わってください。“百家講壇 于丹 論語心得”で検索すると、ヒットするはずです。
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□[1] これは何と誇らしいことだろうか。一人の人間が富める生活に惑わされることなく、また貧しくとも人としての尊厳と精神の快楽を維持することができるとは。このような儒家思想は継承され、歴史上、多くの精神の豊かな君子が出現した。東晋の詩人、陶淵明はその中の一人である。 陶淵明は83日間だけ彭澤の県令をしたことがある。それはごく小さな官吏であった。そしてある事件により、彼は官を辞して故郷へ帰った。ある人が彼に、上部の役所から人を派遣し仕事の検査に来るので、「束帯して之に見(まみ)え」なければならないと言った。つまり今日と同様、正装し、ネクタイを締めて、上役に会わなければならないと言う。陶淵明は言った。「我、五斗米の為に郷里の小児(田舎のこわっぱ)に向け腰を折る能わず。」つまり、彼はこのような役職の「給料」を守る為に、人にぺこぺこしたくなかった。そこで佩用した官印を置いて、故郷に帰った。家に帰ると、彼は自分の心情を《帰去来の辞》に著した。 彼は言う。「既に自ら心を以て形を役すに、なんぞ惆悵して独り悲しむ。」私の体はもう、心の欲するところに任せることにした。それは、良い物を食べ、良い所に住む為には、人にぺこぺこし、こびへつらわざるを得ず、心に多大な苦痛を受けたからに他ならない。「悟りて、已に往くものは諌めず、来るものは追うべしと知り」(過去のことはとやかく言ってもしかたがない。これから来る未来を追求するべきだと悟り)、そして故郷の田園に帰ってきた。陶淵明の真意は、詩の中に置かれた虚構の田園にあるのではなく、より重要なのは、彼が一人一人の心の中に一片の楽土を拓いたことにある。
■[2]
□[2] 「貧困に安んじて道を楽しむ」というのは、現代人の眼からは、頗る向上心に欠ける感じがする。このような激烈な競争を前にして、全ての人が自分の事業を発展させようと努力しており、収入の多少、職位の高低が、一人の人が成功したか否かの標しになっているかのようである。しかし、競争が激烈であればあるほど、益々精神状態を調整し、他人との関係を調整することが必要になる。それでは、現代社会で、私達はどのような人となりにならなければならないのだろうか。 ここで、また子貢が先生に、たいへん大きな問題を問うた。「一言にして、終身これを行うべきもの有るか。」先生、私に一字で、一生実践することができ、且つ永遠に有益な文字を教えてくださいませんか。先生は相談するような口調で彼に言った。「それ“恕”か。」もし一文字で言うとすれば、それは“恕”という文字であろう。どういうことを“恕”と言うのか。先生はそこで八文字を用いて解釈した。すなわち、「己(おのれ)の欲せざる所を、人に施すこと勿れ。」すなわち、あなた自身がやりたくない事を、他の人にやるよう強制してはならない、ということである。人は一生このことを実践できれば十分である。
■[3]
□[3] どういうことを「半冊の《論語》で天下を治める」というのか。時には一文字か二文字を学べば、一生涯それを用いることができる。これこそ本当の聖人というもので、聖人はあなたにたくさんのことを憶えさせようとはせず、時には一文字憶えれば十分であることもある。 孔子の弟子の曽子も嘗てこう言ったことがある。「夫子の道は、“忠恕”のみ。」先生は一生、学問の精華を学びなさいと言われた。それはつまり、“忠恕”の二文である。簡単に言うと、自己をしっかりと持ち、同時に他人を思いやるということである。 少しかみくだいて言えば、“恕”とは、他人に無理強いしてはならない、他人を傷つけてはならないということである。言外の意味は、もし他人があなたを傷つけても、できるだけ寛容でありなさい、ということである。しかし、本当に寛容であるのは口で言うほど簡単ではない。多くの場合、ある事情は本来もう過ぎ去ってしまっているのに、私達はまだ相変わらずそう思っている。このような憎むべきことを、どうして赦すことができるだろうか。そうして絶えず自分で咀嚼しているうち、一回一回また心が傷つくことになる。
■[4]
□[4] 仏教で一つ、おもしろい話がある。小坊主が老和尚と寺を出て托鉢に行き、川のほとりに来た時、一人の少女が川を渡れず困っていた。老和尚は娘に、「私がおまえをおぶって川を渡ってやろう」と言った。そして少女を背中に背負って川を渡った。小坊主はびっくりして目を見張り、口がきけなくなり、何も言うことができなかった。そうしてまた20里(10キロ)の道のりを歩くうち、我慢できなくなって、老和尚に言った。「お師匠様、私達は出家した者でありますのに、あなたはどうしてあの娘を背負って川を渡ることができたのですか。」老和尚は淡々と小坊主に言った。「ご覧、私はあの娘を背負って川を渡ってすぐ下ろしてやったのに、おまえはどうして20里もそのことを背負ったままでまだ下ろさないのかね。」 この話の道理は、実は孔子が私達に教えていることと同じで、重荷を下ろさないといけない時は下ろし、他人に寛容であれということで、自分の心を大空のように広々と、何のわだかまりもないようにしておきなさいということだ。何の所以(ゆえん)で「仁者は憂えず」と言うのか。あなたの心持ちが無限に大きければ、多くの事が自然と取るに足らない小さな事になるということだ。
■[5]
□[5] 生活の中で、全ての人が失業や、離婚、別居、友人の裏切り、肉親との別離に遭遇する可能性があるが、それが大事か小事か、客観的な基準は無い。このことは、1寸(3.3センチ)の長さのひっかき傷が、ひどい傷か、それともかすり傷と見做すかということと同じことである。もし甘ったれの女の子なら、一週間泣きわめき続けるかもしれない。もし大雑把な男なら、傷を負ってから治るまで、ずっと気付かないかもしれない。だから、私達の内心が甘ったれ「女」のようであるか、それとも大雑把な「男」のようであるかは、完全に自分で決めることができる。実際、《論語》が私達に教えるのは、事に遭遇してそれに対応できるにせよ放置するにせよ、自分の能力を尽くして助けを必要とする人を助けるべきであるということである。いわゆる「人にバラの花を与えれば、手にはその香りが残る」というのは、人に施しをするのは物を手に入れるよりもっと私達の心を幸福感で満たしてくれるということである。
■[6]
□[6] 皆さんがご存じのように、儒家理論の核心で最大の真髄は、“恕”以外にもう一つ、“仁”である。 孔子の弟子の樊遅は、嘗て極めてうやうやしく先生に“仁”とは何であるか尋ねたことがある。先生が彼に告げたのは“愛人”(人を愛せよ)の二文字だけであった。他人を愛することを仁”というのである。樊遅はまた、“智”とは何であるか尋ねた。先生は言った。「人を知ることである」と。他人を理解することを“智慧”という。他人のことに気を配り、愛することが“仁”であり、他人のことを理解することが“智”である。たったそれだけのことである。それでは、どうすれば仁愛の心を持った人になることができるのだろうか。孔子は言った。「己が立たんと欲して人を立たしめ、己が達せんと欲して人を達せしむ。能(よ)く近く譬(たと)えを取る、仁の方(みち)と謂うべきなり。」《論語・雍也》あなた自身が立とうと思うなら、すぐにできると思っても、他人を立たせなさい。あなた自身が理想を実現しようと思うなら、すぐにできると思っても、他人を助けて理想を実現させてあげなさい。自分の身近の小さな事から始めて、他人の身になって考えてやる。これこそ仁義を実践する方法である。
■[7]
□[7]確か大学の英語のテキストに、トルストイが書いた寓話が載っていたことを憶えている。その話というのは、ある国の王が毎日、三つの最も終極的な哲学の問題を考えていた。この世で、どのような人が最も重要であるか。どのような事が最も重要であるか。どんな時に実行するのが最も重要であるか。この三つの問題について、宮廷の大臣の誰ひとりとして、答えられる者がいなかった。彼はたいへん悩んだ。後にある時、彼はお忍びで城の外に出、辺鄙で遠い所まで行き、名も知らぬ老人の家に泊まった。夜中に、彼は騒がしい叫び声に起こされ、全身血だらけの男が老人の家に飛び込むのを見た。その男は、後ろから追手が来ていると言った。老人は、それなら私の所に隠れなさい、と言うと、その男を隠れさせた。国王はびっくりして眠れずにいると、しばらくして追手が来た。追手は老人に、一人の男が逃げて来なかったか聞いた。老人は、知りません、家には他に誰もいません、と答えた。そして追手が行ってしまうと、その追われている男はお礼を言って出て行った。老人は門を閉めると、また寝てしまった。翌日、国王は老人に訊ねた。どうしてあの男をかくまってやったのか。自分が殺されるかもしれないと恐れることがなかったか。そしてああしてあの男を出て行かせ、どうしてあの男がどういう人物なのか聞かなかったのか。老人は淡々と彼に言った。この世で、最も重要な人は今まさに自分の助けを必要としている人で、最も重要な事は直ちに実行することで、最も重要な時間は今で、一刻も遅れは許されない。国王は、はっと悟った。三つの長い時間考えても分からなかった哲学の問題が、あっという間に解決した。この話は、《論語》の脚注にすることができる。
■[8]
□[8] 実際のところ、孔子でも、荘子でも、陶淵明、蘇東坡からタゴールに至るまで、古今の中国内外の聖賢の意義はどこにあるのか。つまり、彼らの生活での体験を用い、私達一人一人にとって有用な道理を導き出しているのだ。これらの道理はあのレンガのような古典典籍ではなく、皆さん方に拡大鏡を持たせ、《辞海》をめくって、たいへん苦労して一生をかけ探究し理解したものである。真の聖賢は、もったいぶった様子で、顔をこわばらせて話をするようなことはしない。彼らは生き生きした人生経験を、時代を越え、今日まで語り伝え、私達の気持を今なお温かくしてくれる。彼らはといえば千古のかなたに居て、何も言わずに微笑み、注視しながら、私達が今も変わらず彼らの話の中から益を受けているのを見ているだけである。
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