中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

慣用句、成語の構造と使い方(2)

2010年06月23日 | 中国語
  前回は、成語の様々な構造を見てきたが、今回は、成語の使い方について、見ていく。

(三)どのように成語を運用するか

 成語の運用は一種の重要な修辞手段である。なぜなら、成語は極めて強い表現力を備えているからである。多くの成語は元々、比喩、形容、誇張等の修辞手段で構成され、それら自身が正確性、鮮明性、躍動性(“生動性”)を備えている。例えば、“雪中送炭”と“錦上添花”を用いて、文化の“普及”と“向上”の二つの事業の関係を説明する。“閉門造車”と“自作聡明”を用いて“主観主義”の傾向(“作風”)を説明する、などである。

・雪中送炭 xue3zhong1song4tan4 雪中に炭を送る。ちょうどよい時に援助を与える。人が最も困っている時に援助の手を差し伸べること。
・錦上添花 jin3shang4tian1hua1 錦上に花を添える。美しいものの上にさらに美しいものを加えること。
・閉門造車 bi4men2zao4che1 家に閉じこもって車を作る。客観的情況を考慮せず、主観だけに頼って物事を行うこと。
・自作聡明 zi4zuo4cong1ming2 知ったかぶりをする

 成語を運用すれば、言語を簡略にすることができ、簡単な語句(“詞組”)により豊富で複雑な意味を表現することができる。例えば、“装腔作勢,借以吓人”という話の中で、“装腔作勢”は、“内心怕人家来批駁,装様子来吓人,故意夸耀自己来欺騙人家,只要把人家一時騙過去,吓住了,就算成功”(内心では人に反駁されるのが怖いので、わざともったいぶって相手を脅かし、故意に自分のことをひけらかして相手をだまし、人が一時的にだまされて、怖がっていてくれれば、成功といえる)という意味を充分に表現することができる。

・装腔作勢 zhuang1qiang1zuo4shi4 もったいをつけて仰々しいことをする

 成語の形式には、比較的強い固定性があるので、慣用句の効果と同様、しばしば同様の意味を一般的な語句を用いて表現したとしても、成語の形式による表現が人に与える印象の強さにはるかに及ばない。例えば、“眼界很狭”は、“一孔之見”と言うことによる鮮明さ、生き生きとした様に及ばない。“極端的辛苦”、“奇怪的形状”と言うのは、“千辛万苦”、“奇形怪状”と言うことによる人の印象の強さに及ばない。

・一孔之見 yi1kong3zhi1jian4 見識が狭く偏っていること。謙譲語として用いることが多い。
・千辛万苦 qian1xin1wan4ku3 ありとあらゆる辛苦
・奇形怪状 qi2xing2guai4zhuang4 奇妙な格好。グロテスクな様相

 成語は人々の智慧が結集して生まれた一首の言語財産であり、言語規範化の原則に基づき、一般の人々が喜んで見聞きする(“喜聞楽見”)形で使用しなければならない。成語の大多数は生き生きとして活気に満ちている(“生動活溌”)ので、大いに吸収するべきである。

  既に使われなくなった典故や粗野な成語、例えば、“二三其徳”(三心両意)、“殺頭便冠”(削足適履)、“望衡対宇”(居処相隣近)、“管窺蠡測”(所見很狭小)等は、古臭くあまり見かけないし、ことばの意味が難しくてわかりにくい。用いても聞く人に理解してもらえない。また、いくつかのたいへん粗野な成語、例えば“狗不吃尿”(無此事実)、“屁滾尿流”(急迫万状)等は、使用を避けるべきである。

・三心両意 san1xin1liang3yi4 決心がつかずにためらうこと。優柔不断
・削足適履 xue1zu2shi4lv3 足を削って靴に合わせる。無理に調子を合せる。客観条件を無視して他のやり方を無理やりに当てはめようとすること。

 成語を使う場合、以下のいくつかの点に注意しなければならない。

 先ず、成語の意味を理解しなければならない。成語の意味を理解するには、その構造を分析し、その来源と意味の変化を究めなければならない。例えば、“満城風雨”man3cheng2feng1yu3と“水落石出”shui3luo4shi2chu1は、元々の古典作品の中では秋と冬の景色を描いたものであったが、その後成語となり、一般には“閙得人人皆知”(うわさがあちこちに伝わって大評判になる)と“終于真相大白”(遂に真相が明らかになる)の意味を表し、意味が拡大、変化した。

 次いで、成語の用法を理解しなければならない。いくつかの成語は、文字の上ではあまり違いがないが、意味や感情の色彩の上で大きな違いがある。例えば、“無微不至”と“無所不至”、“無孔不入”は、意味と感情の色彩では、明らかに相反するものである。“無微不至”wu2wei1bu4zhi4は“愛護照顧的周到”(世話や配慮が行き届いている)を指す。“無所不至”wu2suo3bu4zhi4は“無所不為”に意味が似ており、“什麼都干得出来”(何でもやれる。やらないものはない(よくない事について、いうことが多い))の意味を表す。“無孔不入”wu2kong3bu4ru4は、“什麼空子都要鑚”(あらゆる隙を狙う) の意味を表す。この他、“相顧失色”と“相形見絀”、“紅光満面”と“面紅耳赤”等は、混同して用いてはならない。

・相顧失色 xiang1gu4shi1se4 びっくりして真っ青になり、お互いに顔を見合わせる
・相形見絀 xiang1xing2jian4chu4 比べてみると、ひどく見劣りがする
・紅光満面 hong2guang1man3mian4 顔が赤くつやつやしている
・面紅耳赤 mian4hong2er3chi4 (怒ったり、咳き込んだり、恥ずかしさのため)耳まで赤くなる。顔を真っ赤にする

 その次に、成語の一般的に通用している形式を使わなければならない。成語を運用する際には、その定型性に注意し、規範化された形式を使わなければならない。勝手にばらしたり修正したりしてはならない。例えば、“弄假成真”を、“弄偽成真”ということはできない。“眼明手快”を“眼精手快”ということはできない。“排難解紛”を“排難解非”ということはできない。“佳話頻傳”と“廃話連篇”は、寄せ集めて(“湊合”)“佳話連篇”とすることはできない、等である。

・弄假成真 nong4jia3cheng2zhen1 うそから真(まこと)が出る
・眼明手快 yan3ming2shou3kuai4 目端が利き、すばしこい
・排難解紛 pai2nan4jie3fen1 問題を解決し、紛争を調停する
・佳話頻傳 jia1hua4pin2chuan2 美談がひっきりなしに伝わる
・廃話連篇 fei4hua4 lian2pian1 くだらないことばかり言う

 最後に、成語の書き方に注意しなければならない。正しく成語を使うために、その中の一字一字を正しく書くことにより、誤解を生じたり、笑い話になってしまったりすることを避けなければならない。例えば、“変本加”の“”を“利”と書いてしまったり、“提綱挈領”の“挈”を“結”と書いたり、“煥然一新”の“煥”を“換”と書いたり、“濫竽充数”の“竽”を“芋”と書いたり、“病人膏肓”の“肓”を“盲”と書いてしまうことである。

・変本加 bian4ben3jia1li4 前より一層ひどくなる
・煥然一新 huan4ran2yi1xin1 面目を一新する
・病人膏肓 bing4ren2gao1huang1 病膏肓(こうこう)に入る。病気が重く、もはや治療ができない。事態が深刻で、救いようがない

 これらは皆、誤ってこれらの成語を構成する語素を変えてしまっており、正しくなく、正しい内容をはっきり理解し、正確に使わなければならない。

(四)その他の熟語の応用について

 成語の性質に類似したものに“歇后語”があり、成語の別の一形式ということができる。一つの成語の意味を前後二つの部分に分けて言い、前半の部分が比喩、或いは隠語で、後半の部分が意味の解釈である。通常、話す時は、その前半の比喩、隠語の部分だけ単独で言い、後半の部分の解釈は省略し、聞く人に推察、理解してもらう。だから“歇后語”(“歇”は休む。後ろを休むことば)と言うのである。修辞方法から言うと、歇后語は主に比喩、“双関”(1語で2語の意味を兼ねさせること)の二種類がある。

■ 比喩の例:

・老鼠過街 ―― 人人喊打
 (ねずみが街を行く――皆が退治しようと飛びかかってくる)
・懒婆娘的裹脚 ―― 又長又臭
 (怠け者の嫁さんの纏足――ちゃんと布で巻いて手入れをしていないので、大きくて臭い)
・千里送鵞毛 ―― 礼軽情意重
 (千里の彼方に鵞鳥の毛を送る――粗末だが心がこもっている)
・猫哭老鼠 ―― 假慈悲
 (猫が捕まえて殺したネズミのことを悲しむ――見せかけの慈悲心)
・黄鼠狼給鶏拜年 ―― 没安好心
 (イタチが鶏に新年の挨拶に来る――気が許せない)
・茶壺里煮餃子 ―― 肚里有,嘴上倒不出
 (急須で餃子を煮る――腹の中にあるが、口から(ことばとして)出てこない)
・熱鍋上的螞蟻 ―― 走投無路
 (熱した鍋の上の蟻――行き場を失う。窮地に陥る)

■ “双関”の例

・四両棉花 ―― 弾(談)不上
 (たった四両の綿花――少なすぎて綿打ちができない→“弾”と“談”は同音なので→“談不上”:問題外である。言うまでもない)
・孔夫子搬家 ―― 浄是書(輸)
 (孔子が引っ越しをする――荷物は本ばかり→“書”と“輸”は同音なので→負けてばかり)
・老鼠爬秤鈎 ―― 自己秤(称)自己
 (ネズミが竿秤の鈎に登る――自分で自分を測る→“秤”と“称”は発音が似ている→自分で自分をほめる)
・外甥打灯籠 ―― 照舅(旧)
 (甥が灯籠に火を灯す――舅を照らす→“舅”と“旧”は発音が同じ→相変わらず)

 歇后語は形象的であるので、使い方が的を得ていると、聞く者に生き生きとしておもしろいと感じさせるが、使い過ぎると、わずらわしく感じさせられる。いくつかの歇后語は、封建的な意味あい、迷信の色合い、卑俗で悪趣味なところを持つものがあり、そういうものは取り除き、使わないようにしなければならない。また、地方の色彩があまりに濃厚なものも、言語の規範化の原則に基づき、選択して使用するべきである。

 慣用句、歇后語、成語は、実際の言語の中では、一般に言語の建築材料となり、文の構造成分を充当しなければ、独立した文章にならない。熟語の中で、独立した文として一つの意味を説明するものが、ことわざ(諺語)と格言である。ことわざは、一般の人々が口頭で伝えてきた通俗的な話である。格言は、ことわざと形式上の大きな違いは無く、一般の人々が伝え使用し、行動の規範としたもので、多くは教育的な意味がある。ことわざ、格言の中には、たくさんの労働人民のよく練れてむだのない(“精練”)ことばがある。例えば:

  人心斉,泰山移。
     (人々の心が一つにまとまれば、泰山を動かすことができる)
  人心堅,石山穿。
     (人々の決意が固ければ、石の山でも穿つことができる)
  単絲不成線,独木不成林。
     (1本の生糸では織糸にならないし、1本の木では林にならない)
  穿靠棉,吃靠田。
     (着るものは木綿に頼り、食べ物は畑に頼る)
  滴水湊成河,粒米湊成籮。
     (一滴の水も集まれば川となり、一粒の米も集まれば甑のご飯となる)
  勤耕苦作般般有,好吃懶做様様無。
     (耕作に励み懸命に働く様子はここかしこに見られる。美味しいものを食べ怠けている有様はどこにも見られない)
  只与人家賽種田,莫与人家比過年。
     (人々と競って畑を耕すばかりで、人々と年越しの豪華さを競う者は誰もいない)
  吃不窮,穿不窮,不会打算一世窮。
     (食べるのに困らず、着るものに困らず、一生貧しいままでいようとは誰も思わない)
  生産好似揺銭樹,節約猶如聚宝盆。
     (生産は金のなる木、節約は打ち出の小槌のようなものである)

 まだ一部には封建思想や遅れた意識を反映したことばがある。例えば: “命里窮,総是窮,拾着黄金要変銅”(貧しいのは運命だ。いつまでたっても貧しい。黄金を拾っても銅に変わってしまう)といったことばは、捨て去り、使わないようにしなければならない。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年

 今回、この中国語の熟語についての項目を勉強していて、歴史故事や日常の口語など、様々なことばが、規範化され、人々が普遍的に用いるようになる、「言語規範化の法則」という概念に触れることができた。次回は、この点につき、見ていきたいと思う。
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