中国語の修辞技法の中には、熟語や成語といった決まり文句をわざと一部の字を置き換え、文にユーモアや風刺の意味合いを持たせる表現技法があります。これは使い方が難しく、なかなか真似られるものではありませんが、小説などの中に出てきたら、辞書に載っていないと焦らず、元の語句は何で、作者がどんな意志でこうした表現を使っているのか考えてみましょう。
語句の模倣(“倣用”)
ことばの表現力を強め、諧謔、諷刺等の効果を得るため、特定の環境の下で、現有の語句の構造成分を変更し、一時的に新たな語句を真似て作り出すことを、“倣用”(模倣)と言う。
(一) 語素の変更
前後の文の中のある語句に基づき、語素を変更するという方法で一時的に新たな語句を真似て作り出すことである。
一つのやり方は、語素を相対し相反する意味に変える方法である。例えば:
(1) 一個闊人要読経,嗡weng1的一陣一群狭人也要読経,豈但読而矣哉,据説還可以“救国”哩。
・闊人 kuo4ren2 金持ち
(2) 有“小広播”,是因為“大広播”不発達。只要民主生活充分,当面掲了瘡疤,譲人家“小広播”,他還会説没時間,要休息。
・小広播 うわさを広める(人)
・掲了瘡疤 jie1lechuang1ba1 痛いところ(古傷)をつく
(3) “您真是個天才!”戈勒校長笑道,“您的胆量令人欽佩,女士。”
“我是‘地才’,博士!”女科学家冷冷一笑。“正如生命起源于大地一様,我們認識也是脚踏実地模索出来来的。……”
(4) 好不値銭的干儿子!你有多少干儿子,湿儿子,我還不清楚!
・干儿子 中身がからっぽ(な人、もの)
上のそれぞれの例の“狭人”、“大広播”、“地才”、“湿儿子”は現在使われている語句“闊人”、“小広播”、“天才”、“干儿子”をもじって、相対し相反する語素に変更して一時的に作り出したもので、ことばに風刺やユーモアを持たせ、興趣に富んだものにしている。二つの語句が照らし合わされ、色彩が鮮明になっている。
もう一つは、語素を同類や関連する意味に変える方法である。例えば:
(5) 這些,就是中国主和派即投降派的整套観点,整套做法,整套陰謀。這一套,不但汪精衛在演出,更厳重的就是還有許多的張精衛、李精衛,他們暗蔵在抗日陣線内部,也在和汪精衛里応外合地演出,有些唱双簧,有些装紅白臉。
(6) 別的人是一表人材,我們的菊霞小姐是両表人材,能文能武,天上少有,地上無双。
・一表人材 立派な容貌(の人)
(7) 我們火速到湯陰去,把那老頭儿捶扁就完事,要那什麼虎符,馬符来干嘛?
・虎符 hu4fu2 虎の形の軍事用の割符
(8) 結果你搞gao3了五六十年還不能超過美国,你像什麼様子呢?那就要従地球上開除你的球籍!
上の各例文の中の“張精衛”、“李精衛”、“両表人材”、“馬符”、“球籍”は、“汪精衛”、“一表人材”、“虎符”、“国籍”などの語句をもじって作ったもので、表現を生き生きとさせ、ユーモアがあっておもしろい。
こうした語素の変更による語句の模倣は、多くの場合、元の語句と模倣した語句は前後の文の中で対照的に出現する。一般的には、こうした模倣された語句は一時的な修辞手法であり、特定の使用環境を離れると、独立した語句になることはできない。しかし、一時的に模倣された言い方であっても、多くの人が使うようになると、次第に独立した語句の地位を得るものもある。例えば“先進”から模倣された“後進”という語句がそうである。
語句の模倣と新語を作ることは本質的な違いがある。語句の模倣は、一定の使用環境の中で弾力的に運用され、一定の修辞機能を備えている。新語を作ることは無理につなぎ合わせたり作ったりして、修辞機能が無いだけでなく、人に理解してもらうのが大変で、言語の規範を壊してしまう。
(二) 成語の作り変え(“翻新”)
成語は固定的な構造を持ち、その中の成分は本来は変更することができない。しかし、修辞上の必要から、一定の使用環境の中では、既に有る成語を利用し、一時的に作り変えることができる。こうして作り変えられた成語は、語句の一部を意味が相対し相反するものや同類のものに変えて作られる。例えば:
(9) 楚漢成皋之戦、新漢昆陽之戦、袁曹官渡之戦、呉魏赤壁之戦、呉蜀彝陵之戦、秦晋淝水之戦等等有名的大戦,都是双方強弱不同,弱者先譲一歩,后発制人,因而戦勝了。
(10) 無理不能取閙,有理也不能取閙。
(11) 龍二井又有油和水的矛盾,這是它的特殊性,周隊長説,要促使矛盾転化,就要撈水,把水撈干,我們想一不做,二不休,搞gao3它個水落油出。
(12) 自成一辺吃山芋一辺想着糧食快完了,只能勉強支持三天,而這一帯又是窮山,不断地遭受天災和兵災,十室十空,即令找到百姓,在倉卒間根本没辧法找到糧食。
上の各例の中の“后発制人”、“有理取閙”は、“先発制人”、“無理取閙”という成語をもじって作られたもので、ここでは意味が相対し相反するように変えられている。
・先発制人 先んずれば人を制す。機先を制する
・無理取閙 理由なく悶着を起こす。わざと挑発的なことをする
“水落油出”、“十室十空”は、“水落石出”、“十室九空”という成語をもじって作られたもので、ここでは意味の関連した語句に変えられている。
・水落石出 水落ちて石出づ。物事の真相が明らかになること。
・十室九空 10軒のうち9軒が空き家になっている。戦乱・災害などのために人民が破産・流浪して荒れ果てたさま。
更に語順を変えることにより作り変える方法がある。例えば:
(13) 過去有了知識的人,往往“好逸悪労”,這是一種很低下的感情;我們今天応該把它翻転過来,“好労悪逸”。
・好逸悪労 hao4yi4wu4lao2 安逸をむさぼり、働くのを嫌がる
語句を作り変える言い方の中には、広い範囲で長期に亘って使われてきたことにより、次第に独立した新しい成語になったものもある。例えば、“無的放矢”を真似て作られた“有的放矢”;“知難而退”を真似て作られた“知難而進”がそうである。
・無的放矢 wu2di4fang4shi3 的なしで矢を射る。目的のない行為や事実無根の批評のたとえ。
・知難而退 困難だと知って退く
語句の模倣の他、文や文章全体を模倣するケースもある。例えば:
賀敬之の詩《三門峡――梳粧台》:望三門,門不在,明日要看水閘開。責令李白改詩句:‘黄河之水“手中”来!’(“黄河之水天上来”をもじって作ったもの)
《桂林山水歌》:呵!汗雨揮洒彩筆画:桂林山水――満天下!……(“桂林山水甲天下”をもじったもの)
これらは文の模倣である。
魯迅の《崇実》の中で、崔《黄鶴楼》の詩をもじって作った詩が出てくる。魯迅が張衡《四愁詩》をもじって書いたのが《我的失恋》である。これらは文章全体の模倣である。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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語句の模倣(“倣用”)
ことばの表現力を強め、諧謔、諷刺等の効果を得るため、特定の環境の下で、現有の語句の構造成分を変更し、一時的に新たな語句を真似て作り出すことを、“倣用”(模倣)と言う。
(一) 語素の変更
前後の文の中のある語句に基づき、語素を変更するという方法で一時的に新たな語句を真似て作り出すことである。
一つのやり方は、語素を相対し相反する意味に変える方法である。例えば:
(1) 一個闊人要読経,嗡weng1的一陣一群狭人也要読経,豈但読而矣哉,据説還可以“救国”哩。
・闊人 kuo4ren2 金持ち
(2) 有“小広播”,是因為“大広播”不発達。只要民主生活充分,当面掲了瘡疤,譲人家“小広播”,他還会説没時間,要休息。
・小広播 うわさを広める(人)
・掲了瘡疤 jie1lechuang1ba1 痛いところ(古傷)をつく
(3) “您真是個天才!”戈勒校長笑道,“您的胆量令人欽佩,女士。”
“我是‘地才’,博士!”女科学家冷冷一笑。“正如生命起源于大地一様,我們認識也是脚踏実地模索出来来的。……”
(4) 好不値銭的干儿子!你有多少干儿子,湿儿子,我還不清楚!
・干儿子 中身がからっぽ(な人、もの)
上のそれぞれの例の“狭人”、“大広播”、“地才”、“湿儿子”は現在使われている語句“闊人”、“小広播”、“天才”、“干儿子”をもじって、相対し相反する語素に変更して一時的に作り出したもので、ことばに風刺やユーモアを持たせ、興趣に富んだものにしている。二つの語句が照らし合わされ、色彩が鮮明になっている。
もう一つは、語素を同類や関連する意味に変える方法である。例えば:
(5) 這些,就是中国主和派即投降派的整套観点,整套做法,整套陰謀。這一套,不但汪精衛在演出,更厳重的就是還有許多的張精衛、李精衛,他們暗蔵在抗日陣線内部,也在和汪精衛里応外合地演出,有些唱双簧,有些装紅白臉。
(6) 別的人是一表人材,我們的菊霞小姐是両表人材,能文能武,天上少有,地上無双。
・一表人材 立派な容貌(の人)
(7) 我們火速到湯陰去,把那老頭儿捶扁就完事,要那什麼虎符,馬符来干嘛?
・虎符 hu4fu2 虎の形の軍事用の割符
(8) 結果你搞gao3了五六十年還不能超過美国,你像什麼様子呢?那就要従地球上開除你的球籍!
上の各例文の中の“張精衛”、“李精衛”、“両表人材”、“馬符”、“球籍”は、“汪精衛”、“一表人材”、“虎符”、“国籍”などの語句をもじって作ったもので、表現を生き生きとさせ、ユーモアがあっておもしろい。
こうした語素の変更による語句の模倣は、多くの場合、元の語句と模倣した語句は前後の文の中で対照的に出現する。一般的には、こうした模倣された語句は一時的な修辞手法であり、特定の使用環境を離れると、独立した語句になることはできない。しかし、一時的に模倣された言い方であっても、多くの人が使うようになると、次第に独立した語句の地位を得るものもある。例えば“先進”から模倣された“後進”という語句がそうである。
語句の模倣と新語を作ることは本質的な違いがある。語句の模倣は、一定の使用環境の中で弾力的に運用され、一定の修辞機能を備えている。新語を作ることは無理につなぎ合わせたり作ったりして、修辞機能が無いだけでなく、人に理解してもらうのが大変で、言語の規範を壊してしまう。
(二) 成語の作り変え(“翻新”)
成語は固定的な構造を持ち、その中の成分は本来は変更することができない。しかし、修辞上の必要から、一定の使用環境の中では、既に有る成語を利用し、一時的に作り変えることができる。こうして作り変えられた成語は、語句の一部を意味が相対し相反するものや同類のものに変えて作られる。例えば:
(9) 楚漢成皋之戦、新漢昆陽之戦、袁曹官渡之戦、呉魏赤壁之戦、呉蜀彝陵之戦、秦晋淝水之戦等等有名的大戦,都是双方強弱不同,弱者先譲一歩,后発制人,因而戦勝了。
(10) 無理不能取閙,有理也不能取閙。
(11) 龍二井又有油和水的矛盾,這是它的特殊性,周隊長説,要促使矛盾転化,就要撈水,把水撈干,我們想一不做,二不休,搞gao3它個水落油出。
(12) 自成一辺吃山芋一辺想着糧食快完了,只能勉強支持三天,而這一帯又是窮山,不断地遭受天災和兵災,十室十空,即令找到百姓,在倉卒間根本没辧法找到糧食。
上の各例の中の“后発制人”、“有理取閙”は、“先発制人”、“無理取閙”という成語をもじって作られたもので、ここでは意味が相対し相反するように変えられている。
・先発制人 先んずれば人を制す。機先を制する
・無理取閙 理由なく悶着を起こす。わざと挑発的なことをする
“水落油出”、“十室十空”は、“水落石出”、“十室九空”という成語をもじって作られたもので、ここでは意味の関連した語句に変えられている。
・水落石出 水落ちて石出づ。物事の真相が明らかになること。
・十室九空 10軒のうち9軒が空き家になっている。戦乱・災害などのために人民が破産・流浪して荒れ果てたさま。
更に語順を変えることにより作り変える方法がある。例えば:
(13) 過去有了知識的人,往往“好逸悪労”,這是一種很低下的感情;我們今天応該把它翻転過来,“好労悪逸”。
・好逸悪労 hao4yi4wu4lao2 安逸をむさぼり、働くのを嫌がる
語句を作り変える言い方の中には、広い範囲で長期に亘って使われてきたことにより、次第に独立した新しい成語になったものもある。例えば、“無的放矢”を真似て作られた“有的放矢”;“知難而退”を真似て作られた“知難而進”がそうである。
・無的放矢 wu2di4fang4shi3 的なしで矢を射る。目的のない行為や事実無根の批評のたとえ。
・知難而退 困難だと知って退く
語句の模倣の他、文や文章全体を模倣するケースもある。例えば:
賀敬之の詩《三門峡――梳粧台》:望三門,門不在,明日要看水閘開。責令李白改詩句:‘黄河之水“手中”来!’(“黄河之水天上来”をもじって作ったもの)
《桂林山水歌》:呵!汗雨揮洒彩筆画:桂林山水――満天下!……(“桂林山水甲天下”をもじったもの)
これらは文の模倣である。
魯迅の《崇実》の中で、崔《黄鶴楼》の詩をもじって作った詩が出てくる。魯迅が張衡《四愁詩》をもじって書いたのが《我的失恋》である。これらは文章全体の模倣である。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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