中国語は、その漢字による表記の特殊性から、文字の字数を揃え、韻脚を踏ますことにより、文の美を追求してきました。このことは現代漢語にも受け継がれています。意識的に使われる、構造的に整った文を“整句”と言います。反対に、構造的に様々なものが入り混じった文は“散句”と言います。これから、“整句”を使った修辞表現を見ていきたいと思います。一回目は“対偶”です。
四 構造の整散
・整句:構造が同じか類似し、形式が揃っていて均整のとれた文
・散句:構造が異なり、形式がまちまちに入り混じった文
これまで取り上げた三つの形式は何れも“散句”で、文の構造としてはまちまちなものが入り混じっていた。言語中には、構造的に整った文で意味を表す場合もある。“整句”とは、いっしょに配列された一対、或いは一連の構造を同じくする、或いは類似した文である。構造が同じ、或いは類似しているので、形式上は見た感じが整っていて均整がとれている。このような文はしばしば形式美や音声美に富んでいる。
中国語の書面語の中では、“整句”が比較的好んで使われる。大多数の文では、“整句”と“散句”が入り混じって使われる。文学作品は固より文章の構造美が追及されるが、政治論文や科学技術論文でも同じように構造美を考えて書かれている場合がある。
(一) 対偶
一対の字数が同じで、構造が同じ語句を用い、同じ、或いは関連した、或いは反対の意味を表すことを“対偶”と言う。例えば:
(1) 万山逶迤馳奔馬,高天坦蕩走飛雲,他永遠永遠像巍巍太行山
聳立在我們面前。
・逶迤 wei1yi2 道や川がくねくねと続いているさま
・坦蕩 tan3dang4 広くて平坦である
・巍巍 wei1wei1 高くて大きいさま
・聳立 song4li4 そびえ立つ
ここで“万山”と“高天”は相対する名詞性の偏正詞組である。“逶迤”と“坦蕩”も相対する形容詞で、それぞれ前の名詞詞組のことを形容している。“馳”と“走”は相対する動詞、“奔馬”と“飛雲”は相対する名詞性の偏正詞組で、それぞれ前の動詞の賓語である。これら二つの語句は何れも七文字で、構造関係も完全に同一で、対偶句を構成している。
「字数が同じで、構造が同じ」というのは“対偶”の基本条件に過ぎない。「品詞がそれぞれ同じ」で「平仄が取れている」ならもっと良い。
“対偶”は両方の句にことばの重複が無いことが望ましい。多少のことばの重複があっても、「字数が同じで、構造が同じ」であれば、対偶と見做すことができる。例えば:
(2) 我們這儿也是好地方,牛羊遍野、駱駝成群,夏天的草原是一片碧琉璃,
冬天的草原是一片銀世界。
(3) 但是他,貝漢廷,驚奇而不泄气; 慕而不妬忌。
・泄气 xie4qi4 へこたれる
・妬忌 du4ji4 嫉妬する
対偶の一対の語句の表す意味が同じか類似しているものを“正対”と呼ぶ。例えば:
(4) 心血操碎,革命偉業似巍巍泰山振寰宇,
骨灰撤遍,総理恩情如滴滴雨露潤人心。
・寰宇 huan2yu2 全世界
(5) 尤其是白族同胞,几乎家家院内是繁花,戸戸門外有清流。
例(4)の二つの語句は周恩来総理の生前の功績と死後の願望を称えたもので、周恩来の革命のため、人民のため献身的に力を尽くし、死ぬまで懸命に努力した人柄を描写したものである。例(5)は家の中庭の中と戸外の景色から、白族同胞の住宅の自然の姿を描写している。これらの語句の内容は同じ、或いはよく似ている。
対偶の一対の語句が表す意味が相対し、反対であるものを“反対”と呼ぶ。例えば:
(6) 生当為人傑,死也作鬼雄。
寧作那筆直拆断的剣,不作那弯腰屈存的鈎。
・筆直 bi3zhi2 まっすぐな
(7) 敵人害怕静若懸剣,
人民信頼您穏如磐石。
・磐石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)。
“生”と“死”、“人傑”と“鬼雄”、“筆直拆断的剣”と“弯腰屈存的鈎”、“敵人”と“人民”、“害怕”と“信頼”、“静若懸剣”と“穏如磐石”は互いに相対している。“反対”の対比作用はたいへん鮮明である。これはしばしば二種の相反する語句をいっしょに組合せることで、互いに引き立てあい、表現を突出させることができる。“反対”をうまく使うには、反義語をよく理解し、うまく選択しなければならない。
対偶の一対の語句の表す意味が互いに関連し互いにつながるものを“流水対”と呼ぶ。例えば:
(8) 只恨人間多疫鬼,遂使中華失棟梁。
・棟梁 dong4liang2 元々は建物の棟木と梁のことであるが、そこから転じ、一国の重任を担って立つ人のことを言う。
(9) 発展体育運動,増強人民体質。
上の二つの例の対偶句は前後の句が受け継がれ、互いに連なっている。前句と後句は因果関係にあるか、或いは前句と後句が連貫関係にある。このような対偶句は、ことばの勢いが持続され、構造は均整がとれており、声に出して読んだ時、朗朗とすらすらと読め、耳に快い。
現代漢語では二音節の詞(意味を表し、文法的に独立して運用できる最小単位)が優勢だが、単音節詞も少なくない。このことは均整のとれた句式を作るための有利な条件となる。中国語はまた声調を有する言語であり、この特徴を活かして文中の平仄を整えることにより、文の組合せのリズムを鮮明にし、耳に快く聞いて感動するものとすることができる。
対偶は現代漢語の中で幅広く活用されている。[①]
注①:対偶の歴史は古く、《尚書》、《詩経》には多くの対偶句が見られる。後に対偶形式を主とした駢儷体が生まれ、その後の文言文に影響を与えた。中国古代の格律詩も、対偶形式を採っている。
文学作品のみならず、政治論文の中にも使用され、中には文章の表題に対偶が用いられている。例えば、《関心群衆生活,注意工作方法》、《丢diu1掉幻想,準備斗争》、《放下包袱,開動机器》などがそうである。いくつかの題辞にも対偶が用いられている。例えば、“提高警,保衛祖国”、“発展経済,保障供給”などがそうである。
多くのことわざ、格言も対偶形式で作られている。例えば、“把困難留給自己,把方便譲給別人”、“霜前冷,雪后寒”、“満招損,謙受益”などがそうである。対聯も対偶句である。新年や節句の度に、或いは冠婚葬祭の際、人々は対聯を貼る習慣がある。
作家の秦牧はこう言った:
“現在我們也貼春聯,但是誰想到‘歳月逢春花遍地,人民有党勁衝天’‘躍馬横刀,万衆一心駆窮白;飛花点翠,六億双手綉山河’之類的春聯,和古代的用桃木符辟邪有什麼可以相提并論之処呢!古老的節日在新的時代里是充満着青春的光輝了。”
(今も私たちは春聯を貼るが、「歳月は春になると花を至る所に咲かせる。人民は共産党があるとその力は天を衝く」「馬を駆け武器を持ち、人々は心を一つに貧困と無知を駆逐する。飛ぶ花は緑を引き立て、六億人民は手ずから山河を縫いあげる」といった春聯が、古代に桃の木で作った護符で邪気を掃うのと同日に論じることができようとは、誰が想像したであろうか!古くからの節句は新しい時代にも青春の輝きが満ちている。)
ここからも、対偶は今日も斬新な姿形が絶えず発展していることが分かる。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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四 構造の整散
・整句:構造が同じか類似し、形式が揃っていて均整のとれた文
・散句:構造が異なり、形式がまちまちに入り混じった文
これまで取り上げた三つの形式は何れも“散句”で、文の構造としてはまちまちなものが入り混じっていた。言語中には、構造的に整った文で意味を表す場合もある。“整句”とは、いっしょに配列された一対、或いは一連の構造を同じくする、或いは類似した文である。構造が同じ、或いは類似しているので、形式上は見た感じが整っていて均整がとれている。このような文はしばしば形式美や音声美に富んでいる。
中国語の書面語の中では、“整句”が比較的好んで使われる。大多数の文では、“整句”と“散句”が入り混じって使われる。文学作品は固より文章の構造美が追及されるが、政治論文や科学技術論文でも同じように構造美を考えて書かれている場合がある。
(一) 対偶
一対の字数が同じで、構造が同じ語句を用い、同じ、或いは関連した、或いは反対の意味を表すことを“対偶”と言う。例えば:
(1) 万山逶迤馳奔馬,高天坦蕩走飛雲,他永遠永遠像巍巍太行山
聳立在我們面前。
・逶迤 wei1yi2 道や川がくねくねと続いているさま
・坦蕩 tan3dang4 広くて平坦である
・巍巍 wei1wei1 高くて大きいさま
・聳立 song4li4 そびえ立つ
ここで“万山”と“高天”は相対する名詞性の偏正詞組である。“逶迤”と“坦蕩”も相対する形容詞で、それぞれ前の名詞詞組のことを形容している。“馳”と“走”は相対する動詞、“奔馬”と“飛雲”は相対する名詞性の偏正詞組で、それぞれ前の動詞の賓語である。これら二つの語句は何れも七文字で、構造関係も完全に同一で、対偶句を構成している。
「字数が同じで、構造が同じ」というのは“対偶”の基本条件に過ぎない。「品詞がそれぞれ同じ」で「平仄が取れている」ならもっと良い。
“対偶”は両方の句にことばの重複が無いことが望ましい。多少のことばの重複があっても、「字数が同じで、構造が同じ」であれば、対偶と見做すことができる。例えば:
(2) 我們這儿也是好地方,牛羊遍野、駱駝成群,夏天的草原是一片碧琉璃,
冬天的草原是一片銀世界。
(3) 但是他,貝漢廷,驚奇而不泄气; 慕而不妬忌。
・泄气 xie4qi4 へこたれる
・妬忌 du4ji4 嫉妬する
対偶の一対の語句の表す意味が同じか類似しているものを“正対”と呼ぶ。例えば:
(4) 心血操碎,革命偉業似巍巍泰山振寰宇,
骨灰撤遍,総理恩情如滴滴雨露潤人心。
・寰宇 huan2yu2 全世界
(5) 尤其是白族同胞,几乎家家院内是繁花,戸戸門外有清流。
例(4)の二つの語句は周恩来総理の生前の功績と死後の願望を称えたもので、周恩来の革命のため、人民のため献身的に力を尽くし、死ぬまで懸命に努力した人柄を描写したものである。例(5)は家の中庭の中と戸外の景色から、白族同胞の住宅の自然の姿を描写している。これらの語句の内容は同じ、或いはよく似ている。
対偶の一対の語句が表す意味が相対し、反対であるものを“反対”と呼ぶ。例えば:
(6) 生当為人傑,死也作鬼雄。
寧作那筆直拆断的剣,不作那弯腰屈存的鈎。
・筆直 bi3zhi2 まっすぐな
(7) 敵人害怕静若懸剣,
人民信頼您穏如磐石。
・磐石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)。
“生”と“死”、“人傑”と“鬼雄”、“筆直拆断的剣”と“弯腰屈存的鈎”、“敵人”と“人民”、“害怕”と“信頼”、“静若懸剣”と“穏如磐石”は互いに相対している。“反対”の対比作用はたいへん鮮明である。これはしばしば二種の相反する語句をいっしょに組合せることで、互いに引き立てあい、表現を突出させることができる。“反対”をうまく使うには、反義語をよく理解し、うまく選択しなければならない。
対偶の一対の語句の表す意味が互いに関連し互いにつながるものを“流水対”と呼ぶ。例えば:
(8) 只恨人間多疫鬼,遂使中華失棟梁。
・棟梁 dong4liang2 元々は建物の棟木と梁のことであるが、そこから転じ、一国の重任を担って立つ人のことを言う。
(9) 発展体育運動,増強人民体質。
上の二つの例の対偶句は前後の句が受け継がれ、互いに連なっている。前句と後句は因果関係にあるか、或いは前句と後句が連貫関係にある。このような対偶句は、ことばの勢いが持続され、構造は均整がとれており、声に出して読んだ時、朗朗とすらすらと読め、耳に快い。
現代漢語では二音節の詞(意味を表し、文法的に独立して運用できる最小単位)が優勢だが、単音節詞も少なくない。このことは均整のとれた句式を作るための有利な条件となる。中国語はまた声調を有する言語であり、この特徴を活かして文中の平仄を整えることにより、文の組合せのリズムを鮮明にし、耳に快く聞いて感動するものとすることができる。
対偶は現代漢語の中で幅広く活用されている。[①]
注①:対偶の歴史は古く、《尚書》、《詩経》には多くの対偶句が見られる。後に対偶形式を主とした駢儷体が生まれ、その後の文言文に影響を与えた。中国古代の格律詩も、対偶形式を採っている。
文学作品のみならず、政治論文の中にも使用され、中には文章の表題に対偶が用いられている。例えば、《関心群衆生活,注意工作方法》、《丢diu1掉幻想,準備斗争》、《放下包袱,開動机器》などがそうである。いくつかの題辞にも対偶が用いられている。例えば、“提高警,保衛祖国”、“発展経済,保障供給”などがそうである。
多くのことわざ、格言も対偶形式で作られている。例えば、“把困難留給自己,把方便譲給別人”、“霜前冷,雪后寒”、“満招損,謙受益”などがそうである。対聯も対偶句である。新年や節句の度に、或いは冠婚葬祭の際、人々は対聯を貼る習慣がある。
作家の秦牧はこう言った:
“現在我們也貼春聯,但是誰想到‘歳月逢春花遍地,人民有党勁衝天’‘躍馬横刀,万衆一心駆窮白;飛花点翠,六億双手綉山河’之類的春聯,和古代的用桃木符辟邪有什麼可以相提并論之処呢!古老的節日在新的時代里是充満着青春的光輝了。”
(今も私たちは春聯を貼るが、「歳月は春になると花を至る所に咲かせる。人民は共産党があるとその力は天を衝く」「馬を駆け武器を持ち、人々は心を一つに貧困と無知を駆逐する。飛ぶ花は緑を引き立て、六億人民は手ずから山河を縫いあげる」といった春聯が、古代に桃の木で作った護符で邪気を掃うのと同日に論じることができようとは、誰が想像したであろうか!古くからの節句は新しい時代にも青春の輝きが満ちている。)
ここからも、対偶は今日も斬新な姿形が絶えず発展していることが分かる。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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