中国では、立春の日に生の大根を食べる習慣があります。それを“咬春”、春を咬む、と言います。寒く厳しい冬が終わり、新春の恵みを舌で味わう、“咬春”とはたいへん洒落た表現だと思います。
■ 在北京寒冷的冬夜里,在深深的胡同中,遠遠地飄過来“蘿蔔賽梨啊 ―― 辣了換 ―― ”的市声,清脆而悠揚地劃破夜空,伝人一所所的四合院中,直到炉辺,打断好友的夜談,打断学子的夜読,也驚醒旅人的沉思…… 買個蘿蔔去,摸黒出去,開開小院門,喊住売蘿蔔的。那穿着布棉襖、戴着氈帽的朴実的漢子,把肩上的背箱卸下,把手提的小煤油灯放在背箱的板上,掀起箱蓋下的棉簾子,拿出一个緑皮的蘿蔔,左手托着,右手拿起一把小刀,用拇指貼牢,嗖sou1嗖sou1嗖sou1几下子,便把蘿蔔皮切成一个蓮花瓣形。然后再把中間的蘿蔔心垂直,横竪切上几刀,這様中間蘿蔔心変成碧緑、透明的立柱,連皮在一起,就像一朶神話中的玻璃翠玉的花朶子。拿回来,坐在炉子辺,対着紅紅的炉火,一面剥着蘿蔔,放在嘴中慢慢咀嚼,一面閑談。那蘿蔔又涼、又脆、又甜、又微微帯点辣味那滋味不是我的禿筆所能形容的。
・飄 piao1 ただよう。(においや音が)伝わってくる
・市声 shi4sheng1 もの売りの声
・氈帽 zhan1mao4 フェルトの帽子
・嗖 sou1 [擬声語]素早く通り過ぎる時に生じる音。
・横竪 heng2shu4 楯横に入り混じる
・碧緑 bi4lv4 碧玉
・立柱 li4zhu4 円柱
・禿筆 tu1bi3 ちびた筆。悪筆、悪文のたとえ。[例]這種情景,我的禿筆実在難以描写(このような情景は、私のまずい筆ではとても書き表せない)
北京の寒い冬の夜、奥深い胡同の中で、遠くから「梨より美味しい大根だよ――辛かったら取り換えるよ――」というもの売りの声が聞こえてくる。澄んだ抑揚のある声が夜空をつんざき、四合院の中を一ヶ所一ヶ所伝わって行き、ストーブのあたりに伝わり、親友との語らいを遮り、学生の勉強を遮り、旅人を物思いから我に返らせる……。大根を買って来ようと、手探りで家の門を開け、大根売りを呼びとめる。綿入れの上着を着て、フェルト帽子を被った質素ななりの男は、肩に担いだ背箱を下ろし、手に提げた石油ランプを背箱の上に置き、箱の蓋の下の綿の覆いをめくり上げ、緑の皮の大根を一本取り出す。左の手のひらの上にそれを載せ、右手で小刀を持ち、親指でしっかり支え、シュッ、シュッ、シュッ、と何回か手を動かすと、大根の皮は蓮の花びらの形に切り取られる。その後、真中あたりで中心に垂直に、縦横に何回か刀を入れると、大根の中心部は碧玉のようになり、透明な円柱は、皮と共に、神話の中のガラスや翡翠でできた花のようになる。持って帰り、ストーブの傍で、赤々としたストーブの炎に対坐し、大根の皮を剥き、口の中に入れてゆっくりと咬みながら、おしゃべりをする。この大根は冷たく、サクサクと歯ざわりが良く、甘く、またちょっと辛味があり、その滋味は私のまずい筆では形容できるものではない。
■ 《光緒順天府志》記云:
水蘿蔔,圓大如葖tu1,皮肉皆緑,近尾則白。亦有皮紅心白,或皮紫者,只可生食。極甘脆,土人呼為“水蘿蔔”,今京師以西直門外海淀出者優美。
・葖 tu1 “蓇葖”gu1tu1(袋果、つぼみ)という語に用いる
清の《光緒順天府志》の記載に言う:
“水蘿蔔”は丸く蕾のようで、皮と果肉は何れも緑で、尖端近くが白い。また皮が赤く中が白いものや、皮が紫色のものがあり、生食に適する。極めて甘く歯ざわりが良く、土地の者は“水蘿蔔”と呼び、現在は北京の西直門外の、海淀(北京市内の西北部。北京大学や清華大学があるあたり)で産するものが優良である。
■ 吃這種蘿蔔,不但滋味好,情調好,不能提精神、解気悶。因為北京冬季天寒,家家戸戸関門取暖。房中只有三様東西:火炕、煤球炉子、火盆。房中門窓,糊得很厳密。住在里面固然温暖,但却十分干燥,煤気味很重,人并不舒服,這時若吃個又涼、又脆、又爽口的蘿蔔,精神便可為之一振。因之,蘿蔔便成為北京冬日囲炉夜話的清供了。
・情調 qing2diao4 気分
・清供 qing1gong4 “供”は供え物の意味から転じ、愛玩品の意味で用いられる。“清供”は昔の文人の間で、書斎での生活に彩りを与える調度品や文房四宝のことを言った。
こうした大根を食べると、美味しいだけでなく、気持ちもよくなり、気が高ぶらず、イライラを解消することができる。北京の冬は寒く、どの家も閉め切って暖を取る。家の中には三つのものがあるだけである:オンドル、豆炭ストーブ、そして火鉢である。家の入口も窓もぴったり閉め切られている。中に居ると温かいが、たいへん乾燥し、石炭の臭いも甚だしいので、快適ではない。こんな時、冷たく、サクサクとした、さわやかな大根を食べれば、気分がすっきりする。だから、大根は北京の冬にストーブを囲んで夜の語らいをする時の友となった。
■ 康熙時高士奇《城北集灯市竹枝詞》云:
百物争鮮上市夸,灯筵已放牡丹花,咬春蘿蔔同梨脆,処処辛盤食韭芽。
・灯市 deng1shi4 農暦の正月十五日の元宵節に、夜、飾り提灯を飾る習慣があり、その際、謎々や詩を書いた紙がつり下げられた。
・竹枝詞 zhu2zhi1ci2 七言絶句に似た漢詩の形体で、土地の風俗、人情が詠まれた。
・咬春 yao3chun1 立春の日に大根を食べる習慣をいう。
・辛盤 xin1pan2 昔、農暦の正月一日に、ネギ、ニラなどの五種類の辛味のある野菜を皿に並べて皆で食べ、新しい年の到来を祝ったもの。
清・康煕帝の時、高士奇は《城北集灯市竹枝詞》でこう言っている:
様々なものが新鮮さを競い、市場で売り出されている。提灯で明るく照らされた宴席にはもう牡丹の花が置かれ、出された大根は梨のように歯ざわりが良い。各テーブルに置かれた皿からは韮や葱が食べられている。
■ 詩后注云:“立春后竟食生蘿蔔,名曰‘咬春’,半夜中,街市猶有売者,高呼曰:‘賽過脆梨。’”
詩の後の注に言う:「立春の後、生の大根を食べることを、“咬春”という。夜ふけになっても、街にはなお物売りがいて、大きな声で「梨より歯ざわりが良く美味しいよ」と呼ばわっている。」
■ “蘿蔔賽梨啊 ―― 辣了換!”
這種市声従清初就有,可見這已是二三百年的古老市声了。不過高士奇着重説的是立春,立春俗名打春,或在正月,或在腊月,按節気推算,在旧暦上日期并不固定,而売蘿蔔則一交厳冬就有,足足可売一冬天。旧時北京冬夜中,有四種市声均可入詩,作為歌風的好題材,一是売硬面餑餑bo1bo的,二是売蘿蔔的,三是売“半空儿”的,四是売煤油的。
・硬面餑餑 ying4mian4bo1bo “硬面”は固くこねた小麦粉。“餑餑”は小麦粉を使った焼き菓子、クッキー。
・半空儿 ban4kong1r “半空”とは半分が空のこと。“半空儿”とは、殻より身がずっと小さいピーナッツのことで、その方が香ばしく美味しいと好まれた。
「梨より美味しい大根だよ――辛かったら取り換えるよ!」
こういうもの売りの声は清の初めからあったので、既に二三百年経った古いものであることが分かる。しかし高士奇が殊更に言ったのは“立春”である。立春は俗に“打春”と呼ばれ、或いは正月、或いは12月で、節季から計算され、旧暦では日にちは変化する。また、大根は冬の寒さが厳しくなると現れ、冬中出回る。昔の北京の冬の夜は、四つのもの売りの声が詩に取り上げられ、歌の雰囲気を作る良い題材であった。その一つは“硬面餑餑bo1bo”(クッキー)売り。二つ目は大根売り。三つ目はピーナツ売り。四つ目は灯油売りであった。
■ “半空儿 多給!”
其声穿破夜空,飄揚在長長的胡同中,也是囲炉時最愛聴到的市声。“走,買半空儿去!”“半空”者,份量軽而干癟bie3的炒落花生也,吃起来,比顆粒飽満的要香得多呢!
・干癟 gan1bie3 干からびる。
「半空儿(ピーナツ)、おまけしとくよ!」
その声は夜空をつんざき、長い長い胡同を伝わり、ストーブを囲んでいる時も最も好きなもの売りの声であった。「さあ、半空儿(ピーナツ)を買いに行こう!」 “半空”というのは、分量が少なく、干からびたピーナツを炒ったものである。食べてみると、粒が大きく殻にいっぱい詰まっているものよりずっと香ばしい!
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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