今回の習近平副主席のアメリカ訪問は、現在のアメリカにとっての中国の重要性を反映して、たいへん中身の濃いものでした。中国側も、それに十分な準備をして応えており、それは発言の中の言葉の内容にも表れています。
今回取り上げようと思うのは、2月14日、ワシントンでバイデン副大統領と中米両国の企業家との座談会に出席したことに関する記事からの抜粋ですが、詩の引用など、修辞を凝らした文章です。
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( ↓ クリックすると、中国語原文が表示されます)
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習近平はこう語った:中米が再び交流の扉を開いて40年というもの、両国の企業家は手を携え協力し、中米の経済貿易協力、更には両国関係の発展のため、重要な貢献をし、且つまたその過程で発展のチャンスを享受し、「額に汗して働いて、初めて収入が得られる」のだということを実際に示した。現在、世界経済復活の不安定さ、不確定さが増しているという背景の下、中米両国と両国企業が協力を強化する必要性と緊迫性は益々際立ってきている。
習近平は心から両国の企業家に言葉をかけた:
(一) 機会を見分け、補まえるのに巧みであれ。現在、中米は経済発展方式の転換を行う大切な段階にある。両国の経済の議事日程は高度に補完し一致しており、協力の範囲は幅広い。両国の企業家がチャンスを補まえ、数多くの協力の潜在力を、全面的にお互いにメリットがあり、共に勝利することができる、実際の成果に転化されることを希望する。
(二) 「物事は長い眼で見るのがよろしい。」起業家の視野が、その人物の程度を決定し、その地位を決定する。企業家の皆さんが「浮雲が視界を遮るのを恐れず」、ちょっとした阻害要因によって二の足を踏むことなく、長い眼で見て、より多くの、より良い、両国の消費者の需要に合った製品やサービスを提供することを希望する。
(三) 経済・貿易の深化は、両国関係の中で「バラスト」、「プロペラ」の役割である。両国の企業家と商業組織が引き続き中米経済・貿易協力に関心を持ち、支持し、それに参与し、経済・貿易問題の政治化を有効に防止し、各種のあってはならない干渉を全力で回避し、中米経済貿易協力と中米関係の大局を共同で擁護することを希望する。
(四) 経営に真心がこもっており、世の中の全ての人を救済し、企業の社会責任をちゃんと果たさなければならない。両国の企業家は、市場を開拓し、自身が大きくなると同時に、より一層社会に還元し、両国人民に中米経済貿易協力の中からより多くの利益を得られるようにすることを希望する。
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それでは、文中で使われている言葉について、見ていきましょう。 この段落の中で、詩から引用した言葉が二つ出てきます。
先ず、表題に使った「風物長宜放眼量」。これは、毛沢東が尊敬していた、国民党左派の重鎮、柳亜子に贈った詩、《和柳亜子先生》の一節。“風物”は物事の意味で、「物事を見るには、視野を長くするのが良い」という意味です。
もう一つは、「不畏浮雲遮望眼」。「浮雲が視界を遮るのを恐れない」とは、目先のちょっとした阻害要因に浮足立たず、決めた路線を迷わず進めなさい、との意味。宋の王安石が杭州の風景を詠んだ詩、《等飛来峰》の一節です。
「一分耕耘,一分収穫」は成語で、「額に汗して働いて初めて、収入が得られる。働かざる者、食うべからず」の意味。一分~、一分~と字数が同じ整句で、対偶法の修辞を使っています。また平仄で言うと、“耘”は平、“穫”は仄であるので、この二句で完結感があり、収まりの良い言葉です。
[対偶法] 語格や意味の相対した語句を用いて表現効果を強める修辞技法。
“圧艙石”とは、積荷の無い時に、船の転覆を防ぐ重りの石。バラストです。“推進器”とは、船を前進させるスクリューの意味。経済活動の、米中関係に於ける積極的な役割を、船の重要機能に譬えて、説明しています。
「兼済天下」は、孟子に出てくる言葉で(《孟子・尽心上》)世の全ての人々を救済する、という意味です。
このように、ごく短い段落ですが、実に様々な修辞技法や先人の文章を引用し、言葉の意味を強め、また聞いて快い文章に仕上げています。
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「風物長宜放眼量」の句を引用した、毛沢東の《和柳亜子先生》ですが、その内容は、その背景の出来事を知っていないと理解しづらいですが、歴史の足跡を追いながら読むと、中国現代史上の人々の姿が生き生きと浮かび上がってきます。
毛沢東 《七律・和柳亜子先生》
1949年4月29日
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粤海(広東)にて飲茶せしこと、未だ忘れ難し、
句を渝州(重慶)に求めしは葉が正に黄色き時。
三十一年、旧国(北京)に還る。落花の時節、華章(すばらしい詩)を読む。
牢騒(不平)甚だ盛んにして断腸なる(思い)を防がん、
風物(物事)は長しえに眼量を放つ(長い目で見る)が宜し。
(北京・頤和園の)昆明池の水の浅きを言うなかれ、
魚を観る(政治に携わる)には(あなたの故郷を流れる)富春江に勝る。
初めてあなた(柳亜子)と会ったのは、広州でした(1926年5月の国民党二期二中全会で)。
重慶でお会いして私の詩(《沁園春・雪》)を求められたのは、葉が黄色く色づく季節でした(1945年8月から40日に亘る重慶での国民党と共産党の和平協議を指す)。
31年ぶりに北京に戻り、花の落ちる季節に、あなたのすばらしい詩を読むことができました(1949年に北京を解放、そこで柳亜子より《感事呈毛主席一首》を贈られたことを指す)。
あなたは詩の中で不平不満を述べておられますが、そんなことはありません。
物事は、長い眼で見るのがよろしい。
北京でいっしょに新しい国づくりに参加することは、故郷で隠棲されるより面白いですよ。
さて、この詩は、題が《和柳亜子先生》(柳亜子先生に和する)なので、当然、この答礼の詩の前の原詩が存在します。それが、次の柳亜子《感事呈毛主席一首》です。
柳亜子 《感事呈毛主席一首》
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天地開闢し、君は真の健児となる。
項羽は劉邦に従うべしと説かれても、我は大いに難し。
席を奪い経を談じるは五鹿にあらず、車が無いと剣を弾いて怨むは馮驩。
頭では早くも平生の賎しきを悔い、肝胆寧ろ忘れん一寸の丹。
安んぞ南征して馳せて捷報を得ん。
分湖は即ちこれ子陵灘。
天命が定まり、あなたは真の英雄となられた。
負けた項羽は勝った劉邦に従うべきだと言われても、私は従うことはできない。
私は他と競って経典を論じる学問はあるが、五鹿充宗のような権勢は無い。
孟嘗君に車がもらえないことを剣を弾いて抗議した食客の馮驩のようなものだ。
生まれつき卑賤の身であったのだから、嘗て束の間、政治の表舞台に出たことは、寧ろ忘れてしまおう。
これから南征しても、勝利を得るのは難しいだろう。
故郷の分湖のある呉江へ帰ろう。
勝った共産党、負けた国民党を劉邦と項羽に譬えて、もはや勝敗は決した、かといって、今さら勝者に従うのも潔しとせず、寧ろ引退して故郷に帰ろうと言っているのです。
毛沢東と柳亜子
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