中国語学習者のブログ

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中国の泥人形(3)河北省白溝鎮の泥人形

2021年06月08日 | 中国文化

白溝泥人

 

河北省内には泥人形の産地がいくつかありますが、その中でも有名なのは、新城県白溝泥人、泊鎮泥人、玉田泥人、保定泥人などです。ここでは新城県白溝鎮の泥人形を紹介します。

 

白溝鎮は、現在は行政的には河北省保定市高碑店市の管轄となっています。高碑店市の東南部で、東に雄県と接します。雄県は北京市の副都心として建設されている雄安新区の所在地で、白溝も近年は発展が著しく、急速に都市化してきています。北京、天津からだいたい100~120キロの距離にあります。白溝河東岸に位置することからその名があります。

 

白溝と北京、天津の位置関係

 

ちなみに、河北省の他の泥人形の産地ですが、泊鎮は河北省滄州市泊頭市に属します。玉田は河北省唐山市に属します。河北省の東北部で、唐山市の最西端に位置します。

 

さて、白溝鎮は歴史上も重要な民間玩具の産地で、泥人形だけでなく、花火や爆竹、布老虎(布で作られた虎の人形)、木製の刀や槍でも名が知られています。白溝鎮付近には多くの玩具生産専業の村が分布し、清朝末期には、各村それぞれ固有の製品が形成されていました。南劉村では「旗花」(花火の一種)を生産し、北劉村では泥人形を作りました。轆轤把村では専ら泥公鶏(雄鶏の泥人形)を作りました。花子営では花火、小謝村では「滴滴金」(花火の名前)と「陶模」(火を入れて焼き固めた泥人形の型)を作りました。市(赶集)が立つ度に、白溝鎮の「十大坑」(白溝鎮内の地名)では民間玩具を専門に販売する「泥娃娃市」が立ち、各村の玩具を集中的に販売しました。白溝鎮で作られた花火や泥人形は、北京まで売りに行かれ、北京城内の廟会(寺院の縁日)や「廠甸」の重要な商品となっていました。「廠甸」というのは、明清時代、北京の瑠璃窯の前に広い空き地があり、民国6年(1917)ここに海王村公園が作られ、旧暦正月の一日(春節)にこの付近に屋台が集まり物販が行われ、人々が集まったのを「逛廠甸」(「廠甸」を見物する)と言ったのが由来です。今は家が立て込んでいますが、瑠璃廠古文化街として、書画骨董を販売する店が並んでいます。現在の瑠璃廠が曾ての廠甸です。古くからの北京っ子の間では、白溝鎮のおもちゃはよく知られていました。

 

白溝鎮北劉荘には代々玩具作りをしている家がいくつもあり、特に泥人形作りを得意としていました。ここの泥人形は全て型から作られ、原型を土で作って乾かし、それを粘土で型に取り、それを窯で焼いて作った陶器の型から白地を作ります。白粉で白地に色を付けて上絵を描き、表面にニスを塗って仕上げます。泥人形の頭のてっぺんにはヨシ笛が付けられていて、泥人形の背中には空気の取り入れ穴があり、息を吹くと、ピーッと澄んだ音がよく響き、子供たちにたいへん好まれました。

 

白溝の泥人形は造形が簡潔で、色彩は鮮やかで、素朴でおおらかです。表現する題材は広範囲に亘りますが、子供の人形と芝居の一場面(「戯出」と言います)が最も典型的なものです。子供の人形には「吉慶有余」があり、男女の子供一組が、一人は鶏を抱き、一人は魚を抱いています。或いは片方は鶏に乗り、もう一方は魚に乗ったものもあります。

吉慶有余

吉慶有余(その2)

 

「麒麟送子」、「招財進宝」、「五谷豊登」という題材では、大きいもので30センチくらい、小さいのが10数センチです。「戯出」は芝居の場面に取材した泥人形であり、一人、二人組、三人組の三つの形式があり、大きいのが60センチぐらい、小さいのが10数センチくらいです。二人組のものが「梁祝」(梁山伯与祝英台)、「天仙配」、「孟良焦賛」、「関羽周倉」、「蘇三起解」、「小放牛」など。三人組のものが「劈山救母」、「白蛇伝」、「三進宮」、「桃園三結義」、「三娘教子」など。人物の多くは、「河北梆子」(河北省の地方劇。「梆子腔」と言って、拍子木で拍子をとりながら歌う)の舞台から取られています。二人組でも三人組でも、一つの型から抜いて作り、「連体式」と言って、人物と人物の間に隙間がありません。まとめて型を取って、全体の強度を確保しています。単体の泥人形は、表情がより豊かです。「八仙人」は一組八人で構成されています。「西遊記」は一組四人です。「三国演義」、「水滸」は一組が十数人から数十人に達します。「戯出」の中で、「刀馬人」は室内の装飾用の大型の泥人形で、高さは60センチ近くあり、左右の二体の人形が向かい合い、造形は木版画の「門神」に似ています。手に武器を持ち、母屋の中央の部屋の、出入口に面して置かれる方形の細長い机の上に、置時計か、正面の壁に掛かる掛け軸の両側に置かれ、邪を避け、祟りを除き、家内安全の効果があると信じられていました。

戯出・穆桂英

刀馬人

 

もうひとつ、もっと小さな泥人形があり、高さは約5センチ、型で作られ、絵付けがされ、品種がたいへん多く、男女、年寄、子供、芝居の男役、女形、敵役、脇役と、何でもそろっています。古今の神話や伝説、歴史上の人物と、含まれないものはありません。職人たちは自分たちの生活の認識と理解に基づき、思いのままにこうした小型の泥人形を作り、それぞれ頭にヨシ笛を付け、背中に穴を開け、吹くとピーッと音がするようにしました。

白溝泥人

 

白溝鎮の西側に位置する轆轤把村は「泥公鶏」(雄鶏の泥人形)の生産で有名です。ここで作られる「泥公鶏」は質素で簡潔ですが、力強く、豊満で、華北地区の泥玩具の代表作です。「泥公鶏」は大、中、小三種類あり、大は高さ約25センチ、小は約6センチです。「大公鶏」(雄鶏の大)は大型の泥人形と同様、高い工芸技術が要求されます。型に土を入れる時、先ず土を薄く伸ばして、刀で型の外形と同じ形状に裁断します。型の中に草木を焼いた灰を撒き、裁断した土片を型に押し込み、二枚の型を合わせて底を閉じ、ヨシ笛を挿入します。土の本体が水気を十分含んだら型から取り出し、乾かせば、白地は完成です。

泥公鶏

 

白溝の泥人形は、「泥公鶏」であれ他の人形であれ、全て白粉で下地を塗り、人形の種類によって彩色や絵付けを行います。泥人形の色彩はたいへん鮮やかですが、主要な部分の表現に注意し、適度に空白を残しています。泥人形の顔、鶏の頭部、台座の部分には何れも白粉の下地が露出し、色は深紅、深緑、淡緑、淡い黄色、深い紫が主に用いられます。着色後、墨の線で輪郭や模様を描き、顔を描きます。彩色部分の筆のタッチはさっぱりしていて自由で、墨の線はよどみがありません。

 

白溝鎮の東方10キロに小謝村があり、この村では専ら子供が型に土を詰めて遊ぶための陶製の型(「陶模」)を作っていました。陶製の型は円形で平たく、大小二種類あり、型の大は直径約6-7センチ、小は4-5センチで、低温で焼いて作り、オレンジ色をしています。制作方法は、先ず円形の木の板の上に図案を彫り、粘土で円形の型を写し取り、乾燥させたら、粘土の型と麦わら、米ぬかやのこぎり屑などの燃料を、一層毎に隔てて敷いて積み上げ、外側は泥で密閉し、てっぺんと端に空気穴を開け、燃料に点火して十数時間焼いて、陶器の型を作ります。

陶模

 

小さな陶器の型で泥人形を作るのは、子供にとってたいへん良い手先を使う作業になり、型から取り出した土の平たい人形は、瓦当(軒瓦の先端の模様)によく似ています。陶器の型の図案はたいへん豊富で、500種類以上あり、表現している題材は、歴史人物、生活風景、動物、植物や野菜、果物、吉祥図案などがありました。

陶模(農耕する人)

 

小さな陶器の型の中に、広い世界の様々な情景が描かれ、農村の子供たちにとって、遊びの道具であるとともに、学びの道具でもありました。「陶模」の図案は、陰刻か陽刻の何れかで、簡潔で素朴で、大胆で直感的で、わざとらしさが無く、簡単な線と面とで対象を描くのを特徴としています。「陶模」は価格の安いものですから、農村の子供たちにとっても手に入りやすく、遊ぶのに適していました。子供たちは、型を抜いて泥細工を作ることを通じて様々な知識を学び、手先と頭を使う訓練をすることができました。