次期の中国共産党総書記、そして国家主席となる習近平が、2月13日より17日まで、アメリカを訪問しています。これに対し、アメリカ側は最大級の受け入れをし、また中国側も十二分の準備をして乗り込んでいる様が、連日の報道から感じられます。
これからご紹介するのは、既に多くの方が目にされたでしょうが、15日昼、ワシントンで開催された米国友好団体歓迎レセプションでの習近平の講演の中の一節です。
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( ↓ クリックしてください。中国語原文が表示されます)
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皆さん!
中国にこういう諺があります:水を飲む者は井戸を掘った人を忘れない、と。私たちは、嘗て非凡な戦略眼と卓越した政治力で中米友好協力の扉を開いた両国の先輩指導者をいつまでも心に思い描くでしょう。40年前、ニクソン大統領は中国に歴史的な訪問をし、毛沢東主席、周恩来総理とニクソン大統領は太平洋を跨いだ握手と戦略会談を行い、両国の長年お互いを隔絶させていた堅い氷を打ち破りました。40年来、とりわけ国交を結んで33年というもの、両国人民の友好は絶えず深まり、お互いの協力は絶えず拡大し、利益の融合は益々緊密になり、両国人民に継続して幸福をもたらし、アジア太平洋地域と世界の平和、安定、繁栄を促進しました。中米関係は風雨も経験しましたが、全体としては、絶えず前進を続けてきました。こういう詩があります:「青山は遮りおおせず、畢竟、東に流れゆく」と。平和と発展が既に時代のテーマとなっている条件下では、中米の友好と協力は大勢の向かうところであり、人心の向かうところであり、妨げることはできず、逆行することはできないのです。
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「青山遮不住,畢竟東流去」がここで引用された訳は、青山で人間の視線は遮ることができるけれども、川の水までは止めることができず、そのまま東へ流れてゆく。それと同様、中米関係の発展も、誰も妨げることはできない、と言っているのです。
この詩は、南宋の辛棄疾の《菩薩蛮 書江西造口壁》から引用されたものです。
■[2]
□[2]
菩薩蛮 江西の造口の壁に記す
作者:辛弃疾
郁孤台の下、清江の水、中間、行人の涙多少ぞ。
西北に長安を望めば、憐れむべし無数の山。
青山は遮りおおせず、畢竟、東に流れゆく。
江の晩は正に余を愁わしめ、山深く鷓鴣(シャコ)を聞く。
造口は、別称、口ともいい、江西省万安県西南60里の贛江(gang4jiang1)の船着き場。郁孤台は江西省贛県の西南にあった山の名で、一名を賀蘭山という。清江は贛江のこと。長安は、北宋の汴京(bian4jing1)、すなわち開封のこと。
この詩は、1176年(宋孝宗淳熙三年)、辛弃疾が刑務官の職を得て贛州に赴任する際、途中、造口を通った際に作ったもの。作者は47年前、北から侵略してきた金軍に追われ、この造口に辿り着いた隆裕太后一行のことを回想し、韃虜により都を追われた宋王朝のことを思い、涙しています。すなわち、故郷の中原の方を向いても、山に隔てられ、故郷を望むことはできないが、川の流れは相変わらず東に流れて行くと、都を追われた無念さを歌っているのです。
菩薩蛮は、漢詩の一つの形です。菩薩蛮というのは、元々、唐代、音楽を司った教坊の楽曲の一つの形態でした。言葉の意味は、ペルシャ語のMussulman、或いはそれが訛ったBussurmanを中国語に音訳したもので、意味はイスラム教徒(ムスリム)の意味です。唐代に中国にやって来た西域のペルシャ人達がもたらした節回しの楽曲であったのでしょう。その後、詞牌、すなわち詞(詩)を歌う時のメロディーとして、この菩薩蛮の形式が使われるようになりました。したがって、唐代から、詞が盛んに作られた宋代に、菩薩蛮が多く作られました。7言句が2句続いた後、5言句が続くという独特の構造をしています。
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