紅楼夢 第一回 (その二)
前回、浮世に降りて様々な人生模様を経験した石は、また元の青梗峰のふもとに戻ります。今回は、その続きを読んでいきます。
后来,又不知過了几世几劫,因有个空空道人訪道求仙,忽従這大荒山無稽崖青梗峰下経過,忽見一大塊石上字迹分明,編述歴歴.空空道人乃従頭一看,原来就是無材補天,幻形入世,蒙茫茫大士,渺渺真人携入紅塵,歴尽離合悲歓炎凉世態的一段故事.后面又有一首偈云:
[訳]その後、何世何劫(ごう)過ぎたか知らないが、空空道人という人が道を求め仙人になる修業のため、偶然にこの大荒山無稽崖青梗峰の下を通り過ぎ、ふと大きな石の上の文字がはっきりと書かれており、お話がひとつひとつ述べられているのを見た。空空道人はそこで最初から一読したところ、才がなく天を繕うことができなかったが、形を変え人間社会に入り、茫茫大士、渺渺真人に連れられ浮世に入り、離合集散、悲しみや歓び、移ろいやすい人情を経験し尽くした物語であり、後に一首の偈(げ)が書かれ、それが言うには;
● 字迹 zi4ji4 筆跡。文字
● 茫茫 mang2mang2 広々として、果てしがない
● 渺茫 miao3mang2 渺茫(びょうぼう)とする。ぼんやりして、はっきりしないこと。
● 炎凉 yan2liang2 暑さと涼しさ→人情の移り変わりの激しさのたとえ。相手の地位などが変わるとすぐに態度を変えること
[例]人情冷暖,世態炎凉:人情は変わりやすく、世間は薄情なものだ
● 偈 ji4 偈(げ)。仏の教えを詩の形で述べたもの
(以下、偈の内容)
無材可去補蒼天,枉入紅塵若許年.
[訳]才無く蒼天を繕いにゆくことなく、いたずらに浮世に入ること若干年。
● 枉 wang3 むだに。いたずらに
此系身前身后事,倩誰記去作奇伝?詩后便是此石墜落之郷,投胎之処,親自経歴的一段陳迹故事.其中家庭閨閣瑣事,以及閑情詩詞倒還全備,或可適趣解悶,然朝代年紀,地與邦国,却反失落無考.
[訳]これは我が身の前世のことを後に記したものだが、はて誰に頼んでこのような伝奇小説としたものだろう。詩の後が、この石が降り立った町、生まれ変わった所のことや、自ら経験した事跡の物語である。その中には家の閨房での些細な事や、なぐさみの詩が全て揃っており、或いは暇つぶしに適しているかもしれないが、いつの王朝のことか、年代や、場所、どこの国(地方)でのことか、その考察が抜け落ちていた。
● 倩 qian4 人に頼み。代わりに
● 投胎 tou2tai1 生まれる(人間が死後、その霊魂が母胎に入り、もう一度生まれる)
● 陳迹 chen2ji4 昔の事柄。過ぎ去った事柄。古い記憶
● 瑣事 suo3shi4 こまごまとした事
空空道人遂向石頭説道:“石兄,你這一段故事,据你自己説有些趣味,故編写在此,意欲問世伝奇.据我看来,第一件,無朝代年紀可考,第二件,并無大賢大忠理朝廷治風俗的善政,其中只不過几个異様女子,或情或痴,或小才微善,亦無班姑,蔡女之能.我縦抄去,恐世人不愛看呢。”
[訳] 空空道人はそこで石に言うには、「石さん、この物語は、あなたが言うにはおもしろいので、ここに書き記し、伝奇小説として世に問いたいとのことですが、私が見たところ、第一に、いつの王朝のことか年代が考察できません。第二に、大賢大忠が朝廷を管理し風俗を治める善政をしたことが書かれておらず、ただ何人かの変わった女性の痴情のこと、或いは小才微善のことしか書かれておらず、班姑、蔡女のような徳のある人のことも書かれていません。私はよしんばこのまま書き写して世に問うても、世間の人々が読んでくれないのではないかと思いますが。」
● 班姑、蔡女 二人の歴史上の才女。班姑:班昭のこと。後漢の人で、兄、班固は歴史書《漢書》を著した。班姑は後漢の宮中に出入りし、皇后や女官達に書を教え、女性に対する教育書、《女戒》を著した。 蔡女:蔡文姫。後漢末~三国時代の人。本名は蔡琰。琴の名手。父親の蔡邕は曹操の親友である。23歳の時、匈奴に拉致され、左賢王・納の王妃にされ、南匈奴に居ること12年。このことを知った曹操が建安十三年(208年)に使者を派遣し、黄金千両、白壁一双で以て魏に連れ戻した。その後、董祀の妻となり、娘は晋の司馬懿の息子の司馬師の妻となった。
石頭笑答道:“我師何太痴耶!若云無朝代可考,今我師竟假借漢唐等年紀添綴,又有何難?但我想,歴来野史,皆蹈一轍,莫如我這不借此套者,反倒新奇別致,不過只取其事体情理罷了,又何必拘拘于朝代年紀哉!
[訳]石は笑って言った・「わが師はなんとばかなことをおっしゃるのか。もしいつの時代のことかわからないとおっしゃるなら、先生が仮に漢や唐の年代をつけて文を綴ることは、別に難しくもござりますまい。けれど私が思いますに、これまで野史(私撰の歴史書)は皆同じ過ちを犯しており、私は同じ轍を踏まないよう、また却って変わっていて気が利いており、事の事情と情理を言っているだけなので、どうして王朝や年代にこだわる必要があるだろう。
● 蹈一轍 [類]重蹈覆轍 chong2dao3fu4zhe2 覆轍(ふくてつ)を踏む。同じ過ちを繰り返す
● 別致 bie2zhi4 奇抜である。ちょっと気が利いていて趣がある
再者,市井俗人喜看理治之書者甚少,愛適趣閑文者特多.歴来野史,或訕謗君相,或貶人妻女,奸淫凶悪,不可勝数.更有一種風月筆墨,其淫穢汚臭,屠毒筆墨,壊人子弟,又不可勝数.至若佳人才子等書,則又千部共出一套,且其中終不能不渉于淫濫,以致満紙潘安,子建,西子,文君,不過作者要写出自己的那両首情詩艶賦来,故假擬出男女二人名姓,又必旁出一小人其間撥乱,亦如劇中之小丑然.
[訳]また、市井の俗人で理治の書を読むのが好きな者はごく少なく、手慰みの文章を好む者は多く、これまでの野史は君主の悪口を言ったり、人妻をけなしたり、みだらで凶悪なものは、数えきれないほど多い。さらにある種の色ごとの文章は、みだらで汚らわしく、有害な文章で、若者に悪い影響を与えるものも、数えきれない程多い。佳人才子等の書は、皆同じような調子であり、その中で遂にはみだらな行いにかかわらざるを得ず、紙面中が潘安、子建、西子、文君といったお決まりの人物の話となり、作者は自分の情詩艶賦を書いては、仮に男女二人の名前になぞらえ、また傍からは小人が間に入って来て、劇中の道化のような役回りをすることになるのである。
● 訕謗 shan4bang4 皮肉を言い、悪口を言う
● 奸淫 jian1yin2 みだらな
● 不可勝数 bu4ke3sheng4shu4 数えきれない
● 淫穢 yin2hui4 淫猥である。みだらである
● 千部共出一套 qian1bu4gong4chu1yi1tao4 =千部一腔 qian1bu4yi4qiang1 皆同じ調子である
● 淫濫yin2lan4 みだらな行いであふれる
● 潘安 潘岳。西晋時代の文学家。一般に中国第一の美男子として知られ、,「貌若潘安」というのは、中国人の男性の容姿への最高の褒め言葉。
● 子建 曹植。三国時代の魏の人で、曹操の妻・卞氏が生んだ第三子。詩才があったが、兄・曹丕に疎まれ、罪に落され殺害された。
● 西子 西施のこと。西施、王昭君、貂蝉、楊玉環は中国古代の四大美人と呼ばれ、西施はその第一で、美人の代名詞。
● 文君 卓文君。前漢時代の才女。富豪・卓王孫の娘で、文人・司馬相如と駆け落ちをした。後、相如の心変わりを怒って《白頭吟》を作った。
● 艶賦 yan4fu4 なまめかしい賦(詩)
● 抜 bo1 こじ入れる
● 小丑 xiao3chou3 道化
且鬟婢開口即者也之乎,非文即理.故逐一看去,悉皆自相矛盾,大不近情理之話,竟不如我半世親睹親聞的這几个女子,雖不敢説強似前代書中所有之人,但事迹原委,亦可以消愁破悶,也有几首歪詩熟話,可以噴飯供酒.
[訳]かつ女が口を開いてぶつぶつ言うのは、文でなければ理であり、ひとつひとつ見ていくと、皆相矛盾しており、たかだか情理の話に過ぎず、私がこの半生で自ら見聞きした数人の女性にも及ばない。前の時代の書物の中の人物よりましだとはよう言わないが、事跡や事の顛末は、憂いを消しうさを晴らすことができ、またたわむれに書いた詩やよく知られた話もあり、おかしくて吹き出したり酒の肴にすることができるのである。
● 鬟 huan2 婦人の結い髪
● 婢 bi4 はしため。下女
● 大不近 da4bu4jin4 =大不了
● 半世 ban4shi4 半生
● 強似 qiang2si4 ~よりましである
● 原委 yuan2wei3 事の顛末
● 歪詩 wai1shi1 たわむれに書いた詩
● 噴飯 pen4fan4 (むせて口の中のご飯を吹き出す)吹き出す。失笑する
至若離合悲歓,興衰際遇,則又追踪躡迹,不敢稍加穿鑿,徒為供人之目而反失其真伝者.今之人,貧者日為衣食所累,富者又懐不足之心,縦然一時稍閑,又有貪淫恋色,好貨尋愁之事,那里去有工夫看那理治之書?所以我這一段故事,也不愿世人称奇道妙,也不定要世人喜悦検読,只願他們当那醉淫飽卧之時,或避世去愁之際,把此一玩,豈不省了些寿命筋力?
[訳]離合集散、悲喜こもごも、興隆衰退のめぐりあわせの如きは、事跡を追求し、敢えて多少のこじつけをするようなことはせず、ただ人の目に供すると、却ってその真意を伝えることができない。今の人は、貧しきは日々衣食の蓄積を思い、富める者も懐の不足を思い、たとえ一時のちょっとした暇にも、淫らなことや色恋沙汰を追い求め、良い品物の事を心配しており、どこに時間があってどのような理治の書を読むというのだろうか。したがって私のこの物語では、世人に珍しいことや不思議なことを説こうとは思わず、必ずしも世人に喜んで読んでもらおうとは思わず、ただ人々が酒を過ごし満腹で横になった時に、或いは世間を避けて憂いを晴らす際に、これをご覧いただけば、寿命を延ばし緊張を緩めないことがありましょうか。
● 際遇 ji4yu4 (主としてよい)めぐりあわせ
● 追踪躡迹 zhui1zong1nie4ji4 =按迹循踪 事跡に基づく
● 穿鑿 chuan1zao2 こじつける
● 縦然 zong4ran2 たとえ~としても
就比那謀虚逐妄,却也省了口舌是非之害,腿脚奔忙之苦.再者,亦令世人換新眼目,不比那些胡牽乱扯,忽離忽遇,満紙才人淑女,子建文君紅娘小玉等通共熟套之旧稿.我師意為何如?”
[訳]かのうそ偽りの追及に比べれば、ことばから起こるいざこざや、それにより忙しく走り回る苦しみを省くことができます。また、世人の目先を換えることは、あのでたらめにこじつけ、離合集散し、どの頁も才人淑女、子建、文君、紅娘、小玉といった誰でも知っている陳腐な話とは比べものにならないでしょう。我が師のご意見は如何でありましょう。
● 謀虚逐妄 mou3xu1zhu2wang4 うそ偽りを求める
● 口舌是非 kou3she2shi4fei1 おしゃべりから起こるいざこざ
● 腿脚奔忙 tui3jiao3ben1mane2 忙しく走り回る。東奔西走する
● 紅娘 《西廂記》に登場する主要人物の一人で、聡明な侍女
空空道人聴如此説,思忖半晌,将《石頭記》再検閲一遍,因見上面雖有些指奸責佞貶悪誅邪之語,亦非傷時罵世之旨,及至君仁臣良父慈子孝,凡倫常所関之処,皆是称功頌,眷眷无窮,実非別書之可比.雖其中大旨談情,亦不過実録其事,又非假擬妄称,一味淫邀艶約,私訂偸盟之可比.因毫不干渉時世,方従頭至尾抄録回来,問世伝奇.従此空空道人因空見色,由色生情,伝情入色,自色悟空,遂易名為情僧,改《石頭記》為《情僧録》.東魯孔梅溪則題曰《風月宝鑑》.后因曹雪芹于悼紅軒中披閲十載,増刪五次,纂成目録,分出章回,則題曰《金陵十二釵》.并題一絶云:
[訳]空空道人はこれを聞くと、しばらく思案していたが、《石頭記》をもう一度検討しつつ読み進めた。内容には悪賢い立ち回りのうまい者を責め、悪を貶め邪を懲らしめる言葉があるが、時世を批判するような趣旨ではないし、君子の仁、家臣の良、父の慈しみ、子の孝に至っては、凡そ人倫の道の関わる処であり、皆功や徳を誉め称え、深い思いやりの気持ちは、他の書の比ではない。その中には大いに愛情を語っているところがあるが、その事実を記録しているに過ぎず、想像をたくましくして、ひたすら淫らなことを追い求め、色ごとを誘い、人目を盗んで契を結ぶものとは比べられない。少しも時世を干渉するものでないので、最初から終わりまで書き写し、世にこの伝奇を問うことにした。これより空空道人は空により色を見、色により情を生じ、情を伝って色に入り、色より空を悟り、遂に名を改め情僧とし、《石頭記》を改め《情僧録》とした。東魯の孔梅溪は《風月宝鑑》と題した。後に曹雪芹が悼紅軒に於いて書をひも解くこと十年、添削すること五度、目録を編纂し、章回に分け、《金陵十二釵》と題した。さらに一絶を題して云うには:
● 思忖 si1cun4 思案する
● 半晌 ban4shang3 やや久しく
● 検閲 jian3yue4 検討しつつ読む
● 奸佞 jian1ning4 卑屈でごますりをする(人)
● 倫常 lun2chang2 人倫の道
● 眷眷 juan4juan4 懇ろに思う。深く思いやる
● 一味 yi1wei4 ひたする。一途に
● 披閲 pi1yue4 =披覧:書籍を開けてみる
● 増刪 zeng1shan1 添削する
● 纂 zuan3 編纂する
満紙荒唐言,一把辛酸涙! 都云作者痴,誰解其中味?
[訳]満紙 荒唐の言、一把 辛酸の涙。皆云う作者は痴なりと、誰か知るその中味を。
(文章全体、荒唐無稽の言葉で満ちている。辛酸の涙が溢れる。皆が作者は気が狂っていると言うが、この文の真の意味を理解している者は誰もいない)
出則既明,且看石上是何故事.按那石上書云:
[訳]文の出処は明らかになった。はてさて石の上にはどのような物語が書かれていたのか。石の上の書によれば……
これより話の舞台は下界に降り、様々な登場人物が出てくることになります。ここから先は、次回に見ていきましょう。
前回、浮世に降りて様々な人生模様を経験した石は、また元の青梗峰のふもとに戻ります。今回は、その続きを読んでいきます。
后来,又不知過了几世几劫,因有个空空道人訪道求仙,忽従這大荒山無稽崖青梗峰下経過,忽見一大塊石上字迹分明,編述歴歴.空空道人乃従頭一看,原来就是無材補天,幻形入世,蒙茫茫大士,渺渺真人携入紅塵,歴尽離合悲歓炎凉世態的一段故事.后面又有一首偈云:
[訳]その後、何世何劫(ごう)過ぎたか知らないが、空空道人という人が道を求め仙人になる修業のため、偶然にこの大荒山無稽崖青梗峰の下を通り過ぎ、ふと大きな石の上の文字がはっきりと書かれており、お話がひとつひとつ述べられているのを見た。空空道人はそこで最初から一読したところ、才がなく天を繕うことができなかったが、形を変え人間社会に入り、茫茫大士、渺渺真人に連れられ浮世に入り、離合集散、悲しみや歓び、移ろいやすい人情を経験し尽くした物語であり、後に一首の偈(げ)が書かれ、それが言うには;
● 字迹 zi4ji4 筆跡。文字
● 茫茫 mang2mang2 広々として、果てしがない
● 渺茫 miao3mang2 渺茫(びょうぼう)とする。ぼんやりして、はっきりしないこと。
● 炎凉 yan2liang2 暑さと涼しさ→人情の移り変わりの激しさのたとえ。相手の地位などが変わるとすぐに態度を変えること
[例]人情冷暖,世態炎凉:人情は変わりやすく、世間は薄情なものだ
● 偈 ji4 偈(げ)。仏の教えを詩の形で述べたもの
(以下、偈の内容)
無材可去補蒼天,枉入紅塵若許年.
[訳]才無く蒼天を繕いにゆくことなく、いたずらに浮世に入ること若干年。
● 枉 wang3 むだに。いたずらに
此系身前身后事,倩誰記去作奇伝?詩后便是此石墜落之郷,投胎之処,親自経歴的一段陳迹故事.其中家庭閨閣瑣事,以及閑情詩詞倒還全備,或可適趣解悶,然朝代年紀,地與邦国,却反失落無考.
[訳]これは我が身の前世のことを後に記したものだが、はて誰に頼んでこのような伝奇小説としたものだろう。詩の後が、この石が降り立った町、生まれ変わった所のことや、自ら経験した事跡の物語である。その中には家の閨房での些細な事や、なぐさみの詩が全て揃っており、或いは暇つぶしに適しているかもしれないが、いつの王朝のことか、年代や、場所、どこの国(地方)でのことか、その考察が抜け落ちていた。
● 倩 qian4 人に頼み。代わりに
● 投胎 tou2tai1 生まれる(人間が死後、その霊魂が母胎に入り、もう一度生まれる)
● 陳迹 chen2ji4 昔の事柄。過ぎ去った事柄。古い記憶
● 瑣事 suo3shi4 こまごまとした事
空空道人遂向石頭説道:“石兄,你這一段故事,据你自己説有些趣味,故編写在此,意欲問世伝奇.据我看来,第一件,無朝代年紀可考,第二件,并無大賢大忠理朝廷治風俗的善政,其中只不過几个異様女子,或情或痴,或小才微善,亦無班姑,蔡女之能.我縦抄去,恐世人不愛看呢。”
[訳] 空空道人はそこで石に言うには、「石さん、この物語は、あなたが言うにはおもしろいので、ここに書き記し、伝奇小説として世に問いたいとのことですが、私が見たところ、第一に、いつの王朝のことか年代が考察できません。第二に、大賢大忠が朝廷を管理し風俗を治める善政をしたことが書かれておらず、ただ何人かの変わった女性の痴情のこと、或いは小才微善のことしか書かれておらず、班姑、蔡女のような徳のある人のことも書かれていません。私はよしんばこのまま書き写して世に問うても、世間の人々が読んでくれないのではないかと思いますが。」
● 班姑、蔡女 二人の歴史上の才女。班姑:班昭のこと。後漢の人で、兄、班固は歴史書《漢書》を著した。班姑は後漢の宮中に出入りし、皇后や女官達に書を教え、女性に対する教育書、《女戒》を著した。 蔡女:蔡文姫。後漢末~三国時代の人。本名は蔡琰。琴の名手。父親の蔡邕は曹操の親友である。23歳の時、匈奴に拉致され、左賢王・納の王妃にされ、南匈奴に居ること12年。このことを知った曹操が建安十三年(208年)に使者を派遣し、黄金千両、白壁一双で以て魏に連れ戻した。その後、董祀の妻となり、娘は晋の司馬懿の息子の司馬師の妻となった。
石頭笑答道:“我師何太痴耶!若云無朝代可考,今我師竟假借漢唐等年紀添綴,又有何難?但我想,歴来野史,皆蹈一轍,莫如我這不借此套者,反倒新奇別致,不過只取其事体情理罷了,又何必拘拘于朝代年紀哉!
[訳]石は笑って言った・「わが師はなんとばかなことをおっしゃるのか。もしいつの時代のことかわからないとおっしゃるなら、先生が仮に漢や唐の年代をつけて文を綴ることは、別に難しくもござりますまい。けれど私が思いますに、これまで野史(私撰の歴史書)は皆同じ過ちを犯しており、私は同じ轍を踏まないよう、また却って変わっていて気が利いており、事の事情と情理を言っているだけなので、どうして王朝や年代にこだわる必要があるだろう。
● 蹈一轍 [類]重蹈覆轍 chong2dao3fu4zhe2 覆轍(ふくてつ)を踏む。同じ過ちを繰り返す
● 別致 bie2zhi4 奇抜である。ちょっと気が利いていて趣がある
再者,市井俗人喜看理治之書者甚少,愛適趣閑文者特多.歴来野史,或訕謗君相,或貶人妻女,奸淫凶悪,不可勝数.更有一種風月筆墨,其淫穢汚臭,屠毒筆墨,壊人子弟,又不可勝数.至若佳人才子等書,則又千部共出一套,且其中終不能不渉于淫濫,以致満紙潘安,子建,西子,文君,不過作者要写出自己的那両首情詩艶賦来,故假擬出男女二人名姓,又必旁出一小人其間撥乱,亦如劇中之小丑然.
[訳]また、市井の俗人で理治の書を読むのが好きな者はごく少なく、手慰みの文章を好む者は多く、これまでの野史は君主の悪口を言ったり、人妻をけなしたり、みだらで凶悪なものは、数えきれないほど多い。さらにある種の色ごとの文章は、みだらで汚らわしく、有害な文章で、若者に悪い影響を与えるものも、数えきれない程多い。佳人才子等の書は、皆同じような調子であり、その中で遂にはみだらな行いにかかわらざるを得ず、紙面中が潘安、子建、西子、文君といったお決まりの人物の話となり、作者は自分の情詩艶賦を書いては、仮に男女二人の名前になぞらえ、また傍からは小人が間に入って来て、劇中の道化のような役回りをすることになるのである。
● 訕謗 shan4bang4 皮肉を言い、悪口を言う
● 奸淫 jian1yin2 みだらな
● 不可勝数 bu4ke3sheng4shu4 数えきれない
● 淫穢 yin2hui4 淫猥である。みだらである
● 千部共出一套 qian1bu4gong4chu1yi1tao4 =千部一腔 qian1bu4yi4qiang1 皆同じ調子である
● 淫濫yin2lan4 みだらな行いであふれる
● 潘安 潘岳。西晋時代の文学家。一般に中国第一の美男子として知られ、,「貌若潘安」というのは、中国人の男性の容姿への最高の褒め言葉。
● 子建 曹植。三国時代の魏の人で、曹操の妻・卞氏が生んだ第三子。詩才があったが、兄・曹丕に疎まれ、罪に落され殺害された。
● 西子 西施のこと。西施、王昭君、貂蝉、楊玉環は中国古代の四大美人と呼ばれ、西施はその第一で、美人の代名詞。
● 文君 卓文君。前漢時代の才女。富豪・卓王孫の娘で、文人・司馬相如と駆け落ちをした。後、相如の心変わりを怒って《白頭吟》を作った。
● 艶賦 yan4fu4 なまめかしい賦(詩)
● 抜 bo1 こじ入れる
● 小丑 xiao3chou3 道化
且鬟婢開口即者也之乎,非文即理.故逐一看去,悉皆自相矛盾,大不近情理之話,竟不如我半世親睹親聞的這几个女子,雖不敢説強似前代書中所有之人,但事迹原委,亦可以消愁破悶,也有几首歪詩熟話,可以噴飯供酒.
[訳]かつ女が口を開いてぶつぶつ言うのは、文でなければ理であり、ひとつひとつ見ていくと、皆相矛盾しており、たかだか情理の話に過ぎず、私がこの半生で自ら見聞きした数人の女性にも及ばない。前の時代の書物の中の人物よりましだとはよう言わないが、事跡や事の顛末は、憂いを消しうさを晴らすことができ、またたわむれに書いた詩やよく知られた話もあり、おかしくて吹き出したり酒の肴にすることができるのである。
● 鬟 huan2 婦人の結い髪
● 婢 bi4 はしため。下女
● 大不近 da4bu4jin4 =大不了
● 半世 ban4shi4 半生
● 強似 qiang2si4 ~よりましである
● 原委 yuan2wei3 事の顛末
● 歪詩 wai1shi1 たわむれに書いた詩
● 噴飯 pen4fan4 (むせて口の中のご飯を吹き出す)吹き出す。失笑する
至若離合悲歓,興衰際遇,則又追踪躡迹,不敢稍加穿鑿,徒為供人之目而反失其真伝者.今之人,貧者日為衣食所累,富者又懐不足之心,縦然一時稍閑,又有貪淫恋色,好貨尋愁之事,那里去有工夫看那理治之書?所以我這一段故事,也不愿世人称奇道妙,也不定要世人喜悦検読,只願他們当那醉淫飽卧之時,或避世去愁之際,把此一玩,豈不省了些寿命筋力?
[訳]離合集散、悲喜こもごも、興隆衰退のめぐりあわせの如きは、事跡を追求し、敢えて多少のこじつけをするようなことはせず、ただ人の目に供すると、却ってその真意を伝えることができない。今の人は、貧しきは日々衣食の蓄積を思い、富める者も懐の不足を思い、たとえ一時のちょっとした暇にも、淫らなことや色恋沙汰を追い求め、良い品物の事を心配しており、どこに時間があってどのような理治の書を読むというのだろうか。したがって私のこの物語では、世人に珍しいことや不思議なことを説こうとは思わず、必ずしも世人に喜んで読んでもらおうとは思わず、ただ人々が酒を過ごし満腹で横になった時に、或いは世間を避けて憂いを晴らす際に、これをご覧いただけば、寿命を延ばし緊張を緩めないことがありましょうか。
● 際遇 ji4yu4 (主としてよい)めぐりあわせ
● 追踪躡迹 zhui1zong1nie4ji4 =按迹循踪 事跡に基づく
● 穿鑿 chuan1zao2 こじつける
● 縦然 zong4ran2 たとえ~としても
就比那謀虚逐妄,却也省了口舌是非之害,腿脚奔忙之苦.再者,亦令世人換新眼目,不比那些胡牽乱扯,忽離忽遇,満紙才人淑女,子建文君紅娘小玉等通共熟套之旧稿.我師意為何如?”
[訳]かのうそ偽りの追及に比べれば、ことばから起こるいざこざや、それにより忙しく走り回る苦しみを省くことができます。また、世人の目先を換えることは、あのでたらめにこじつけ、離合集散し、どの頁も才人淑女、子建、文君、紅娘、小玉といった誰でも知っている陳腐な話とは比べものにならないでしょう。我が師のご意見は如何でありましょう。
● 謀虚逐妄 mou3xu1zhu2wang4 うそ偽りを求める
● 口舌是非 kou3she2shi4fei1 おしゃべりから起こるいざこざ
● 腿脚奔忙 tui3jiao3ben1mane2 忙しく走り回る。東奔西走する
● 紅娘 《西廂記》に登場する主要人物の一人で、聡明な侍女
空空道人聴如此説,思忖半晌,将《石頭記》再検閲一遍,因見上面雖有些指奸責佞貶悪誅邪之語,亦非傷時罵世之旨,及至君仁臣良父慈子孝,凡倫常所関之処,皆是称功頌,眷眷无窮,実非別書之可比.雖其中大旨談情,亦不過実録其事,又非假擬妄称,一味淫邀艶約,私訂偸盟之可比.因毫不干渉時世,方従頭至尾抄録回来,問世伝奇.従此空空道人因空見色,由色生情,伝情入色,自色悟空,遂易名為情僧,改《石頭記》為《情僧録》.東魯孔梅溪則題曰《風月宝鑑》.后因曹雪芹于悼紅軒中披閲十載,増刪五次,纂成目録,分出章回,則題曰《金陵十二釵》.并題一絶云:
[訳]空空道人はこれを聞くと、しばらく思案していたが、《石頭記》をもう一度検討しつつ読み進めた。内容には悪賢い立ち回りのうまい者を責め、悪を貶め邪を懲らしめる言葉があるが、時世を批判するような趣旨ではないし、君子の仁、家臣の良、父の慈しみ、子の孝に至っては、凡そ人倫の道の関わる処であり、皆功や徳を誉め称え、深い思いやりの気持ちは、他の書の比ではない。その中には大いに愛情を語っているところがあるが、その事実を記録しているに過ぎず、想像をたくましくして、ひたすら淫らなことを追い求め、色ごとを誘い、人目を盗んで契を結ぶものとは比べられない。少しも時世を干渉するものでないので、最初から終わりまで書き写し、世にこの伝奇を問うことにした。これより空空道人は空により色を見、色により情を生じ、情を伝って色に入り、色より空を悟り、遂に名を改め情僧とし、《石頭記》を改め《情僧録》とした。東魯の孔梅溪は《風月宝鑑》と題した。後に曹雪芹が悼紅軒に於いて書をひも解くこと十年、添削すること五度、目録を編纂し、章回に分け、《金陵十二釵》と題した。さらに一絶を題して云うには:
● 思忖 si1cun4 思案する
● 半晌 ban4shang3 やや久しく
● 検閲 jian3yue4 検討しつつ読む
● 奸佞 jian1ning4 卑屈でごますりをする(人)
● 倫常 lun2chang2 人倫の道
● 眷眷 juan4juan4 懇ろに思う。深く思いやる
● 一味 yi1wei4 ひたする。一途に
● 披閲 pi1yue4 =披覧:書籍を開けてみる
● 増刪 zeng1shan1 添削する
● 纂 zuan3 編纂する
満紙荒唐言,一把辛酸涙! 都云作者痴,誰解其中味?
[訳]満紙 荒唐の言、一把 辛酸の涙。皆云う作者は痴なりと、誰か知るその中味を。
(文章全体、荒唐無稽の言葉で満ちている。辛酸の涙が溢れる。皆が作者は気が狂っていると言うが、この文の真の意味を理解している者は誰もいない)
出則既明,且看石上是何故事.按那石上書云:
[訳]文の出処は明らかになった。はてさて石の上にはどのような物語が書かれていたのか。石の上の書によれば……
これより話の舞台は下界に降り、様々な登場人物が出てくることになります。ここから先は、次回に見ていきましょう。
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