中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

沈宏非の食べ物エッセイ(5) 河豚(フグ)を食べる

2010年06月13日 | 中国グルメ(美食)
                  河豚(フグ)を食べる

 飲食は生存のためであるが、ある種の美味は、食べると大いに命を失う可能性がある。皆さんご存じのように、この食べ物は河豚(フグ)である。

 河豚の毒の恐ろしさは、それが生まれながらの劇毒であることで、或いは、一匹の太鼓のように丸くふくらんだ(“圓鼓鼓”)河豚は、丸々一瓶の高濃度青酸カリに相当すると言われる。河豚の毒性は、主に河豚毒素(tetrodo toxin)が引き起こし、それはシアン化合物の二百七十五倍の毒性を持つ。しかも、これは熱に強い毒素であり、たとえ一度煮沸しても、破壊することはできない。河豚の毒素の作用メカニズムは、神経細胞のナトリウム・イオンの伝搬を抑制し、さらに神経細胞を麻痺させ、人を死に至らしめる。

 台湾では、河豚を食べたことによる中毒症例の平均死亡率は59%に達する。 河豚の全身は一部の筋肉を除き、その皮、卵巣、肝臓、腸には皆劇毒を含み、特に卵巣と肝臓はそれが甚だしい。日本の文献の記載によれば、この強力な神経麻痺毒素の人に対する最小致死量は10,000Mμ/gである。以前、台中市の一人の市民が河豚の干物を買いおやつにしたところ、食べると舌がしびれる感じがしたので、家の猫と犬に食べさせると、猫はにゃあと鳴いてその場で吐き出し、犬も七転八倒(死蹺蹺si3qiao1qiao1)した。事件後調べたところ、このきれいに処理されていなかった河豚の干物には河豚毒525 Mμ/gが含まれていた。

 三月初めのある週末、私は靖江市(河豚の産地として有名)のとあるレストランに座り、河豚が食卓に上るのを待っていた。レストランの支配人が私に話したところでは、たとえ最も経験のある河豚料理師でも、手元が狂うことがあるとのことである。当地に以前一人のベテランの調理師がおり、ある日、河豚を処理した後、普段と同様自分でも徹底した洗浄と消毒をしてから、食事をし、自分の小指で歯の食べかすをほじくろうとしたところ、意外にもその場で非業の死を遂げた(“死于非命”)。実は、河豚の卵が一粒、指の爪の隙間に隠れていたのである。

 TV番組《X事件簿》(X档案)の《祈祷師の復讐》(巫毒的復讐)で、ハイチの河豚の毒が出てくる。ハイチの祈祷師は先ず一匹そのままの河豚を陽に晒して干し、その後それを挽いて粉にし、更に滑石、七彩砂、及び染料等を混ぜて、見た目には塗料に見えるようなものを作る。この回の《X事件簿》の中で、兵士の麦亜平は車を運転し、樹にぶつかってから俄かに死んだが、樹が兵士を殺したのではなく、ハイチの祈祷師が“河豚毒顔料”を使って、樹の幹に死亡図案を描いたのである。

                   水中の毒の携帯者

 河豚の毒の色々な説明や記載は、しばしば聞くものをぞっとさせる(“毛骨悚然”mao2gu3song3ran2)が、実際は、河豚の毒素は生まれつきそれで人間に危害を加えるためのものではない。  河豚の毒は命に関わるが、決して河豚の自衛武器ではなく、いつでも使える通常兵器ですらない。河豚の腹には膨張嚢があり、ゴムのように伸び縮みすることができ、空気か水を吸い込むとふくらんで大きくなるので、別名“吹気魚”という。広東人が俗に“鶏泡魚”と呼ぶのも同様の意味である。河豚は水中で敵に出会い攻撃されると、腹の中に大量の空気か水を吸い込み、体を直ちに倍に膨らませ、大きな球のようになり、敵が軽々しく攻撃してこないようにする。自衛の他、この「自分の腹を大きくする」能力は、河豚がえさを探す助けになる。河豚は砂の中で食物を探す前に、先ず水を吸い込んで腹を大きく膨らませ、その後、腹の中の水を一気に噴き出し、砂の下に隠れている貝類を露出させる。この他、“刺河豚”(「ハリセンボン」のこと)の体にびっしり生えている(“密密麻麻”)棘は、それで相手を刺すのに使うのではなく、一種の“義眼”(假眼)の機能を備えた保護色であり、作用は敵をびっくりさせるためである。

 したがって、河豚は毒はあっても、自分が毒を吸うこともなければ毒を相手に売りつけることもなく、毒の量は充分でも毒を隠し持つ、或いは毒を携帯しているだけであり、生存のための能力(“本事”)は、多くはこの“威嚇”に頼っている。

 河豚の劇毒は、自分を死に到らしめることはなく、このことは、とどろく雷のようないびきをかく人が半径十メートル以内の熟睡している人をびっくりして目覚めさせるが、自分自身はどんなに騒々しくても目覚めることがないのと同様、奇妙なことだ。日本の東北大学農学部の専門家が、以前、分子の角度から河豚毒が河豚自身に無害である原因を解明したことがある。研究者は河豚の筋肉の表面収容体の遺伝子の分析を行ったところ、河豚の筋肉の細胞構造は人類と異なり、その中のアミノ酸の種類と形状も人類と異なり、河豚のこれらアミノ酸は河豚の毒素と結合しないことを発見した。

                      毒は美味しい

 欧陽文忠公は梅聖兪《河豚詩》を記して曰く、“春州は荻の芽を生み、春岸に楊花飛ぶ”と。これは河豚が暮春に現れることを言っているが、河豚の中国で最もよい産地は、長江中下流域の江蘇でなければ他にどこがあるのか(“非長江中下遊地区的江蘇莫属”)。《明・嘉靖江陰県志》は河豚に対する専門の記録で、汪曽祺先生は小説《金冬心》の中ですばらしい料理のことを書いているが、その中に「新たに江陰より運んだ河豚」がある――三月初めのある晩、河豚を食べるのに最も良い時期、すなわち当地の人の言う“黄明節”――清明節の後の数日、よりは多少早いが、いずれにせよ私は靖江の、とある灯火の煌々とした酒楼の上にいる。

 河豚は先にテーブルに持って来られ、間違いなくこの魚であることを確かめられた(“験明正身”)が、この魚、お腹は丸々と太り(“圓滾滾”)、口は小さく尖り、鱗が無く、皮膚の上にはいろいろな模様があり、たいへんかわいらしく、毒があることを少しも感じさせない。“紅焼”(しょうゆ煮込み)が当地の料理人の最も得意とする調理方法である。河豚の肉は、食べてみると果たして一般の魚肉とは異なり、新しく柔らかく(“鮮嫩”)、蟹の肉のような質感がある。この他、河豚は肋骨に妨げられず、腹部の皮膚が生前いつも空気を充満させる訓練をしていたので、十分にたるんでおり、たいへん美味しい。しかし、河豚の皮には一層のびっしり生えた小さな棘があり、じっくり噛み砕くことができず、飲み込んでしまわないといけない。飲み込む前に、皮の棘のある面を内側に巻き込まないといけないが、ラバーの面を逆にした卓球のラケットのようである。

 “西施の乳”と称される河豚の膵臓(すいぞう)は、全身で最もすばらしい部分だと言われているが、その日果たして賞味したのかどうかはっきりしない。一つには人が多く、二つには食べるにつれ、あの底に敷かれた野菜に魅了されたからである。河豚の油は十分に豊かで脂っこくて美味しく、新鮮な野菜が魚の下に敷かれて煮込まれていると、その美味しいことといったら他に比べようがない(“不可方物”)。

 コックと支配人が相前後してやって来て人々の眼の前で自ら味見をしたが、河豚の肉は食べるとやはりちょっとピリピリとしびれる感じがし(“麻酥酥”)、皆をどきどきさせた(“提心吊胆”)――実際のところ、もしこのちょっとドキドキさせるところが無かったら、河豚の美味しさはかなり割り引かれてしまうだろう。

 石湖居士・範成大は《河豚嘆》の一詩を世に残した。
“彭亨強名魚,殺気孕惨黷,既非養生具,宜将砧几酷。呉儂真差事,綱索不遺盲。捐生決下箸,縮手汗童僕。朝来里中子,饞吻不得熟。濃睡喚不応,已落新鬼録。百年三寸咽,水陸富肴蔌。一物不登俎,未負将軍腹。為口忘記身,饕死何足哭。”
  ( 腹のふくれた(膨亨peng2heng1)強くて名高い魚、甚だしい殺気を孕んでいる。養生の気持ちを持たないなら、砧(きぬた)の上で激しく打ってやるがよい。私は出来が悪いものだから、後に残すようなりっぱなことばも無い。命を投げ出し箸をつけようと決めたが、手がすくんで冷や汗が横にいる召使の小僧にまで飛んだ。料理に向かい、鍋の中のものを見る。口が卑しいので、十分火が通るのを待っていられない。私が深い眠りについて呼んでも応えないなら、新たに物故者の名簿に仲間入りしたのだ。百年かかっても食べられるものはたかが知れているが、世の中には海の幸、山の幸が豊富にある。一物が俎上に上らなくとも、将軍が腹を切らされるようなことはない。口福のため我が身のことを忘れたら、食いしん坊が死んだとて誰も泣いてはくれないよ。)

 範成大は蘇州の人で、河豚の問題に最も警世を発する資格を持っていた。梅堯臣も《戒食河豚》と題した五言詩を書いたが、事実上、歴代の河豚を食すること勿れと勧める詩を書いた者は皆、品行方正な人物(“正人君子”)であった。一方、河豚の美味しさを大いに賞賛した歌を書いたのは、蘇東坡のたぐいの生半可な(“半吊子”)聖人君子であった。聞くところによれば、蘇東坡には調理に詳しいが河豚の煮方は知らない友人がおり、蘇東坡に河豚の美味しさを味あわせるため、あわてて仏の足にすがりつくように(“抱佛脚”苦しいときの神頼み)人に教えを請い、家で河豚の宴席を開いたが、その後、家人といっしょに屏風の後ろに隠れ、蘇東坡の様子を観察した。蘇東坡は河豚を味わった後、溜息をついて言った。「一死の値打ちがある(ほど美味しい)。」

 私もよく免許を取ったばかりの友人が自分で運転する車に乗ると、自分の体を助手席の座席の上にびくびくしながら縛り付けるけれども、蘇東坡のこの勇気はつまるところ食い意地から出ているのか、それとも義理堅い(“講義気”)のか、なお議論する余地がある。実際、少しもいいかげんなところのない(“一絲不苟”)厳格な処理をすれば、河豚の毒はそれほど恐ろしいものではなく、また中国人が食べる川の河豚の毒性は日本人が食べる海の河豚のように高くはない。古代、もし本当に河豚である人を毒殺しようと思ったら、その人物に“河豚膾”(河豚の膾(なます))、つまり日本人が食べる刺身を食べさせればよかった。なぜならこうすると最も毒性が高いからである。しかし、聞くところによると、“河豚膾”は河豚の最も美味しい食べ方で、“紅肌白理,軽可吹起,薄如蝉翼,入口氷融”(紅を注したような身に白い筋目が映え、軽きこと吹けば飛ぶようで、薄きこと蝉の羽のよう、口に入れると氷のように融ける)と賞賛される。

 江蘇の河豚の調理法は、第一が“紅焼”(しょうゆ煮込み)、第二が“焼湯”(スープ)、第三が餃子にする(“包餃子”)やり方である。数年前、“胶東”(山東)の某市のあるレストランが、衛生部の許可を取り、“河豚全席”を売り出した。それには、清燉(醤油を使わず、塩味だけで煮込んだもの)、清蒸(蒸籠蒸し)、紅焼、椒塩(山椒塩で味付けした炒め物)、刺身、等が含まれていた。実際、中国古代、少なくとも宋代以前は、河豚はやはり生食を第一としていた。

                       死亡遊戯

 日本人は縄文時代から河豚を好んで食べていたが、彼らが食べるのは海に棲息する(“棲生于海”)河豚である。河豚に毒があることは誰でも知っており、命がけでこれを食べる(“拼死食之”)ことは、たやすいことではない。この他、河豚を好む日本人の胸元にはもう一つ別の“勇”の字がある――すなわち忌み嫌わないだけでなく、河豚の毒とそこから発散される死のにおいを大げさに表現することである。例えば、日本のレストランの河豚の刺身は、たいてい皿の上に菊の花の模様に並べられるが、菊の花は日本の葬礼の花である。

 日本の政府当局は河豚の調理師に厳格な規定を設け、全ての河豚の加工者は資格証書を持たねばならない。しかし、《五感の自然史》の著者Ackermanは言う。日本で、「最も尊敬されている河豚料理の料理人は、食事をする者に直接毒素に接触する感覚を残すことができる……食事をする者の唇にしびれるような感覚を持たせるが、本当に殺してしまうほどではない。」

 Ackermanは彼女の本の中でこう書いている。「指の隙間に入るくらいの量の河豚の毒素で一家全員を殺してしまうに十分である。軽度の河豚の毒素も量を過ごすと被害者の神経を麻痺させ、硬直死体のようになる。被害者は意識はあるが、身動きができない(“動弾不得”)。たまたま、河豚による中毒により生きながら葬られる人は、最後の一瞬にそれが自分の葬儀であり、すぐに埋葬されてしまうと気付く。彼らが命がけで出してくれと叫び、まだ生きていたいと表現しようとしても、彼らは動くことができないのである。」それゆえ、死者が河豚で作った料理を食べた後で死んだ場合、その葬儀は通常数日遅らせて挙行される――死者が目覚めて生き返るかもしれないから。極上のトラフグを豊富に扱う大阪では、河豚は別名“北枕”と呼ばれる。これは当地の風俗で、人が死ぬと死骸は頭を北にして安置するからである。

 聞くところによれば、2000年から、江蘇・浙江・上海一帯で微毒、更には無毒の河豚の人工の試験養殖が始まったそうである。河豚の愛好者にとって、このことは良いニュースか悪いニュースか、私にはわからない――もし私たちが、どうしてある人は短時間の窒息状態でエクスタシーに達することができるかを理解できるなら。

 しかし、江蘇の水産卸売市場で、500グラムの天然の河豚は設定価格が人民元1500元に達しており、大阪では、下関卸売価格2万8千円のトラフグが業者の手を経て東京まで流れると、キロ当たり5千円に値が跳ね上がる。このような状況は、正に台湾の女性作家・劉黎兒が言っている次のことばの通りである。河豚を食べるのは恐ろしい、「命が惜しいというより、お金が惜しいというほうが当たっている。」(“与其説是惜命,不如説是惜金”)

【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳

中国語文法・標点符号(文章記号)の作用と使い方(2)

2010年06月11日 | 中国語
                  三、標点符号と文の構造

 “標点符号”と文の構造との関係は、だいたい三つの情況に分けられる。一つ目はある文章構造の中では、ある“点号”(句読点やコロン、セミコロンを総括してこう呼ぶ)は使えない。二つ目はある文章構造の中では、必ずある“点号”を使わなければならない。三つ目はある文章構造の中では、ある“点号”を使うことができるが、一定の条件がある。注意する必要があるのは三番目の情況である。ここで言う条件は、構造上のものもあれば、修辞上のものもあるが、ここでは前者を重点的に話をする。

(一)文の各部分の間の“点号”

 文の各部分の間に使用できるのは、“逗号”(コンマ。読点。句読点。“,”)、“分号”(セミコロン。“;”)、“冒号”(コロン。“:”)である。“逗号”を使う機会が最も多く、“冒号”がそれに次ぐ。

 主語と述語の間には“逗号”を使うことができる。もし述語を前に持っていく場合は、必ず“逗号”を使わなければならない。例えば:
(1)出来呀,你!

 主語が前にあり、後ろに“逗号”を用いるのは、しばしば主語を突出させるためである。述語を前に置き、後ろに“逗号”を用いるのも、述語を突出させる作用がある。もし主語が長すぎたり、述語の構造が複雑である場合、閲読を便利にするため、“逗号”を使わなければならない。例えば:
(2)推広全国通行的普通話,是関係到建設物質文明和精神文明的必不可少的措施。

 動詞と賓語の間には一般に“逗号”は用いないが、賓語が比較的長い主述句(主謂詞組)の場合、“逗号”を用いて間を空ける場合がある。例えば:
(3)我們高興地看到,上海市五百多个青年科技団体,在人才培訓、経済建設、学術交流等方面都発揮了重要的作用。

 賓語を突出させたい場合は、“逗号”の代わりに“冒号”を用いる。例えば:
(4)近十多年来的実践証明:我們的文化教育工作是取得很大的成績的。

 このような用法の“冒号”は、動詞“是”の後ろ、及び総合的な提示成分の語句の中間に用いることができる。例えば:
(5)八股文章的第一条罪状是:空話連篇,言之無物。
・空話連篇 kong1hua4lian2pian1 無意味な言葉を際限なく並べたてる
・言之無物 yan2zhi1wu2wu4 文章や言葉の中身が空っぽである

(6)先頭部隊按原定計劃兵分両路:一路向東,一路向南。

(二)結合句(聯合詞組)の中の“点号”

 結合句の(“聯合詞組”)各成分の間に顕著な停頓が無ければ、間に“点号”を使わない。例えば、“工農業”は“工、農業”とは書かないし、“貧下中農”は“貧、下中農”とは書かず、“青紅白”は“青、紅、、白”とは書かない。
・ zao4 黒色。“白”:黒と白。是と非。“不分白”:是非をわきまえない

 もし間に明確な停頓がある場合、“頓号”(読点。“、”)或いは“逗号” (コンマ。“,”)を使うことができる。“頓号”を使うか“逗号”を使うかは、主に並列する各項の語句の長短、停頓の大小に基づく。例えば:
(7)獅、虎、豹、狼是公园中猛獣類的主要品種,是很多人想看看的動物。
(8)回家去看望自己的爹爹、媽媽、爺爺、奶奶。
(9)刀子,叉子,玻璃酒杯,大大小小的花瓷盤子,都放出晃眼的光。
・晃眼 huang3yan3 まぶしい。まばゆい

(10)水果攤上有桔子、蘋果、香蕉。
(11)水果攤上有桔子啦,蘋果啦,香蕉啦。

 例(7)と例(8)は、結合句の中の並列する各項が比較的簡単で、“頓号”で間を空けている。例(9)は並列する各項が比較的長く、したがって“逗号”を用いている。例(10)と例(11)の並列する各項は比較的簡単で、例(11)の並列する各項の間には比較的大きな停頓があり、そのため“逗号”を用いている。

 並列する各項に階層がある場合、いくつかの“頓号”は“逗号”に昇格する。例えば:
(12)米、麦、棉花、化肥、煤炭,這些都是要加緊生産的。

(三)クローズ(“分句”。節)の間の点号

 クローズの間には多く“逗号” (コンマ。読点。句読点。“,”)が用いられ、“分号”(セミコロン。“;”)が用いられることもある。セミコロンの使用の主な目的は、段落を明確にするためで、時には字義の誤解を避けるため、或いはあるクローズの独立性を強調するためである。具体的に言うと:

 第一、二層以上の複文で、第一層が並列関係にあるが、この並列関係を接続詞により表示しない時、セミコロンを用いなければならない。例えば:
(13)掌柜是一副凶臉孔,主顧也没有好声气,教人活撥不得;只有孔乙己到店,才可以笑几声,所以至今還記得。
(14)但他在我們店里,品行却比別人都好,就是従不拖欠;雖然間或没有現銭,暫時記在粉板上,但不出一月,定然還清,従粉板上拭去了孔乙己的名字。

 第二、段落が一つだけの並列の複文では、クローズの中でコンマが使われ、接続詞により並列関係を表示しない場合、セミコロンを用いなければならない。例えば:
(15)他們的宣伝,乏味得很;他們的文章,没有多少人歓喜看;他們的演説,也没有多少人歓喜聴。
(16)白天,戦士們堅決守住已得的陣地;夜里,戦士們向敵人進行新的、無情的攻撃。

 第三、偏正関係(修飾+被修飾関係)の複文で、修飾句(偏句)の独立性が強く、修飾句、或いは正句(被修飾句)の中でコンマが使われている場合、修飾句の後ろにセミコロンを用いることができる。例えば:
(17)趙七爺本来笑着旁観的;但自八一嫂説了“衙門里的大爺没有告示”這話以后,却有些生気了。
(18)她久已不和人們交口,因為阿毛的故事是早被人家厭棄了的;但自从和柳媽談了天,似乎又即伝揚開去,許多人都発生了新趣味,又来逗她説話了。

 これらのクローズの中には対を成す接続詞が無い。もし“雖然……但是”、“因為……所以”等を用いると、修飾句(偏句)の独立性は弱くなり、後ろにセミコロンを用いることはできない。

                  四、標点符号の相互関係

(一)“点号”の等級と使用範囲

 “点号”が表す停頓(ポーズ)は四クラスに分けられる。第一級は、句号(句点。終止符。“。”または“.”)、問号(疑問符。“?”)、嘆号(感嘆符。“!”)。第二級は分号(セミコロン。“;”)。第三級は逗号(コンマ。読点。句読点。“,”)。第四級は頓号(読点。“、”)である。冒号(コロン。“:”)は停頓の伸縮性が大きく、“句号”に相当する時、“分号”に相当する時、“逗号”に相当する時がある。*①
 ① ここでの等級は一般的な情況を言っており、“逗号”は感情上の停頓を表す時があるが、その時はこうした等級の制限を受けない。

 “点号”の等級は相対的なものである。例えば、同じ逗号(コンマ)でも、単文の中の停頓(ポーズ)を表すことができ、分句(クローズ)の間のポーズを表すこともできる。人によっては、文章を書く時、しばしば句号(終止符)はあまり用いず、逗号(コンマ)を頻繁に使う。こういう人は意味のつながった場所は、終止符で間隔を空けるのは好くなく、最初から最後まで、コンマしか使えないと理解している。点号を代表とする停頓(ポーズ)は相対的であるので、終止符を使ったからといて意味が途切れることはないことを知らねばならない。最初から最後までコンマを使うと、段落は混乱し、前後の文の関係が却ってはっきり表現できない。

 “点号”を代表とする停頓(ポーズ)は相対的なものであるが、それぞれの“点号”は自らの使用範囲を持っている。頓号(読点。“、”)は並列成分の間にしか用いることができず、逗号(コンマ。読点。句読点。“,”)は文中でのみ用いられ、句号(句点。終止符。“。”または“.”)、問号(疑問符。“?”)、嘆号(感嘆符。“!”)は文末にのみ用いられる。 冒号(コロン。“:”)は多少特殊である。これは時には単文、或いはクローズ(分句)の中間に用いられることがあり、代表する停頓(ポーズ)は、逗号(コンマ)とよく似ている。時にはクローズ(分句)の間に用いられることがあり、代表する停頓(ポーズ)は分号(セミコロン。“;”)に近い。しかし、“冒号”は“逗号”、“分号”、“句号”とは異なり、以下の文に対する提示の作用を持っている。時には以下の文が重要な部分であることを強調することがあり、時には下記のクローズが部分的に説明する、或いは総括的に説明する部分を表示することもある。例えば:
(1)她一手提着竹籃,内中一个破碗,空的,手里拉着一支比她更長的竹竿,下端開了裂:她分明已経純乎是一个乞丐了。

 中国語の手紙で、“××先生”の後ろに“冒号”を加えるのも、相手を提示するのではなく、下記の文が自分が話したい内容であると説明しているのである。

(二)“標号”と“点号”の連用

1、“引号”(引用符号)と“点号”の連用

 “引号”(引用符号。クォーテーション・マーク。“”、‘’、『』、「」)と“点号”の連用では、引用文の終わりの“点号”は、“引号”(引用符号)の内側に置くのだろうか、外側に置くのだろうか。およそ、他人の話を完全に引用する場合は、終わりの“点号”は、“引号”の内側に置く。引用文が作者の話の一部分になっている場合は、終わりの“点号”は“引号”の外側に置く。例えば:
(2)俗話説:“到什麼山上唱什麼歌。”又説:“看菜吃飯,量体裁衣。”
・到什麼山上唱什麼歌 dao4shen2meshan1shang4 chang4shen2mege1 実際の状況に合わせて物事を行う
・看菜吃飯,量体裁衣 kan4cai4chi1fan4 liang4ti3cai2yi1 おかずに合わせて飯を食べ、体に合わせて服を着る。何事も実際の状況に基づいて対応すべきだ

(3)我們有些同志歓喜写長文章,但是没有什麼内容,真是“懶婆娘的裹脚,又長又臭”。
・裹脚 guo3jiao3 (guo2jiao) 纏足の時に足に巻く長い布。醜悪なものの代名詞として使われる

 下記の二つの情況は気を付けるべきである。
 第一、引用文の前に“冒号”(コロン)を用い、引用しているのが一つの文の一部分、すなわち原文が引用文の終わりで文が終了していない場合は、“句号”(句点)は“引号”(引用符号)の外側に置いた方がよい。例えば:
(4)魯迅在《門外文談》里説:“然而做〈易経〉的人(我不知道是誰),却比較的聡明,……他不説倉頡,只説‘后世聖人’,不説創造,只説掉換,真是謹慎得很”。

 第二、“冒号”の後に作者の話があり、そのあとすぐに引用文がある場合は、引用文の終わりの“句号”は、“引号”の外側に置いた方がよい。例えば:
(5)他説:主導権“是要有意識地争取的東西,不是現成的東西”。

2、“括号”(かっこ)と“点号”の連用

 “括号”(かっこ。小括号()、中括号[]、大括号{})は文章の中の注釈の部分を表す。注釈部分は、文章全体を注釈していることもあれば、文中のある一部分を注釈していることもある。前者を“句外括号”と呼び、後者を“句内括号”と呼ぶ。
 “句内括号”は注釈される部分のすぐ後ろに置かれ、もし本文がここで“点号”を用いなければならない場合、“点号”は括号(かっこ)の外に置かれ、かっこの中にはコンマ(逗号)やセミコロン(分号)があってもよいが、たとえ一つの文になっていても、“句号”(句点、終止符)を置いてはならない。“句外括号”の前の本文の“点号”はかっこの前に置かなければならない。かっこの中が文になっておれば、“句号”を用いることができる。例えば:
(6)這就是説,将群衆的意見(分散的無系統的意見)集中起来(経過研究,化為集中的系統的意見),又到群衆中去作宣伝解釈,化為群衆的意見,使群衆堅持下去,見之于行動,并在群衆行動中考験這些意見是否正確。

(7)全国各族人民間的大団結万歳!(長時間的鼓掌)偉大的、光栄的祖国万歳!(全場起立。熱烈的経久不息的鼓掌,轉為歓呼。)

3、“破折号”、“省略号”と“点号”の連用

 “破折号”(つなぎ符号。ダッシュ。“―”)、“省略号”(省略記号。リーダー。“……”)は何れも“標号”(“点号”が句読点やコロン、セミコロンの総称であるのに対し、“標号”は引用符号、括弧、アンダーライン、中黒などの総称)である。停頓(ポーズ)のあるところに用い、文中であれ文末であれ、本来“点号”を用いなければならない場合、“点号”を用いて更に“破折号”或いは“省略号”を加えることができる。例えば:
(8)我竟不料在這里意外的遇見朋友了,―― 假如她現在還許我你他為朋友。
(9)他的妻子大概死了三四年吧,没有続娶。―― 否則,便不肯将余屋租給我似的単身人。
(10)阿Q,你以后有什麼東西的時候,你尽先送来給我們看,……
(11)那是朋友的,本来不多。他們買了些。……

 “破折号”と“省略号”は書面形式では各々二枡を占め、この符号のあるところまで来ると自然に読むのが止まるので、これらは“点号”の作用も発揮している。上記の例で言うと、“破折号”と“省略号”の前の“点号”を省略しても、元の意味の表現を妨げることはない。このような情況下で、きっぱり“点号”を省略してしまう人もいる。しかし、省略できない場合もある。例えば:
(12)早些定了親,也許不会出這岔子?―― 商会会長是不是肯真心幇忙呢,只有懇求他設法 ―― 可是林大娘又在打呃了,咳,她這病!
・岔子 cha4zi 事故。まちがい、しくじり

(13)他?…… 他景况也很不如意 ……
 ここで、疑問符を省略すると、意味が変わってしまう。

 “省略号”の後ろにも“点号”を用いる人がいる。論理的に言うと、この“点号”は必要ない。なぜなら文字が省略されている以上、標点符号は省略できるからである。しかし、疑問文や感嘆文の中には、“省略号”の後に依然として疑問符や感嘆符を使うものがある。
例えば:“難道你以為……?”“這未免太……!”
 この他、省略した部分が段落となり、以下の文と省略した意味が直接の関連が無いことを示すため、“省略号”の後ろに句点を使うこともできる。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社1995年より翻訳

沈宏非の食べ物エッセイ(4) 臭いは美味しい~臭豆腐

2010年06月07日 | 中国グルメ(美食)
                 臭いは美味しい(“臭美”)

 夏丐尊先生が以前言っていたが、上海の街角の各種の物売りの声の中で、臭豆腐売りの呼び声が聞いた感じが最も良い。というのは、“説真方、売假薬”(処方は正しいが、偽の薬を売る),“掛羊頭、売狗肉的”(羊頭を掲げ、狗肉を売る)のように、しばしば“香”を歌い文句に、実際は臭いものを売っている。しかし臭豆腐売りは意外にも大衆を欺いておらず、言行一致、名実相伴い(“名副其実”)、世人を欺かず(“不欺世”)、名誉を盗んでいない(“不盗名”)。この呼び声は、あたかも不合理な社会に憤り、その悪い習慣に憎しみを持つ(“憤世嫉俗”)激越な風刺のようである。

  不合理な社会に憤り、悪い習慣に憎しみを持つ部分を除いて、臭豆腐はつまるところ臭いのか良い香りなのかは、食べることの相矛盾する論理である。豆腐は既に臭く、ちょうど「“白馬”は“馬”ではない」かの如く、豆腐の普遍性は既に失われ、したがってそれは確かに、また必ず“臭”を以ってその唯一の存在理由となっている。街の屋台の臭豆腐売りは、いつも「臭くなければお金はいらない」と言って自らの商売の信用を明確にしている。論証ここに到って、この話を一段落させ、これ以上論争せず置くこともできるが、“臭”を追う男たちが意外な問題を引き起こし(“横生枝節”)、彼らは異口同音にこう指摘する。“臭”は臭豆腐に対する一面の認識に過ぎず、“臭”は嗅覚で、“虚”である。而して食べて口に入れれば芳しく(“香”)、これは味覚であり、“実”であると。

  “香” 、“臭”は元々定まったものではなく、食物として、私たちが関心あるのは主に美味しいかどうかである。臭豆腐の美味は、匂いにのみあるのではなく、また香りにのみあるのでもなく、“香” と“臭”が形作る高度な対比であり、このような対比がもたらす強烈な刺激である。臭豆腐の反対者は言う、食事の時にこれが傍にあると、「トイレの中に食卓を並べた」ようだと。このような情景は、「閨房に母ザルが入り込んだ」(“綉房里鑽出大馬猴”)のと、明らかに共通の美学的特徴を備えている。臭豆腐の揚げ物(“油炸臭豆腐”)は“南臭”の代表で、加工から食に供するまで、一つ一つの過程、一つ一つの細かい点がこのような“対比”に満ちていないところがない。先ず、屋台の上野まだ揚げていない臭豆腐は、一個一個の色が暗い淡色で、且つ緑色のカビの斑点があり、ムードは頗る頽廃的である。一度揚げ油の鍋に入れると、ぐるぐる回り浮いたり沈んだりし、何度か浮き沈みをした後、遂には全体が黄金色になり、腐ったような状態は一掃され、猛烈に発奮する。これも臭豆腐の一生の中の光輝く瞬間であり、天を貫く臭気が、ひとしきり鼻孔に注ぎ込まれ、まっしぐらに肺腑に突っ込み、熱いうちに食すると、濃厚な香りが口いっぱいに広がり、歯や頬に香りが留まる。質感的には、衣の外皮が歯で切り裂かれて後、舌の先が触れるのは、意外にも想像以上にきめが細かく、柔らかくつるつるした……Surprise!拍手を送ろう。

  “北臭”の主、“王致和”はその座を他に譲らない(“当仁不譲”)。比較すると、“南臭”は熱烈豪胆で、山を押しのけ海を覆し(“排山倒海”)、においがぷんぷんしている。“北臭”は内向で温和、魂を奪われ骨を蝕まれ、匂いもいつまでも続いて消えず、南北の文化と個性はちょうど正反対で、これまた対照的である。この他、私は王家の臭豆腐乳は味や形態の上でチーズに最も近く、とりわけイギリスのStilton、フランスのValencayに近いと思う。もし臭豆腐の揚げ物に塗るのに使う辣椒醤、甜麺醤の類を、“王致和”の臭豆腐乳醤に変え、南北の臭臭連合を実行したなら、臭味が互いに合わさり、“西臭”(西洋のチーズなど臭い食品)は私に追い越されたと結論づけるだろう。汪曽祺先生はこう書いている。「私がアメリカで食べたことのある最も臭い“チーズ”(“気死”の字を当てている。発音はqi4si3で“チーズ”に近いが、“たいへん腹を立てる”の意味。ちなみにチーズの中国語は“干酪”)は、西洋人は何度か匂いを嗅いで鼻をつまんでしまうが、私に言わしてもらえばどうということはなく、臭豆腐(乳)と比べると全然臭くない。」“王致和”の刺激は、先ずマントウの薄切り(“饅頭片”)(或いは窩頭、貼餅子)を少量の油でこんがり焼き(“煎”)(ラード(“板油”)を用いると、香りが濃厚になって宜しい)、炸饅頭片(揚げたマントウの薄切り)は熱くなければならず、臭豆腐乳は冷たくなければならず、その後、パンにバターを塗るように満遍なくこれに塗り、更に刻みネギを散らし、口を大きく開けて、あの固いのと柔らかいのが共に揃い、冷たさと熱さを兼ね備えた、悲喜こもごも集まった芳しい臭さが大団円を迎える。もし冷たく、柔らかいマントウにはさんで食べたら、娯楽性は必ずや大いに差し引かれる。《美女と野獣》も《美女と美女》や《野獣と野獣》になってしまう。

  文革後期、一部の「批判して打倒され鼻つまみ者とされた」(“批倒批臭”)知識分子が登用され、しかも人々は役に立つと感じた。これにより「九番目の鼻つまみ者」(“臭老九”)は臭豆腐のように、「匂いを嗅ぐと臭いが、食べてみるとおいしい」という言い方が流行した。人の境遇は時にはこのように自分では把握できない。《浮生六記》の中の芸娘は、私たちは先ず彼女が「感情がこまやかで人を引きつける様子、人としての願望も大きくない」、しかも「秋は人影の痩せるを侵し、霜に染まり菊花肥え」の句を吟じることができるに及んであれこれ思いをはせる(“心馳神往”)のであるが、更に読み進んで、彼女が「臭乳腐を食するを喜び」、あの二人が犬やふんころがし(“屎殻郎”)の糞を食ったり糞を丸めるといった諧謔的な議論を見るに及び、臭豆腐好きの読者は、多少興ざめしてしまうだろう。しかしこの文を終えるに当たり私たちも次のことを承認しなければならない。これまで読んできて、芸娘の形象はマルチメディア級に豊かになっており、彼女の言う「これは顔は醜いが心は美しいのと同じだ」ということが読まれ聞かれると同時に、匂いを嗅がれ、味わわれるのである。

【原文】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社2000年9月より翻訳

日本文化は豆乳、中国文化はにがりである~温家宝と中日文化界人士の座談会

2010年06月06日 | 中国生活
 実は、既に温家宝さんの来日スピーチの内容は一度取り上げたのだが、この文のタイトルに惹かれ、紹介しようと思った。このことばは、近代の東洋史学者、内藤湖南のものだそうである。

         温総理賛“日本文化是豆漿,中国文化是塩鹵”説
          ― 温家宝総理与中日文化界人士座談側記
          2010年06月01日 来源:人民網・《人民日報》

   温総理は「日本文化は豆乳、中国文化はにがりである」との説を賞賛した
        ― 温家宝総理と中日文化界の人士の座談会傍聴記


■ “我記得日本漢学家内藤湖南先生曾説過:‘日本文化是豆漿,中国文化就是使它凝結成豆腐的塩鹵。’在中国隋唐時期,日本曾経20多次派出遣隋使和遣唐使学習中国政治文化。明治維新之后,中国的仁人志士到日本求学。這都説明,中日文化交流源遠流長。”
・塩鹵 yan2lu3 にがり
・仁人志士 ren2ren2zhi4shi4 仁愛のある正義の人。衆人のために自己を犠牲にする人

 「日本の漢学者、内藤湖南先生が、嘗て、“日本文化を豆乳とするなら、中国文化はそれを固めて豆腐にするにがりである。”と言ったと記憶しています。隋、唐の時代、日本は20数回、遣隋使と遣唐使を派遣し、中国の政治、文化を学びました。明治維新後、中国の仁愛のある正義漢が日本に学びに行きました。これらのことは、中日文化の交流の歴史の長さを物語っています。」

■ 5月31日下午2時45分,在毗隣日本皇宮的新大谷飯店芙蓉庁里,温家宝総理一段充満感情的開場白拉開了中日文化界知名人士座談会的序幕。
・毗隣 pi2lin2 隣接している
・開場白 kai1chang3bai2 前口上

 5月31日午後2時45分、皇居に隣接したホテル・ニューオータニの芙蓉の間で、温家宝総理の感情のこもった前口上で、中日文化界の著名人の座談会は幕を開けた。

■ 芙蓉庁里,緑羅綻翠,百合飄香。明黄的屏風在灯光的照射下放散出絲絲温馨,墻壁上鑲嵌着日本人民喜愛的折扇則透着古朴与典雅。温家宝総理在繁忙的外事活動中,特意抽出時間与中日文化界人士共叙昔日友情,暢談文化交流前景。

 芙蓉の間では、観葉植物が青々とし、ユリの香りが漂っていた。金色の屏風は明かりで照らされ、ほのかに温かさを醸し出し、壁には日本人の好きな扇子が嵌め込まれ、古風で典雅な雰囲気を形作っていた。温家宝総理は多忙な外交活動の中で、特に時間を作り、中日文化界の人士と昔日の友情を温め、文化交流の前途について語り合った。

 中国の総理が主催する、中日文化界の著名人の座談会は、今回が初めてである。このことは、中国の指導者、政府の中日文化交流の強化を益々重視していることを反映している。

座談会に参加したのは、日中文化交流協会会長・辻井喬、茶道の裏千家大宗匠・千玄室、アニメ作家・辻信太郎、書家・柳田泰山、女優・中野良子、作家・浅田次郎、劇団四季芸術監督・浅利慶太、歌手・アグネスチャン、服飾デザイナー・コシノジュンコ、内山書店社長・内山蘺(まがき)。何れも日本文化界の著名人で、中日文化交流に突出した貢献をし、中国人民にも人気が高い。中国作家協会主席・鉄凝、中国書法家協会主席・張海、俳優・濮存、北京電影学院動画学院院長・孫立軍も、このために来日し、日本文化界の友人と交流、研鑽を行った。

「本日、座談会に参加されているのは皆、中日文化界の名高い方々であるので、私は皆さん方に学ばなければなりません。」温家宝総理は謙虚で真摯な語り口で、一同、一層の親しみを感じた。

■ 沈穏的辻井喬先生第一个発言。他還清楚地記得三年前以俳句“和対”温家宝総理漢俳的往事。那是一段令人難忘且激励人心的佳話,“和対”之后,中日青年進行了漢俳聯句的大接力。
 物静かな辻井喬氏が最初に発言した。彼は三年前、温家宝総理の漢俳に、日本の俳句で「和した」(“和対”)ことを、はっきりと憶えていた。それは忘れ難く、人の心を鼓舞する佳話であり、“和対”の後、中日の青年は漢俳の連句のリレーを行った。

「三年前、温総理は漢俳を一首作られました。昨晩、日中友好七団体と華僑四団体合同で開催された歓迎宴会で、また即興で漢俳を一首作られましたが、このことは、あなた自身が中日文化交流の最前線におられることを物語っています。」辻井喬の発言は簡潔で、感情に満ちていた。

温家宝総理はそう聞くと微笑んで言った。「今日の昼に出席した日本経団連の昼食会で、私はまた一首漢俳を作りました。先生は新しい“和対”をまだ作られていませんか。」

 「総理の漢俳は日中関係への願いが表現され、たいへんすばらしいので、すぐにそれに対するのは困難です。」辻井喬は謙虚にそう答えた。

「私のは自己流で、あなたこそ本当の専門家です。」温家宝は笑って言った。
「それでは真面目に考え、“和対”する漢俳を一首作ります。」辻井喬は喜び勇んでそう応じた。
温総理と辻井喬のやりとりは、ひとしきり歓声と笑い声を引き起こし、ホールの中は人を酔わせる友情で満たされた。

■ 満頭銀髪的千玄室先生身着一襲灰色和服,神情飄逸。他曾先后訪華100余次,開創了日本茶道界与中国友好交流的先河。他談到了曾経与小平先生的会面。当他献茶之時,小平対他説,茶是中国的根,茶道在日本又非常盛行。茶道最重要的是和平之心。中日両国文化有很多相通的地方,希望両国珍惜這種共通的文化。
・襲 xi2 [量詞]衣服を数える。そろい
・飄逸 piao1yi4 飄逸(ひょういつ)である。洒脱である
・先河 xian1he2 先に提唱された事物。(昔の帝王は、川を海の本源と看做し、先ず黄河を祭り、次いで海を祭った。)

 総銀髪の千玄室氏は灰色の和服を纏い、表情は飄々としている。彼は中国を前後100回以上訪問し、日本茶道界と中国の友好交流の先駆けを拓いた。彼は嘗て小平氏と会見した時のことを語った。彼が茶を差し上げると、小平は彼に言った。茶は中国がルーツで、茶道は日本で盛んになった。茶道で最も重要なのは平和の心である。中日両国の文化は多くの共通点があり、両国はこうした共通の文化を大切にしてほしいと。

■ 温家宝聴后点頭説道:茶是中国的根,也是和平的象征,蚕絲也是如此。当年,徐福、鄭和両位中国航海家帯出去的是茶和蚕絲,伝逓的是和平和友誼。

 温家宝はそれを聞くと、頷いて言った。茶は中国がルーツで、また平和の象徴でもある。シルクもまた同様である。嘗て、徐福、鄭和の二名の中国の航海家が持って行ったのは茶とシルクで、伝えたのは平和と友好である。

千玄室氏はそれを聞くとうれしそうに、また残念そうに言った。残念ながら今日は総理に茶を差し上げる機会がありません。

■ “三年前,我有机会在京都喝了一次茶道制出的茶,覚得非常好,我記不住茶社的名字,但我端碗的姿勢,品茶的様子,当時的茶師認為還合格。” 温家宝総理対千玄室先生説。

 「三年前、私は京都で、茶道で点てたお茶をいただく機会があり、たいへんよかったことを憶えています。その時の茶室の名前は憶えていませんが、私の茶碗を持つ姿勢、茶を賞味する様子を、その時のお茶の先生は、合格ですと言ってくださいました。」温家宝総理は、千玄室氏にそう言った。

 その時のお茶の先生が千玄室の子の千宗室と知ると、温家宝総理はたいへん驚き喜び、この一族の茶道文化の伝承と中国文化の交流の継続をうれしく思った。彼は千玄室氏に言った。「ご家族の皆さんによろしくお伝えください。」

 深い思い出は更に平和、調和への思いをかき立てた。この時、会場の人々は中日友好交流の美しい情感に浸っていた。

 この時、辻信太郎氏がキティーのおもちゃを取り出し、温家宝総理に贈ろうとした。温家宝は歩み出ると、受け取って手の中でつまびらかに見た。彼はおどけて言った。「このプレゼントは、私の孫が見たらもっと喜ぶでしょう。」これを見て会場全体から笑い声が起こった。

■ 辻信太郎先生是日本動漫界領軍人物之一,被称為卡通人物凱蒂猫之父。他説,這個凱蒂猫在日本設計,在中国制造,中国和日本密不可分。凱蒂猫有三個特点:一是可愛;二是系着蝴蝶結,象征着心連心;三是没有嘴,提醒人們不是用語言,而是用行動来幇助別人。他説,就像凱蒂猫的寓意一様,願日中両国人民世代友好。
・寓意 yu4yi4 寓意。他の事物に託してほのめかす

 辻信太郎氏は日本のアニメ界の指導的人物のひとりで、アニメキャラクター・キティーの生みの親と呼ばれている。彼が言うには、このキティーのおもちゃは日本でデザインし、中国で製造され、中国と日本は切っても切れない関係にある。キティーには三つの特徴がある。ひとつは可愛いこと。二番目はちょう結びをしていることで、それは心と心をつなぐ象徴である。三番目は口が無いことで、人々にことばでなく、行動で他人を助けるよう諭している。彼は、キティーの寓する意味と同様、日中両国の人々が世代を超え仲良くすることを望みますと語った。

 孫立軍院長はある日本の漫画家に師事した。恩師の死後、孫立軍は恩師の名を冠した奨学金を設立し、アニメ専攻の優秀な学生を奨励している。孫立軍も自分からの贈り物を取り出し、温総理に手渡した。それは北京電影学院動画学院の学生が作った二枚の漫画であった。一枚は温家宝総理の漫画で、手に斉天大聖・孫悟空を載せている。もう一枚は鳩山首相の漫画で、胸に鉄腕アトムのバッジを付けている。学生たちは自分たちの作品で友好を伝えている。

 会場の人々はこの二枚の実によく似た(“惟妙惟肖”wei2miao4wei2xiao4)漫画を見て、口々に賞賛のことばを発した。
 温家宝総理は手に取ると、皆に言った。「今晩私は鳩山首相主催の歓迎宴会に出席しますので、必ず私から直接手渡します。」会場は笑い声で包まれた。
 温家宝総理は続けて言った。「もうひとつよいニュースがあります。午前中私は鳩山首相と協議し、来年の適当な時期に「アニメ・ウィーク」を開催することになりました。」満場から拍手が起こった。

■ 心与心的交流,浸潤着友愛的力量,譲人們忘却了時間正在静静地流淌。
“語言是有霊魂的,毎個漢字都有各自的霊魂,書法把霊魂表現出来。”温文爾雅的柳田泰山先生精于書法,対書法有着独到的理解。他是家族書法的第四代伝人,這個書法家族和中国的交流,迄今已有80多年的歴史。
・流淌 liu2tang4 (液体が)流れる
・温文爾雅 wen1wen2er3ya3 態度が穏やかで立ち居振る舞いが上品である
・独到 du2dao4 他に比べるものがないほど優れている

 心と心の交流は、有愛の力を浸み込ませ、人々に時が刻々と流れていることを忘れさせた。
 「ことばには霊魂があり、漢字ひとつひとつに皆霊魂があり、書道は霊魂を表現することができます。」温和で上品な柳田泰山氏は書道に通じており、書道に比類のない理解を持っている。彼は書家の一族の四代目で、この書家一族と中国の交流は、今日まで80数年の長きにわたる。

■ 他的語調沈重而又深情:“我的父親説過:中国是父輩之国,要対我孝順就要向中国学習。父親臨終時遺言:譲我学習中国的書法,為日中文化交流作貢献。我永遠不会忘記。”

 彼の口ぶりは厳かで深い情がある。「私の父親がこう言ったことがあります。中国は大先輩の国であり、親孝行したいなら中国に学びなさいと。父親は臨終の時、こう遺言しました。中国の処方を学び、日中文化交流に貢献しなさいと。私は永遠に忘れることはありません。」

温家宝はそれに対して言った。文化は霊魂の交流であり、文字は伝統文化の重要な道具である。文字の交流、書道の交流は、思想の交流でもある。それは平和の理念を伝達し、共に中日友好の交流を促進している。

■ “先生是不是主攻柳体?”
“是的。”
“我上小学和中学時,学大字也是臨摹柳体。我父親写顔体,我也跟着学顔体。所以后来我写的字既不像柳体也不像顔体。”
温家宝総理幽默的談吐譲柳田泰山先生倍感親切和温暖。
・攻 gong1 研究する。学ぶ
・臨摹 lin2mo2 臨模(りんも)する。書画を模写する
・柳体 liu3ti3 唐代の書家・柳公権の書体
・顔体 yan2ti3 唐代の書家・顔真卿の書体
※顔真卿、柳公権に、唐の欧陽洵、元の趙孟頫を加えて“楷書四大家”と呼ぶ。柳公権は、顔真卿、欧陽洵の書体を学び、それに改良を加え、新たな書体を生みだした。俗に“顔筋柳骨”と言い、顔体は力強く肉づきが良く、柳体は肉を削ぎ落し、骨格がしっかりしていると言われる。
・倍感 bei4gan3 ますます~と感じる

 「先生は、主に柳体を研究されているのではないですか。」
「そうです。」
「私は小学校と中学校の時、毛筆を学ぶ時は、柳体を臨模しました。私の父親は顔体を書いていたので、私もいっしょに顔体を学びました。だから、その後私の書いたものは、柳体のようでもなく顔体のようでもありません。」
温家宝総理のユーモアのある言葉づかいは、柳田泰山氏にますます親しみと温かさを感じさせた。

在席した張海は、中国の有名な書道家である。彼は温総理と柳田泰山氏の対話を聞いた後、次のように発言した。中日間の書道の交流はもっと強化しなければならない。私は二つの提案がある。一つは条件を作って青少年の書道競技を開催すること、二番目はトップクラスの書道の試合を行うことである。この提案は、すぐに柳田泰山氏の賛意を得た。

この時、予定の会見終了時間になったが、出席者の思いはまだ尽きることがなかった。

■ 看到身穿和服、梳起高高髪髻的日本演員中野良子一直端坐着傾聴,温家宝総理笑着対她説:“你也発個言吧。我最早是従《追捕》中認識你的。”
・髪髻 fa4ji4 髷(まげ)
・端坐 duan1zuo4 きちんと座る

 和服を身に纏い、高く髷を結んだ日本の俳優、中野良子はずっときちんと座って話を傾聴していたが、温家宝総理は微笑んで彼女に向って言った。「あなたも発言しなさい。私は最初、《君よ憤怒の河を渡れ》の中であなたを知りました。」

■ 提起中野良子,中国人民都非常熟悉。她在電影《追捕》中塑造的真由美形象,令人難忘。中野良子在当紅之時,毅然淡出演藝圈,投身于中日文化交流事業。

 中野良子といえば、中国人は皆たいへんよく知っている。彼女は映画《君よ憤怒の河を渡れ》の中で“真由美”を演じ、強い印象を残した。中野良子は人気があった時、ためらうことなく芸能界を去り、中日文化交流事業に身を投じた。

■ 早就想発言的中野良子,聴到温総理点自己的名字,忙用漢語説道:“謝謝!謝謝!”回憶起自己訪問中国時,她念念不忘中国人民的友好。她還声情并茂地唱起了歌曲《大海啊,故郷》。“小時候,媽媽対我講,大海就是我故郷……”婉転動聴的歌声打動了在座的毎一個人。她説,日本和中国朋友都很喜歓這首歌曲,這説明両国人民都喜歓和平安定的感覚。
・念念不忘 nian4nian4bu4wang4 いつも忘れない。
・声情并茂 sheng1qing2bing4mao4 (歌声が)声もよく情緒もたっぷり
・婉転 wan3zhuan3 滑らかで抑揚がある

 発言しようと準備していた中野良子は、温総理が自分の名前を指名したのを聞くと、急いで中国語で言った。「謝謝!謝謝!」自分が中国を訪れた時のことを思い出すと、彼女は中国人の友好が忘れられない。彼女は大きな声で情緒たっぷりに《大海啊,故郷》を歌った。「小さい時、母さんは私に言った、大海は私の故郷であると。」抑揚の利いた美しい歌声は出席した全ての人々を感動させた。彼女は、日本と中国の友人は皆この歌が好きです、このことは両国の人々が平和、安定を望んでいるという気持ちを説明しています、と語った。

「中国からも今日一名俳優が来ています。彼は濮存といいます。これから彼に発言させます。」温家宝が言った。

 濮存は嘗て日本の俳優といっしょに映画に出演し、また共同で音楽を製作した。彼は政府がもっと大きな投資を行い、中日文化交流を促進するよう提案した。中野良子はそれを聞いて、頷き賞賛した。日中両国間では30年にわたり映画の交流が続いており、それが継続できるよう希望する。

二人の俳優の話を聞いて、温家宝は言った。「2007年に日本を訪問する前、私は阿倍首相が推薦した《三丁目の夕陽》を見て、第二次大戦後の日本人の生活を理解しました。皆さん方が今日の成果を上げることができたのは、確かにたいへんなことだと思います。今回の訪問前、鳩山首相が推薦したアカデミー最優秀外国語映画賞を獲得した日本映画《おくりびと》を、私は最初から最後まで見ました。この映画は生と死の別れの物語で、表現されているのは倫理道徳で、私たち東方文化の仔細(“底蘊”di3yun4)が描かれていて、私はたいへん好きです。」温総理はまた皆に良いニュースを伝えた。今日午前鳩山首相と会談した際、私は来年中日で「映画テレビ・ウィーク」を開催することを提案し、彼の賛同を得たと。

 温家宝総理の視線は歌手のアグネス・チャン(陳美齢)に向けられた。陳美齢女士、発言してください。でも話をするのはダメです。歌わないといけませんよ。皆の楽しそうな笑い声の中で、アグネスチャンは立ち上がり、中日両国の人々が皆よく知っている《原野牧歌》を歌い出した。歌い終わると、彼女は皆に深々とお辞儀すると、心からの祝福を送った。「中日の間がこれからも永久に友好が続きますように。」在席の人々は感動の面持ちになった。

鉄凝は最後の発言の機会をつかんだ。彼女は2006年秋に日本の東北大学を訪問した時の情景を回想した。この大学の前身は仙台医学院で、魯迅が嘗てここで学んだ。この時、数名の経済学部の教授が《魯迅在仙台》という名の現代劇(話劇)を作っていた。この劇の出演者は仙台市民で、上演費用は市民の寄付で賄われ、魯迅を一人の普通のパソコンのオペレーターとして描いていた。これらのことを話し出すと、彼女の眼に熱いものがこみ上げ、心から日本の人々の友好と文化交流の魅力に感動した。

彼女は、こう言った。中日の世代を超えた友好は、若い人々の力に依らねばならない。私は「新世紀、新視線」(“新世紀、新眼光”)をテーマに、青年作家間の文学交流を展開することを提案したい。文学という手段で、今日の中国の人々と日本の人々の情感の奥を相互に凝視し、相互に観察し、相互に感じたい。

温家宝はそれを聞くと、“新世紀、新眼光”はたいへん良い。それにもう一つ、“新未来”を加えなさい、と言った。

座談会はもう一時間以上になり、当初予定した時間を大きく超えていた。

温家宝総理は出席者全員に言った。今日皆さん方のお話に、私は感動し、また深く教えられました。皆さんが出した提案は非常に良いので、私は関係部門に検討させ、実現させます。

■ 温総理対中日文化交流的激励和支持,譲在座的両国文化界人士十分激動。掌声在大庁里回蕩。
・回蕩 hui2dang4 (音声が)こだまする

 温総理の中日文化交流への激励と支持は、在席の両国文化界人士をたいへん感動させた。拍手が会場の中をこだました。

■ 活動結束時,書法家張海和柳田泰山揮毫溌墨,分別書写了温家宝総理此次訪問時所作的漢俳和辻井喬先生三年前“和対”温家宝総理的漢俳。両幅作品異曲同工,交相輝映,伝逓着東方文化的神韵和中日両国人民之間的友誼。
・揮毫溌墨 hui1hao2po1mo4墨痕鮮やかに筆を振るう
・異曲同工 yi4qu3tong2gong1 曲調は異なっても巧みさは同じ。やり方は異なっても効果は同じ。同工異曲
・交相輝映 jiao1xiang1hui1ying4 いろいろな光や色彩が入り乱れて輝く
・神韵 shen2yun4 風格と趣。神韻

 活動の最後に、書道家の張海と柳田泰山が墨痕鮮やかに筆を振るい、それぞれ温家宝総理が今回の訪問で作った漢俳と、辻井喬氏が三年前に温家宝総理に“和対”した漢俳を書写した。二つの作品はどちらも素晴らしく、様々な色彩が入り混じり、東方文化の趣と中日両国の人々の友好を伝えた。

(人民網東京5月31日電  新華社記者 趙承、李忠発,人民網記者 杜尚澤)

中国語文法・標点符号(文章記号)の作用と使い方(1)

2010年06月05日 | 中国語
  人民日報の記事などを読んでいると、文章の大意を把握するのに、句読点をはじめとする“標点符号”が少なからぬ役割を果たしていることに気がつく。今回は、“標点符号”をテーマとしたい。
 使用したテキストは、胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社1995年である。

                  一、標点符号の作用

  “標点符号”は、書面語の中で欠くことのできない補助工具であり、読者が文の構造を理解し、語気を鮮明にし、文意を正確に理解することを助ける。“標点符号”には、“点号”と“標号”の二種類が含まれる。
 “点号”には、句号(句点。終止符。“。”または“.”)、問号(疑問符。“?”)、嘆号(感嘆符。“!”)、冒号(コロン。“:”)、分号(セミコロン。“;”)、逗号(コンマ。読点。句読点。“,”)、頓号(読点。“、”)がある。
 “標号”には、引号(引用符号。クォーテーション・マーク。“”、‘’、『』、「」)、括号(かっこ。小括号()、中括号[]、大括号{})、破折号(つなぎ符号。ダッシュ。“―”)、省略号(省略記号。リーダー。“……”)、専名号(固有名詞記号。横組みの場合、アンダーライン。縦組みの場合、傍線が一般的。)、書名号(書名であることを示す。普通は、《》、または文章の下に~~を用いる)、着重号(強調符号。傍点、アンダーラインなど。)、音界号(“間隔号”ともいう。区切り符合。中黒。中点。“・”)がある。

 “点号”は、口語の中で長短の異なる停頓(ポーズ)を表すので、“点号”を用いるかどうか、どの“点号”を用いるかは、先ず口語の中の停頓の状況に基づかねばならない。しかし“点号”は口語中の停頓や書面上の転化のみと考えてはならない。なぜなら、第一、口語中の停頓は文章構造の必要に基づく場合がある。この他、その他の必要に基づき、例えば気分を換えたり、聴衆が記録しやすいようにするのが目的の場合などがある。“点号”の表す停頓は文章の構造に適応しなければならない。構造上、間隔を空けることのできない所には“点号”を用いることができない。第二、文章の構造に関係する停頓は、必ずしも“点号”を用いて表すわけではない。第三、“点号”の作用は停頓の表示だけでなく、同時に語気も表す。

  “標号”は書面語の中でことばの性質や作用を表す。“標号”を用いることで、意味がより明確になるだけでなく、ことばがより精練される。例えば、別の人の発言を引用する時、“引号”を用いないと、誤解を生じやすい。また文章中に注釈部分を挿入する時、“括号”を用いないと、多くの要らないことばを費やさねばならない。この他、いくつかの“標号”は特定の語気や口ぶり(“口気”)を表現する。

            二、標点符号と語気、口ぶりの関係

(一)“点号”と語気の関係

 全ての文は、単文であれ複文であれ、文章全体の一貫した語気を持っており、書面語では句点、疑問符、感嘆符などを用いて表す。陳述する語気では句点を用い、疑問の語気では疑問符を用い、感嘆の語気では感嘆符を用い、祈りの語気では、語気の強弱により、感嘆符を用いたり句点を用いたりする。文末の“点号”の使用で、よく見かける誤りは句点の使用が少なく、感嘆符を乱用したり、疑問符を使わないといけない時に使わなかったり、使ってはいけない時に使ったりすることである。  

 句点をあまり用いず読点(コンマ)ばかり用いるのもよく見かける誤りで、こういう現象が発生するのはたいてい、文章を書く人が明確な文の概念を持っていないからである。感嘆符の多用は誤解から生じることが多く、感情を帯びた文には必ず感嘆符を用いないといけないと思ってしまうのである。実際は、感嘆符は強烈な感情を表すので、乱用するとその効果を失ってしまう。疑問符の誤用は主に平叙と疑問の区分が不明確であるために起こる。

 文末に疑問符を用いるかどうかは、文の中に疑問代詞があるかどうかや文末に“呢”、“麼”の類があるかどうかが根拠になるのではない。疑問代詞は必ずしも疑問を表さず、語気詞“呢”、“麼”等も疑問以外の語気を表すことができる。したがって、下記の例のような文では疑問符は用いない。
(1)咱們的人可不知都在哪儿,怎麼能跟他們取上聯系才好
(2)我是這麼想的,可不知道他的意思怎麼様
 これらの文は相手方の何らかの回答を期待しておらず、疑問の語気が無いので、疑問符を用いない。反対に、形式上は上記の文とたいへん似ているが、相手方の回答を期待しているので、疑問符が必要な場合がある。例えば:
(3)咱們的人可不知都在哪儿,你説怎麼才能跟他們取上聯系?
(4)我是這麼想的,不知道你的意思怎麼様?

 疑問文の形式は、疑問代詞によってのみ表すのではない。ことばの正反を重ねる形でも疑問を表すことができる。反語文は相手方の回答を要求しないが、疑問文の形式を用いるので、通常、疑問符を用いる。作者によっては、反語文の文末に感嘆符を用い、感嘆の語気を強調する。例えば:
(5)現在我們也燃放爆竹,但是誰想到那和“駆鬼”之類的迷信有牽連!

 反語文が平叙文に疑問の語調を加えた構成になっている場合は、書面上は疑問符のみに依って表現する。例えば:
(6)面対這種情况,她能不表示意見?

 平叙と疑問の間に跨る文では、疑問が確信より大きければ、疑問符を用い、確信が疑問より大きければ、疑問符は用いない。例えば:
甲問:她今天家里有事,大概不会来吧?
乙答:大概不会来把吧。

 選択疑問文は、一つの文中に複数の疑問の内容を含んでいたとしても、一つの文であるので、文末に疑問符を一つ付けるだけである。例えば:
(7)咱們是先做功課后開会,還是先開会后做功課?

 強調の為、選択の内容をいくつかの文に分けて言う場合、各文の文末には疑問符を付けなければならない。例えば:
(8)站在他們的前頭領導他們呢?還是站在他們的后頭指手画脚地批評他們呢?還是站在他們的対面反対他們呢?
・指手画脚 zhi3shou3hua4jiao3 あれこれ人のあら捜しをする。

 短い選択疑問文では、中間にコンマ(読点)を置かなくてもよい。例えば:
(9)今天是星期四還是星期五?

 語気や口ぶりを表現する時、文中の“点号”(句読点)にはおおよそ二つの作用がある。ひとつはあることばを強調する。ひとつは感情の高ぶりを表現する。例えば:
(10)龍須溝啊,不是坏地方!
(11)事実証明:我們的估計是正確的。
(12)那是,……実在,我説不清……。
 例(10)、(11)の文中の停頓(ポーズ)は強調の為である。コンマを用いて強調するのは、しばしばその前の語句である。コロン(“:”)を用いて強調するのは、その後ろの部分である。例(12)の文中の停頓は感情の高まった気持ちを表現している。感情が高まると、興奮であれ、快楽であれ、憤怒であれ、悲しみであれ、ことばの勢いがにわかに衰えることがしばしば見られる。コンマはしばしば、これを用いることで、こうしたことばの勢いの衰弱を表す。

(二)“標号”と語気の関係

 “破折号”(つなぎ符号。ダッシュ。“―”)は、これを用いることで話の中断や語気、口ぶりの突然の変化を表す。例えば:
(13)今天我本来打算去一趟,可是 ――

 話の中断後、別の話題で再び話を始めることができるが、この時、語気が突然変化する。例えば:
(14)“好香的干菜,―― 听到了風声嗎?”趙七爺站在七斤的后面七斤嫂的対面説。
(15)很白很亮的一堆洋銭,而且是他的 ―― 現在不見了!

  “破折号”はまた、音声の引き延ばしを表現することができる。例えば:
(16)他們走不上二三十歩遠,忽聴得背后“唖 ―― ”的一声大叫。

  “省略号”(省略記号。リーダー。“……”)は語気の断続を表す。例えば:
(17)喂,你哪里?……你找老王,她就在這儿。
(18)対……対不起!我……大概認錯了。

  “引号”(引用符号。クォーテーション・マーク。“”、‘’、『』、「」)は、「特別に引き合いに出す」という作用がある。それが肯定的(“正面”)な引用であれ、否定的(“反面”)な引用であれ、目的は強調することばを明示し、読者の注意を引きつけることにある。例えば:
(19)世上最可笑的是那些“知識里手”,有了道聴途説的一知半解,便自封為“天下第一”,適足見其不自量而已。
・里手 li3shou3 玄人
・道聴途説 dao4ting1tu2shuo1 聞きかじりでものを言う
・一知半解 yi1zhi1ban4jie3 生はんか
・不自量 bu4zi4liang4 身の程知らず

(20)在群衆面前把你的資格擺得越老,越像個“英雄”,越要出売這一套,群衆就越不買你的帳。
・買帳 mai3zhang4 相手の好意や才能を認める。(否定文に用いることが多い)

 例(19)の“引号”の中のことばの意味は変わらず、肯定的(“正面”)引用である。例(20)の“引号”の中のことばの意味は一般的解釈とは異なり、“英雄”は“所謂英雄”(「いわゆる」英雄)という意味で、否定的(“反面”)引用である。肯定的に引用、或いは否定的に引用されたことばは、話の中では何れも強調された語気で表わされる。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社1995年より翻訳