佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

長き釣り友の歴史17

2022-12-18 19:35:19 | 釣り
  • 4 大阪府釣連盟

Episode1 クラブ活動1

社内の磯釣り同好会的な集まりであったクラブも段々とマンネリ化していった。また年長者であった会長の定年退職と共に急激に衰退していった。そんな中、社外の人たちも加入しているクラブで活躍しているK氏が転勤してきた。当時お互いに仕事の関係はなかったがこういう釣り好きはやがてお互いを知ることになった。彼は熱心に自分のクラブへの私の加入を勧めた。当時私の認識として、そもそも年中競技としてのグレばかり追いかけていることが異常に思えた。そういう意味からもことわり続けていたが一度入会の体験だけ参加してほしいという誘いに乗ってしまった。釣り場は私の田舎の磯だったことも影響した。なぜならその頃田舎に母が健在だったこともあり、また釣行にも便利なため釣り具の一式を田舎の納屋に仕舞ってあった。釣り場は市江の磯だった。会員の皆さんの服装はそれらしいものであった。その時会長のK氏から私のスタイルを観て“磯レゲー”といわれたことを覚えている。同じ磯での釣り開始となったが釣果は私が釣ったグレとタマミのみであったと思う。あまり釣りのキャリアがない初心者集団にみえた。会長のK氏がその例会のことを釣り新聞に掲載した。そういうこともあって入会を断りにくくなり、ついにそれまでの社内クラブごと入会することとなった。今考えればそのことが後の私の大きな負担となってしまった。

 

Episode2 クラブ活動2

K会長の提案でグレ釣の技の向上のためM名人が所属している釣り団体である大阪府釣連盟(通称 大釣連)に加入することとなった。この団体のことを全く理解していない状態で新年度に各クラブから団体のお手伝いをする役員を選出しなければならないということになり、わけが分からないまま私が連盟の事務局次長にクラブから推薦されてしまった。

結果、連盟から承認されてしまい毎月開催される連盟の会議には必ず参加することになった。当初は勝手のわからない私であり、当時非常に丁寧に肉筆で毎月纏められていた事務局長であったO氏も段々と私に会議資料を纏めるよう依頼されるようになった。1996年頃で世の中がまだ完全にパソコンで記録するようになっていなかったため、自分の利便性のために記録した会議記録や計画表は当たり前のことであったにもかかわらず当時の会長であったS氏が相当驚かれたらしい。

コメント
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