佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

瀬野川便り

2014-07-18 18:32:09 | 日々の思い

少し遅れましたが廣島の中村氏よりの瀬野川便りを

相変わらずに頑張っている幸春氏には頭が下がります。

一釣人がこれだけのことをやってきている、やればできるものですなー

 

トーナメンターを志してもいた時期もあったのですが今はもうそんな事はうそみたいな話

釣人の鑑になってきたなー、たいしたもんです

これからもがんばってな、楽しみにしています

瀬野川を楽しむ会 便り

今年も海田小学校4年生達が瀬野川の探索会にやってきた!!

この日も広島大学生物生産学部海野研究室の学生や先生もサポートしてくれる。

いつもながらホンマありがたい!!感謝感謝

広島大学の海野教授のはなしを聞く子供達

午前9時55分予定より5分早く到着

直ぐに整列、挨拶、注意事項を伝える。

かなり気合いが入っている。私語厳禁!!

よく守る子供達だ!!

2組なので上流側は、海野先生や学生達にお任せ

そして下流は、私と学生とでサポート

開始1分後には「おったzo~」と雄叫びが響き渡る

教室は静かに!!瀬野川は騒いでもエエゾ

女子達も、「シジミを見て大喜び」

中には「これなんですか?」と手に持って来る子供達

「それがシジミよ」「うそ~!!」と大喜びだ!!

2000年頃には、瀬野川にはシジミはほとんどいなかった。

工場からは廃液が垂れ流し!わやくそな河川でした。

しかし、ポテンシャルは広島県下一と思える程のブツエビやメダカ、そして水生昆虫

特に多いのがエビ類。

これはもの凄いこと。

田舎の川には生息していない

それが里川の瀬野川に無数に生息していた。

これがきっかけで現在に至る

 その後、行政との話し合いで、生物多様性環境を重要視する工法を取り入れた。

すると、広島県下では絶滅したと思われる、生物が棲み始めた。

ゴクラクハゼ、ウキゴリ、スミウキゴリ、メダカ、ウナギ、アカザ、オヤニラミ、カジカ、スッポンなど

そしてこの日、広島大学生物生産学部大学院生の山本さんがギギを捕獲成功

生徒が捕獲したら、もっと凄かったが、誰が捕獲しても良い。ウキゴリ

瀬野川にギギが生息していることが判明された。

瀬野川図鑑に新しく加わる。

この瀬野川図鑑作成も、社団法人 瀬戸内海環境保全協会がサポートしてくれています。

この魚は太田川でも見かけなくなった危惧種

個人的には40年ぶりに見た

 シジミは昨年石原橋の橋梁工事を行った場所

この周辺にシジミが多く生息していた。

ギギも同じ場所だ!!初めて瀬野川での捕獲成功したギギ

子供達は大歓声で無事終了

 広島大学生物生産学部海野先生研究室の皆さんのサポートで、今年もけが人は無し!!

来週は海田西小学校の瀬野川探索会だ!!

楽しみだ!!

 スジエビの親ムギツグカワニナ(ホタルのエサ)ナマズの子ヨシノボリドジョウ

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一周忌

2014-07-17 18:25:35 | 日々の思い

長年の釣り仲間でもあり仕事仲間でも在った亡き吉岡氏の1週忌が先週の土曜日に

伊丹にある酒造メーカーの白雪が経営するしやれたお店で行われました。

 

私と今中師匠と三橋氏の3人で出かけました。友人の横田氏が用事があるとの事で先にお参りに

家のほうに行かれていて欠席となりましたが、また散骨には一緒に行ってくれるようです。

少し私に献杯の挨拶をといわれて話しをさせてもらいました。

 

彼とはイシダイをメインにしての釣りで南紀から四国、そして五島列島にまで一緒に釣に

出かけた間柄で、仕事も彼のやる住宅の設計やら僕の設計した建物やらも仲良く言い合いしながらも

やってきたので、こんなに早くなくなるとは思ってもいなかったので残念です。

昨年は相次いで私の身近な人(女房を含めて)が何人もなくなり寂しい思いの年でした、

それがもう1年の歳月が流れてきました、私のところもまもなく1年を迎えます。

 

 

長寿蔵というな名のお店

何度か吉岡さんに連れて行ってもらい美味しい料理をいただいています。 

店の女性がビールを継ぐのに少し芸をして入れてくれるという、バホーマンスまでしてくれて

楽しませてくれます。 

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 長島氏の遍路旅

2014-07-16 18:50:30 | 日々の思い

17番で止まっていた長島氏の遍路の旅をまたつづけます。

 

第十八番 母養山 恩山寺(ほうざん おんさんじ)

 

御詠歌  子を産めるその父母の恩山寺 訪ひがたきことはあらじな

 

弘法大師がこの土地で修業しているときに母の玉依御前が大師を尋ねてきたが

当時のこの寺は女人禁制の地だった。

そこで大師が解禁を祈念し、母を寺の中へ迎え入れられたという。

 

このお寺は山すそんにあるために石段が多い国道55号線に沿ってぐるりと南に行く事になる

この道は、室戸岬まで行く。

    

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祇園祭 宵山

2014-07-15 18:24:11 | 日々の思い

祇園のお祭の鉾巡業がいつもと違い変更されるとの事

今までと違い山鉾巡行が17日と24日に分けて行われるとの事です。

 

偶然に鉾を見てきました、というのは日曜日に麻雀の月例大会が行われたのですが

その帰りに先日私たちの土田会の大会に来てもらった京都の友添氏のお店にお礼に

いこうということになり、F氏とTさんと3人で行きました。

 

それが宵、宵、宵山で鉾が引き出されて若い人たちが太鼓を叩く練習をしていました。

何も知らずに車で行ったのですが四条通りに差し掛かると車が渋滞に成り進まない

ボチボチいくとその鉾が飾ってありやっと分った次第ですが、まだ通行の規制がされて

なかったので鉾を見ながら通ることができました。

 

ついでに写真も撮ってきました。  

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母校

2014-07-14 18:58:22 | 日々の思い

私が卒業した高校

大阪市立工芸高等学校、建築科 昭和31年卒業

まだこのときで私達で7期生という浅い建築科でした。

 

学校としては古い学校で少し特殊な学校でした。

各科、1学級で、金属科、木材科、図案科、建築科、美術科の5科のみでした。

 

建築科などは比較的新しく金属科などは古くからあったようです。

私の家族の男兄弟5人のうち4人までが工芸の出でした、それも私を除いて

3人が金属科の卒業で私だけが建築でした。

同じ高校を4人も出てるなんて大変珍しい事と思いませんか?

 

その工芸高校もあと9年すれば100年となる記念すべき日を迎えます。

大阪の文の里と言う所にあるのですが門構えからも古めかしい建物ですが何か文化財の

指定でも受けているのかなと思うぐらいの良い建物です。

 

建築科も平成26年で65期を迎えた、役員さんもしっかりとがんばtぅてくれているようです。

私の7期以前のメンバーは誰も名前が無い様なのですが、どなたも居られない事は無いでしょう

が、皆さんもう高齢ですので・・・

 

この建築科での「オトナ工芸魂」展の第2回が行われるとの連絡をいただいた。

以前1度、出させてもらったが今度は仲間に声を掛けてみようかなと思う。  

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