景虎の上洛を期に甲斐・相模・駿河の三国同盟を画策する
勘助にとって結婚どころではないでしょうね
自分は晴信・由布姫・勝頼の為だけに生きていると言い切
るのですから
それにしても、勘助の結婚話を聞いた由布姫の複雑な表情
は一体何なのだろう??
本当に勘助に対して愛情があるのだろうか??
単純な僕には到底理解出来ないのです
三国同盟に話は戻りますが
難題は、仇敵で犬猿の仲の今川と北条なのです
この両家をいかにして和睦させるのか、勘助の腕の見せ所
ですよね
それにしても、今川が尾張での戦いの最中に態と北条に
出兵させるとは、一歩間違えれば関東騒乱だったかも
さすが軍師山本勘助、完璧に読み切っていましたね。
今川の軍師雪斎も、もはや勘助の敷いた策に乗るしか道は
なかった様ですね
さすがに雪齋だけは勘助の策略を見抜いていましが
呉越同舟の関東にあって政治力がいかに大切かよく分かります。
これで武田は、心置きなく上杉との戦いに専念出来る訳です
駿河、善得寺に揃った面々、お互いに腹の探りあいと
云った感じでしたね。
個人的には、勘助と雪齋の会盟の方が迫力あったと思いますが…
それでは何故、会見場所が駿河の善得寺だったのでしょうか??
武田主導の三国同盟ならば甲斐での会見でもよかったのでは…
実は、このドラマでは勘助が三国同盟を主導した様になって
いますが、僕が以前読んだ本では今川の軍師、雪齋の主導で
三国同盟が成立したとなっていました
ドラマでも、後半は雪齋主導で同盟が進んだ様に描かれて
いましたが
もし今川主導であれば、会見場所が駿河の善得寺なのも頷けます
世に言う善徳寺の会盟ですが、どうも疑わしいと僕は思って
いるのです
信玄・義元・氏康がお互いの娘を互いの息子達に嫁がせ三国
が同盟しようと云う事なのですが…
お互いの国の最高幹部が話し合ったのならいざ知らず、国主
が一同に集まり会合するなど有り得ない話ではないでしょうか
又、善徳寺の会盟とは武田からの呼び名で、北条側では善得寺会盟
と云ったらしいのです
単純に、徳と得の間違いだけかも知れませんが…
それに善徳寺の会盟は北条側の資料にしか出てこないと云うのです
勿論、信憑性の低い武田側の資料に出てきますが信憑性の高い資料
には一切善徳寺の会盟の事が書かれていないと云います。
何故でしょうか??
こんな大事な事が書かれていないなんておかしいですよね
今川側の資料が分からないので、断言は出ないのですが…
三国同盟が締結されたのは間違いないと思いますが、善徳寺の会盟
は後世のフィクションだったのではないでしょうか??
当時、三国同盟の三国は、上杉・織田・松平・佐竹と各々外敵を
抱えていた為、同盟する必然性があったのです
言い換えれば、眼下の敵に集中する為の同盟だったとも言えるのです。
この三国同盟の為、不幸な人間も増えましたよね
早死にしたり、切腹させられたり、離縁されられたりとこの
時代の常とはいえ、悲劇も沢山生まれているのです
特に今回のドラマで北条に嫁いだ『うめ』ですが、後に黄梅院
といって北条氏政の正室になり四人の男の子を生むのですが、
武田・北条の条約破棄によって里の武田家に帰されてしまいます。
悲嘆の内に27才で亡くなったそうです
結果論かも知れませんが、この三国同盟の甲斐・駿河・相模の三家
はことごとく没落してしまいますよね
武田勝頼・今川氏真・北条氏直と次の代で三家は滅びてしまうのです
これは偶然でしょうか??
どうも僕には違う理由がある様な気がしてならないのです
結果的にこの三国同盟にはかなり無理があったのかも知れませんね。
無理に結びつけられた子供達によって三家は滅びるのですから…
平家物語ではありませんか、人の世は諸行無常なのでしょうね
永遠は無いと云う事なのでしょうか
勘助にとって結婚どころではないでしょうね
自分は晴信・由布姫・勝頼の為だけに生きていると言い切
るのですから
それにしても、勘助の結婚話を聞いた由布姫の複雑な表情
は一体何なのだろう??
本当に勘助に対して愛情があるのだろうか??
単純な僕には到底理解出来ないのです
三国同盟に話は戻りますが
難題は、仇敵で犬猿の仲の今川と北条なのです
この両家をいかにして和睦させるのか、勘助の腕の見せ所
ですよね
それにしても、今川が尾張での戦いの最中に態と北条に
出兵させるとは、一歩間違えれば関東騒乱だったかも
さすが軍師山本勘助、完璧に読み切っていましたね。
今川の軍師雪斎も、もはや勘助の敷いた策に乗るしか道は
なかった様ですね
さすがに雪齋だけは勘助の策略を見抜いていましが
呉越同舟の関東にあって政治力がいかに大切かよく分かります。
これで武田は、心置きなく上杉との戦いに専念出来る訳です
駿河、善得寺に揃った面々、お互いに腹の探りあいと
云った感じでしたね。
個人的には、勘助と雪齋の会盟の方が迫力あったと思いますが…
それでは何故、会見場所が駿河の善得寺だったのでしょうか??
武田主導の三国同盟ならば甲斐での会見でもよかったのでは…
実は、このドラマでは勘助が三国同盟を主導した様になって
いますが、僕が以前読んだ本では今川の軍師、雪齋の主導で
三国同盟が成立したとなっていました
ドラマでも、後半は雪齋主導で同盟が進んだ様に描かれて
いましたが
もし今川主導であれば、会見場所が駿河の善得寺なのも頷けます
世に言う善徳寺の会盟ですが、どうも疑わしいと僕は思って
いるのです
信玄・義元・氏康がお互いの娘を互いの息子達に嫁がせ三国
が同盟しようと云う事なのですが…
お互いの国の最高幹部が話し合ったのならいざ知らず、国主
が一同に集まり会合するなど有り得ない話ではないでしょうか
又、善徳寺の会盟とは武田からの呼び名で、北条側では善得寺会盟
と云ったらしいのです
単純に、徳と得の間違いだけかも知れませんが…
それに善徳寺の会盟は北条側の資料にしか出てこないと云うのです
勿論、信憑性の低い武田側の資料に出てきますが信憑性の高い資料
には一切善徳寺の会盟の事が書かれていないと云います。
何故でしょうか??
こんな大事な事が書かれていないなんておかしいですよね
今川側の資料が分からないので、断言は出ないのですが…
三国同盟が締結されたのは間違いないと思いますが、善徳寺の会盟
は後世のフィクションだったのではないでしょうか??
当時、三国同盟の三国は、上杉・織田・松平・佐竹と各々外敵を
抱えていた為、同盟する必然性があったのです
言い換えれば、眼下の敵に集中する為の同盟だったとも言えるのです。
この三国同盟の為、不幸な人間も増えましたよね
早死にしたり、切腹させられたり、離縁されられたりとこの
時代の常とはいえ、悲劇も沢山生まれているのです
特に今回のドラマで北条に嫁いだ『うめ』ですが、後に黄梅院
といって北条氏政の正室になり四人の男の子を生むのですが、
武田・北条の条約破棄によって里の武田家に帰されてしまいます。
悲嘆の内に27才で亡くなったそうです
結果論かも知れませんが、この三国同盟の甲斐・駿河・相模の三家
はことごとく没落してしまいますよね
武田勝頼・今川氏真・北条氏直と次の代で三家は滅びてしまうのです
これは偶然でしょうか??
どうも僕には違う理由がある様な気がしてならないのです
結果的にこの三国同盟にはかなり無理があったのかも知れませんね。
無理に結びつけられた子供達によって三家は滅びるのですから…
平家物語ではありませんか、人の世は諸行無常なのでしょうね
永遠は無いと云う事なのでしょうか