とうとう与六は雲洞庵から逃げ出してしまいましたね
友達も出来ず北高全祝からも怒られてばかり
幼い与六には堪え切れなかったのです。
やっとの思いで家まで辿り着いた与六ですが、事もあ
ろうに母・お藤に追い返されてしまうとは…
一方、北高全祝に『素直な気持ちをお伝えなされ』と
諭された喜平次は与六の元へ…
打ちひしがれている与六、『もう歩けぬ』と言う与六
にそっと背中を差し出す喜平次
その喜平次にそっと手を合わせる母お藤。
迫真の演技でしたね


与六を背負って雲洞庵に帰る道すがら「そなたになら
思っている事を話せる。いつまでもわしの側にいよ」
喜平次からの愛の告白

無口な喜平次と生意気な与六の心が通じ合った瞬間で
す
いよいよ景勝・兼続の二人三脚の人生が始まるのです
ところで
坂戸城で語り合っていた輝虎と仙桃院。
喜平次が大将の器で、与六が北天の王を守る北斗の七
星だと言っていましたよね。
輝虎は自分の姿を与六にダブらせて見ていたのかも知
れません。
輝虎が信仰している毘沙門天
輝虎は武神の神として信仰していた様ですね。
毘沙門天は北方を守護すると言われている神です。
天皇家の北方を守護する輝虎、北天の王(喜平次)を守護
する与六。
相通じるものがあったのかも知れませんね

ちなみに武田信玄も毘沙門天を崇拝していたといいます。
毘沙門天信仰は輝虎だけではなかったのです
「ナウマク サマンダボダナン ベイシラマンダヤ ソワカ」
を唱えれば、福徳・戦勝・神通力などの功徳があると言
われているのです。
おそらく輝虎も毎日の様に唱えていた事でしょうね
話はすこしそれますが
毘沙門天は多聞天とも云いますが、楠正成の幼名も多聞丸
でしたよね。
毘沙門天と何か関係があるのでしょうか??
そう云えば伊達政宗の幼名も梵天丸でした。
多聞天といい梵天といい神の名前から幼名を付けていた武
将も多いのです。
いつの世にも神様はいた様ですね
時代は大きく動こうとしています
三方が原の戦いで徳川軍を打ち破った武田軍が織田信長に
迫っているのです
それに呼応した朝倉・浅井・毛利・石山本願寺など信長は
四面楚歌状態
絶体絶命のピンチなのです!!
野田城で信玄が亡くなるまでは
サポグラ 1月 のCMです →

友達も出来ず北高全祝からも怒られてばかり

幼い与六には堪え切れなかったのです。
やっとの思いで家まで辿り着いた与六ですが、事もあ
ろうに母・お藤に追い返されてしまうとは…
一方、北高全祝に『素直な気持ちをお伝えなされ』と
諭された喜平次は与六の元へ…
打ちひしがれている与六、『もう歩けぬ』と言う与六
にそっと背中を差し出す喜平次

その喜平次にそっと手を合わせる母お藤。
迫真の演技でしたね



与六を背負って雲洞庵に帰る道すがら「そなたになら
思っている事を話せる。いつまでもわしの側にいよ」
喜平次からの愛の告白


無口な喜平次と生意気な与六の心が通じ合った瞬間で
す

いよいよ景勝・兼続の二人三脚の人生が始まるのです

ところで
坂戸城で語り合っていた輝虎と仙桃院。
喜平次が大将の器で、与六が北天の王を守る北斗の七
星だと言っていましたよね。
輝虎は自分の姿を与六にダブらせて見ていたのかも知
れません。
輝虎が信仰している毘沙門天

輝虎は武神の神として信仰していた様ですね。
毘沙門天は北方を守護すると言われている神です。
天皇家の北方を守護する輝虎、北天の王(喜平次)を守護
する与六。
相通じるものがあったのかも知れませんね


ちなみに武田信玄も毘沙門天を崇拝していたといいます。
毘沙門天信仰は輝虎だけではなかったのです

「ナウマク サマンダボダナン ベイシラマンダヤ ソワカ」
を唱えれば、福徳・戦勝・神通力などの功徳があると言
われているのです。
おそらく輝虎も毎日の様に唱えていた事でしょうね

話はすこしそれますが
毘沙門天は多聞天とも云いますが、楠正成の幼名も多聞丸
でしたよね。
毘沙門天と何か関係があるのでしょうか??
そう云えば伊達政宗の幼名も梵天丸でした。
多聞天といい梵天といい神の名前から幼名を付けていた武
将も多いのです。
いつの世にも神様はいた様ですね

時代は大きく動こうとしています

三方が原の戦いで徳川軍を打ち破った武田軍が織田信長に
迫っているのです

それに呼応した朝倉・浅井・毛利・石山本願寺など信長は
四面楚歌状態

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