官兵衛が洗礼を受けたのが、荒木村重のせいだったとは驚き
高山右近に勧められたと言うのが本当のようですが、真相は誰にも分か
りません。
少しこじつけが過ぎる感じもします
後に秀吉が出したキリシタン禁止令、官兵衛はキリスト教をあっさりと捨て
ています。
個人的には官兵衛は熱心なキリシタンではなかったと僕は思っています。
もしかして官兵衛のこと…
次第に増えてきたキリシタンを何れ利用出来るかも知れないと思っていた
のかも知れません
やはり好きになれない荒木村重
この期に及んで謀反が失敗したのは高山右近のせいだと言うあたり、見て
いて虚しくなってしまいます。
自分の事を化け物というにしては何と俗世間的な発言でしょうか。
こんな武将の為に命を投げ出した家来が哀れに思えてなりません
遂に朝廷から豊臣の姓を賜った秀吉
氏素性にコンプレックスを持っていた秀吉にとって源平藤橘に肩を並べる
事が出来たのです
秀吉にとって人生最良の瞬間だったでしょうね
ところで…
現代人にすれば姓と苗字は紛らわしい感じがしますね
姓とは一族といった感じかも知れません?
一夫多妻だった天皇家が、増え過ぎた皇子や皇女の対策として姓を与え
臣籍降下させたのが始まりのようです。
鎌倉時代までは姓を名乗っていたようですが、年月を重ねるにつれ一族が
増え過ぎ室町時代頃になると苗字を名乗るようになったとか
余談ですが、巳の変の後、中臣鎌足が天智天皇から藤原の姓を賜ったのは
有名な話ですよね。
いわゆる臣籍降下ではありません
元々名乗っていた姓を替えたのはもしかして藤原だけかも知れません。
たとえば徳川家康。
真実はともかく?新田義貞の末裔と言う事なので姓は源です。
朝廷に対しては源家康で武家としては徳川家康、姓が源で苗字が徳川と言う
事になります。
信長は後に平氏を称したので平信長となりますが、豊臣は新しい姓で一族も少
なく豊臣秀吉のままです
もし、豊臣が数百年経てば豊臣から新しい苗字を名乗る武将か公家さんが増え
ていたでしょうね?
姓の場合は姓と名前の間に『の』が入ります。
藤原鎌足→(ふじわらのかまたり)源義朝→(みなもとのよしとも)平清盛→(たいら
のきよもり)など全てそうですが、何故か?豊臣秀吉だけは→(とよとみひでよし)と
呼ぶのが一般的です
姓を賜ってから滅亡するまであまりにも短かった為か?農民の出だったので一般の
人が親しみを感じてのを付けず読んだのか?
何れにしても(とよとみのひでよし)と呼ぶのが正しいようです。
面白い話があります。
秀吉の母(なか)が両親と一緒に宮使いをしていた頃、両親が無実の罪を被せられ流
罪となります。
両親と一緒に宮中を去った後、懐妊が分かり生まれたのが秀吉だとか?
つまり、秀吉は天皇の落胤だというのです
まだあります。
母(なか)が夢を見ます
太陽が懐中に入る夢だとか…その後懐妊。
生まれたのが日輪の子・秀吉という訳です
どちらも無理があるというか笑ってしまいます
それほど秀吉は自分の出自にコンプレックスを持っていたという証しなのでしょうね
荒木村重が自分の事を化け物だと言っていましたが、本当の化け物は秀吉かも知
れません。
四国の長曽我部、九州の島津を屈服させ関東の北条も滅亡
家康までも蹂躙し天下人となる秀吉、化け物と化した秀吉と官兵衛との距離感がこ
れからの見ものです