今週は二人の女性の強さを感じましたね
道三といい、光秀といい、決断出来ない男と比べ、女性の方は達観していたのです。
「行かせたくなければ調べにはいかん。」と言う帰蝶ですが、裏を返せば美濃に行
かせたいから光秀は信長を調べに行った事になります
帰蝶は自分の運命を全て受け入れていたのです
もう一人女性牧の方。
帰蝶にどう伝えればよいのか迷っている光秀に対し「変わらず有る物を守っていく。
大事なのはこの国ぞ!!」
女性は強し、母は強しですね
この時代、戦っていたのは男ですが、世の中を動かしていたのは女性かも?と思わせ
られます
ところで
光秀の母の牧の方、父の名前すら定かではないので牧の名も怪しい限りです
若狭守護・武田義統の妹だとも言われています
もし?本当ならば光秀には武田家の血も流れている事になりますね。
光秀が五年を要した丹波攻め
一時は味方となった波多野兄弟ですが、突如裏切り最大の敵となります。
(赤井氏と裏で繋がっていた可能性が大)
一時は挟み撃ちになりそうでしたが、光秀の機転により難を逃れます
信長の怒りを恐れる家臣からは撤退反対の意見もあった様ですが、光秀は撤退
を断行。
この撤退に関しては信長から攻めを受けるどころか感状を貰い光秀の決定を褒
めたたえたと言われています。
牧の方が有名になったのは丹波攻めの最終段階。
波多野兄弟と引き換えに母・牧を人質として敵方に送り込んだことでしょうか。
あろうことか!!人質の三兄弟を信長は斬首
勿論、敵方の人質となった牧の方も磔にされてしまいます
何と惨い話でしょうか。
事実なら…
そもそも敵方を包囲していた光秀軍は勝利の最終段階になっていたのです。
兵糧も尽き、飢えが蔓延していた兵達に戦う気力も失せていた筈です
そんな時に和議があっても光秀側から人質を出す事などあり得ません
江戸時代の軍紀ものあたりの創作話でしょうね
若狭武田家の最後の当主は元明だと言われていますが、牧の方が本当に
武田義統の妹だとすれば光秀と元明は実の従弟と言う事になりますよね
本能寺の変の後、元明は光秀軍に加わったと言われています。
牧の方が若狭武田家の出身だったとすれば頷けます